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BDについてもっと知りたい!コミュのニコラ・ド・クレシーのインタヴュー part 2

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Hugues Dayez(ユーグ・ダイエス)編『La Nouvelle Bande Dessinee(ヌーヴェル・バンド・デシネ)』(Niffle〔ニッフル〕、2002年刊)所収のニコラ・ド・クレシーに対するインタヴューの続きです。

part 1 はこちら↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28713810&comm_id=424387
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Q:子どものための本も2冊出していますね。「意地悪な狼の夜(La Nuit du méchant loup)」と「ゲレンデの王さま(Le Roi de la piste)」。いつもとは別の読者層を相手にしたかったのですか。ほかの技術を試すために。
A:実は、問題にぶつかっていた。「フォリガット」と「ビバンドム」の中では絵画的な探求というのが仕事のほとんどを占めていた。そしてこの方法をBDの中では引き続き使っていくのが無理だとわかった。あまりにも重くなりすぎるんだ。こんなふうに3冊描いて、また一冊出すために2年半もかけるという気力がなくなっていた。経済的にも、とても生活するのは無理だ。ひとつの作品のために2年以上かけて、それで得るものが6か月分の生活費相当のものなのだからね。こういうことは25歳のころだったらできるけど、35歳になるともうできない。それにBDの中での語り方についても、かつて「ビバンドム」のころにしていたようなグラフィックよりももっとシンプルなもののほうがずっと要求にこたえられると今では思うようになって来ている。「ビバンドム」、自分ではあのような作品を作ったことにとても満足しているけど、今はもっと効果的な方面に進みたいと思っている。豊かさを保持しながらももっと簡素にもっと早く仕事をしたい。そうすることによって長いスタンスで仕事ができるようになると思うんだ。

Q:もしかしたらその方向性というのは「美しい絵」の罠を避けるためのいい方法かもしれませんね。「美しい絵」というのはしばしば読者の目をとどめてしまい、物語の流れをも止めてしまいますからね。
A:まさにそうなんだ。ぼくも同じ疑問を持ったことがある。あまりにも豊かな絵というのは先へ読むことを阻むものではないのか、と。でもこれは実に厄介な問題なんだ。というのも、ぼくは両方が好きだからね。ぼくは効果的で、物語を読みやすくしている絵も好きなんだ。でも一方で、とても豊かな絵も好きなんだ。いろいろな要素が詰まっていて、絵の中に入り込んで、そこでさまよえるような絵。この点では、クリストフ・ブラン(Christophe Blain)の仕事がとても好きだ。というのも彼の作品は、この二点のちょうど真ん中にあるからなんだ。彼は迅速に仕事をしながらも、絵のグラフィックについては実に豊かなものを感じさせることができるようなシステムを見つけられたんだね。現時点でこの問題をいちばんうまく切り抜けている人だと思うよ。

Q:結局、子供向けの絵本というのは、ジレンマを感じることなく「美しい絵」を描くことに没頭できるというわけですね。
A:まさにそういうことだ。というのも、もし効果的なことばかり考えてBDを描いていくと、ぜったいに絵を描くという作業がなくなったことをつまらないと思うようになると思うんだ。美しい絵を描く、そこに一日かける、光を描くことに時間を費やす、小さな絵を丁寧に仕上げて、目で眺めることを楽しめるようにする。こういうことがぼくは本当に好きなんだ。だから、出版ということを考えると、ぼくにとっての解決法は、ときどき子供用の絵本を描くということになる。なぜなら、アングロ・サクソン系の出版社とちがって、大人向けの絵本というのはフランスではほとんど皆無だからね。

