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僕たちの好きな郊外コミュの忘れられた町について、例えば足立新田

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よく荒川の土手に行く事がある。特に環七を十五分走って辿り着ける、足立新田にはよく行く。同名の高校を伊集院光が中退しており、その当人はラジオの中でそこをペシミズム溢れる言葉で形容するせいか、どこか忘れられたような街としてこの場所を捉えている。中州を貫くように環七が通り、二分もあれば通り過ぎてしまう所を脇道にそれて、河原へと出る。

対岸の川沿いを動脈のように走る首都高速を跨ぐ、送電線の下に陣取る。映画「鉄塔武蔵野線」の中にて、描かれた鉄塔の下に立つとパワーが来る、ような事はないが、電線群の行方さえ想起させないほど、河原に屹立し、孤立した鉄塔がある。キリンジの「エイリアンズ」が、常に頭の中にリフレインする。思えば「エイリアンズ」は圧倒的な孤独を歌った曲である。ただ存在の確信がその前提にある。

コメント(10)

荒川と言うと
子どもの頃 よく 荒川の土手近く 草の茂った場所に
捨て犬がいました。よくそこには捨てる人がいたようです。

かわいそうな 胸塞ぐところです。
もう昔の事ですが 今は変わってしまったのでしょうね。

広く遠い河原を歩いていた遠い日の自分をおもいだしました。
何気なく河原の話を書きましたが、実はコミュニティの冒頭に、リバースエッヂとセイタカアワダチソウの話を書いていた事をすっかり忘れていました。実は主題に触れていましたね。

寒さに震えつつも、夜の散歩を楽んでいた季節がもうすぐ
終わってしまいます。桜は、咲くまでが楽しいのであって、
咲いたら散ってしまう。そんな刹那があります。満開、という状態は実は存在しないではないかとも。あと何日だろう。
一度雪が降りそうな気もするのですが。

捨て犬というものを最近は見なくなりましたね。
無理矢理の犬繋がりで、最近知った、紀伊半島の山深くにニホンオオカミが生き長らえているらしい、という話に惹かれています。朔太郎の「死なない蛸」のようだなと。
週末を利用して八王子へと赴いた。
八王子は私が学生時代の二年間を過ごした街である。
思う事は沢山あった。絶望はしなかったと思う。
絶望、が前提にあったからだ。

私はよく原付で八王子の街を駆け抜けていたのだが、
みなみ野、ゆりのき台といったニュータウン然とした名前を
付けられた街の変貌ぶりに驚いていた。あの時はコンクリートの土台が連なる街の原形しか出来上がっていなかったのだが、
そこに住宅がある。故に人がいる。スーパーマーケットまで
出来上がっていた。私は郊外を忘れられた街と言う言葉を好んで使っていた。いや、その場所は忘れられてはいない。忘れられていたのは私の方なのだと、気付かされた。

この街並みが全て出来上がってない頃、でっちあげた映画のラストシーンをこの場で撮った。私自身が、自ら滅するタナトス臭溢れる場面。画面の中の私はこの場所に沈んだ。当たり前だがそんな事はまるで関係なく世界は動く。

繰り返すが忘れられていたのは私の方だったのだ。

道ばたには小さな青い花が咲いていた。
この花を見ると私は春の万能感に対して屈服の宣言を示す。
また春が来たのだ。

この話の続きは以下のコミュニティにて展開。

「八王子に住んでいた、多摩にも」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=540276
「90年代サブカルチャーの総括」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=582910
今日御茶ノ水から東京駅まで歩いた。
途中訪れた神田の町並みは怪しい飲み屋があふれ、線路沿いに
歩けばエンタイゴウのような倉庫が虚空を広げていた。
その中から瓶を砕く音が聞こえる。空き瓶の貯蔵庫になっているようだ。東京駅から一キロと離れていないその場所は、戦後の混乱を残していた。既に齢百歳となった坂口安吾が尚もカストリを求めてさまよう。現在に続く闇市のヤミである。

その場所は確実に忘れられていた。
そこに立った私は焦燥の追憶を積み重ねる。
ゴールデン街なんてそんなもんは虚像だよ。
空虚な日本の中心の周りにへばりつく残滓をめぐってみたら
いいと思う。とりあえず妖しい。
ラーメン二郎をよくめぐる。
日高屋やマクドナルドと違い、各店舗によって微妙に味が
違う所がポイント。都内各所と三多摩地区に店舗を展開している。値段は各店共通なので、恐らく家賃が関係しているのだと察するが三多摩地区の各店舗は量が多い。二郎自体がドカ盛りの店なのだが、野猿街道、めじろ台、小金井の三店舗は最強だ。最近、家の最も近しい場、桜台に新店舗が出来た。この店の味といい量といい、三多摩の三店舗に近いものがあって懐かしくなった。これまで三多摩の入口は吉祥寺だと規定していたが、飛び地のように桜台に彼の地が生まれる。原チャリを無くした今年の春曜日、三多摩に行くには京王線かなと思う。

郊外には晩秋と初春が似合う。
最近スーパーに行くと、桜味の缶チューハイをよく目にする。甘ったるいピーチベースのフレーバーなのだが、桜と名付けられると心が涌く。まずいのだけれど日々愛飲している。
ある友人のことをふと思い出した。
彼に出会ったのは大学で、途中で彼は消えた。
風の噂ではICU大学(国際モト大)を再受験するとか
いう話だったが僕らの中では彼は別のICUに入って
しまうのではにかと思っていた。
そんな彼との僅かな会話で覚えている言葉がある。
「学食のからあげラーメンってすごくまずくね?」
よりによってこの日常語の端だ。
今手元に冷凍のからあげと袋ラーメンがある。
彼の気持ちを再現した食い物で僕は八王子を想おう。
ICUさえ武蔵境の三多摩だ。
近く女子大ではなくなった武蔵野大学があり、
その途中の24時間スーパーで、僕はひたすらシーフード
ヌードルを食っていた。

郊外コミュとして郊外で飲んだくれるオフは考えている。
最近続く春曜日にかこつけて-
花見前花見(ゆえに耐寒)、花見後花見(ゆえに草見)
賛同するものがいたのならいつでも行く。
本田技研工業メイドインチャイナのトディを買って。
若しくはチャリンコで。公園で飲もう。
・年が明ければすでに春だと思っている。耐寒ではない。
春待ちなのだ。すでに十二月の小春日和に、春を想ったこともあるが
それは早合点というものだ。

正月の帰省で友人の家で親父が白血病で死に一家離散
すでにこの街にはいない話を聞いた
そいつの母が祖父母を引き取って移り住んだという街のそばを
東京へ戻る中で取った
単にブックオフの開店時間の時間潰しであった本当の理由も
暴露する。私がそいつを想ったからといって何が出来るわけでもないからだ

西船橋駅で東西線の快速を逃してしまったので反対の東葉高速へ向かう
開通に三十余年を要し、初乗り二百円という驚異の数字を持った
赤字路線はニュータウンの中を貫く
駅前から切り崩された土の盛りが溢れる途上の街を行く
遠く送電が連なる場が望めた
これが鉄塔マニアの聖地 新京葉変電所だろうか

久しぶりに郊外を見た
この街は若い
このコミュの原始にある多摩の街並みは
すでに老成している

地下鉄の初乗りで行ける場所なのでヒマがあれば是非
ただ厳密には違法行為なんで寝過ごしたフリでもして
スイカなら最強
※昔書いた文章。読者はただ一人に向けた。なのでここに放出。ミクシーさんこれは著作権利用自由ですYO!「千葉の記憶が薄れるのを恐れるのを忘れてしまう事を恐れる」06-01-08記 千葉が特別な街ではなくなった。千葉を歩くと頭痛がするんだよと言いながら、頑なに避けてきた街に昨年は何度も行った。本当は頭など痛くなかったのかも知れない。けれども半分は本当だという確信がある。西千葉の激安古本屋も回数を重ねるうちに、元々激安な価値の本をその通り激安で売る店だという、本当の性格を知る事となる。昨年、幕張での同級生との再会劇。メインに据えられたイベントは実にあっけなく終了した。だが、あてもなく彷徨する街中でセイタカアワダチソウの花が冬に咲くことを知った。それを当時、読んでいた太宰にならって、冬の花火と名付けた。春の枯葉、冬の花火、いずれも戦争が終わり次々の踵を返す作家達の姿を見て、お前らの姿はあべこべだと皮肉を込めて太宰が発した言葉である。ところが、写真に収められたセイタカアワダチソウはどこかきれいで、冬の花火の名に相応しい。季節を知らない外来種のセイタカアワダイソウは疎外されるように、真冬の埋立地に黄色い花を咲かせる。春論の終わりの時を見定めている。早く終われば終わるほど春論は輝く。春論のコアは刹那にある。五月の連休、否、もっと早く、桜が七分咲きになれば春は終わるのかも知れない。夏の最中に、三月の景色を思い浮かべる事は出来ないが、この一月に想起する三月の景色は無限だ。私の中での三月の景色は、二千年の三月八日、幕張の免許センターにある。どこか奇妙な白昼夢とでも言うべき合宿免許から戻り、免許の取得へと向かったのである。その帰り、海浜幕張から総武線沿線まで歩き、確か京成稲毛駅前だったと思うが、そこで赤い自転車に乗り込み、千葉大へと向かった。三月だというのに何故だが人の往来が激しかった。合格発表の掲示板の前に既に人はいなかったが、二人組の女子高生と思わしき人(制服未着用)がおり、現役学生と思わしき男二人組が話しかけていた。フライング気味の春の浮かれだ。もしかしたらそんな風景はなく、私の思い込みが作り出した虚像かもしれない。それも春のせいだという言葉も許される。それ程いい加減な季節を刹那より解放する理由はない。掲示板には新入部員を求める映画サークルの小さなポスター、デザインは妙に凝っていったのを覚えている。続いて千葉へ向かい、松屋でとろろ牛定食を食した。六百円くらいの豪勢な食事だった。千葉を出た後、そのまま蘇我まで行く。その日は蘇我駅前の書店でゴーマニズム宣言を買い、内房線内で読みつつ帰った。あれから幾度も三月を経たせいもあるかもしれない。千葉原体験とでも言うべき二千年の幕張の記憶が薄れてきている。そこを蘇らせたい。そういえばあの日、幕張の時点で京葉工業のホーロー板を付けた鍵のない自転車を見つけていた。空気がなかったので橋脚の下の現地民から空気入れを拝借したのだが、その空気入れも破れていたとのような記憶の仔細まで。住民票が千葉から東京へと移った今年、免許の更新は府中へ向かう。泉麻人のエッセイに、東京の高校生が教習を終えて鮫洲に免許取得に向かおうとするが混んでいるので、あえて府中に行くとの件があったのを覚えている。ところが根が東京人ではないので、むしろタブーとさえなりつつある三多摩の旅として府中行きを楽しむつもりだ。そして再び幕張に向かう時まで、千葉市自転車縦断の記憶を薄めずに留めておかなければと思うのだ。聖蹟桜ヶ丘や南平の詳細を思い続けるように、かつては木更津や袖ヶ浦を思い続けた事もあった。その速度が遅くなっただけで、密度は今も変わっていない。新たな記憶の再現でもなく、ゴミをダイヤに変える記憶の捏造でもない、記憶の定着を本年度の千葉ツアーの目標としたい。
今日武蔵野線に乗る
仕事の用だが半分郊外旅行だった

鉄塔武蔵野線をBGMにしたのだけれど
やはりはまらず
空気公団にしてずっと聴いていった

立川に降り立つ
人大杉
この立川のなぞを求めたい
偶然見つけたラーメン二郎の新店はうーんな味

桜桃忌から一年かと驚く
別のコミュニティで昔住んでいた八王子について記したら
思わぬ反応があった。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=540276

八王子出身で今は地方に住んでいるという彼から同時代的体験を喜ぶ
メールをもらった。記憶として残しておくのは良いかもしれない。

先日、八王子へ赴いた。街の中心部ではなく京王多摩線の方だ。
堀之内へ降り立って、人と落ち合いラーメン二郎、ブックセンターいとう
を経由して帝京大の丘を駆け上がり、聖跡桜ヶ丘まで歩いて戻った。
途中デジカメを持参して幾つか風景を撮るのだが、自分の才能の無さを
自覚して辟易する。カメラを構えた時点でハイダメ〜というのはわかってしまう。デジカメには幾つかボタンが付いているのだが、いじり方がわからず
夜の写真がうまく撮れない。露出の問題なんだろうが、調整の仕方がわからない。

帝京大前のツタヤが潰れていた。
地域に学生が溢れており需用は途絶えることなくまず潰れないと思っていたのでグロテスクな廃墟だ。大学そばにあったホテル野猿もなくなっていた。多摩クリスタルはまだあるようだが、堂々と掲示されるデカイ看板はまだあるのだろうか。大学の坂を駆け上がると、ニュータウンの光が見えた。


写真1
今はコストコという巨大なスーパーが出来たようだが昔は何もない場所だった。そこに何も無かったからこそ名づけ得られた名前ゆえに多摩境なのだ。宮沢章夫の「ニュータウン入口」と同じものだろう。

写真2
工事中の風景。ある彼と行動をともにしていたのだが、獣道を駆け上がろうとしたら、すぐ墓地にたどり着き道は途絶えていた。この冒険心で「絹の道」も攻略したい。

写真3
すでにセイタカアワダチソウの花が咲いていた。
青すぎる空を伴った冬がまた来る。

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