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BEACH BOYS FANS UNITED NIPPONコミュのBilly Hinsche talks about Carl Wilson as a Guitarist

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カール・ウィルソンは僕の最高の親友だった。
初めて会ったときのことを覚えている。1965年9月2日、翌日ハリウッド・ボウルで行われる”Summer Spectacular”でのサウンドチェックでのことだった。メインはカールのバンドで、世界で最も有名なTHE BEACH BOYSだった。
僕のグループ、DINO、 DESI AND BILLY (以下DDB)は、BYRDS、KINKS、SONNY&CHER、RIGHTEOUS BROTHERSらと、オープニング・アクトを務めた。DDBは特に、僕らのホームタウンLAでは絶頂期だった。僕らの当時の最新シングル”I’m A Fool”は、地方と全国のチャートを急上昇していて、BBも僕らを、仕事とプライヴェートの両面で、とても可愛がってくれた。彼らは僕らをカリフォルニア州ベイカーズフィールド、同フレズノ、そしてハワイを周るツアーに連れて行ってくれた!僕は14歳で、全ての夢を叶えたんだ。
ベイカーズフィールドのショウの後で、僕はカールのホテルの部屋へ行った。戸は大きく開けられていて、彼の友達や、近づきたい人々でいっぱいだった。彼はベッドの縁に腰掛けていて、新しいギターを手にして、注意深くチェックしたり、軽くかき鳴らしたりしていた。あんなギターは以前に見たことがなかった。かっこ悪いストラトキャスターに見えた。それはモズライトのギターで、その地方ディーラーは、そのギターを無償供与する見返りに、カールとエンドース契約(編注:アーティストに製品を提供する代わりに、そのアーティストの名前や写真などを宣伝に利用させてもらう契約)を結ぼうとしていた。そのいくらか高圧的なセールストークが終わった後、カールはその営業担当に、来てくれたことに礼を言いつつ、丁重に、興味が持てない、ということを言って、そのギターをケースに入れて返したんだ。僕は信じられなかった。カールがタダでギターをもらえるチャンスをソデにするなんて! それはカールが僕にしてくれることになる多くのレッスンのうちの最初のもので、カールの曇りなき人生を物語る出来事だった。
ハワイに行く航路で、僕はファースト・クラスの、カールの隣の席に座った。僕は最近のBBの曲で、イントロのギター・リフがとても気に入っているものがあることを語ったんだ。その曲を歌って聴かせながら、ギターを弾く振りをした。そのメロディで分かってくれたようで、「おお、お前は”Dance Dance Dance”のことを言ってるんだな。あれはGキーで始まる、本当に簡単なものなんだ。ハワイに着いたら喜んで弾き方を教えてやるよ。」僕は信じられなかった。カールが僕に初めてギターのレッスンをしてくれるなんて! その後何年もの間、カールは辛抱強く僕のそばにいてくれた。
次の日、僕は彼に呼ばれて、ヒルトン・ハワイアン・ヴィレッジ・ホテルの最上階のスイートに行った。僕らは同じファイアグロー(チェリー・サンバースト)のリッケンバッカー360-12を持っていて、彼の物はケースから出されて、座椅子の上に置かれて、静かに弾かれるのを待っていた。カールは”Dance Dance Dance”のリフの弾き方を教えてくれ、それから僕のリクエストで、”Johnny B. Goode”のイントロの弾き方も教えてくれた。”Johnny B. Goode”は当時のBBのライヴでのラスト曲で、DDBも加わってフィナーレを盛り上げたんだ。それで僕が頼んだものだから、カールは本番で、僕一人がイントロを弾くことを許してくれた。カールはいろんなことを他人と分かち合っていたから、そのことで問題になることはなかった。ところが、その夜僕は全然イントロをまともに弾けなかった。でもカールは微笑みながらフォローしてくれて、演奏は続いたんだ。カールは人の失敗をバカにしたり、妥協して済ましたりするような人物ではなかった。

コメント(15)


それ以来、30年もの良き年月、カールはステージではいつも僕のそばを離れなかった。僕がBBにいたときだけじゃなくて、彼のソロ・ツアーの時もね。彼は僕の義兄(編注: ビリーの姉アニーは、66〜78年、カールの妻だった)であり、僕らはカールの死の瞬間までとても親密だった。
以下のインタヴューは、(1981年、)カリフォルニア州ブレントウッドにあった、カールの家の居間で行われたものだ。小さいテープ・レコーダーで録音して、後で僕の古いタイプライターで紙面に起こした。20年後、BB結成40周年を記念して、僕は何とかこれを「最重要書類」ファイルの中から探し出した。このインタヴュー中の彼の言葉を読むと、彼の声が実際に聞こえる気がしてたまらないんだ。君達にも彼の声が聞こえることを、僕は心から願う。

