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クリスチャンのマイミク歓迎!!!コミュの「救い」について教えてください

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初めまして。Yatakaと申します。よろしくお願いいたします。
ネットでこういう投稿に気づいて、共感したので、皆さんと検討したいと思います。
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結局、キリスト教の救いは行いも必要なのですか?

聖書には、「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。(ローマ人への手紙 10:9 - 11 口語訳)
ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。(使徒行伝 16:31 口語訳)
とあるのに、「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」(マタイによる福音書 7:21 口語訳)とあります。

どっちですか?
また、具体的には何をすれば良いのですか?

回答お願い致します。

コメント(10)

心で信じ、口で告白(準ずる行為)するだけです。

それ以上でも以下でもありません。

具体的に何かが必要だと思い始める事が
核心から離れていく事かも知れません。
こんにちは。
お答えになるかわかりませんが。

聖書には、次のことも書かれています。
イエスはお答えになった。「よくよく言っておく。誰でも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。」(ヨハネによる福音書3章5節)
パウロは言いました。「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと」コリント人への手紙第一15:3-4

そしてイエスは言いました。
*キリストは、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。ヨハネの福音書14:6

御子イエスが唯一の救い主であり、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたことを信じ、告白するならば、救われます。

マタイ7:21は、イエスの名を口にはするが、イエスを信じていない偽信徒や自称クリスチャンに対す警告です。世界中には私はクリスチャンと言いながら、イエスを信じていない自称クリスチャンがいます。

イエスを救い主として信じ、告白する時、救われます。
私もずっとこの質問が持ってます、最近クリスチャ友達から、その答えがもらいました。

「救われる」と「天国入る」は同じ意味ですか?
理解しないといけないです。

律法の時代の末期、人はもう罪悪の中に生きているようになりました。
このままでいけば、人はきっと律法に背くために罪の中に死にます。
そういうわけで、
主イエスは来られた後、贖いの仕事をし、罪のない聖なる肉体をもってあらゆる人の罪を担われました。それゆえに、わたしたちが主の御名を呼び、主に悔い改めさえすれば、罪の赦しを得ることができます。そうなったら、わたしたちが罪を犯すために律法によって罪定めされて死ぬことがなくなります。こうして、主を信じるわたしたちは主イエスの贖いのゆえに「救われ」ました。これは、恵みの時代の「救われる」の本意です。     
  
実は、わたしたちが主イエスを信じることによって罪の赦しを得たことは、
わたしたちが罪を持たなくなることを意味しているのではありません。
わたしたちの罪性はやはりわたしたちの内側に存在しています。
  
主イエスは言われました:わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。 (マタイによる福音書 7:21)
だから、救いは天国に入るではないです。
  
皆さんはどうと思いますか?

キリスト教のシンボルは「十字架」です。

クリスチャンで無くても知っています。

その意味は「聖書」にあります。

新約聖書(新契約)の中心であります。

(新契約)は(旧契約「旧約聖書」)が完了した事とユダヤ人のみだった救いが、全ての人が対象になった事です。

キリスト教は明確な契約の宗教です。

神が造られた人間は神と共にエデンの園に居ましたが罪を選び追放されてしまいます。

神は比較的罪から遠い人間(アブラハム)を選び(旧契約)を結びます。

しかし、彼の家族も子孫も罪だらけ。罪から来る報酬は死です。

1人も神の国(天国)に戻れません。

そこで罪はどうしようも無いが、罰で有る死を罪の無い人間(神の独り子イエス)に受けさせ、罪が贖われたとみなし、天国に入れる道を作られた。

それが「イエスの十字架」です。信じる人が神と共に暮らせる場所「天国」に戻って欲しい為です。

それが「救い」だと私は思って居ます。
それから、キリスト教の「救い」は、恩寵です。人間の努力はひとかけらも有りません。

十字架が信仰への入り口ですが、罪は死ぬまでノンクリスチャンと同じ様に犯し続けるのです。

クリスチャンの目的も最後は十字架のみです。

罪の有る人間に良い事は起こせません。
でも神を意識して生活したいと思う事も事実です。「聖書」は罪の無き生活の目標です。

目標をおこなった事により、信仰に近づけたと思う事程の高慢(重い罪の一つ)は有りません。

罪は日々犯し続け、赦され続けます。

ちなみにカトリック信仰は、善行や巡礼も「救い」に影響を及ぼす立場ですから、私の意見はプロテスタント信仰と言った方が良いですね。
Yataka Sakura  様、コメンターの皆様、おはようございます。


救いについて、ご関心があるのですね!!


半世紀余り、聖書をはじめ、世界の種々の聖典や経典の神話解釈を研究してきて、宗教は救いを求める実践でないことに気づきましたよ!!


最後に行きついた思考法は、キリスト教神秘主義の考え方でした。


神秘主義を研究して、実践・研鑽・修練を積み重ね続け、検証していくことが必要です。


日曜礼拝やその他の礼拝での聖書解釈を現行通りで学習されても、いつまで経っても、聖書の本質(真相)は、気づけませんよ!!


