ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

合気道コミュの「合気道は自分との闘い」 ?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
はじめまして、ピエールです。
最近ここの会話が過激で怖いし、トピを立てるのに躊躇したのですが、お手柔らかに。

昨日、OVNIというフランスで発行されている、日本人向けの新聞をフランスレストランで手に入れました。


OVNI
http://www.ilyfunet.com/

ル・ビストロ・ダ・コテ
http://d-cote.blog.ocn.ne.jp/ai/2006/10/post_bd04.html

そのOVNI597号に合気道の記事が載っていました。

「合気道は自分との闘い」
というタイトルでした。
内容はとってもまとまっていいものでした。

そこで少し感じたこと
合気道は「争いの無い・和合の武道」
「自・他ともを作らず大宇宙と一体になる」
と僕は思っているので、自分との闘いでも
無いとは思います。

自分と言った瞬間に、他人が生まれる。
自分自身とも闘わない、がいい。と思っています。

でもどんな理由でも(ダイエットや健康のため)でも合気道が世界中に広がるのは嬉しいことです。

合気道は自分との闘いと思ってますか?

コメント(37)

何の為に闘いはあるのでしょう。
闘いの後に何が来るべきでしょう。

戦争と平和という相反するものがあります。
「平和のため」という大義名分で戦争は起こります。
「戦いなくして平和はかちとれない」とも言われます。

闘いや争いなくして、真の理解は深められますかね?
合気道を始めた最初の3年から5年目くらいまでは他人との戦いで、だれの技が一番効くか、痛いか、てなことを主眼にやっていました。演武会で入賞するとかね。

5年目から10年目ぐらいまでは人に勝とうとは思わなくなったけれども技の自分の上達が主眼であって「争いをなくす」とか「平和のため」なんて考えたこともありませんでした。

10年目から20年目ぐらいは自分の道場の練習生を増やすとか、早く黒帯を増やすとか、そういうことが目的でした。つまり自分とも他人とも闘っていました。

最近やっと、まあ争いはどうでもいいから一回一回をなるべく充実した稽古にしようと思うようになりました。

宇宙と一体になるとか、未だにさっぱり分かりません。
なかなかムズカシイ&興味深いトピックですね!
ピエールさん、良トピありがとうございます!

僕は「闘い」を「もがく」と訳して考えています。
武道である以上、障害やコンフリクトは
必ずついてまわります。

そこから逃げたり、妥協したりせずに
できることを必死で、もがいて解決に向けていく。
泥臭いけど、もがかないと
望むものが得られないように思うんです。

平和とか宇宙との一体感は、ついでに来てくれれば
ラッキーかな。副産物みたいに。

>まつひろさん
「争いはどうでもいいから充実した稽古」って深いな〜!
まったく同感です!
戦い云々というより、自分を取り巻く環境の中に法則を見つけて、それを日常生活に応用するのが目的だと思っています。
自分の体とそれを取り巻く環境を正しく認識して、法則に沿って使う方法をコンパクトにまとめたのが技、それを目指す道が合氣道って感じでしょうか。
それを試す課程で、強さを求めたり、自分との戦いが生じたりするのはある程度仕方のないことだと思いますが、個人的にはあまりそこにこだわらずに、稽古の手段の一つくらいにしたいな、と思ってます。
我ながら理想論ですけどね(笑)。
でもまあ、理想無くして進歩なし。のんびり行きます♪
「たたかう」って言葉に拒絶反応が強すぎる人がいるんじゃないかと思いますね。
特に合気道の人には多そう。

たたかうとは、「他と他が交わす」ことですよ。
つまり情報交換です。
議論だって意見交換。
試合は技術交換。
全力を尽くして戦ってこそ、終わったあとで固い握手が出来るんじゃないでしょうか。
いつまでも戦いをやめないのがバカなだけで。
う〜ん このトピ深いですね〜(^O^)/
僕は自分との闘いというより自問自答はしています
ようするに話し合いですね
他人と争うのは苦手です
常に相手の意見などを転換のようにかわしながら生きています(^o^;
>僕は自分との闘いというより自問自答はしています

自分との闘いってのは、そういう自問自答や反省や恐れを克服したりということでしょう。
まさか自分で自分を殴るわけでもないし。
他人の意見をしてもらうのだって、逃げてばかりの人はそのうちに、誰も意見を言ってくれなくなります。
正面からぶつかって受け止める姿勢があってこそ、相手もぶつかってくれる。
ぶつかってくれるからこそ転換が出来る。
相手がぶつかって来なきゃ空回りになりますよ。
入身で相手に食い入り、食い込み、食い留まってこそ、相手と一緒に転換出来ます。
入身とは相手にまっすぐ突っ込むことですよ。
僕もまだもちろんのこと、
「争いの無い・和合の武道」
「自・他ともを作らず大宇宙と一体になる」
を悟っているわけではないのですよ(^.^ ;

日々、悩み自問自答し、合気道だけでなく、普段の人間関係でも、仕事でも、お客とぶつかり、部下とぶつかり、上とぶつかりです。

>正面からぶつかって受け止める姿勢があってこそ、相手もぶつかってくれる。

そうですよね、これを闘い、争いというのかどうか?

ただ争わない=和合するというのは、逃げるって言うのとも違うような気がします。
(僕の場合、今は特に人間関係で、毎日誰かと格闘技のような体の戦いを繰り広げているわけではないので)
合気道も相手と一体になって・・・・、という境地までは(^^;

日本が核兵器を持つかどうかもそうですが、自分が力や技を持って、相手と対等のものにならないと、均衡は保たれないのでしょうか?今の自分では、何かで対等ででないと、ぶつかったらつぶれちゃうような気がします。

そうじゃない、相対的ではない、ものの考え方や道理、あっちを立ててもこっちも立つ。

なんてものが、机の上ではない、合気道という心と体を使うものから、学びたい気付きたいと思っています。
僕には、「闘う」というのは物理的なイメージが強いですね。
そして「争う」というのは精神的なイメージが強い。
争うというのは己の心の問題じゃないかと感じます。そして他人と争う心が、自分の体の動きの足を引っ張り、相手との闘いにも勝てなくなるような。
競技などでも、他人と競っていながらも自分自身が楽しそうに、そして満足そうに競技してる人がいますね。

今テレビで安藤美姫のスケートを観ましたが、トリノの惨敗を乗り越えて自分に克った演技だったと感じました。
天地や宇宙と一体になるのは
楽なコトだと思います〜

自分でそう思い込めば、済むんですもん(w

天地も宇宙も、言い返さないですし〜

天地や宇宙よりも
他人と和合する方が難しいと思うのです〜
合コンとか、難しいでしょ(w
天地と一体になれば、合コンなど必要なくなる。(笑)
>天地と一体になれば、合コンなど必要なくなる。(笑)

・・・オイラ、天地より合コンの方が・・・(w
合気道に限らず何かを学んで行くということが、自分との戦いにつながって行くよーな・・・
keni さん、

>「争いはどうでもいいから充実した稽古」って深いな〜!
>まったく同感です!

一回一回が充実した稽古もさることながら、一回一回の技、そのときとのときの挙動、体の動き、意識の置き方をそれぞれ隙のない、充実したものにしたいと思っているんですが、なかなか上手く行きませんね。これが常に安定して出来れば、この先になんかあるんだろうな、って気がしています。
旋風猫さん

そうですね、天地や宇宙と一体になっていると思うことですよね。
よーし、一体一体。

うーんやっぱり、合コンの方が簡単なような氣が・・・・!(^O^)y


>>今テレビで安藤美姫のスケート

話はそれますが、一流の選手は中心というか一点と言うか、軸がしっかりしていますね。
たぶん合氣道しても、達人になるんだろうなぁ。


>>体の動き、意識の置き方をそれぞれ隙のない、充実したものにしたい

ある時は、集中して、気がつくと忘れていて、何度も何度も同じ事を気付いては、心がけ、また忘れてて、気がつき。
なんて感じです。

合氣道は、やればやるほど底が見えなくなっていくような、上が見えなくなっていくような。

仕事が忙しくて、とっても楽しい稽古が待ち遠しい、日々を送っております。
合気道は、人間の本能に逆らってる、と思う今日この頃です。
コヨコヨさんへ、
その禊の考え方について、もうちょっと詳しく教えていただけませんか。
最近合気道に失望しているので、いろいろ他の人の考えている事を知りたいと思ってるこの頃です。
合気道に失望したのか?
嘗てのボクの姿とダブりました。

そこの道場のやり方に失望したのか?
馴れ合い稽古に慣れすぎて失望したのか?

