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Love! Male Jazz Vocalコミュのこういうライブ、CD,LP,DVD,放送を聴きました

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コメント(3)

F. シナトラのこと


道楽でこの17,8年射撃をしている。 地元のクラブに入り警察の定期的な検査の下、社会的に後ろ指をさされそうな道楽であるがその中に入ればそれこそ、だれもあきれそうな面白くもない話を細かく際限なく、それが道楽の本領であるのだけれど、話がつきないのだから暇がつぶれる。 まあ、私が属するのは1880年より前のオリジナル、レプリカを扱う、いわゆる古式銃の部門である。 

子供の頃、テレビの勃興期にあたりアメリカの50年代、60年代の波をもろに浴びて染まった。 白黒の月光仮面やナショナル・キッド、ミッチと歌おう、アンディー・ウリリアムス ショー、トム・ジョーンズ ショー、シャボン玉ホリデーにならんで西部劇各種にコンバット、それに影響されてか、西部劇で扱う44口径、11ミリほどの径の鉛の弾を黒色火薬で押し出すもの、1873年代にアメリカで西部を席巻したリボルバー、これを映画やテレビで坂本竜馬が持っているのを見たが坂本はリボルバーを持っていたといわれているがこれではない、それとカービン銃、ラスト・サムライで飲んだくれのトム・クルーズが映画の初めにサロンかどこかでぶっ放すあのウインチェスター銃、カウボーイの装備である。それから道楽もちょっと手を延ばして時代をそれから100年ほど戻した火打石発火装置の短、長銃、これはラスト・モヒカンで初めの森の美しい狩猟場面の移動カメラが捕らえる、モヒカンがあつかっていたもの、も手にして練習もせずに地区、全国大会に参加している。最近は老眼で的が見えにくい。

これとジャズとどう関係があるのか。 話が長くなりがちだがこれは年を取ったものがうだうだ始める典型的な現象である。 

明日は定例の地区の競技会で朝早くから、のこのこと勝手知ったる他人のクラブでフリントロック(火打ち石発火方式)ピストルと44口径のコルトを計1時間ほどぶっぱなすのだが、なんやかやで忙しくリボルバーの弾薬が切れてしまった。 それで、弾をつくらねばならぬ。 1時間ほどで50発ほど作るのだが、まあ、煩雑な事は煩雑なのだが長年行っているとルーティーンになって単純作業の連続となるので、各自趣向を凝らして何とかこれをやりすごす方策をたてる。 あるものはテンガロンハットをかぶってカントリー・ウエスタンを流しバーボンをちびちびやりながらその気分に浸り、せめて競技会で当たらない分、ここで見果てぬ他愛ない夢を見る。 大抵はラジオをかけて作業をおこなっているようだ。 で、私の場合、 ジャズ。 ここでやっと今日の本題が現れる。

フリーやハードバップを聴きながらでははかどらない。 音楽の方に注意が行ってプロセスを間違えれば空砲ができたり、手がとまりがちになりはかどらない。 そこで自然とピアノトリオなどをかけれど、ピアノトリオにしても気軽にスイングするものであればいいのだけど時には注意力をそがれるのがあるので、そのうち自然とボーカルの方に行くようになり、LPにすれば30分弱で片面は終わるので、3枚ぐらい聞けば50発は出来上がり、という具合で、今日もそのように作業を行った。

明日は家内と近くの町のホテルでディナーショーがあり、顔見知りのペーター・ベーツがピアノを弾いてオランダの女性ボーカル、No.1のフレーチェ・カウフェルドが歌うというので家人と二人久しぶりに出かける。 で、再版プレスの

? Greetje Kauffeld / And Let The Music Play / Sonorama LC 13415 / 1974

この中で若きG.K.とアルトのPiet Noordijk, トランペット、Ack van Rooijen, ギターのWim Overgaauwを聴き、G.K.のMr.Bojanglesには甚く感心したのだけれど、明日にはこの後、82年4月にフィル・ウッズ、ニールス・O・ペデルセンが伴奏した録音もあるのだが、そのなかのP.W.の演奏が性急でおざなり気味でもあり、どういう事情なのか気になっていたので明日本人に聞いてみようかと思いながら、2ヶ月ほど前に古レコード屋で見つけた、ハーグの市立図書館のラベルがついて周りが薄茶色に変色したジャケットから黒い皿を1枚取り出してターンテーブルに載せた。

? Frank Sinatra / September of My Years / REPRISE K44005 / 1965

これを聴いていると、これまでの行き越しを考えてまさにシナトラ50歳、ここに納められた曲の数々がしみじみとわが身をも振り返り感慨無量となる。 このLPに食指が向いたのは仕事の行き帰りやちょっと車で遠出するときには今までに何回も 

? Sinatra At The Sands, Live, With Count Basie Orchestra Arranged & Conducted by Quincy Jones / REPRISE 7599-27037-2 / 1966

のCDで幕間のジョークに馬鹿笑いしながら、その中のThe Septembe Of My Yearsに心惹かれたからだった。 この中ではべ氏は例の如くだが、ジョーンズのアレンジが他のシナトラの編曲者とは趣が違い、例えばスティットのルーレット盤だったかの Pen Of Quincy、マイケルジャクソンの音楽を担当する前までの颯爽とした作りと比べると面白みに欠けるのだが、そこはベ氏のバンドとシナトラのラスベガスのショーの楽しさで今では1年に1度ぐらいは虫干しのつもりでレーザー光を通している。

学生の頃、日本の初期の骨のあるフォークが起こるころブルースやジャズを聴き始め、学生上がりの四畳半フォークや演歌フォーク、ポップになったころから殆ど邦楽を聴かず、ジャズ一辺倒となっていったなかで、ハード・バップ、フリーと聴いている日々の折々、おいおいとヴォーカルも聴くようになり、自室で寝転がりながらNHK・FMの油井正一、青木啓の番組を聴いていた。 楽器だけの演奏は別として、歌がついているほうは歌詞の訳に満足できず、又、直接歌の世界が分かるわけでもないことから注意がそちらのほうに行かず、洋、邦楽ともに歌詞の方は無視してもっぱら音の方だけを聴いていたのだが、しかし青木のヴォーカル解説で徐々に蒙を啓かれたようだ。 この間、たまたま氏がまだ健在なのをジャズ雑誌で知って嬉しく思ったものだ。

1972年ごろ中古レコード屋でシナトラの

? Sinatra & Company / A.C.Jobim, Don Costa, E. Deodato / REPRISE K44115 / '69-'71

を買っていた。 多分高校生のときから聴き始めていたボサノヴァ、ブラジル音楽も入ってバート・バカラック、PPMのフォークで馴染んだLeaving On A Jet Placeなども加わって、アレンジがCTIレーベルでも当時のフュージョン、Deodatoが編曲を担当していたからだろうと想像する。

これがなければシナトラは私には過去の人であったはずだ。 日本からもおばさん連中がラスベガスへ彼のショーを見に押し寄せるのはこの後だったのだろうが、とかく日本での美空ひばりと同様、その筋との噂もあり、レーガン大統領の就任大パーティーの折にはそれを請け負った程のショー・ビジネスの大人でもあるのだが、私のジャズとは関係がなかった。 まあ、実は大有りなのだけれど。 ジャズの歴史そのものがここで息づいているのは後々おいおい知るようになる。

今、シナトラを凌駕する男性歌手はいるのだろうか。 そういう風に問えばあちこちの掲示板やチャットで、ここに、、、、という声が聞こえそうだが、自分のレーベル会社を持ち最高の編曲、贅沢なオーケストラをバックにジャズ、ポピュラー、エンターテイメントを自在にこなし、おまけに映画も出演、主演したのまである、ひばりにもあるが、そういう歌手がいるのだろうか。 

私の20代には
? No One Cares / ’59 
  大人の男の世界に踏み入り、これが心に沁みて

30代
? Come Fly With Me / ’57
  人生の夏に世界を又に駆ける楽天さ

40代
? In The Wee Small Hour / ’54−55
  少しは落ち着いてくれば、タイトル曲を口ずさむようになり

50代
?  となったわけだ。 たまにはRat Packも聴くのだが、そこではS.Davis Jr. や D. Martin の方に注意がいく。

それにシナトラ一家の 

? Sammy Davis Jr. Sings Laurindo Almeida Plays / REPRISE RS−6236 / ’66
  
選曲といい、歌のうまさ、デュオの円熟した仕上がりに惹き込まれる。 これには個人的に思い出があるのだが、今はやっと昨年手にしたCDで聴いているもので、それは艶のある思い出がらみではなく、先年の神戸大地震の折、気に入りのLPを幾つか失ったものの一つだったというのがその理由だ。

さて、中途半端でだらだらとこの書き物が牛の涎となったのはワインの酔いも手伝ってのことだろうが、そろそろ床に就かないと明日の、といっても今日のだが、さっき冬時間から夏時間に変わり、時計の針が一時間前倒しとなり睡眠時間が短くなるのでそれもあり、そろそろ止めなければならないようだ。

結局この話の的も8時間後に狙う25m先の紙の的と同じくかなり怪しいものになってしまった。
Kurt Elling in Amsterdam

29 October 2006 at BIM HUIS

K. Elling (vo)
Laurence Hobgood (p)
Robert Amster (b)
Kobie Watkins (ds)


第一セット
1) My Foolish Heart
2) I Look For A Girl (?)
3) What was the use of a wonderful dream without you (?)
4) April in Paris
5) We Will Fly
6) Body & Soul

第二セット
7) Improvization (?)
8) I wake up to sleep (?)
9) Time To Say Goodbye
10) The Man In The Air

Encore All is Qiet
Encore 2 Space Cowboy ( Begger, Lover, Sinner,,)
Encore 3 I Can't Get Started


