ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

メルヴィルよ永遠なれコミュの「影の軍隊」分析(3)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
第3章・アメリカ映画への傾倒


メルヴィルは名にし負うアメリカ映画ファンで、自分が影響を受けたサイレント映画時代からのアメリカの映画作家たちをたちどころにアルファベット順に63名挙げたことはつとに有名である。

このチャップリンとウォルシュとデミルを除いた63名のなかにリチャード・ボレスラウスキー、ハロルド・S・バケット、ジェームズ・クルーズ、ジョン・フィッツモーリス、エドマンド・グールディング、アルフレッド・サンテル、アーネスト・B・シューザック、ジェームズ・ホエイルといったボクもまったく聞いたことのない映画監督が入っていることからも、メルヴィルのアメリカ映画への傾倒ぶりを偲ばせるものである。

チャップリンは別格だからとし、ウォルシュとデミルは大したことがないと一蹴するなど、筋金入りの映画狂を思わせる。

そういえば1970年代初頭にテレンス・ヤング監督が何の作品のキャンペーンかは分らないが来日したときに、メルヴィルがヤングの代表作であるヘップバーンの『暗くなるまで待って』のカット割についてヤングより正確に覚えていてヤングに教えたと話していた。

メルヴィルは傑作と思われる映画は何回も再見し賞味し尽す、ファンとしての側面を持っていた。だが、自分の作品には禁欲的で、自己抑制的であり、ファン気質丸出しにするという茶目っ気はほとんど見せなかった。


『影の軍隊』の詳細な分析に入りたいと思うボクは、最初に根拠には薄いがファンとして是非挙げておきたい推理がある。

それは1949年に名匠(日本では、その代表的な作家だが、フランスでは通俗作家との意見も強いという)ジュリアン・デュヴィヴィエが作った『神々の王国』という作品との関連である。

ジュリアン・デュヴィヴィエは戦争中アメリカに逃れ、在米中にも作品を撮ったが、帰仏して初めて撮り上げたのがこの『神々の王国』だ。

救護院というのか、修道院に併設された十代の少女たちを収容している施設が舞台で、戦後フランスでも、多くの戦災孤児や行き場がなく非行にはしる若者がいたようで、この施設は刑務所に収容するには年少すぎる少女を可能年齢に達するまで収容したり、そのまま保護観察期間を終えるまで収容したりしているところであった。

出演しているのは当時以後の活躍が嘱望されていた10人の若手スターたちで、中でも若き日のセルジュ・レジアニが水も滴る美丈夫ぶりを見せている。

後年ロベール・アンリコの『冒険者たち』や『影の軍隊』で陰翳を湛えた渋い脇役となったレジアニではあるが、本作の彼はメーク・アップの功績もあるのだろうが、昭和20年代の大泉 晃やジャン・マレェみたいに匂い立っている!


ほとんど知られていない作品なので説明したいと思うが、眼目は2つある。ひとつは、教育が“寛容を基本に篤実で導く”ことが出来るか、または“厳格にスパルタ方式で管理していく”ほうがいいのかという命題への提起である。

わが国でも清水 宏監督により繰り返し扱われてきたテーマである。

主人公の少女は日本で言うパンパン狩りに運悪く引っかかり、施設に護送されてくる。修道院長は厳しいけれど寛容・篤実をもって教育にあたっている女性であったが、主人公が入所した途端に心臓発作で急死してしまう。

その後任に院長の下で長年仕えていた女性が、電話で報告したというだけで安直に後任院長に抜擢されてしまう。(それだけお上はこの施設に期待しているわけではない、と解る。)
この新院長が非行少女には徹底した管理・締め付けで臨むわけで、下積みから突如表側に踊り出た分、権力を得た中年女には積年の恨みが孕んでいる。

主人公の少女が恋人の存在を説明してもまったく取り合おうとはせず、その恋を信じようとしないのは収容されている大半の少女も同様なのだった。

だがレジアニが少女を追って町へとやってきて、連絡をつけてくるに至って、夢も愛も信じられない生い立ちの彼女たちが主人公の恋の成就へ応援に回る描写にはセンチメンタルであるとは思うが胸に迫るものがある。さて、この恋の行方はどうなるのか?

戦争が終わって、次代を担う若者たちへの作者の熱い思い入れが伝わってくる展開となっていく。少女たちが恋に恋するように胸をときめかせるとき、大人は戦争という絶対悪に痛む作品なのであった。


それにしても『神々の王国』のオープニングは少女が警察の護送車で護送されてくるシーンだが、主人公の不安などをよそに護送に随いてきた警官達がまったく関係ない会話をしている構成は、収容所への護送の途中で闇の食料を買いだしに寄っていいだろうと聞いてくる『影の軍隊』の発端を思い起こさせる。

本来幸せな市民生活、家族生活を送っているはずの無垢な少女たちの責任のない受難は、そのまま戦争によってレジスタンス運動に身を投じなければならなかったジョルヴィエ以下の普通の男たちの運命がダブりはしないだろうか。

そして、その彼らを護送しているのは、同国人である無邪気な警官たちであり、護送される人間たちのこれからの運命も他人事に闇の物資を寄り道して調達したり、世間話に興じている残酷に、観客もまた驚かされたのである。

『昼顔』の原作者としても知られるジョゼフ・ケッセルの『影の軍隊』は戦時中に地下出版されたレジスタンス小説で戦後にベスト・セラーとなったものだというから、この『神々の王国』での類似があながち偶然には思えない。

そしてレジアニへの関心も、若きメルヴィルの本作への感傷がいかばかりであったかに思いを馳せずにはいられないボクなのである。

コメント(2)

非常に興味深く拝読いたしました。

『神々の王国』に関してお知らせしたいことがあります。去年のロンドン映画祭で、長い間プリントの存在が確認されていなかったブレッソンの幻の処女作『罪深き天使たち』(Les Anges du Peche 1943)の修復プリント版を見る機会に恵まれました。この映画も救護院を舞台にしており、デュヴィヴィエ作より6年早く製作されています。ナチ占領下のパリで撮影されたという事実は映画史のみならず、戦時下を知る上で非常に貴重な作品です。ひょっとするとデュヴィヴィエはこの映画を見ていたかもしれません。

物語は、中流出身で若く世間知らずのアンヌ・マリーと、恋人に裏切られ復讐を企むシモーヌを中心に、救護院のありかたと人間としての生き方を問う作品で、監督一作目ですでにブレッソンは独自のスタイルを確立している点も見逃せません。

戦中・戦後にわたってフランス各地に多くの救護院が設置され、社会問題としてその存在は、おそらく映画作家の創作に深い影響を及ぼしたテーマのひとつとして無視できないジャンルではないかと考えられます。

ロンドン映画祭では同年のカンヌ映画祭プレミアに続き、たった一度の上映でした。今度はいつ見れるのかわかりませんが、早く日本でも何らかのかたちで上映されることを祈ります。
茶飲みペンギンさん

いつも貴重な情報ありがとうございます。

またまた観てみたい映画が増えました。

メルヴィルでさえ『フルショー家の長男』も『マンハッタンの二人の男』も公開されておらずビデオすらありません。

ボクのメルビィルとの出合いである『ギャング』も公開は120分。資料によれば170分あったらしく、後年東映からレンタルオンリーで出たものは145分ありました。

バババババってリリースしてくれないかなぁ。

お返事遅くてすみませんでした。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

メルヴィルよ永遠なれ 更新情報

メルヴィルよ永遠なれのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング