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BDについてもっと知りたい!コミュの【インタヴュー】ダヴィッド・ベーその2 part 2

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BDとアニメーションの専門家 Gilles Ciment(ジル・シマン)のサイトに掲載されている「Un certain David B.(ダヴィッド・ベーという男)」というインタヴューの続きです。
http://www.gillesciment.com/bdentretiendavidb.htm
前半はこちら↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23580751&comm_id=424387
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C / G:後にラソシアシオンを立ち上げることになる仲間たちとはどのようにして出会ったのですか。
DB:キロファーとは装飾芸術学院で一緒でした。マット・コンテュールとは「ヴィペール」というファンジン(ファンの作る同人誌)で出会いました。そこにわたしは絵を描いていたのです。おなじように、スタニスラスとは「ラール・エ・シェール(珍しくて高価)」というあっという間に廃刊に追い込まれた出版物を通して出会いました。ほかの人たちとはその後会いました。

C / G:読者としてのあなたに強い印象を残したバンド・デシネはどれですか。
DB:子供のころは、常に何か読んでいました。手当たりしだい読んでいたという感じです。その後、わたしの好みはコルト・マルテーズに向かいました。あとはアラック・シナー、クレパックス、タルディ。最近なくなったジェベのでは「クロヴィスのための羽」を読みましたがすばらしいと思いました。月刊の「シャルリー」に載っていた多くの作品に魅せられました。

C / G:タルディはあなたにもっとも影響を与えた作家のように思えますが
DB:デビュー当時はそうですね。でもプラットと同じくらいですよ。

C / G:絵のタイプが似ていることのほかにも似たようなテーマを二人とも扱ってますよね(泥棒、塹壕、本に埋もれるとか)そしてある種の語り口も似ています。たとえば、「財宝探求者」の最初の巻はアデール・ブラン・セックへの質問状になっていますね。
DB:そうですね。というのもわたしの物語に連載もののようなトーンを与えたら面白いのではないかなと思ったからなのです。ところがわたしの作品は連載ものがはやった時期に作られたものではありません。そこがアデール・ブラン・セックと違うところです。タルディの影響を受けたことを否定しません。おそらくいくつかの絵は彼の絵が元になっています。

C / G:ご両親はおふたりとも絵を教えていらっしゃったのですよね。
DB:そうです。父はリセで教えてました。そして母はエコール・ノルマル(師範学校)で造形を教えていました。父は自分で絵も描いていました。二人からは絵を描くことを教わりはしませんでしたが、ふたりはわたしにさまざまなものを見せてくれました。わたしたちは美術館の廊下を何キロも歩いたことになると思いますし、現代美術のギャラリーにも行きましたし、たくさんの映画も見ました。わたしたちの関心の幅は広かったです。あらゆる方向に向けられていました。わたしの両親はバンド・デシネに対して偏見も持っていませんでしたし、わたしが大好きだということも知っていました。家では、いつも絵を描くために必要なものがすべてそろっていました。ですからわたしの友人たちはうちに来て絵を描いていたものです。というのも自分たちの家では絵をかくことを禁止されていたからです(汚さないように)。
とはいえ、後にわたしが自分で発見した芸術家も大勢いますよ。ギュス・ボファとかジョージ・グロスとか。

C / G:バンド・デシネ以外では、どんな絵に衝撃を受けましたか。
DB:どこだったかは思い出せないのですが、シュールレアリズムの画家の共同展示会がありまして、そのときにものすごい衝撃を受けたことを覚えています。それ以外だと、ルネッサンスのイタリアの画家、特に戦争のシーンですね。ウッチェロとか他の画家の……。あるいはギリシャのつぼに描かれている戦士とか。

C / G:映画ではいかがですか。
DB:いくつかの映画がものすごい印象を残しています。ドイツ表現主義の作品とか、ムルナウの「ノスフェラトゥ」、あるいはフリッツ・ラングの「ドクトリ・マブセ」。またコクトーの「美女と野獣」。それから若い頃に見たモノクロ作品の「シャーロック・ホームズ」。10代になると、家のテレビで「シネ・クラブ」という番組をよく見てました。60年代、70年代のイタリア映画をたくさん見ましたね。フェリーに、ロージなど。わたしはフランチェスコ・ロージ監督の映像センスがとても好きなのです。最近「コーザ・ノストラ」をまた見たのですが、宮殿の大建造物を前にして、隅っこのほうで途方にくれている人たちの描き方に深い印象を受けました。

