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遅稲田ハイパーフリーコミュの10 YEARS AFTER

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「あなたの設立したコミュニティが今日で10周年を迎えました。おめでとうございます!」

 仕事から帰ってきて間もない火曜日の夜半前、真っ暗な部屋に響きわたった軽快な通知音は低反発のマットレスに吸収されることなく、シングルベッドに横たわる俺のもうろうとした意識の端っこをつかまえた。重たいまぶたをゆっくり開くと、枕もとに置かれたスマートフォンがまばゆく発光している。目がチカチカして一瞬たじろぐが、じょじょにその明るさに視界を順応させながら、ロック画面に映しだされたポップアップ通知に焦点をあわせる。最近はめったに開くこともなくなった某SNSアプリからの、突然の便り。かつて隆盛を誇っていたそのSNSで、俺は管理人としてひとつのコミュニティを運営していた。そうか、もう10年も経ったのか――。すっかり眠気が吹き飛んでしまった俺は発光体に手をのばし、もう片方の手で首もとをゆるやかに締めるネクタイの結び目をほどきながら、ポップアップの横にある「表示」ボタンをタップした。

 めでたく10周年を迎えたそのコミュニティは、おもに参加者が「トピック」と呼ばれるスレッド形式の掲示板に散文をとりとめもなく書き連ねる趣旨のもので、団体名はそのものずばり「妄想部」だった。当時高校生だった俺は、仲の良かった学友たちを誘いあわせてコミュニティを立ち上げ、身内だけの蜜月なる交流の場としていたのだ。思い返せば、本当にくだらない便所の落書きだらけだった。しょせんは高校生なので一も二もなく下ネタのオンパレード、くわえて妄想の対象としてはあまりに凡庸な人選――クラスのマドンナ、あこがれの先輩、話題の芸能人、etc...、おのおのが溜まりに溜まったリビドーを発散するかのごとく、好き勝手に駄文を垂れ流しては幼稚な自己表現に興じていた。青春の1ページ、といえば聞こえはいいが、いまとなっては顔から火が出るほど恥ずかしい思い出でもある。もちろん、青春とはそう永く続くものではない。卒業によって袂を分かたれた俺たちはしだいに疎遠になり、めいめいに新しい環境へと馴染んでいった。そして、俺たちの青年期の終わりと足並みをそろえるかのように、そのSNS自体も下火になっていった。管理人である自分ですら、相当ながい間ログインさえしていなかったのだ。
