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ライフ ワークスコミュの東南アジアデビュー

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旅のスタートはタイのバンコクにした。
私にとってタイは東南アジアの代表のような感じがしたのである。タイはバックパッカーの間でも人気の高い国だ。私はただバンコク行きの片道チケットを購入しただけで、タイにどのくらい滞在するのか?いつ頃バリに行くのか?いつ日本に帰国するのか?などと全く予定を立てなかった。その時その時の直感や物事の流れで決めようと思ったからである。その方がワクワクした気分の旅になりそうな感じがした。

初めてのバンコクは入国してからあっという間に1ヶ月近くが経ってしまった。バンコクは私にとって見るもの口にするもの全てが新鮮で楽しかったのである。タイはビザなしで入国すると1ヶ月以内に出国しなければならなかった(当時)。それだったらお隣の国カンボジアに入国して世界遺産に登録されているアンコールワット群を見てみようと思った。

いつか覚えていないが初めてアンコールワットの写真を見たときだった。私は何故かその建物が懐かしいと感じた。いつの日からか私の脳裏にはある映像があった。それは南国に立っている寺院らしき建物が夕日に照らされ、夕日と共に全体がサーモンピンク色に染まっているのだ。そして回りには水がありたくさんのロータスが咲いていた。それは果たしてアンコールワットなのか?私はもうすぐ実物のアンコールワットを見ることができる。何か感じるだろうか?

私はバンコクのカオサンロードからカンボジアのシェムリアップという都市までのバスチケットを購入した。毎日たくさんのバックパッカーがカオサンロードからこれらのバスに乗って近隣諸国へ足を伸ばす。私の乗ったバスはカンボジアのアンコールワット群を見るために世界からやって来たバックパッカー達が席を取り、ほぼ満席であった。

子供のスリで有名なカンボジアとの国境の町ポイペットをなんとかクリアしてカンボジアに入国することができた。
カンボジアに入国した途端、とても古いバスに乗り換えての出発となった。もちろんエアコンも付いていない。道は舗装されていない為、バスが走っている間、バスが上下に揺れおしりが痛かった。そして暑いので窓を開けてある。土埃が車内に入り私の白い服はベージュに変わっていた。バスはゆっくりゆっくり走っていた。

一体何時間走ったのだろうか?辺りは真っ暗だった。

周りには電灯もなく本当に真っ暗だった。突如光が現れたと思ったら一軒だけぽつんと立っていた食堂であった。バスはそこで止まった。そこで夕飯を取れということらしい。村ではそこにしか電灯が見当たらない。そのせいか村じゅうの虫という虫がその電灯に向かって集まっていた。もちろんドアも窓もない食堂の中も同じことであった。大小さまざまな虫達が同じ場所に雪のように舞っていた。食堂で隣に座っていた人が食べ物を注文した。そしてウェイトレスが食べ物をテーブルに置いた瞬間、虫たちがそれに飛び込んできた。

私は注文する気が失せた・・・・

皆ここからすぐに出たかったに違いない。しかしバスのドライバーからは全く指示がなかった。結局私たちはそこにかなり長く居た後、やっとバスに乗ることができた。
しかしバスは動き出したかと思ったらすぐに止まってしまった。ドライバーはバスを止めて私達に何も言わず何処かへ行ってしまったのである。私たちには全く説明が無い。東南アジアではよくあることである。

かなり時間が経過した。バスは真っ暗な一本道に止まっていた。元々バスにはエアコンが付いていないのでこうやってバスが止まってしまうと窓を開けていても風が全く入ってこない。乗客は20人ぐらいだっただろうか。乗客の誰かが、向こうにある橋が昨日の雨で壊れてしまい車は渡れないらしい。という情報をつかんでいてその話をしていた。

これからどうなるのだろう・・・・・・

乗客の何人かは外に出てその状況を楽しんでいた。「パーティは何処だ?」などとはしゃいでいた外国人もいた。そうかと思うと「なんで俺がこんな目に会わなきゃいけないんだ!!ふざけんな!!」と不安に襲われて怒っている外国人もいた。私は疲れまくっていたのでただジーっとバスの中で座り、無言でいた。するとやっとバスのドライバーが戻ってきた。