Billy: いつごろギターを弾くことに興味を持ったの?
Carl: 子供の頃はいつでもギターが好きだったのを覚えている。僕はカントリー・ウェスタンのショウをTVで観るのが好きだった。僕の両親が言うには、僕が幼児の頃、よくつまようじをピック代わりにして、ギターを弾く振りをしていたらしい。僕が12歳頃、親しい友達が来て、僕にギターを貸してくれた。僕はそれにとても興味を持って、数コードの弾き方を教わった。僕の両親が、シングル・カッタウェイのケイを買ってくれたんだ。アコースティック構造だったけど、ピックアップが付いてたんだ。それが僕の初めてのギターだったね。
B: 独学だったの?
C: ある人のアコーディオン教室で習ってたよ。ギターの先生がいて、2ヶ月ほど習ったけど、とても退屈だった。ただ”Yankee Doudle Dandy”(編注: 42年公開の同名映画主題歌で、「アルプス一万尺」と同じメロディ)のような曲のメロディを追っていただけだったからね。僕はジョン・モースにもレッスンを受けた。彼は後にWALKER BROTHERSのメンバーになった。おかしなことに、彼の家は、アコーディオン教室とは、通りを挟んでほぼ向かいにあったんだ。だから行き来するのが本当に楽だった。彼はフェンダー・ストラトキャスターを持っていて、とてもかっこいいと思って、よく彼の部屋でジャム・セッションしたんだ。彼は例を示して、僕に確実な奏法を教えてくれたよ。BBが結成された頃には、僕のギター歴は1年半になっていた。僕らの両親が所用でメキシコに行っている間、僕らは置いていった食費で、ホーソン通りにあったホーガンズ・ミュージック・ストアで楽器を借りた。僕は6弦のリッケンバッカーを数週間弾いた。BBが実際にデビューしてから、僕らはフェンダー・ストラトキャスター、プレシジョン・ベース、そしてドラムスや他のギターを買ったんだ。僕は何年かストラトを弾いたよ。
B: フェンダーとはエンドース契約を結んでいたの?
C: そう。BBが有名になってから、フェンダーが僕らにエンドース契約を打診してきたんだ。その契約内容は、我々の製品を提供するから、君達にはその製品を持って広告に出てほしい、というような内容だったと思う。1962年頃のことだった。
B: 他のメーカーとはエンドース契約しなかったの?
C: 確かしてないよ。
B: 初期のスタイルに影響を及ぼしたのは誰?
C: チャック・ベリーさ。ジョニー・モースもだな。奏法に関しては、僕はジェニー・モースから最も直接的な影響を受けたからな。
B: 60年代初期から中期にかけて、どんなギターとアンプの組み合わせを使ってたの?
C: ストラトと、フェンダーのデュアル・ショウマンだな。
B: 60年代に尊敬していたギタリストは誰?
C: 60s初期にはVENTURESに影響を受けた。僕らBBは彼らのレコードをちょっと聴いただけで、曲の演奏の仕方を覚えた。そんな風に耳コピで覚えたね。
B: 当時は他にどんなギターを持ってた?
C: しばらくフェンダー・ジャガーを使ってたね。
B: どんな弦を使ってた?
C: ヘヴィ・ゲージさ。フェンダーのだったと思う。それから60s中期に、アーニー・ボールのレギュラーに変えた。それから何年かして、スリンキーズのレギュラーを使い始め、今でも使っている。でも、もっと柔らかくて弾きやすいライト・ゲージの弦に変えたいと思ってるんだ。
B: 初期のBBのアルバムにおけるギター・サウンドは、どうやって作り出されたのかな?
C: 僕らは音を聴くためだけに、アンプをスタジオに入れてたんだ。キュー・システムを導入する前のことでね。キュー・システムによって、ヘッドフォンで聴くことができるようになった。とにかく、僕はアンプとコンソール直結の両方を使っていた。ほとんど全てのギター・サウンドは、ミキシング・コンソールに直結して出したものだ。ただ”Little Honda”などは、ブライアンが歪んだギター・サウンドを求めたんで、アンプを通していつもと違うセッティングをした。そのアンプには、まだプリアンプやマスター・ヴォリュームはついていなかった。
B: アンプを通すのとコンソール直結と、どっちが好み?
C: 両方の組み合わせが好きだな。
B: どのスタジオが、好みのギター・サウンドを出せたのかな?
C: ハリウッドにあるWESTERN(現在は所有者の変更により、OCEANWAYを経て、CELLO STUDIOSと呼ばれる)が、当時本当にいい音がしていた。そこではあらゆるギター・サウンドが得られた。セッションメン達は小さなアンプしか持ってきていないのに、それらを少し歪ませて、鋭くて迫力のあるサウンドを出していたんだ。
B: 70年代にはどのようにギター・サウンドを変えた? 当時はどんなギターを使っていたのかな?
C: 1970年頃、(エド・カーターの)友人が、僕にブロンド(ナチュラル)のギブソンES335を300ドル(編注: 当時の相場で約11万円)で売ってくれた。一番お買い得な買い物だったね。それはカスタム・モデルで、僕が手に入れた時点で、作られて数年が経っていた。
B: 当時はどんなギタリストを尊敬していた?
C: クラプトン。それ以前はジミ・ヘンドリックスだったね。本当に衝撃的だった。
B: 最近はどんなギタリストがすごいと思う?
C: 名前は知らないんだけど、ラジオでかかっているのを聴いただけなんだけど、今(81年)全国ヒットしている曲には、優れたギタリストの演奏が多いね。でも知っての通り、10年前には、優れたギタリストは数人しかいなかった。今じゃたくさんいいギタリストがいるから、誰が最高かなんて挙げるのは困難だな。