 通知に促されるまま、久しぶりにコミュニティをのぞいてみる。当然といえば当然だが、最盛期に30人ちかくいた参加者は半数以下に目減りしていた。いなくなった人たちはおそらくコミュニティを脱退したのではなく、アカウントそのものを抹消してしまったのだろう。かろうじてアカウントを残していた旧友たちの、時代を感じる低解像度のアイコン写真を眺める。参加者一覧のいちばん上にいるのは当コミュニティの副管理人であり、持ち前の博識と無尽蔵の性欲を武器に屈指の妄想大家として掲示板を盛りあげてくれたヨシムラ。在学中はまいにち顔をつき合わせていたが、ここ数年は会う機会もなかった。風のうわさによると、文筆家としての才能を開花させた彼はいま、巷の非行少女から違法滞在外国人までをひろく取材対象とする裏社会系風俗情報誌のライターになり、その筋では名の知らぬ者はいないほどの地位と名声を手に入れたらしい。性描写の少ない素朴な文章で淡々とした妄想を披露していたオグラは大学中退後にデイトレーダーの道を歩み、ひとまわり年下のフィリピン人妻と3人の子供を養うために忙しない日々を送っているという。世界観は光るものがあったが飽き性のためかいつも投げっぱなしで終わってしまうのがみんなの顰蹙を買いがちだったヒロタは、ロマンポルノ映像作家を目指していたものの歌舞伎町の高レート麻雀にどっぷりハマってしまい、いまは全財産を溶かしてウーバーイーツの配達員をやっていると聞く。彼らはこのコミュニティのことなどとうに忘れ、それぞれが夢の実現のために切磋琢磨していることだろう。都内の私立大学を卒業後に広告代理店の営業マンとなり、わずかな睡眠をとるためだけに独り暮らしのアパートに帰るような生活を続けている俺だってむろん例外ではない。
 在りし日々を思い出し、しぜんと顔がほころぶ。いくぶん愉快な気持ちで画面を下へとスクロールしてゆくと、薄橙色にふち取られたアイコンがひとつだけあるのに気づいた。このマーカーは最終ログインが1時間以内であることを示すものだ。どこで撮られたのか分からない、しかし不思議と懐かしさを覚える風景写真――だれもいない空間に机が並んでいて、窓ぎわのカーテンがなびいているように見える。放課後の教室だろうか――をアイコンに据え、アカウント名は半角のアンダーバーがひとつ。匿名であることを望むかのようなたたずまいのそのアカウントは、やたらと俺の興味を惹きつけた。これが一体だれなのか判然としないまま、とりあえずアイコンをタップしてアカウントページへ飛んでみた。だがプロフィール欄は空白だらけで、人物を特定できるような情報はいっさい載っていない。ほかに手がかりがないか探っていると、アクティビティの履歴に気になる文言を見つけた。
「「妄想部」に新規トピックを投稿しました」
 その右下には、約20分前に更新されたことを知らせる時間表示。すぐさま俺は画面の左端から右へとスワイプし、コミュニティページへと戻った。上部にある「トピック」のボタンを押すと、いちばん上に「同窓会」と名づけられたスレッドが現れる。俺はそのリンクを開いた。