Q:一般大衆向けの小説の挿絵を描くというのはしないのですか?
A:したくないね。ぼくの分野じゃないんだ。それに、ぼくは挿絵付きの小説というものに反対なんだ。なぜなら、ぼくが本を読むとき、自分で独自の世界を作り上げる。だから挿絵によって自分が作り上げたイメージを壊されるのが大嫌いなんだ。それで子供向けの本の挿絵を描くことを始めたのだけど、少しフラストレーションが残るんだ。というのも行ってはいけない方向性というものがあるからね。たとえば「意地悪な狼の夜」の場合、ぼくは木炭を使いたかった。でも、子どもの本をモノクロで描くということを受け入れてもらうのはとても難しいんだ。おまけに最後の印刷では多くのニュアンス、多くのコントラストが消えてしまった。全体がなんとなく灰色っぽくなって、このことをぼくは残念に思っている。その後、もっと古典的でもっとおとなしい本を書かなきゃと思った。それでできたのが「ゲレンデの王さま」なんだ。

Q:あなたの話をきいていると、常にイラストレーターではいられないようですね
A:そうだね。ぼくが自分らしくいられる唯一の状況は絵と物語の両方を自分で書くときだ。今、ぼくは普通とは逆の方法で作業してるんだ。4、5年前から同じテーマで描いた絵の中から何枚か選び出して、今、これらの絵をもとに物語を書いているんだ。この方法も面白いと思った。というのも物語を書くということにもぼくととても興味があるからね。

Q:あなたはどちらかというと独自の世界を作り出すほうの絵描きのようですね。既存の世界からインスピレーションをもらうタイプではなく。
A:そんなことはないよ。両方の世界が混じるんだ。ただ、夢とか悪夢を見ているときと同じだね。自分が現実に体験したことが元になって無意識の中で変化して形になる。「ビバンドム」を始めたとき、夢を見ているときに感じるような雰囲気を出したかった。それでシュールレアリストたちが使ったコラージュの用法も少し取り入れたんだ。というのもあの話を作り上げるのにばらばらないろんなものを集めてきたんだからね。切断された頭部、アザラシ、町、これらを夢の中でのようにぜんぶ混ぜ合わせたんだ。

Q:あなたの作品の中には、いくつか繰り返し現れるテーマを見出すことができると思うんだけども。たとえば、ものに言葉を与えるとか。「意地悪な狼の夜」のおもちゃとか、「麻薬のレオン」のマリオネットとか。
A:絵が提供してくれるすばらしい可能性だよね。自分の思うものに生命を与えることができる。それにぼくがしていることすべてについて考えてみると、いつも生きているものと比較したことを考えている。ぼくがひとを、あるいはものを描くとき、いつもそれがどんなスタンスのものかを考える。これは誰? これは生きているのか? とか。たとえば、「ビバンドム」の中では、現実の人物というよりもシンボルとか、原型などが現れている。物語の語り手は、切断された頭なのただけれども、それは語り手が死んでいるということを意味する。結果、そこで語られている事柄についての信憑性が疑わしくなってくる。でも何度も言うようだけど、ぼくは自分の作品を分析することはしないよ、というのも始めたら……

Q:長いすに寝そべったほうがよくなるってことですか?
A:いや、そういうことではないのだけど、ものごとを直感的に展開させることができなくなる。それが恐いんだ。後からなら、自分の作品の中からこのテーマ、あのテーマと取り出すことができる。でも、それらは自分が最初に自由な発想の中で展開させたいと思ったこととは違うと思うんだ。

Q:では、あなたが自分でシナリオを書く場合は、途中でたくさん削除したりするのですか、それとも直感を信じてそのまま進むのですか?
A:「ビバンドム」の第3巻では、何度もシナリオや台詞を書き直した。前2巻よりもずっと。そして直して、直しているうちに、どうすればいいのかわからなくなってしまった。結局なにも起こらないことを実感して。大変なことだった。これは体験だけど。あまりにも文章を推敲しずぎると、最初の意味を忘れてしまうような気がする。今では、文章を書くことの問題点について考えている。推敲はしなくちゃいけないし、何度も同じ場所に戻ってこなくてはならないけど、いったいいつやめるのか、それが問題なのだ。

Q:絵だと、どこでやめるかがもっと簡単に分かるというわけですか?
A:そうだね。絵のほうはすぐにわかる。わかったとたんに筆をおく。自分の絵がどの段階でいい絵になっているかは、はっきりとわかるんだよ。