ここ2年ほどのボブ・ミインツァー・ビッグバンドの録音の中でコルトレーンのレゾリューションに自分の歌詩をつけたものを元気に歌っているのを耳にしていて、この日の舞台を楽しみにしていたのだったが、1時間も早くに来てみるとすでに会場は満員になっていた。 異例なことである。 前日にはロッテルダムにも登場して3年ぶりのオランダだということだ。

自分の好みに従って色々聞いていく中で、器楽演奏ではその刻々と移り変わり、響く音に耳を傾けて頭の中に生起する印象を追っていけばいいわけだが歌唱では言葉の制約がつく。 言葉はやっかいだ。 勿論、楽器で演奏されたものにはその制約が無いかといえばそうではない。その曲目の由来、今までに歌われてきた歌のの影、刻印も当然見られて、スタンダードや曲名のあるものには歌詞や曲名の言葉の制約がつき、言葉から離れて音を音だけに解放しようとする試みとのあいだのスペクトラムの間で歌手、演奏者各人の精進がある。

現在、公私ともに順調に熟成しつつあり、肉体、喉を楽器とする歌唱では最上質にランクされるとこの日の舞台で再確信した。

近年、演奏者、歌手の活動ではマイクを離れて自分の音、声を生に聴衆にさらすということはあまりなされない。それは活動の多くの部分を録音商品に頼る所為でもあるのだろうし我々が日常の生活の中で接するものは殆どが電気、電子処理されたものだからで、それらはデジタル処理された材料を最高の情報として提供するとの意図の基に作られたものでもあり、それらの音は電子媒体を通じて如何様にも響くのだが、一方、通常その中でそのような情報に接しているものにはこの情報処理の制約、媒介から離れて、肉声を生のものとして聞きたいという欲望が生まれるのは当然のことである。

だからといって歌唱のライブに向かってもその希望が満たされるかというと必ずしもそうではないのはマイクに頼らざるを得ない環境の制約からであるのは周知のことである。 例えばビッグバンドをバックに幾つかの楽器が重層的に作り出す厚く強い音響の中で歌手一人がそれに対抗することは物理的にできない。こういう条件を別としてもマイクからの肉声の解放というのは近年難しくなってきているとの感を持つ。 生の音、肉声を晒すのは暴挙だとパラノイアまがいの声が聞こえてきても不思議ではない。

とりわけ、第二セット、端緒で肉声を生で晒し、伝統的なスキャットからモンゴルの伝統的な歌唱法、アボリジニのホーンの響きとも聞こえる自分の肉体を楽器にして響かせそこでは聴衆と楽器となった歌手の交歓があり、その後、シカゴの町の風景を語る歌詞が続き、コルトレーン風のものから徐々にピアノコラージュも加わるこのユニットが各自インプロヴィゼーションに入る構成は、第一セットの自分の得意とするスタンダードに創作を含めたよく練られた選曲からより自由な各自のアドリブ空間を保障する自由なもので、要所、要所で楽器と喉のユニゾンを含めて誠に充実したものだった。時間と場所を越えた音の世界を提示するもので、この日の白眉といえるものだった。

K.E.が恵まれているのは自分のユニットに恵まれているからでもある。なかでも刺激的に介入したり適切に歌に寄り添うピアノが不可欠であるのはK.E.の過去のアルバムからでも保障されている。

現在、ジャズ歌手の自負とモダン・ジャズの歴史を自覚する、最も洗練された技術と資質を有する歌手といっても過言ではないK.E.は声の質が比較的近い先輩、マーク・マーフィーがこの40年以上辿ってきた軌跡を止揚し、ジャズ歌唱の地平を更に進めているようにも思える。

自分の喉を楽器として音、言葉から生成される世界、K.E.の作品をこの日の聴衆は感得したゆえに貪欲にも何度もアンコールを望んだのだ。 アンコールで納めようとするピアノとのデュオ、自身の作で感興の静かな興奮を掻き立ててしまい、再度登場の後、ベースとのデュオで明るくロックのスペースカウボーイを聴衆と一緒に歌うリラックスしたアフターアワー調まであればこれで収まりがつかなくなるのは当然で、挙句に単身で再々登場、実にしっとりとスタンダードを歌い上げ延べ2時間半の舞台を終えたのだった。

来年の5月頃に新譜がでるらしく、まだ決定作品ではないのだがと断って歌った自作のWe Will Flyの出来上がりも楽しみになることだ。

休憩中、混雑するバーで、オランダ・ヴォーカル界の若手実力派Paul van Kessel, ギターのJesse van Rullerと話す機会があり、とりわけ最近、ピアノデュオで新たな地平を切り開いたJvRのギターとK.E.のデュオを次には期待したのだが、もしそのようなことが起こればそれはまたジャズ界のオオゴトとなることは間違いがない。
「Martijn van Iterson の後に Kurt Elling が出てきて驚いた」 と題して日記から

EKがオランダのトークショーに出たのを見て記したものです。
長すぎるそうでここに入りきれません。 下のサイトをご参照ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/64377590.html

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