「卒業式のあと、みんなで思い出の場所に行ったこと覚えてる?
 晴れ着のまま、何台かの自転車で2人乗り、3人乗りで漕いでいったよね。
 わたしはきみの自転車の荷台に乗ってた。
 きみはやたらテンションが高くて、運転も無灯火でフラフラと危なっかしくて(笑)
 危ないからちゃんと前を見て、って何回も注意したけど、あの時わたしは涙でぐちゃぐちゃだったから後ろを振り返ってほしくなかっただけ。
 どこかで自分の気持ちを打ち明けようと思っていたけどなかなか切り出せなくて、気づけば日も暮れかけてた。
 目的地に着いて早々に、きみはクラスの打ち上げがあるからって駅のほうへ向かっちゃったね。
 わたしは結局、言えずじまいだった。だけど、いつまでも後悔しっぱなしじゃいけないと思った。
 明日は4月1日。わたしは転勤がきまって、朝6時58分大宮駅発の東北新幹線で埼玉を離れます。
 この書き込みを見てくれるかわからないけど、今から時間ギリギリまであの思い出の場所で待ってみようと思う。
 最後に、2人きりで同窓会ができたらいいな。
 来てくれると信じてる。」

 スマートフォンを握る手が汗ばみ、熱がこもってゆく。鼻腔をツンと刺激する、陶酔的でケミカルな香りがよみがえってくる。この書き込みをした「わたし」が誰なのかわかったわけではない。むしろ、いまだにわからないから動揺している。すっかりクリアーになった思考で、古ぼけた記憶をたどる。あのころ、仲間内では「アンパン」が流行っていた。みんなで授業や部活をサボっては学校の裏手にある「みさき公園」へと行き、ブランコの手すりに腰かけてポリ袋の中身を回し吸いしていた。卒業式のあとも例にもれず、俺たちは連れだって足を運んだ。「思い出の場所」とは、間違いなくあの公園のことだ。だがそのとき、女子はだれひとりとしていなかった。そもそも、妄想部は仲の良かった男友達だけで構成された閉鎖的なコミュニティだ。俺たちは実生活では寡黙で陰気なオタク野郎どもで、教室の隅でドブネズミのように静かに身をよせあっていた。いうまでもなく、学年中の女子に忌み嫌われていた。
 しかし――ここでいう「きみ」とは確実に俺のことだ。運命的なタイミングでめぐりあったこの文章には、そう強く確信させるだけのふしぎな引力があった。シンナーでラリっていたから覚えていないだけで、ほんとうは女子があの場にいたかもしれない。いや、いたような気がする。そうだ、俺の漕ぐママチャリの荷台には、当時好きだった同級生のあの子が腰かけていた。俺が着ていたフォーマルスーツの裾を不安そうにぎゅっと握りしめる、サーモンピンクのネイルであざやかに彩られた小さな手。後ろを振り返ったとき、彼女の頬をつたう一筋の涙をたしかにこの目で見た。涙の理由を訊くことはできなかった。代わりになにかを言い、わざとらしく笑ってごまかした。妙な気まずさを覚えて、ペダルを押す土踏まずに力がこもった。おたがいに若くて、無邪気で、それゆえに臆病だった。細部までくっきりとしたイメージが脳内に氾濫してくる。同時に、後悔の念が立ちのぼる。もう、妄想に逃げるのはやめにしよう。ツケを払うときがきたのだ。
 俺はまとわりついた情念を振りはらうかのように、全身に覆いかぶさった羽毛ぶとんを剥ぐ。そのままの勢いでベッドから這いあがると、脇目もふらずに玄関へと向かった。床にほおり投げた脱ぎっぱなしのスーツに足をとられて転びそうになるが、すんでのところで体勢を持ちなおす。そして、土間の片隅に置かれたクロックスをつま先から引っかけて、ドアが閉まりきるのを待つこともなく駆けだしていた。いつの間にか日付は変わり、卵型の月が薄曇りの空にぼんやりと浮かんでいた。
 ここからみさき公園まで、おそらく10キロメートル以上はある。終電はもう行ってしまった。どこかでタクシーを拾おうか。だが、財布さえ持たずに家を出てしまったことに走りながら気づく。信号待ちの国道でちょっとだけ冷静になり、きた道を引き返そうかと思いとどまる。しかし、決断をくだすより先に眼前の信号機が青く明転する。迷っている時間はない。俺はふたたびスタートを切る。すり減ったラバーソールごしに、アスファルトの硬い感触がつたわってくる。早春のはだ寒い風にあてられた身体は夜冷えに逆らうかのようにどんどん熱を帯びてゆき、大量の汗ではりついた白いワイシャツが上半身のフォルムをくっきりと浮かびあがらせる。腹まわりの豊満な脂肪がゴムまりのように弾んでいる。高校時代のマラソン大会で森林公園の外周を軽やかに走り抜けた痩せ型の体躯は、仕事のストレスによる過食と痛飲で2倍のボリュームに膨れあがっていた。「あんたはいくら食べても太らなくて羨ましいわ」と母親に揶揄された栄養失調気味のスタイルも、いまとなっては見る影もない。自重で脚が痛くなってきたが、とにかく先を急ぐことだ。走れなくなったら、そのときはそのときで考えればいい。