Q:BDの場合、驚くのは、写実的な絵ほど動きがないということですね。あなたの絵のように図案化されたもののほうがずっと生き生きとしている。
A:もちろんそうだよ。問題は最近ではあまりにもBDの影響しか受けていない作家が多く出てきていることだ。だからそこに生命がない。そりゃそうだろ。だって彼らは現実を観察して考察することをしていないのだから。絵が死んでいるんだよ。絵をもとにして描いた絵をもとにして描いた絵をもとにして書いた絵……。そして絵と生きている現実を繋ぐすべてを途中で失ってきた。

Q:あなたの作風はとても独創的ですが、ずいぶんと多くの人たちから真似された感じがします。彼らは単純に真っ赤なトーンで原色で描けば、もう「芸術と模索」ができると感じたのだろうけど、そういうのに、少しイラついたりはしないのですか。
A:イラつくよ。ほんとうにイヤになる。それにぼくの仕事の信用も落とすことになるからね。実は、とても悲しいことだと思う。そういうモノマネみたいなものをみると、激しいものが死んだ絵にのっかっているだけだったりする。それは生きている人間の皮膚を採取して、死体に移植するのと同じことだよ。とはいえ、若い才能で、たしかにぼくの影響を少し受けているなと思えても、どこか確かな自分のものを持っているというのにも出会うからね。これは当然のことだ。最初のころは誰でもひとの影響を受ける。でもイヤだなと思うのは、表面だけぼくのスタイル、あるいは別の誰かのスタイルがぺたっと貼られていて、その下に何もないと感じるときだね。

Q:アトリエ・デ・ヴォージュ(註)の仲間入りをしても、あなたは常に個人として参加していますよね。自分の描くページの前の孤独なBD作家というほとんど修道士のような状況をどう思っていますか?
A:あんまりうまくいってない。ぼくは家でひとりで仕事するのが大嫌いだ。とても暗い感じがするから。気が狂いそうになる。実は、この仕事に関しても外側から見た感じは嫌いなんだ。でもぼくは絵を描くのが大好きで、描いていると、気分が高揚してくる。何かを発見したり、新しいことを始めていると実感しているとき、ぼくは本当にうれしい。でもそこから生じる現実の生活は、はっきり言って、大嫌いだ。いまだにどのように処理したらいいのかわかっていない。これが大きな問題だ。仕事は迅速に、そして集中してしなければならない。少しずつ。一日4時間ぐらい仕事して、でもその後は外に出かける必要がある。少し息をついて、世の中を見る必要があるんだ。だから毎年3ヶ月のヴァカンスをとる。その間は絵を描かないのだけど、ひとと会ったり、山を散策したりする。一日じゅう机に向かって植物のようにはりついてなんかいないよ。そうなったらもうおしまいだね。
※註 アトリエ・デ・ヴォージュ〜l’Atelier des Vosges。1995年にパリの Place des Vosges(ヴォージュ広場)で作業場を共にしたBD作家のグループのこと。Émile Bravo(エミール・ブラヴォ)、Lewis Trondheim(ルイス・トロンダイム)、Christophe Blain(クリストフ・ブラン)、David B.(ダヴィッド・ベー)、Joann Sfar(ジョアン・スファール)、Frédéric Boilet(フレデリック・ボワレ)、Marjane Satrapi(マルジャン・サトラピ)など、その後、ヌーヴェル・バンド・デシネと呼ばれる運動を担う作家たちがいた。ウィキペディア仏語版参照(http://fr.wikipedia.org/wiki/Atelier_des_Vosges)。

Q:若いころはこの問題をどう解決していたのですか。いつも絵ばかり描いていて、ほかの仲間たちから孤立しなかったのですか。
A:絵を描きながら世の中をみるというのは、とても大きな問題なんだ。最終的には人生を生きることをしなくなる。単なる傍観者になってしまうんだ。そして傍観者になると、社会的にひとつのグループの中に入っていくのがますます難しくなる。というのも年がら年中観察するようになるからだ。最後には目だけになってしまう。そしてそれはとてもつらいことだ。でもこのような生き方というのは、どうやら子どものころから自分にはあったようなんだ。だから慣れないとね。

Q:あなたは直感的に速く描くのが好きで、BDの孤独な生活が嫌いで、それでも2年前から大きな計画に取り組んでますよね。ひとりで長編アニメーションの制作。ちょっと矛盾しているように思いますが。
A:この計画を説明するいくつかの要因がある。まず、スケールの大きいアニメーションを自分の手で作りたかった。以前、芸術監督として「老婦人とハト(La Vieille Dame et les Pigeons)」という中篇のアニメーションを作ったことがあるが、これはアヌシーで賞を取った。シルヴァン・ショメの作品だ。今度は自分ひとりの責任でなにか作りたいと思った。二つ目の理由はまさにBD作家の孤独と関係することなんだ。強烈な世界を展開させようと思ったら、たしかに自分の脳の中からいちばんコアな部分を搾り出すようなことが必要だから、ひとりで仕事をする必要がある。でもこういう仕事を10年間も続けていると、もういい加減うんざりするんだ。今度はチームを組み、ほかの人といろんなことを共有しながら、自分の企画を展開させる、そういうことをしたくなった。三つ目の理由は、自分のBDの中で作り上げたシステムのルーティーンの罠にはまってしまうのが恐かったんだ。最近では、あまりBDに興味がなくなってきたので、この分野で新しい道を模索する気力がないんだ。そしてもしこのまま進んでしまうと、なんか実がないものを作り出すような気がする。次から次へとアルバムだけをだして、そうしたらこの仕事がほかの平凡な仕事と同じになってしまうから、それだけは絶対にイヤなんだ。

Q:しばしばBDとアニメーションは似たような分野ととらえられてますが、どちらかというと、「偽りの友人」のような気がするのです。実はまったく違う言語ではないのでしょうか。
A:同感だね。動きという概念をとってみよう。BDの場合、ひとつの絵ですべての動きを理解させなければならない。アニメーションでは許されないような簡略化が必要で、どう簡略化するかが大きな作業だったりする。アニメーション映画だと、すべての動きが見えるから、絵を動きと関連させて考えなければならない。でもこれはとても面白いと思う。描くことを違うところから取り組む、違う方向から演出で攻める。

Q:あなたは、先ほど説明したように、BDにおいて、いろんな技術を駆使してきました。このような自由はアニメーションではできないと思うのですが。使う技術にもっと統一性が求められるのではないですか。
A:特殊な作家の短編ならそういう自由も許されると思う。つまり、ひとりでその映画に関わり、映画が出来上がるまで4年費やして。で、だいたい国立映画センターから奨励金をもらって。そして、短編映画作家というレッテルを貼られる。このような状況だと、グラフィック的な自由度はとても高いが、別の観点から見れば、あまり多くのひとに見てもらえない。長編映画が唯一まともに映画として上映されることを期待できる形態で、また多くの観衆に見てもらえる方法だ。それにぼくが展開しようと思っている物語はまた長編映画という形にぴったりなんだ。

Q:スタジオに入ることによって、あなたの本来の絵が変わっていくという、避けて通れない問題がありますが、そのことに関しての危惧はないのですか。
A:ないね。というか、一緒に仕事をする仲間といられるということがとてもエキサイティングだと思うね。もちろんこのシステムでうまくいくような人が誰なのかを判断するくらいの頭は必要だし、またより面白い何かを持ってきてくれるようなひとを見つけなければならないけどね。ぼく個人はアニメーターではないけど、すでに一緒に仕事をしたいと思えるようなアニメーターと出会っている。なぜなら彼らとなら、作品がより豊かになれるような仕事ができると感じられるからなんだ。ぼくが絵で感じるのと同じようにアニメーションで感じている人間をひとり見つけてね。彼はアニメ化したクロッキーを作るというぼくの夢を理解してくれている。つまり、クロッキーの生き生きとした部分を残し、平坦でぼやけたものでないようなものを作りたいという夢。おそらく、彼となら話していても、行き違いがないと思うんだ。というのもぼくはアニメーターではないけど、内面から動きというものを理解できると思うから。ぼくが主張したいのは、作家のアニメーション映画ではあるのだけど、それでも比較的広く観衆に見て理解されるようなものでなくてはならないということだ。つまり、ぼくは少し大人になって、少なくともBDほど実験的なことはしない。それでもぼくは自分独自の世界観を残したいんだ。ひとに受け入れられながらもも、オリジナルなものを残すことは可能だと思う。ニック・パーク(Nick Park)の「ウォレスとグルミット(Wallace and Gromit)」がいい例だ。ぼくとしては、最初とっつき難いと思われそうな世界観を提示して、それでも状況のおかしさによってみんなが理解できるようなものを作りたい。