C / G:いつ、そしてどのようにして歴史に関心を持たれたのですか。
DB:早くからですね。わたしはもともと戦争に関心があったわけですが、それが広がって歴史への関心となりました。これこれの戦争がおきたのはどのような理由によってなのだろうということを知りたくなったのです。学校の授業で習うことはいつも自分で本から学ぶことよりもはるかに低い時限のものでした。わたしは図書館に行って子供用の歴史の本を借りました。わたしはまず絵から入ったのです。そして兄もまた歴史にとても興味を持っていました。

C / G:後に、子供用の雑誌などで歴史をテーマにしたものの絵を書いていらっしゃいますね。
DB:そうです。バイヤール・グループの雑誌にたくさん描きました。彼らは歴史と宗教を専門に描かせてくれました。当時、私自身の企画を受け入れてもらうのにとても苦労していたのです。確かに当時はまだ企画として成り立つものではなかったのですが。

C / G:ジヤン・クリストフ・ムニュは早くから独自の世界観を作り上げ、何度も登場するキャラクターを作り上げ、また独自の伝説も作り上げてますが、あなたは逆にご自分の道を見つけるのにだいぶかかってますね。
DB:わたしも独自の創造世界があったのですが、それを意のままに膨らませていくのをためらっていたのです。自信がなかったこともありましたが、わたしが関係していた雑誌に対して信頼もしていなかったのです。そこでは誰もわたしのしたいことなど理解してくれないだろうと思っていました。当時のバンド・デシネの世界の中でどのようにしてわたしのしたいことを具体化していけばいいのかがわかりませんでした。この子供用の雑誌関連から抜け出す最初の機会は「ア・シュイーヴル」の編集長だったムージャンが「ゼブラ」という作品を取り上げたときです。でもわたしが描いた7章のうち、5章しか採用してくれませんでした。その後この共同作業は途絶えました。

C / G:あなたの幻想世界ではオカルト的なものや密教的なものが重要な位置を占めていますね。
DB:そうですね。西洋医学が兄の病を治してくれなかったので、両親は民間療法のほうに向いていきました。彼らはひとつのことに関心を持つと、徹底的にのめりこみました。東洋医学などはたとえば自動的に東洋哲学につながりましたし。また当時はロベール・シャルーやジャック・ベルジェのような人たちの本がたくさん出版されたときでもあったのです。つまり、「世界が始まったときから隠されたものたち」などということを一般に広めた人たちです。わたしにとってこの類の本は読んでとても面白いものでした。でも距離を置いて読んでいました。わたしは比較的しっかりとした歴史認識がありましたから、彼らがとんでもないことを語りだすとすぐにわかったのです。わたしを楽しませてくれたのは、現実に存在する要素から奇想天外なことを語ることができるということでした。たとえば、ピラミッドが宇宙人によって作られた、とか。そしてこのようなことを今度はわたしがシナリオを書くときにしているのです。
わたしは長い間太極拳をしていましたが、そこでわたしはかつて読んだもの、あるいはピーター・ブルックの「注目すべき人々との出会い」の中でグルジェフが語っていることの側面を再発見したものです。

C / G:ラパン誌のほうに目を向けると、ずいぶんあなたの存在感が大きいということに気づきます。そしてあなたはこの状況を使ってさまざまなことを試みたことがわかるのですが。
DB:わたしにとってラパンはとても重要でした。この雑誌はラソシアシオンの攻撃的な部分に呼応していました。わたしはいろんなことを試すことができましたし、共同作業を試すこともできました。毎回やりかたを変えて、(二色刷りにする、テーマを決めて作る)わたしは一度したことはしないで、常に新しいことを模索し、変わっていくようにしたのです。「ラパン・スペシャル」という号では世界中のウサギの物語をさがしたものです。

C / G:不思議なことに「スペシャル・ジュネス」の号には参加してませんね。モントルイユのサロンの時に発表された号ですが。
DB:ええ。なんかあんまり興味がなかったんですよ。もう子供向けには描ききってしまった感があったものですから。