「おいっ、そこのデブ!」
 一心不乱に走りつづけ、母校の最寄り駅ちかくまでたどりついたところで、ふいに野太い声に呼びとめられた。振り返ると、クロスバイクに跨ったふくよかな男が立ち漕ぎで迫ってきている。お前もデブだろうが、と喉もとまで出かかった言葉を呑みこんで、俺は見知らぬ巨漢の到来を待った。
「はぁっ……はぁ……っ……やっぱりお前か……ンアアッ!!!」
 運動エネルギーがかかりすぎたのだろう、オンボロの自転車は急ブレーキによってバランスを失い、俺の目の前で曲芸のように激しく前転した。運転者は強制的に地べたに叩きつけられ、自転車の前輪はぐにゃりと曲がって回転を止めた。さながら事故現場のような地獄の様相で、無関係の俺まで後ろめたい気分になる。男は苦痛にあえぎながらも這う這うの体で起きあがり、ずり落ちた黒ぶち眼鏡をかけなおした。レンズの奥に浮かぶ、いやらしい不敵な笑み。俺はこの表情に見覚えがある。
「もしかして……ヒロタか?」
 妄想部の一員にして、いまはウーバーイーツの働きアリとなった男。当時は俺と同じくらい線が細かったはずだが、配達中のつまみ食いが度を越したのだろう、すっかり肥えてしまっていた。夜風にのって、腰まで伸びた髪から風貌に似つかわしくないトリートメントの芳香がただよってくる。
「なんでお前がこんなところに……」
「はぁ……はぁ……うっ……」
 息も絶え絶えのヒロタは毛玉だらけのトレーナーのリブをたくし上げ、ズボンのポケットからスマートフォンを取りだして俺に突きつける。小一時間前に見た画面がそこに映っていた。こいつもあの書き込みをぐうぜん目にして、俺と同じようにいてもたってもいられなくなった、ということか。
「失われた10年間を……取り戻すんだ……お前……俺のことを心配して……ここまで来てくれたんだな……」
 どうやらこいつは、幸福な勘違いをしているようだ。だが、ここで言い争いをしている時間はない。目的地へたどり着けば自らの浅薄さに気づくはずだ。
「もういい、もう喋るな。急ぐぞ」
 俺は踵を返して、前傾姿勢で大げさな深呼吸をくり返しているヒロタを置いて走りだした。刹那、
「おい、待て! おい! あれ!」
 またしてもヒロタの怒号が俺を引きとめる。あからさまに不機嫌な面持ちで振り向くと、ヒロタは俺の斜め後方を遠く指さして、眼鏡の奥で瞳孔をかっ開いている。ただならぬ雰囲気を察し、つられるように指先の方向を見やると、車線を挟んだ反対側の歩道にふらふらとした足取りの大男の影をみとめた。セスナ機の両翼ほどの幅はあろうかという大きな背中を誇らしげに揺らし、一歩ずつ大地を踏みしめるようにゆっくりと遠ざかってゆく。その異様なうしろ姿は記憶とはだいぶ違えど、あの”揺れかた”をする奴はひとりしかいない。俺たちは一目散に駆けよってゆき、ふたり同時に思いっきりジャンプして背後から巨人の肩に手をかけた。
「オグラ!」
 いきなり両肩にかかった200キロ超の重力にバランスを崩し、オグラの上体は弓なりに反りかえって後頭部からタイルに激突した。俺とヒロタは衝撃ではじき飛ばされる。男の着るパーカーのポケットから何本かのスプレー缶が落ち、夜のしじまを切り裂くようにカランカランと鳴りひびく。『エクソシスト』の少女のごとくブリッジの格好となってこちらを逆さまに見つめる男――かつての同志・オグラもまた、俺たちと同じ経緯であの公園へと導かれていたのだろう。目がうつろなのは頭を打ったからではなく、かたわらに転げ散らばっているシンナースプレーの効能にちがいない。当時からこいつはだれよりもシンナーが好きだった。卒業間際にもなると、地元の売人から買いつけたマリファナやLSDと併用して派手にトリップするようになり、昼夜を問わずキマりながら現在ほど大きくはない肩を不気味に揺らすのがお決まりの仕草だった。
「オレ……イク……ミサキコウエン……マッテル……」
 オグラはそう言い残すと、起きあがりざまにスプレー缶の一本を拾いあげてふたたび歩きだした。競技を終えたアスリートが酸素ボンベを口元にあてがうかのような必死さで、絶え間なくシンナーを直吸いしている。狂気的な光景に俺たちは呆気にとられるも、すぐさま思いなおしてオグラの後をついてゆく。発達しすぎた三角筋に沿っていびつに伸びきったパーカーは、繊維の悲鳴とともにいまにもはち切れそうだ。だが、背の部分に大きく印字された「CHAMPION」のブランドロゴがオグラ自身を、そして俺やヒロタさえも肯定してくれているように思えた。ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ。俺たちのあいだに、もはや言葉は要らなかった。ヒロタにしろオグラにしろ、なぜこんな仰々しい思い過ごしをしているのか。だれが正しくて、だれが間違っているのか。いまとなっては、すべてどうでもいいことだ。ここで問いただすのは野暮でしかない。虐げられ、妄想の世界を生きるしかなかった男たちの望まざる再会。なぜだろう、ふしぎと悪くない気分だ。雲で覆われていた夜空はいつしか澄みきっており、不完全な月がともに歩く3人のすがたを均しく照らしていた。

 みさき公園はお祭り騒ぎだった。丑三つ時にさしかかろうかという時分にあって、いささか異様なやかましさを呈している。公園のまわりは一面に畑しかなく、やや離れて首都高速道路の高架橋が敷かれているのみ。昼間ですら閑静で人通りは少なく、だからこそ絶好のシンナー吸引スポットだったわけだが、俺たちの見知っている光景とは様子がちがった。無数のバイクのヘッドライトが互いのボディにあたって乱反射し、違法改造されたマフラーが思いおもいに唸りをあげている。自分たちの存在を誇示するかのような罵声と、金属バットが地面の砂利をこする乾いた音。ギンバエのように集く群れの中心、血だまりのなかでぐったりと動かない男がひとり。内出血を起こしてパンパンに膨れあがった男の右腕には、上腕部から手首にかけて春画をモチーフとしたハレンチな刺青が彫られている。遠目だったが、その肉塊がかつての仲間であることは明白だった。公園の入り口で呆然と立ちつくす俺たちの足もとには、手作り感満載なA5判のフライヤーが棄てられている。「妄想部/夜の同窓会のごあんない/主催:エブリデイオーガズム・ヨシムラ」と殴り書きされたその紙きれを拾いあげ、くしゃっと握りつぶした。
「同窓会もおひらきの時間か。間に合わなかったな、ヒロタ」
「ああ……俺もお前も、オグラも、まんまと引っかかっちまったわけだ」
「ヨシムラも粋なやつだよな。俺たちをこんな手で誘いだすなんて」
「でも、まさか暴走族の集会に鉢合わせるなんて思ってもみなかっただろうな」
「ははは、違えねぇ」
「……なぁ俺ら、どこで道ィ間違えたんだろうな? ただ、醒めない夢を見ていたかっただけなのにな」
「………………」
「あの頃は、理想を語るには若すぎたんだ。でもいまは、現実を見すえるには歳をとりすぎちまった」
「……ヒロタ、それは違うぞ。俺たちはまだ終わってねえよ」
「そうか、そうだよな」
「ヨシムラの仇、取ってやろうぜ」
「ウ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛オ゛オ゛」
 オーバードーズのせいか、後方で頭を抱えてうずくまっていたオグラが急に雄叫びをあげた。ありとあらゆる感情が渾然一体となった、たましいの奥底から湧いてきたかのような咆哮。不良たちの鋭い視線がこちらへ向けられる。つぎの瞬間、オグラはその巨体を惜しげもなく揺らして、公園の中央めがけて突っこんでゆく。力のかぎり投げ放ったスプレー缶が、いちばん遠くのベンチにぶつかって高い音を立てた。それを合図とばかりにヒロタも後につづく。そうだ、このクソみたいな現実に、最後まで抗わないといけない。それが妄想部OBとしての使命だ。俺はかたわらに転がっていた金属バットを手にとり、先陣からやや距離を空けて走りだした。ここまでの道程で蓄積された足の痛みは治まっており、うそみたいに身体が軽い。無知ゆえの全能感にまみれていた高校時代を思いだす。嗚呼、なぜだか笑いが止まらない。オグラもヒロタも笑っている。行く先には、驚くほど安らかな表情で眠っているヨシムラがいる。ふいに脳天をつらぬく、鈍い衝撃。続けざまに2発、3発。俺は前のめりに倒れこんでゆき、やがてなにも見えなくなる。
 そして意識は途切れた――。

 ・・・・・・・・・・

 目が醒めると俺は母校の教室にいた。机に突っ伏して寝ていたためか、身体のふしぶしが凝っている。いつの間にか6時間目の授業も終わっていて、廊下側の窓から差す西日がやたらと眩しい。だれもいない教室は妙に居心地がよく、開放的な気分になる。吹奏楽部の個人練習だろうか、リノリウムの床に反響してトランペットの音色が聞こえてくる。いつだって退屈で、満たされることはないが、決して苦痛ではない、そんな甘美な一日。さて、そろそろ家に帰ろう。そして、夜ご飯を食べたら「今日した妄想」のトピックを更新しようじゃないか。どんなネタがいいだろうか、帰り道でじっくり考えることにしよう。
 大きくのびをして、席を立ちあがる。帰り支度をまとめていると、ふいに前方の扉がガラガラと引かれる。見知ったシルエットの女性が、レールをまたいで教室へ入ってくる。表情は逆光でよく見えないが、口もとに笑みを浮かべているのだけはわかった。彼女は俺に近づきながらなにかを語りかけ、手をさしのべる。夕日のなかで、ピンクのネイルがいつにもまして鮮やかだ。俺は「待たせたね」と言って、照れ笑いをつくりながら、その手をとって教室を出ていった。

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