そして「皆バスを降り、自力で橋を渡ってくれ」と言ってどんどん私たちの荷物を降ろし始めた。私たちは仕方が無く自分たちの荷物を持ち、真っ暗な道をとぼとぼと歩き橋を渡った。すると橋を渡ったところにピックアップトラック(軽トラック)が私たちを待っていた。しかしこの20人がどうやってピックアップトラックに乗れるのか?20人プラス20人分の荷物もあるのに・・・・・

皆を乗せる為には車の屋根の部分にも人が何人か乗ることになった。私はラッキーなことに車の中に座ることができた。車内から外を見るとフロントガラスや窓にたくさんの足がぶら下がっていた。外に乗っていた人たちが、背もたれが無いので眠気が襲うと危うく車から落ちそうになったと後で語っていた。私はそうと知らず、ぶら下がっている足を見て窓から彼らの足をくすぐっていた。

結局18時間掛かってシェムリアップの町に辿り着いた。夜中の3時近かった。
ドライバーは勝手に私たち20人を一軒の汚いゲストハウスに降ろして行ってしまった。私たちは皆そこにチェックインするしかなかった。

この過酷な旅を共にした20人のうち多国籍8人と私は仲良くなった。国も言葉も人種も違うバックパッカー達がこうやって共に過酷な体験をした後、それが共通の笑い話になり互いの色々な壁が無くなるのである。

旅を続けているとこうやって色々な人たちとの出会いがある。それは人種や国や宗教ではなく所詮私たちは同じ人と人なのであることをいつも認識させられる。
私は彼らとカンボジアの旅を一緒に過ごすこととなった。

私たちはあの世界遺産に登録されているアンコールワット郡を見に行った。その中の一つにタ・プロームと言われる寺院がある。それらの雰囲気を特徴づけているのは、いたるところに見られる榕樹の巨大な姿だった。榕樹は大きな根を広げ、戦争によって崩れた遺跡をまたいでいるように見えた。それらは自然が作り出す芸術。自然が全てを飲み込むいきよいがあった。自然力の凄さを感じた。

そしてメインのアンコールワットに行ったときのことだった。

最初の門をくぐり、歩いていると何故か浅黒い大きめの足をした人が一緒に歩いているような気がした。目を閉じると私の横には修行僧のようなオレンジ色の布を体に巻きつけた肌の浅黒い男性が素足で私の横を一緒に歩いている感覚があった。その人は私自身のような気がした。

そして不思議なことにタイの国境からカンボジアに入国した途端、私の脳裏に“Incomplete(不完全な)”という言葉がずーっと聞こえていた。
それと何か関係があるのだろうか?私が懐かしいと感じたアンコールワット。懐かしさはあったが何かが違うと感じた。確かにあの寺院の素晴しさは今まで見た場所に比べると圧巻である。

しかしピンク色の夕日に照らされたアンコールワットはサーモンピンク色にはなっていなかった。ただのグレーであった。回りの池にロータスは咲いていたが私の脳裏にあるようにたくさんはなかった。私が見たのは前世の記憶なのか? もしかして昔は夕日に照らされた寺院がサーモンピンク色に染まっていたかも?

私はまたここに戻ってきたいと思った。そして必ず戻ると感じた。
結局カンボジアを出るまで“Incomplete(不完全な)”という言葉は消えず、それが何を言おうとしていたのか分からなかった。そしてバンコクに戻ったらその言葉は聞こえなくなっていた。

約1週間後、私はカンボジアのシェムリアップからタイのバンコクに戻った。そして今度はバンコクからバスと船を乗り継いでタイランド湾に浮かんでいるタオ島、パンガン島そしてサムイ島へと向かった。ここでも楽しく過ごし、あっという間に一ヶ月近くが経とうとしていた。

またタイから出国する日が近づいていた。その時私はまたタイの近隣諸国へ行く気はさらさら無かった。それではもうバリに行ってしまおうと思い、早速バリ行きのチケットを購入した。

そしてその二日後にはバリに飛んでいた。

決めると早いのである。

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