C / G:シュオッブの物語を脚色してらっしゃいますよね。シュオッブは「深紅の船長」の中心人物でもあるわけですが、彼とは盗賊団に対する関心が共通点として見られますね。
DB:兄の病気のせいでわたしたちは社会から疎外された形で生きざるを得なくなりました。そのためにおそらく、文学でも周辺の部分ですし、社会から疎外されことを描いている作品がすきなのです。フランス文学では地下流的なものとして(これらの本はなかなか復刊されず、それが残念です)盗賊、海賊、コキヤール(偽巡礼)、カルトゥッシュ、マンドランなどが活躍する作品ですね。この流れはさかのぼればフランソワ・ヴィヨンまでいけますが、おもに19世紀にアロイジユス・ベルトランから始まり、シュオップ、マッコルランやアルベール・ヴィダリのような作家たちに行きつきます。このような文学をわたしは常に好んで読んでました。イメージ豊かで、想像力をかきたてる文章なのです。

C / G:もうなくなってしまいましたが、かつてのガリマール社の「フュテュロポリス」のようにこういったテキストの挿絵を描きたいとは思わないのですか。
DB:やりたかったですよ。でも誰もそんな話持ってきてくれない。たとえばわたしはマッコルランの本なんかの挿絵を描きたいですね。わたしは彼の「Quartier réservé(赤線地帯)」を読みましたが、すばらしいと思いました。

C / G:長い間モノクロで描いていらっしゃったわけですが、最近数冊カラーで描かれていますね。あなたの絵に何らかの変化をもたらすことになりますか。
DB:当然変わるでしょうね。どのように変わるかはわたしにもはっきりとはいえませんが。おそらくはっきりとしたモノクロの世界からもっとゆるやかなモノクロに向かっているのではないかと思います。ほかの画材を使ったり、線画や灰色などを取り込んで、わかりませんが。

C / G:あなたの色の使い方は反自然的ですね。背景を黄色、オレンジ色、あるいは緑にすることもいとわない。「廃墟を読む」の中で、このアプローチはまた設定の非現実的な側面とマッチしてますね。登場人物が、レンガの壁や鉄の梁の前の地雷の埋まった土地を歩きまわったりしますね。そして場所はとても抽象的でどこだかわからない。
DB:それは「廃墟を読む」が神話のレベルにあるからです。これはスパイの反物語で、歴史の反語りなのです。さまざまなことがおきますが、同時に何も起こらないのです。この本についてはまったく満足というわけではありません。これは大手の出版社のためにわたしがひとりで描いた始めての伝統的なアルバムなのです。締め切りがきつく、ちょっと行き詰ってしまったのです。描いている間とても窮屈でした。もっと多くのページ数がほしかったのですが、それもまた必要だったかどうかはわかりません。

C / G:このアルバムでは、やはりほとんどのあなたのほかの作品と同様、いろんな物語が絡み合い、互いに組み込まれるような構成になっていて、作中人物が物語の中の物語を担っていたりしますね。
DB:これは千夜一夜物語の作風に由来するものです。わたしはこの方式がとても面白いと思うのです。なぜならテーマが豊かになりますからね。すべてが別のものにつながる可能性があり、あるテーマがほかのたくさんのテーマを生み出すのです。先ほど挙げたシャルーやベルジエの本は同じような構成になっています。宇宙人、アトランティス、古代エジプト人、ヒットラー、テンプル騎士団などがごった煮のようにひとつの物語に登場するのです。

C / G:あなたにはみたところ、すでに出来上がっている物語がたくさんあるようですね。後は語るだけ、というような。たとえばあなたはよく本の表紙の絵をお描きになりますね。でも中身がなくて、実際には存在しない本なのですが。まるでタイトルとカバーだけで実体があるかのように。
DB:たしかにこれらの絵は可能性としての物語です。表紙を描くことは最低限の実体を与えることになります。おそらく幾千もの物語がわたしの頭の中にあると思いますよ。

C / G:これらのさまざまな物語の中で、ジョアン・スファールにおいてそうであるように、次第に交差する要素が増えてきていますね。「ベールをかぶった預言者」「黄色い小人」「夜の事件」。これらは繰り返し出てきて、本やシリーズを通じて出てきますね。
DB:そのとおりです。わたしの世界はグローバルなものです。そしてわたしの作中人物はその世界の中で自由気ままに振舞っています。この人物はこの物語では主人公ですが、別の本では脇役でしかない。それは人生と同じですね。だからわたしは彼らが相変わらず存在することを見せるのです。彼らのことを決して忘れたわけではない、あるいはほったらかしにしてはいないことを見せるのです。それにほとんどの読者はわたしの作品の一部しか読んでいません。あなたが挙げられた人物の中では、ベールをかぶった預言者(この人物を最初に描いたのはラパン誌上です)について言えば、実在の人物です。わたしは「イスラムの分裂」という本の中で彼のことを知りました。彼は8世紀の中ごろのひとで、誰も彼の顔を見たことがないのです。彼はわたしにとって神秘そのものなのです。そして神秘とはわたしの作品の主要なテーマなのです。黄色い小人のことはブレーズ・サンドラールの作品の中でちょこっと出てきます。これも伝説的な人物で、銀、偶然と運命につながっています。ほかの情報によると古代エジプト人の神べトに由来しているようです。