大半の宗教は、多くの問題で、悩んでいる人、困惑している人のために、信仰したら、救ってあげよう、との思考法です。


悩みや困惑の解消に、ご利益を求める行為、救いを求めている行為は、真の宗教行為でないことに気づくことが肝心です。


8日後、クリスマス礼拝を迎え、11日後、クリスマス(降誕祭)を迎えます。


イエス様の降誕を祝うことも吝かではありませんが、どこの教会でも、礼拝やクリスマス会でのメッセージ(説教)は、他人事のように語り尽くされています。


神の言葉は、他人事でなく、全て、自分自身のスタンス(生き方・生かされ方の姿勢・態度)&ライフスタイル(生活の仕方・生活習慣)に活用出来なければ、聖職者(神父、司祭、牧師、伝道師、宣教師)として、信者(クリスチャン)としても、無意味なことに気づければ幸いです。




貴女のご質問に対して回答しましたので、ご参考に供すれば幸いです。



Q1:信仰(信じた)者全員が救われこと、実践者(神父の御旨を行う者)だけが救われること、どちらですか?

A1:どちらでもありません。


Q2:具体的に何をすれば良いのですか?

A2:利己中な姿を利他中な姿に生まれ変わることです。




補足説明:


利己中な姿とは、自分勝手気ままに、自己中心的な生き方で生活している人です。


利他中な姿とは、相手を思いやり、共に分かち合える相手中心的な生かされ方で生活している人です。


キリスト教神秘主義の考え方では、イエス様は、自分自身の持って生まれた清い心(真心)の姿を表現しているのです。


大人になるにつれて、誰でも、他人を嘲笑ったり、誤魔化したり、嘘等々を平気で言っている醜い心(邪心)の姿を表現しているのです。


真心が大人になるにつれて、邪心が真心を覆い被せ、真心が診得なくなり、邪心が優先され、行動していることに気づけるでしょう!!


大半の大人は、言行不一致(言っていることと、行っていることが一致していない)で、理不尽極まる醜い行動で、蔓延されていますよね!!


政治経済界から芸術宗教界に至るまで、理不尽で、下剋上な社会環境であることに気づかれるでしょう!!


残念ですが、これが現実であり、現状なのです。


今に始まったことでなく、古代から現代に至るまで、延々と永遠に、続いてきているのですよ。


下記に続く


上記第9項目の続きです。




このような大問題を解決・解消されるために、宗教の本質的な活動(実践・研鑽・修練)があり、利己中な姿から利他中な姿への変心(心を変える)が求められているのです。


この変心する行為が、真の「ハルマゲドン」の表現に相当するのです。


聖書の最後のヨハネ黙示録に表現されたハルマゲドンは、人類の最終戦争と解釈するのでなく、自己改革(自身の真心と自身の邪心との葛藤・戦争)と解釈することが真意です。


キリスト教ではハルマゲドンと表現され、仏教では解脱(げだつ)とか、涅槃(ねはん)とか、悟りを表現し、イスラム教では、ジ・ハード(聖戦)と表現しているのです。


全て、他人との戦争ではなく、自分自身の精神界(魂・心・気持ち)のあるべき姿にするために、真心と邪心が葛藤し合い、邪心が負けて(消滅して)、真心が表れた瞬間を、キリスト教では、復活とか、再臨との表現で描かれているのです。


イエス様の降誕祭や復活祭は、今までの醜い行いを清い行いへするための、リセットであり、ハルマゲドンであり、死人が蘇る表現は、死んでいた真心が邪心を制覇して、生き返ったとの表現に通じます。


どうぞ、一年中で今が一番いい季節の降誕祭前の時季、このような事象を考え直し、救いを求める、ご利益を求めるのではなく、貴女ご自身の精神界のあるべき姿に変心されることに、実践・研鑽・修練され、検証されて診ては如何でしょうか。


私は、12年余り、ミクシィを楽しんでおり、宗教に関した種々のコミュ(テーマ)で、コメント書きをして参りましたが、トピ主やコメンターが私のコメントを不都合と考え、勝手に消去してしまう機会を多く診てきました。


聖職者にとって、信者にとって、書き込んだコメントに不都合を感じても、コメンターに了解もなく、勝手に消去させてしまう行為は、クリスチャンとしても、如何なものかなと想ってきています。


勝手に消去してしまうクリスチャンは、プロテスタント系よりも、はるかに。カトリック系の方が多くあったことも検証済です。


カトリック系のクリスチャンに、利己中な人が、何と多いことが判明出来ました。


毎日毎日が新たな発見(気づき)であり、発見出来たことへの感謝の日々になれば幸いです。


寒暖差の激し過ぎる今日この頃、心身に気をつけて、「歓喜の人生」を謳歌し続けてくださいね!!


感謝


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