B: 3、4本のギターをステージで使っているけど、その名前と、それぞれどんな曲で使ってるか言ってくれる?
C: ああ。エピフォン(・リヴィエラ)12弦は”California Girls”や”Sloop John B”など、フォーク・ロック調の曲や、レコーディングでもともと12弦ギターが使われていた曲や、そうでなくても12弦のサウンドが合う曲で使っている。335は初期の曲、”Little Deuce Coupe” ”Surfin’ USA”なんかに使うね。
B: その前にはステージでどんなギターを使ってた?
C: 僕はプロトタイプの次に作られた、最初のロットのストラト(54年製)を持ってるんだ。”Help Me Rhonda”でよく使ったな。”In Concert ”を録音した頃には、しばらくお前のエピフォン・シェラトンを借りて使ったね。67-68年頃、僕はビグスビー・トレモロ付きのフェンダー・テレキャスターを気に入っていた。当時のフェンダーの売れ筋モデルだったんだ。
B: 最近はどんなギターを持ってるの?
C: ギブソンネック付きの、サンバーストのエピフォン12弦、”Old Yeller”という黄色いフェンダー・ストラト、ナチュラルのビグスビー付きギブソン335、赤いエピフォン12弦、白いフェンダー・ストラト、黒いレス・ポール、サンバーストのレス・ポール、赤いギブソン335、タバコ・サンバーストのエピフォン12弦(編注: 前述のギブソンネックとは別物)、アメリカ建国200周年記念に作られたマーティンD-76(後にBBの倉庫から盗難された)、黄色のフェンダー・テレキャスター、ブロンドのストラト、赤いボールドウィンの12弦、アコースティックのマーティンD-41、ジャンボ・スタイルのギブソンJ-200、そしてレス・ポールJr.だ。
B: 持っている中で、最も大切なギターは?
C: ストラトが最も大切かな。335もリズム・ギターを弾くのには優れてるし、リードもストラトよりいくらか弾きやすいんだけど、音はストラトにはかなわないな。
B: 最近はどんなアンプを使ってるの?
C: 今はミッチェルだね。他にはフェンダーのツイン・リヴァーブもいいよ。
B: アンプのセッティングはどんな風?
C: 普通はヴォリュームを5、トーンを6と7の間にするね。ミドルの音域を10近くまで上げるのが好みだな。ベースの音域もかなり上げるね。プリ・アンプはだいたい3と4の間だ。もっとでかい、歪んだ音を出したいときは、プリアンプを7か8まで上げる。けれどもマスター・ヴォリュームはだいたい変えずにおくね。
B: それはステージでのこと? それともスタジオで?
C: どっちにも当てはまるけど、レコーディングではそんなに歪んだ音を出したくない時もあるだろ。マイクがディストーションをより敏感に拾っちゃうから、ちょっと抑え気味にしなきゃならない。どちらかと言えば、ライヴでのことだな。
B: 家ではどんなギターを弾くの? アコースティック? エレキ?
C: だいたいデヴィッド・ラッセル・ヤングのカスタム・メイド・アコースティックだな。
B: 何年に作られたもの?
C: 分からんけど、74年頃だと思う。
B: いつも弾いてるの?
C: いつも弾いてるよ。気にいってるね。これでコードの構成を変えて弾くんだ。Dキーで弾いたり、Aで弾いたり、Cで弾いたりね。たいていストラトか、このデヴィッド・ラッセル・ヤングを弾いてるね。
B: カポは使うの?
C: カポを使うのは楽しいね。これを使うと、ベルのようなサウンドが出せるんだ。曲を書くときには役に立つものだよ。たくさん曲を書かなきゃならない時には、僕はよくカポを使って、キーやコードの構成を変えたりしてみるのさ。
B: ニュー・アルバムについてだけど、次のソロ・アルバム”CARL WILSON”は、どんなサウンドなのかな?
C: 実に直球なサウンドだ。ほとんどのトラックには、ベース、ドラムス、ギターしか使われてない。それから僕とプロデューサーのジェイムズ・ウィリアム・ゲルシオとで、いくらかオーヴァーダビングしたんだ。でもそんなにたくさんの楽器を使ってないから、とてもクリアで、ストレートで、僕の好みのサウンドになった。大仰なエコーみたいなものは使わなかった。本当にストレートだ。
B: エフェクトは使ったの?
C: ああ。ハーモ二ーを作り出すために使ったね。主なエフェクターは、スローな曲で使ったボスのコーラスだ。ほとんどの部分には、ヴィブラートしない、単なるコーラス・サウンドをかけただけだよ。
B: カール自身のスタイルを表現してくれる? 難しい質問だとは思うけど、何とか表現してほしいんだ。
C: 単なるシンプルなスタイルだ。演奏ではそんなに複雑なことをしたり、多くの音を使ったりしない。1つ1つの音自体の良さを表現したいと思っている。
B: これもとても大胆な質問だけど、80年代のギター・サウンドは、どのような方向に向かっていると思う?
C: 多様化しているね。いろんな方向に向かってると思うよ。音楽自体がそうなんだ。多くのスタイルが現れているよね。どういう方向に向かっていくのかは分からないけど。
B: シンプルな方向に向かっていくのか、それとも複雑な方向に向かっていくのか、どっちだと思う?
C: 多分両方だね。シンプルなスタイルでやってきて、そのままシンプルな奴もいるだろうし、それからジャズやブルースに影響されて、一生懸命に練習して、緻密なサウンドを得る奴もいるだろう。だからいろいろだよ。
B: 最後だけど、何か他に言いたいことは? ギタリストへのアドヴァイスをくれる?
C: 1に練習! 2に練習!! 3、4がなくて、5に練習!!!

From Guitar One magazine, November 2001 issue. Copyright © 2000 William E. Hinsche
Translated by Tomonori Wanibe
デビューから彼らのファンです。ありがとうございます。
DINO、 DESI AND BILLYの音源、探し出して聴きたくなりました。
カールもビリーも本当に音楽に純粋なんだな〜というのがヒシヒシと伝わってきました。
興味深く読ませていただきました!

ありがとうございます!
感動しました。どうも有難うございます。
皆様、温かいお言葉をありがとうございます。
このインタヴューは、6.文末にある通り、ビリー・ヒンシが2001年11月号に寄稿し掲載されたものを、BBFUN会誌に掲載することを目的に私が訳していたもので、未発表のままになっていたものを蔵出ししたのです。
同じ文章をBBFUN WEBSITE会員限定ページにも書き込んでいます。
初出の雑誌名が抜けてました。
米"Guitar One"誌です。
これ、貴重ですねえぴかぴか(新しい)

ジミヘン(60年代後半、「サーフィンはもう終りだ!」と発言)への傾倒というのは意外でしたが、
考えてみれば、ライバル・FAB4についても「大好きなグループ」と公言してますし。
根が素直なんですね(笑)

それにしても、ストラト信奉が強かったというのも、意表突かれました!

ソロ活動やKTSSで確かにストラト弾きまくってますよね。
この時期ならではの発言なのかもしれません。

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