ボクは二〇年ぶりまた復活いたしました。
たぬきうどんさん、お体でも劇的に悪くしましたか?
マスターさん、ご心配ありがとうございます。
いつも辛口のコメントを楽しみにしています。

体は、木刀による小指の骨折ぐらいで、
元気なのですが、、、、

大きい規模ではフランスの合気道界での権力争い、小さい規模ではうちの道場が他の道場にけんかを売っている、事など、
合気道の理念等きれい事を言っても、やってることはなんなんだ?と思わせられる事が多く、
いっそのこと合気道に勝敗をつけたらすっきりするのでは、とひねくれた見方をしたくなる今日この頃なのです。

このトピックを読んで初めて知ったのですが、
演武会に賞がでる、というのも、
なんか変な感じがしました。
合気道は他の人と比べるものでないのに、
賞とはいったいなんなんだ?と思ったのです。

こんな私に何かやる気をあたえてくださいませ。
聖職者の中にすら、権力闘争や腐敗があることもあるくらいなので、結局はどこの世界にも

いい人も悪い人もいるってことではないでしょうか…

武道は相手との間合いが大切ですが「心理的間合い」というのもあると思います。

権力闘争から心理的間合いを置いて自分は稽古に励む…とかできないですかねぇ!?
お体お元気でなによりです。
ネットを見てたらわかると思いますが、日本の合気道界でもよく似たものですよ。
もっとご大層な理念を掲げた宗教の世界だって常に争ってるんですから仕方ないです。(笑)

結局この世の中には、理想の世界など無いんですよ。
理想の世界は自分の心の中にこそ作るべきものである、と僕は思います。
世の中は試練を与えてくれてるためにある、と。

>いっそのこと合気道に勝敗をつけたらすっきりするのでは、

試合をやってるような武道にも、それはそれでゴチャゴチャすることがありますからね。ルールがどうの審判の判定がどうのとか。

>合気道は他の人と比べるものでないのに、
>賞とはいったいなんなんだ?と思ったのです。

他人と比べてということでなく、自分への評価と素直に受け取ればよいと思いますよ。
自分が他人と比べるのではなく、第三者が比べてくれて評価をしてくれる。
他人を評価、批判するというのは、実はあんまり楽しいことではないです。
悪い評価を下したら恨まれたりもしますしね。その嫌な役目をやってくれる人がいるということに感謝して、己の糧にしましょう。

そういう考え方が出来れば、色んなことが「禊」になりますよ。


>権力闘争から心理的間合いを置いて自分は稽古に励む…

一時的にはそういう場が必要ですね。
お坊さんなどは、人里離れた場所で修行しますものね。
たぬきうどんさんへ
 私は合気道の技を変えることによって、自分の心の中身が変わってきました。現在は人を許すと言おうか、ま〜表現しにくいのですが、人に対して優しくなったと言った感じなので、禊と感じています。
 前にやっていたのは、関節を極めるやり方だったので、失望して10年ぐらいやめてました。そのときは相手を押さえ込むようなやり方で、日常の人への対応もその影が見え隠れしていました。
 今は違うやり方なので、人への対応もあのころとは違いマイルドになってます。年を取っただけかもしれませんがねぇ。
たぬきうどんさんへ

 道場の合う合わないは当然あると思いますよ。
 私も何箇所か町道場を廻って結局本部道場のやり方、技、スタンスが一番自分に合っているということでわざわざ時間をかけて本部の師範が教えに来ているところまで通ってます。
 結局先生により技もスタンスも考え方も異なるし、私的にはプロから技を盗みたいと思うので兼業の先生では合気道を極めるのが無理ではないか?という考えに行き着いて今の師範のお世話になってます。
 海外はどうだかわかりませんが、いろいろ道場を探して師範の人間性などから本当に心から尊敬できる師匠を探してみたらもっと合気道が楽しくなるのではないでしょうか?
>たぬきうどんさん
かえってやる気を削いじゃうかもしれませんが(w

オイラは、武道も道具だと思ってるのです。
自分の人生をより良くする為の道具だと。
主体は常に人だと。

使い方さえ間違えなければ
武道は己を知り、磨くのにちょうどいい道具だと思います〜

いろんな意味で人は皆未熟者だから
権力闘争もあればケンカもつまらないトラブルもあります。
そういう未熟者が、少しでもマシに成る為に
武道という道具が出来たんじゃないか、と思います。

でも、道具に振り回されちゃダメです〜

自分が好きで始めて、楽しいから続けてた合気道でしょう?
じゃ、そのままでイイと思いますよ〜♪
武道は、いや合気道は、道具ではありません。
道具となるのは、術であり、また権力闘争やケンカです。
そういう道具を利用して歩く道が合気道です。
マスターの様に合気道即生活、合気道即人生の人は
特殊だと思います〜(w

稽古後のビールが美味い、とか
昨日より今日技が上手く出来て嬉しい、とか
武道も人生の彩りのひとつ、といった
そういう付き合い方も許して欲しいです〜(w
合気道創設者の言ってることをわかりやすく紹介してるだけです。
合気道はそういうものだってことで。

僕にとっての合気道は、商売道具でしかありません。
>僕にとっての合気道は、商売道具でしかありません。

壁|ω<^;)o ・・・(言えない・・・合気道を教えるのは凄く上手なのに、商売は下手です〜、なんて・・・言えない)
こう見えても商売は結構上手いんですよ。
でも、働くのが嫌いなんです。
僕は、合気道も人生も人々も、それほど完成されてない、または高い理想のようなものになってないから、面白くもあり苦しくもあると思います。

みんな完璧だったら最初から合気道なら10段とかになっていればいい訳で、そうなってないから稽古をします。

僕は職場では、管理職であり、そうでない人でも、同僚や部下、先輩、友達、お客様、知り合いなどなど・・・、付き合いや関係があると思います。
僕は鈍感な人間で、人との付き合いの間合いがわかっていませんでした。(分かっていたつもりだったのだけど)

分かっていたつもりが、そうではなかったと合気道をやって気づかされました。

今まではスポーツは得意でテニスなどは全国大会にも出ていましたが、勝つか負けるかを常にこだわってきました、今でも白か黒か、いいのか悪いのか、が、好きです。
(最初から正義の味方が分かっているアメリカ映画のようなアクションものは大好きです)

合気道は人間関係と違って(同じで??)、技と言う形で結果が簡単に分かります。本当なのかうそなのか、ふりなのか、付き合いなのか、自分よがりなのか、相手の気持ちになっているのか、相手と一体なのか?

僕にとっては稽古をするたびに、一週間の人間関係を目の前に具現化しているような感じないなって、稽古しているときがあります。

テニスも合気道も、練習や稽古後のビールは最高ですが・・・・。
人生のどの時点で、どのくらい合気道にかかわってきたかで、
いろいろな考え方があるのだなあと、、、、

10年のブランクの後の再開の話はなかなか考えさせるものがありましたし、兼業の人は技を極めるのは無理、とか、武道は道具だとか、ひとつひとつの考えにはそれ相当の経験があると思うと、、、、、

ここで何を書いたらいいのか解らなくなりました。考えがまとまったら、また参加します。
はじめまして。
初めて書き込みをします。

一口に「合気道」と言っても、始めた動機も違えば感じる事も人それぞれなんですね…。当たり前の事なんですけど、このトピで改めて実感しました。

そんな色々な意見のうちの一つとして私が考えていることを。
とりあえず技などの事は置いておいて、このトピである「合気道は自分との戦いか?」ということについてですが
私は、合気道でもそれ以外でも、何かをつきつめていったら、結局最後は「自分自身がどうか?」ということになるのではないかと思っています。

日々、稽古をしていく課程で、その日その日自分の稽古を振り返ってみて自分なりに課題に取り組めた時や、また反対に反省することがあったり。
そういった自分を省みる事、それも大きく言ってしまえば「自分との戦い」になるのではないでしょうか?

私はそういったところが好きで合気道を続けていられます。
世界に一人くらい、こんな人間がいてもいいかな?なんて思いながら稽古をしています。
合気道は自分との闘い?とは面白い表現ですねェ
先生に教えて頂いた「相手と一体となる」この事を意識するとこの地上には敵なる存在は無い様にも感じます。
闘いとは相手(自分)がいるから起こるのかもしれませんが、、私は(たたかい)という表現で合気道をした事はありませんねェ

心での受け止め方を広げて行けば合気道をもっと面白く表現出来るのではないのかなぁと思います。

ログインすると、残り2件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

合気道 更新情報

合気道のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング