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百人一首コミュの地図帳

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はじめまして。百人一首の地図帳作ってみました。
http://pitecan.com/Mapmania/programs/list.cgi?shelf=%C9%B4%BF%CD%B0%EC%BC%F3

間違ってたら教えて下さい♪

コメント(8)

>富豪家さん

これは……力作ですね。

百人一首の歌のなかの地名が現実のどこなのか、異論があるものが多いので、難しい作業ですが、がんばって完成させてください。
協力しますよ。

異論ではありませんが、「淡路島」の場合は、「須磨の関守」に視点が置かれているので、明石海峡に面した東岸(現淡路町)のほうがよくないでしょうか。

異論としては、大江山ですね。
大江山→生野→天橋立というコースを考えると、この大江山は丹後の大江山ではなくて、もっと丹波寄り、現在の桑田郡にあった「老ゆの坂」あるいは「大枝山」ではないかと言われています。
そのうち「大江山」というと「源頼光と酒呑童子」の伝説がある丹後の大江山が有名になったため、富豪家さんの示した大江山を指すと誤解されていったようです。
では、その「老ゆの坂」や「大枝山」が現在の地図ではどこなのだ、と言われても、そこまで詳しくないので、ちょっと示すことができないのですが……。
大江山の異論、続きです。

異論を挙げておいて「どこだか分からない」というのも不勉強な話なので、少し調べてみました。

おおかたの説では、山陰道(国道9号線)西京区のはずれあたりになります。

地名で「大枝」が残っていますし、京都縦貫道には「新老ノ坂」がありますから、その上あたりがかつての「老ゆの坂=大枝山=大江山」ではなかったか、と思われます。

http://homepage1.nifty.com/heiankyo/kuni/yomo20.html

それとは別にもう一つ、山陰道をさらに丹波へと進み、天田郡三和町内、
大身(おおみ)〜菟原(うはら)間の細野峠を指す、という説もあります。

http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/KYOTO-hosonotouge-docu.htm

まあ、定説としては西京区、大枝〜老ノ坂間とみていいんじゃないでしょうか。
ううむ、困ったな。(^_^;)
最初に述べたとおり、百人一首の地名については異論異説が多過ぎるんですよね〜。
これをいちいち挙げてゆくと、何かいちゃもんをつけてるような感じになってしまうので、不愉快に思われるかもしれませんね。いい加減にしておきますが、「三笠の山」について。

安倍仲麿の「三笠の山」も「御蓋山」と書くのが正しく、春日大社の後背にある山々と見るのが正しく、若草山ではない、とする説もあるのです。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/007.html

それとは別に、筑紫の宝満山だという説もあって、異説をたどると混乱してしまいます。
いろいろ情報ありがとうございます! 異論も併記ということでいいんじゃないでしょうかね。
三笠山と御蓋山は確かにまぎらわしいですね。位置的にはすぐ近くなのでどっちでもいい気もしますが。
うーむ、ますます深みにはまりこんでしまうな。(^_^;)

>三笠山と御蓋山は確かにまぎらわしいですね。位置的にはすぐ近くなのでどっちでもいい気もしますが。

これって現代人が地図帳を眺めての感想なんですね。
当時、ここに暮らして自然を眺めていた人の感想はまた別のものでしょう。

多くの注が「三笠山は若草山ではない」としているのは、ちょっと重大な理由があるからなんです。

安倍仲麻呂のこの歌については無数の論評と分析がなされていますが、中国明州の浜辺で惜別の宴が催されたとき、彼が故郷を思って歌った歌だとすれば、なぜ「春日なる」としたか、ということですね。ある特定の位置と日時に見た月を思い出して詠んだのだろう、ということです。
続日本紀巻七、養老元年二月一日の記にはこうあります。
「遣唐使、神祇を蓋(みかさ)の山の南に於て祠う」
つまり遣唐使たちが出航を前にして神に祈る儀式を行なったということです。出席者は安倍仲麻呂、吉備真備、僧玄肪ら。
この時、まだ春日大社はなかったのですが、蓋の山はすでに「神域」とされて神座がおかれていました。
その場所が春日大社の現在の場所と変わらないとすれば(まあ変わらないのですが)、その夜に仲麻呂が、神を拝んだ時に見た月は、絶対に若草山の上にはなかったことが明らかなんです。月は当時の人が「蓋山」と呼んでいた山のうえにかかる。
そういう場所をねらって予め神座が設けられているのではないか、という気もします。

なんと言ったらいいかな、東京のうんと西の人が東を見て「東京タワーも六本木ヒルズも同じ方向に見えて近いところにあるじゃないか」と思っても、東京タワーとヒルズの中間にいる人から見れば、タワーは東にヒルズは西に見えるわけで「地図上では近いから同じようなもんだ」とは言えないのと同じようなことです。(うーん、お分かりでしょうか。微視的にみるか巨視的にみるかの差ですね)

当時は陰暦でしたから、人間の行動は月に支配されていました。ぼくらが和歌に書かれた月を「ああ月が出ているんだ」と思うのと、昔の人が思うのとはまったく違って、歌に月が出てくれば何も言わなくても何月の何日ごろか分かってしまうんですね。時間も分かる。カレンダーというか時計というか、そういう機能のほかにさらに方角もさし示す、一種の天文儀とカレンダーの機能を月は持っていたわけです。
そういう古代人の心境に思いを馳せながら歌を味わうと、やはりここは「若草山」ではあり得ない、と専門家はみるのです。
私は以前奈良に住んでまして、若草山も春日大社も何十回も行ったことがあるのですが、素人的には春日山も若草山も御蓋山もセットみたいなものかと思ってました。確かに位置関係を正確に言えばおっしゃるとおりですので、安倍仲麻呂にもそういう思い入れがあったのかもしれませんね。
こんな地図を今日もとい昨日、入手しました。

待賢門院堀河の法金剛院がモレているとは作者の弁
作成時は西京極大路に接しているとは知らなかったとの由
〉5
》続日本紀巻七、養老元年二月一日の記にはこうあります。

この日に神事が行われたのなら、新月ですから月は出ないと言うか見えないと思います。

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