Q:それでこの2年間で、今どのあたりにいるのですか?
A:シナリオを書き終えた。台詞入りの脚本を3ヴァージョン書いたんだ。すべての登場人物を作り上げ、そして50枚ほどの背景を描いた。これらは大きなパノラマの版で準備的に作ったものだ。BDとはまったく違った枠組みで仕事するというのはとても面白いよ。

Q:あなたのように即興の中でシナリオを書くのが好きなひとにとって、3種類もの会話を描くのは大変だったのではないですか?
A:問題は、このような大きな企画があって、交渉しないといけない場合、相手側を説得するには書いたものを提示しなくてはならないことなんだ。だから、これは演習だと思うことにしたよ。イメージとして、すんなりとぼくに現れるものをどうやって文章に置き換えるか。ぼくが今までしたことのない作業だったね。

Q:平行してBDも描いていたのですか?
A:うん、少しは。「ビバンドム」の3巻と、「ゲレンデの王さま」を描いた。というのもこの企画はほんとに時間がかかったんだ。自分を信じられなくなって、疑問を持ちだして、客観的になれない時期だね。いろんなひとが読んで、批評し、それでうまくいかないと分かって、やりなおす。最初のエネルギーをずっと持ち続けるのが難しい。出発点の意図を忘れないようにするのが難しい。すごく難しいけど、面白い。

Q:どんな話かというのは訊きませんが、どのようなところから出発したのですか?
A:比較的ありふれた話だね。父親、息子、悪党、とても魅力的なピザの配達人、でも体重が100キロもある女性なんだけど、ヴァーチャル眼鏡……グラフィック的には少し線を簡略してアニメーション化しやすいように工夫した。物語については、場面、場面を考えた。目を閉じて浮かびあがつてくる動きを使った。このシナリオはまたBDにしてもあんまり面白くない。というのもまさにアニメ特有の動きをもとにして書いているからね。またこのシナリオには音楽と音が必要だ。たとえば、ある場面で登場人物がみんなそれぞれ動くときに音を出すんだけど、それがひとりひとり違う。そしてそれがぜんぶ合わさると最終的にメロディーになるんだ。

Q:BDの手作り感と比較して、映画産業の重厚さには恐れを覚えませんか?
A:もちろんあるよ。でもこの手作りの世界にはもう腹いっぱいになったからね。10年間もこの世界にいて、おそらく700ページ以上は描いているわけだから、ちょっとほかのことも欲しくなったんだ。そして今回のはとても息の長いプロジェクトだということも知っている。長編アニメ映画というのは最初のアイデアが出たときから数えると、映画館での上映に至るまで10年近くかかることもあるからね。まあ、これはやってみないとわからない。

Q:すでに2年経ったわけですが、この映画は完成すると思いますか?
A:制作会社のアントロピー・フィルム(Entropie Film)がいる。ブノワ・プールヴォールド(Benoît Poelvoorde)の「栄光のあまりに狭き門(Les Portes de la Gloire)」を共同制作した広告プロダクションだ。でもヨーロッパからの資金が欲しい。なぜなら4千万から6千万フランス・フランに近い予算が必要なんだ。そしてヨーロッパで問題なのは、投資家たちが、「ディズニーとかトイ・ストーリーなら、資金を提供しよう」ということなんだ。だけどそういうものとは違うものに投資してくれたらもっといいのに、と思う。なぜならヨーロッパには独創的な才能があふれていて、独創性というのはとても稼げるものだから。とにかく、資金の調達がうまくいけば、これほどうれしいことはないね。これで一番の問題は解決することになるからね。

Q:その間、メビウス(Moebius)、ロワゼル(Loisel)やコンラッド(Conrad)がしたように大手のアニメ・スタジオで仕事をする気はないのですか。
A:ないね。というのは、そんなことしたら、ぼくは大きなアメリカの業界に従属する画家でしかなくなる。ぼくの貢献度なんか、ほとんど飲み込まれてしまうよ。ぼくは他人のために仕事するよりも、自分の企画を展開させたい。自分の身を売って10倍も稼げたとしても。ぼくが難しい立場に立つことになっているのも、このせいなんだ。ぼくはかなりの数の企画を出すのだけど、自分が作り上げたシステムを長い目で展開させないから、あまり儲からないんだ。だから毎回、違う分野で新しい企画を出して、それで生活していこうと思うと、それはとても難しいし、ストレスを感じることになる。ときどきぼくももっとゆったりとしたリズムで行きたいと思うけど、でもそれができないんだ。

Q:あなたの性格で驚くのは、あなたが自発性をとても大事にしてその中で仕事をしたいという意思を持ちながら、同時に長いタームの企画を出すことができるという二面性ですね。ある意味、瞬間のマラソンランナーじゃないのかな。
A:いい言葉だね。確かにぼくには二面性がある。そのせいで生き難くしている。事実、忍耐とか、しぶとさとかを必要とすることを始めたりするんだけど、同時に自分の仕事の進め方の中で直感的な自発性を保っていたいんだ。最初の発火のエネルギーをキープするためだ。自分のモティヴェーションが消えないように、いつもなべを沸騰状態に保たなくてはならない。そのための唯一の方法がひとつの企画から別の企画へと移って行くことなんだ。こっちでちょっと消えそうになったら、べつのところへいく。問題は、映画、BD、イラストレーションなどの違う企画を同時にマネージすることができるかどうかだ。どんどん難しくなる一方なんだ。

Q:これらの多くの企画や欲求の中にあって、BDはそれでもあなたにとって宿駅のような、いつも戻りたい地点であり続けるのでしょうか。
A:今のところはなんともいえないね。BDをやめたら、展開しきれないものがいろいろ出てくるだろうから、それはまたフラストレーションを生み出すだろう。それにまだ数冊分は新しい方向性を模索できるような気がするし。
Q:とにかく、絵を描くことはやめられそうもないですね。
A:それは無理だね。いつも自由に描いてきて、これが大好きなんだ。絵を描く喜びのために絵を描く。それがほんとうにぼくの人生を豊かにしているんだ。

コメント(4)

なんとか明日のイベントに間に合ってよかったです
もうほんとに訳しっぱなしという状態で(>_<)
ショードヴァルさんにはいつものように、訳文チェックと編集、そしてアップロードと、面倒な作業ぜんぶお願いしてしまって。それもものすごい短い時間内でしていただくことになってしまってごめんなさい
今度からはもっと余裕を持って始めます(って毎回言ってるような気がするけど)
いえいえ、とんでもない。訳すのに比べたらアップするのなんて簡単なもんですから(笑)。何はともあれ、ありがとうございました。イベントに間に合って、ほんと助かりました。この素晴らしい内容のインタヴューを読んでるのと読んでないのとでは、だいぶ違うような気がしますもんね。
素晴らしいインタビューを載せてくださったお二人に感謝します。

自分にとってド・クレシーは理想の絵描きの一人なので、
このような具体的な内容のインタビューが読めるのは本当に嬉しいです。
大分から東京に飛んで明日のイベントに参加したかったのですが
体調が悪くこの機会を逃す事を残念に思っていました。

ですがこのインタビューのおかげで少し気持ちが満足したのもあり、
自分も絵描きを目指していますのでド・クレシーの考え方や生い立ち等が読めて大変刺激になりました。
また明日のレポートも楽しみにさせてもらいます。
>Kyogo さん
そう言っていただけるとうれしいですね。まあ、僕は Kigalisoupe さんの訳文をアップしただけなんですが(笑)。BD作家のインタヴューって、不思議と結構面白いものが多くて、これもかなり面白いインタヴューですよね。レポートもお楽しみに!

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