ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

†Thule-Gesellschaft†コミュの「マイスタージンガー」の哲学

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加








ベックメッサーのモデルがオーストリア
の音楽美学者、音楽批評
家、エドゥアルト・ハンスリック(Edu
ard Hanslick 1825ー1904)
で有る事は夙に知られて
居る所だが、是は一般的
には、作曲家の、自分を
酷評する批評家への当て
擦り程度に思われて居る。




然し、採点表を振翳すベ
ックメッサーは、石板を掲げた
モーセのパロディーで有り、To
ra(トーラー: 律法・戒律)を守
る事を金科玉条とするパ
リサイ人の形式主義の独善
を厳しく批判し、神の愛
と隣人愛を説いたイエズス
を念頭に置いた、キリスト教
徒から見た、 “ユダヤ人(ユダ
ヤ教徒)の象徴化” で有る。




其は、第一幕冒頭の讚美
歌、第三幕の祭りが、イエ
ズスに先駆けて、ユダヤ教形
式主義、教条主義を否定
した、洗礼者ヨハネを讃える
物で有る事からも明らか。




然して、其ドイツ名、Joh
annesの愛称形、Hansを
名前に持つザックスは、当然
乍ら、ドイツ芸術、ドイツ精
神に於ける、洗礼者ヨハネと
して意識される訳で有る。




事実、ハンスリック以降も、アド
ルノ、マイヤーと、ウィーン古典派
形式主義を打破したワーグ
ナーを最も執拗に攻撃した
のは、パリサイ人直系の子孫、
ユダヤ人批評家達で有った。




キリスト教は、ユダヤ教形式主
義の否定に起源を持つ宗
教で有る。其が、アジアで
は無く、ヨーロッパに伝播し
たのは、ヨーロッパ人が“形式
主義を嫌うメンタリティー”を持
って居たからで有り、其
原点は、アジアと違い、既
に紀元前に神話的思惟か
ら脱却して哲学的思考に
移行し、宗教的権威主義、
教条主義、(即ち形式主義)
を超克した、古代ギリシア精
神に求められ、ソクラテスの主
知主義から、神に代えて
Ideaを置いた、プラトンのイデ
ア実在二元論、然してプラ
トン的二元論の克服として
アリストテレスが、人類史上初め
て導入した一元論、(Met
aphysik:形而上学)に有る。




此、“信仰” から “思考“ へ
と言う人類の精神史に於
ける、コペルニクス的転換が無
かったら、ヨーロッパ史も世
界史も無かったで有ろう。




然して、抑の始まりはイエ
ズスの反パリサイ、反ユダヤ教
形式主義で有った筈のキリ
スト教が、教会権力として
中世農耕社会の統治システム
の役割を果たした間もアリ
ストテレス形而上学はスコラ学派
に温存され、ルネッサンス以降
復活し、心と身体の二元
論を採りつつも、教条主
義を否定し、良識(bon s
ens)を信じたデカルト、純粋
理性と実践理性を峻別し
て実践理性優位を説いた
カントのプラトン的二元論から、
Hebraism(=ユダヤ・キリスト教)
の人格神を否定し、自然
を唯一の絶対者(神=理性)
とするスピノザ、イデアと実
在の矛盾を主観と客観の
認識論で止揚し、世界を
“絶対者”(精神=理性)の動
的展開と見做すヘーゲルでア
リストテレス一元論に回帰した。




此様に、ヨーロッパ文明、文
化に就いて考察する際は、
常に其バックボーンにHellen
ism(ヘレニズム)=アリストテレス的
形而上学一元論とHebra
ism(ヘブライズム)=プラトン的
ユダヤキリスト教二元論と言う
二大潮流が有る事を先ず
念頭に置かねば成らぬが、




此際、ユダヤ教の様な徹底
した一神教は、実在(宇宙)
の外に超越神を立て、神
と実在の二つの実体を認
めると言う点に於て、哲
学上はIdeaと実在の二つ
の実体を認める、プラトン的
二元論の立場で有る事に
注意し無ければ成ら無い。




然して、キリスト教中世ヨーロッ
パとは、Hebraism(ユダヤ・
キリスト教)二元論とプラトン二
元論が、宗教と哲学(神学)
に於て、折衷されつつも、
イエズスの説いた愛(agape)
に依る一元化は置き去り
にされて、教会が農民を
統治する為の権力機構と
化して行く過程で有った。




キリスト教がユダヤ教の聖典で
有る旧約聖書を如何言う
訳か聖典に加えて了った
為、キリスト教はユダヤ教的形
式主義の悪に陥ったとワー
グナーは考えた様で有るが、
宗教と言う物は、其自体、
理性の弱い時代の統治シス
テム、神の権威で有無を言
わせず支配者に従わせる
権力機構で有り、其Dog
ma(教義)への盲従が教条
主義、形式主義で有った。




では、形式主義とは何か。




日本人は、パリサイ人にも劣
らぬ、世界でも指折りの
強度の形式主義体質の民
族で有る。例えば、茶道
一つを取って見ても、始
めから終り迄、徹頭徹尾、
形式主義の塊で有る。其
処では、古の作法に則り、
型通りのマニュアルを、淡々と
なぞる事に美が求められ
る。英国人がteaを飲む時、
淹れ方や、マナーは有っても、
其は、常識的、合理的な
範囲で有り、Chineseでさ
えあれ程事細かくは無い。




然して、茶道華道に限ら
ず、有らゆる芸事で、過
去に誰かが作った、必ず
しも理に適って居るとは
言い難い因襲、作法、仕
来りに疑義を差挟む事無
く、決められた事を、型
通り、粛々と進行する事
が何よりも重んじられる。
其は、全く非合理とは言
え無い迄も、非常に強い
情緒的要因に支配された、
未開的、権威主義的“儀式”
の範疇に属する物で有る。




ユダヤ人はCaucasoidで有
るから、此点、形式主義
は、Mongoloidだけに特
有の人種特性とは言えず、
程度の差こそ有れ、非ヨー
ロッパ風土、特にアジア、アフリカ、
オセアニア等の、未開地域に強
く残る物と考えられるが、
正統派ユダヤ教徒の徹底し
た形式主義は白人種の中
では頭抜けて異質で有り、
其処が、白人社会でユダヤ
人が、何処へ行っても嫌
われ者と成る要因と成る。




とまれ、“形式主義”とは、





 一度決めた規則を絶対
 的権威、教条とし、矛
 盾止揚に因る発展、進
 化を認め無い、又、其
 様な絶対的真理が存在
 すると信じる主義思想





と規定して可いで有ろう。




是に対して、数学の形式
主義は、単に『形式体系
は推論の無矛盾性を保証
するだけで、其は可能で
有る』とする立場で有っ
たが、分析哲学等が拠り
所にしようとした此立場
も、不完全性定理に依っ
て否定され、又、無矛盾
の形式体系も公理の上に
載って居る以上、絶対的
真理は、少なくとも、現
時点では存在して居無い。




詰り、数学の形式主義は、
推論の正しさは保証する
が、公理と、其処から導
かれる結論は知った事で
無いと言う事で有り、是
を「古典派形式は論理的」
とする絶対音楽主義者の
主張に重ね合せば、調性、
和声進行、ソナタ形式の正し
さは保証されるが、音楽
の真理は調和で有ると言
う古典派公理と、其処か
ら導き出される内容が正
しいか如何か?は保証外
と言う事に成って了って、
形式が整って居れば内容
は如何でも可いと言う事
に成る。其処が数学と音
楽の決定的違いで、形式
が整って居るだけで、思
想内容の無い音の羅列等、
縦、其処に何等かの構築
美が有ったとしても芸術
では無い。其が間違いだ
と言うなら、論理学、数
学、物理学の方が音楽等
より遥かに優れた芸術で
有り、今有る芸術等、全
て不要と言う結論に成る。




だから、其、形式主義が
段々と音楽芸術=思想表
現の邪魔に成って行った
ベートーベン等と違い、何の
疑いも無く形式美を追求
し、只ひたすら心地良い
音の羅列を築き上げただ
けの、モーツァルトの音楽等は、
芸術性の殆ど無い十八世
紀のポップスと言って可い。
数学でさえ絶対的真理で
無いのだから、音楽形式
に絶対的真理等存在する
訳も無く、抑、古典派形
式は論理ですら無いのだ。
然し乍ら、其モーツァルトの音
楽でさえ、ハンスリックが主張
した様に何物をも表現し
て無い訳では決して無い。




何故、此様な観念が人間
の思考に存在するかと言
うと、絶対的真理が有る
か無いか?有ったとして、
到達可能か?と言う、哲
学的課題は扨置き、取敢
えず何らかの権威をデッチ
上げ無い事には収拾が付
か無いと言う現実的要求
に因る。疑問、屁理屈を
封じ込める為、迷信に囚
われ易い愚かな民を権威
と教条で飼い馴らす一方
で真理の探究も為された。




先ず、手始めとして、ヨー
ロッパ人は、経験的に得ら
れて居る断片的知識を掻
集めて来て分類し、配列
すると言う事をした。其
過程を繰返す内に、分析
と総合、帰納と演繹、と
言う思考法を発見するに
至り、体系の概念を確立
し、更には、主観と客観
と言う認識論に迄、到達
するに至った。是に対し、




多神教多元論の非ヨーロッパ
世界では、経験的知識は
蓄積されても一元化と言
う発想が無かった為、分
析総合も無く、分類は情
緒的直感的で、知は体系
化され無かった。Hebrais
mの二元論も未開の多神
教多元論も、神話を脱し
た、一元論のHellenism文
明と違い、知の体系化が
起ら無かった為、其内的
必然性に因る動的(=弁証
法的)発展の無い、宗教教
条主義(ユダヤ教)や因襲権
威主義(日本文化)等の静
的な形式主義に膠着した。




いずれにしても、ウィーン古
典派の音楽語法で有るH
armonik、ソナタ構成やソナタ形
式等々は数学の論理=形
式論理、記号論理とは全
く関係無い経験則で有る。
古典派は、起承転結の二
部形式をソナタ形式、更に楽
章構成に拡大した物、横
線をミクロからマクロに至る同
じ形式の枠構造で区切る
事でバロック末期、際限無く
発展した複雑怪奇なPoly
phonieを節度と調和に引
き戻すムーブメントで有り、当
然、Polyphonieや無限旋
律は不可能だから、縦線
の立体感を出す為、必然
的にHomophonieと成り、
Harmonikが発達する事に
成る訳で有る。是は勿論、
バロックPolyphonieへのアンチ
テーゼと言うハッキリした表現
意図に基づく潮流で有っ
て、其を惹き起こした原
動力は、自由、平等、博
愛と人類の調和を謳うフラ
ンス革命と其支柱と成った
啓蒙思想と言う時代精神
で有って、絶対音楽至上
主義者、ハンスリックの言う様
な『音楽自体の内的必然
性に宿る論理的形式』等
では全く無い。何故なら
ば、此様な、旋律分断の
枠構造は音楽自体に内在
する物では無く、人間が
頭で考えて外から与えた
抽象的形式で有り、斯か
る疑似形式論理の出所が、
『知・情・意の理性に依る
支配』と言う啓蒙思想で
有る事は誰が見ても明ら
かだからで有る。然も此
理性はスピノザ、ヘーゲルのH
ellenism一元論の其と異
なり、デカルトのbon sens
(良識)やKantの実践理性
(道徳)と同じ、根拠を全
く欠いた、Hebraism=プ
ラトン的なユダヤ・キリスト教二元
論の、正確な日本語で言
えば、“意思”なので有る。




此様に、ハンスリックの主張し
た絶対音楽と言う観念は、
結局は、物事に、此世に、
或は此世の外に、絶対的
実体が存在するか?人は
其を認識し得るか?と言
う哲学上の論争に行き着
くのは必然の帰結で有り、




然して、此、哲学上の論
争は、取りも直さず、先
に述べた、古代ギリシア哲学
のプラトンとアリストテレスに端を
発する二元論対一元論と
言う、哲学、人類精神史
上最も根本的、本質的な
問題に帰着するので有る。




此様に考察すれば、「マイス
タージンガー」が、ワーグナーの思
想遍歴の縮図の様な作品
で有る事が判るで有ろう。




ヴァルターに出合う前のザック
スはan sich、ヴァルターはザッ
クス自身の中から涌き出た
矛盾=für sichで有り、ザッ
クスの説得を受入れる事に
依り、ヴァルターがマイスターと成
る事に因って、過去のザッ
クスはaufhebenされて、an
und für sichと成る。是は、




若き日、フォイエルバッハの使徒
として革命に投じたヘーゲ
ル左派から、ショーペンハウアーと
言うAntitheseを経てヘーゲ
ル右派に転じた、ワーグナーの
思想的変遷其物と言える。




とは言え、プラトンはユダヤ人
では無いし、宗教が教条
主義、形式主義で有るの
は何もユダヤ教に限った事
では無く、反形式主義教
条主義をキリスト教やドイツ精
神高揚に結び付けるのは、
矢張り巧妙な反ユダヤ主義
煽動と言わねば成るまい。




だが、其を反ユダヤ主義と
言うので有れば、洗礼者
ヨハネもイエズスも反ユダヤ主義
者と言う事に成って了う。
其処が、ワーグナーの、実に
巧妙狡猾な所と言えよう。




実際には、人類史上最も
徹底した形式主義勢力は
ユダヤ教で有り、最も徹底
した反形式主義、本質主
義勢力はドイツ哲学で有り、
Hebraism対Hellenismの
本質的対立構図は不変で、
だからこそ、第二次大戦
と言う世界史上最大の事
件に迄発展したので有る。




此対立は、ドイツの敗北に
因り、一応の決着を見て、
反ユダヤ主義は鳴りを潜め
たが、此処数年の激変に
因り、英米帝国主義は破
綻、大航海時代から五百
年続いた膨張主義、覇権
主義は終演して、世界を
善悪に二分して善の勝利
の為に世界の一極化を推
進したグローバリズム勢力は
多極化勢力に潰え去った。




ヘーゲル右派の哲学は、其永
続的普遍性を維持し続け
て居り、ワーグナー芸術の思
想も、愈、普遍的真価を
顕現しつつ有ると言える。




だからこそ、敵対勢力は、
何としても、ワーグナーとバ
イロイトを演出で破壊する事
に、躍起と成るので有る。




バイロイトが、デタラメ演出に依
って本格的に駄目に成っ
たのは、ハリー・クプファーから
後の事で有り、是は丁度、
ドイツの再統一、EUに依る
ドイツ封じ込め、多極化と
の熾烈な攻防期と重なる。




然し、マッキンダー(Sir Halfor
d John Mackinder 1861-
1947)の予言通り、Sea P
owerが、Land Powerに敗
れた現状に鑑みて、今後、
ヨーロッパは、アメリカの呪縛か
ら解放され、徐々に昔日
の輝きを取戻すで有ろう。




其迄の間、バイロイトは、汚
辱に耐え、兎も角、存続
する事が重要なので有る。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

†Thule-Gesellschaft† 更新情報

†Thule-Gesellschaft†のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング