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新日本海フェリーコミュのフェリー「らいらっく」

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北海道へは、2度フェリーで行きました。
いずれも、舞鶴〜小樽
初めて乗ったのは、1984年7月の末でした。(今から37年前になりますね)
それまでせいぜい、神戸港の遊覧船くらいしか乗ったことがなかったので
その雄姿にすっかり魅せられてしまいました。
轟音とともに船体に呑まれていくトラックもまた、
当時の映画「トラック野郎」の影響か、華やかな電飾やペイントで、
キラキラとして素晴らしかった。
からこが乗ったのは、周航直ぐだった。
たしか、一往復して帰ってきたばかりだった。
部屋は、3段ベッドだけで、廊下だけの狭いものだったが、
ホールは大きくて舞台がしつらえられ、階段状の客席が、200席くらいもあったろうか??
バイキングが、珍しくて嬉しかった。
夜中に舞鶴を出て、
次の次の日の朝4時ころ小樽に着いたので28時間くらいかかったのでしょう、さん
今のあかしあ・はまなすだとほぼ21時間ですから、隔世の感がありますね。

今では北海道旅行など望めなくなった、足を痛めて、歩けなくなったよぼよぼ婆になりましたが
パソコンだけは達者なので
ふと
からこの乗った船はどれだったろうかと探してみました。
見つけた時は嬉しかったのです!!
が、少し詳しく見ていて、涙があふれてきました。
外国に売られて、台風に巻き込まれ773人もの死者を出していたのです。

フィリピンのマニラからセブ島へ向け航行中、折から接近中の台風6号による波浪の中でエンジンが故障、高波を受けて転覆
乗員乗客825人中、船長を含む773人が死亡または行方不明(Wikiより抜粋)

あの、素晴らしかった、カッコよかった船がこんなことになっていたとは(T_T):
胸が張り裂けそうになりました。

からこが乗った1984年・竣工時には 定員 586人
外国に売られて・事故当時は     定員1992人
しかも違法な殺虫剤が大量に積み込まれていたため
2次災害を恐れて救助も断念せざるを得なかった。

その後10数年前にも60歳で退職した自分にご褒美と
北海道小樽まで同じ航路を辿りました。
今度は、ちゃんと個室を取って
夜中に出て、次の日は1日中札幌のまいみくさんに届けようと
織ったマフラーの仕上げをしていました。
そして3週間の楽しい楽しい旅に出かけましたとさ(^O^)/

写真1 37年前の小樽運河
写真2 60歳(13年前)の小樽運河・・運河がとてもきれいになっていた。(37年前と同じ位置からです)

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