ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

◆ ユニバーサルデザイン ◆コミュのユニバーサルデザインとは?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
自由にトピ立てていいということなので、、、。

「ユニバーサルデザイン(UD)」について、自分なりになんとなく分かっているような気がするのですが、あちこちで指摘されているようにUDの定義に曖昧さというものがあるような気がします。
それぞれのUDの見方があると思いますが、なるべく「UDとは何か?」という核心に近いところを共有できないかな、と思います。

その概念を共有することから、別のトピでも提案があったような分野別の議論など出来るのではないかな、というねらいです。

コメント(23)

>tama+さん

いきなり核心ですね。

「UDとは何か?」

確かに7大原則だけでは具体性に欠け、分かり辛いきがします。
しかし、やはり基本は7大原則にあると思います。

今のUDを分かり辛くしているのは、この7大原則を拡大解釈した商品が溢れているからではないでしょうか?(世に出ている商品に7大原則を照らし合わせ、どこに当てはまるか考えることで、UDを理解することも可能かと思います。)

 概念・・・と、一括りにするのは難しい気もしますが、
「思いやりのデザイン」という言葉が一番しっくりくるように
思います。

みなさん、いかがでしょう?
てか、ぶっちゃけみなさん、UDってなんだとおもってますか?
>fuliさん

UDの思想を取り入れたから多様性や個性を出せない・・・
と、言ってしまうのは、デザイナーの能力不足だと思います。

カタチを追うデザイナーにとっては、UDって越えがたいハードルなんでしょうね。

逆に、UDから導き出された魅力。これを視覚的に(触覚的に)見せる(魅せる)ことのできるデザイナーを目指したいと思っております。
さて、トピ立てた後、0.5さんお勧めの「UD教科書」を含め本やwebを読んだものはいいものの、ますます混乱してしまった自分が。
(「教科書」は実例中心でトライポッド社の手法解説が面白いです。UDの定義について特に詳しくないのが意外でした)

>0.5さん
具体的に書かれた7原則のその元になる、メイス氏の「定義」が重要だと思いますが、調べてみると初出は1974年なんですね(国連障害者生活環境専門家会議)。
意外と古いんだ、、。

「すべての人にとって、できる限り利用可能であるように、製品、建物、環境をデザインすることであり、デザイン変更や特別仕様のデザインが必要なものであってはならない」訳:古瀬敏氏ほか

"Universal design is the design of products to be usable by all people, to the greatest extent possible, without the need for adaptation or specialized design".

http://www.design.ncsu.edu/cud/univ_design/ud.htm
>fluiさん
>先ず誰もが使える状態を考えようとするもので、多様性や個
>性の前段

確かに使えないと意味ないですよね、。

アドバルーン的にあえて特色を出さないとUDをPRできない側面が産業界にはあるのかな、という気がします。

2001年5月の経済産業省の「ユニバーサルデザイン懇談会」で設計・評価の配慮事項に、
「知覚特性」「認知特性」「体型・動作特性」「体型・動作特性」「安全性」の他、「楽しさ等」が入ってるようです。
(「ユニバーサルデザイン」日本工業出版より)

いろんな実例をみても、「あえて」特色を出すようにしている感も。

UDの概念自体が認知されないことには始まらないので、必要以上に個性を出すことになって肝心の機能がイマイチという状態にはならないで欲しいです。

※「楽しさ」の例
(↓有名なペンギン型ボールペン。かわいい)
http://tripoddesign.com/jp/gallery/o-handy_birdy.html
はじめまして!
UDについては卒論で取り上げたのですが、正直「これがUD」という定義にはとうとうたどり着けませんでした。
ただ、一ついえるのが、皆さんもおっしゃっているように対象を広く考えるということです。
そして、僕はUDには狭義のUDと広義のUDがあると考えます。
狭義のUDはその一つのもの(製品)が多くの人を対象としているというものです。
一般的に言われているのがこのタイプだと思います。
要は使いやすい(松下じゃないですが)ものです。
一方広義のUDは多選択な状況を作り、結果として多くの人を対象とするものです。
これは服のサイズのように、バリエーションを作ったり、オプションできるといったものです。

これの弊害は多くありますが、それはまた今度ということで。
とりあえず、UDの大まかな分類です。
細かい部分(楽しさや価格など)に関してはジャンル等によっても違うので触れません。

そして、ポイントとして‘あえて’消費者利益を挙げたいと思います。
こんにちは。かずこです。
tama+ さんが引用されていた「ユニバーサルデザイン」(日本工業出版さん)の改訂版が今年の春頃出ます〜(うちの会社が書籍の製作に噛んでおりまして^^)先月までワタワタこさえておりました〜)
具体的な事例がたくさんあげられていて、面白かったです〜