C / G:「夜の事件」は実在しなさそうな本や出典などへの憧れからボルヘスを思わせるのですが
DB:確かにボルヘスを読みましたし、彼の影響は受けています。「バベル」というタイトルからも明らかですよね。わたしは偽物の博識というアイデアが気に入っています。でも、その裏には真の学識が隠されています。博識なんて、それを遊び心を持って楽しむのでなかったら、いったい何になるのでしょう。「夜の事件」は本当に愛着のある作品です。

C / G:あなたが作中人物として登場することは物語の信憑性を増しますが、実はすべてが想像の産物なんですよね。
DB:そうです。わたしは自分を日常の世界の中においています。でもそれは今わたしの住んでいるモントルイユではありません。かつて住んでいたロジエ通りの世界です。読者にとっては「大発作」とのつながりがあります。しかしこれは脚色された現実なのです。とはいえ、アパートから住人を追い出す警察署長は本当にいました。また家の隣には確かに気持ちの悪いカフェがありました。アパートの中庭では麻薬の注射を打っているジャンキーもいました。そして階上にはシナゴーグがありました。わたしは現実のパーツから話を織り始めるのです。

C / G:ご自分で絵を描く物語のほかにも、ほかの作家たちに提供する物語もありますね。自分で描くか,ひとに描いてもらうかの線引きの決定はどのようになされるのですか。
DB:あらゆる共同作業は出会い、あるいは依頼によって生まれます。わたしはクリストフ・ブランと一緒にアトリエを使っていました。彼は西部劇が大好きで、わたしになにか西部劇ものを書いてくれと頼んできたのです。当時わたしは自分のためにイラム・ロヴァットとプラシドの話を書いてました。それを彼に提供したのです。「大発作」については他人に描いてもらうわけにはいきませんでしたが、純粋なフィクションなら、独占欲はまったくありません。簡単に人に提供します。わたしはポーリヌ・マルタンに中世を舞台にした物語(ドノエル社から刊行)を提供しました。というのも彼女は最初の二冊のアルバムで自伝的なものをエゴ・コミックスで描いていて、そこから抜け出したくて頼んできたからです。
彼女の申し出が気に入りましたし、根性のあるひとだなと思いました。今回のアルバムを作るにあたって彼女はものすごく進歩したと思っています。数年前からトマス・オットと共作する話がありますが、それはSFです。トマと会うと、彼は相変わらずこの作品を描きたがっています。後は、メッゾのためにパラレル・ワールドの話を書きました。でも彼はまだなにも描き始めていませんね。

C / G:イラム・ロヴァットとプラシドの冒険はまだ続くのですか。
DB:クリストフはもう続けたくないと言ってます。今後はひとりで仕事をしたいようです。もしかしたら別の作家に引き継いでもらうかもしれません。

C / G:あなたの想像力は豊かで、どんどん作品が生まれてくるようですが、それでもまだ手がけていないジャンルが二つありますね。「笑い」と「エロチシズム」。
DB:エロチシズムについてはわたしに「エロティックな作品を書いてくれ」といってくれる相手を待っているのですよ。すでに考えたことはあるのですが、最初のアイデアに満足してません。クレパックスがハードルをとても高くしてしまったのです。彼にはエロチシズムの扱いに独特のものがあって、すばらしいものです。「笑い」については、おそらく最後の最後になるまでやってみようとは思わないでしょうね。わたしの分野ではないと思ってます。

C / G:あなたを笑わせる作家はいますか。
DB:グーセンスだけですね。ほかのバンド・デシネでは笑いません。カフェ・テアートルの喜劇でも笑えません。まだ映画を見て笑うほうが多いくらいです。

聞き手。ジル・シマン
ティエリー・グルーンステーン
2004年4月7日

再構成ティエリー・グルーンステーン
第9の芸術誌 11号(2005年1月)掲載

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