そして、あたしもUDとは「思いやりのデザイン」であってほしいです。
メーカー各社は独自にUDを定義しているようで、まとめようと思ってましたが、大変なので保留にします(^^;

メイス氏による定義に触れてないのも多いですね。UDの概念が普及してきていて、共有されているという前提があるのでしょうか。

>なおとさん、かずこさん
狭義・広義、いろんな切り口。
一つの望ましい姿、として、なおとさんのおっしゃる「消費者利益」「思いやりのデザイン」というものも、あるのでしょうね。

おお、本、出ますか。改訂を重ねて、よい本だな、と思ってましたがまた買おうか、、、。
>なおとさん
広義/狭義のUDについて、ちょっと絵を描いてみました。このようなことでしょうか?

「多選択な状況」の表現は、むしろ、この絵の服より、
別トピの羽田空港の歩道(速度差のある複数の動く歩道+幅広の歩道+その他)の方が適当だったかな、、。
はじめまして。なかなか深い議論で良いですね。
UDが単なるセールストークや流行語になってしまわないよう、
基本を見つめることはとっても大切ですよね。
UD=思いやりのデザインっていい言葉ですね。賛成!

>0.5さん
>UDから導き出された魅力。これを視覚的に(触覚的に)見せる(魅せる)ことのできるデザイナーを目指したいと思っております。

その通りですね。初期はUD=福祉みたいなイメージが受けてたんですが、最近の流れとしては、「わざわざUDをうたわなくてもちゃんと使いやすい」とか、「さりげないUD」という風に変わってきています。
今日ユニバーサルデザイン協議会という団体の成果報告会に参加してきたんですが、その中で日産のデザイナーさんが、「UDカーがスポーツカーの形をしているのが理想だ」とおっしゃってました。
誰だって見るからに年寄り向けとか障害者っぽいものなんて使いたくないんですよね。

>tama+さん
各社が独自にUDを定義しているのには理由があります。
まずひとつはメイスの7大原則はアメリカの事情をもとにして作られているため、そっくり日本に当てはまらない部分がある。
そしてもうひとつは、「すべての人に使いやすい」は理想ではあるがハードルが高すぎるため、理想に近づくための前段階として、「出来るだけ多くの人に使いやすい」という理念を各社の事情に合わせて独自に定義しているというわけです。
なんだかんだ言っても企業も儲かる見込みが無いと取り組みませんからね。現場の人たちの信念と、経営側の理解度の温度差に苦しんでる人も多いんですよ。
>405さん
>日産のデザイナーさんが、「UDカーがスポーツカーの形をしているのが理想だ」とおっしゃってました。

本来この認識が正しいんだと僕は思います。
そもそも福祉というのは特定の対象に向かってなされます。
それに対してUDは対象が「なるべく多く(全てというのは無理があるので)」ですので、イコールににはなりえないんですよね。
それに、対象に高齢の方や障碍を持つ人が‘含まれる’ということであって、彼らを中心としたものであるというわけではありませんし。(もちろん、何らかの形でアプローチできるという最低限度の部分はありますが)
よく、「UDと呼ばれなくなって初めて達成される」という表現をされる方がいらっしゃいますが、ある意味正解であり、不正解でもあると僕は思います。
僕が以前書いた狭義のUDは言われなくなるべきですが、広義のUDは残るべきだと考えています。
「全てが一緒」になることはありえません。
これは当然のことで、「健常者」と一般的に呼ばれる人々でも差異があります。
この「差異がある」ということを前提に考えていく必要があると思います。
ですから、バリアフリーというものも残ると思います。
ですが、バリアフリーというものがあるということが「自然である」という点においてはUDといえるかもしれません。

各社がUDを独自に定義することは供給側からすればたいした問題ではないかもしれませんが、消費する側からすれば大問題です。
つまり、消費の際に「選択」できなくなってしまいます。
特に、UDによって最も利益を受けるのはそういった‘判断能力’が比較的高くない人たちです。
そう考えると早急な対応が必要だと思います。

あと、ADA法的なことも必要かと僕自身は思います。

>tama+さん
わざわざ図にしていただいてありがとうございます。
多選択の方は羽田空港の方がいいですね。
申し訳ありません、言葉足らずで。
服の例ですと同一商品でなければならない(全ての商品が多くのサイズやニーズに対応しなくてはならない)という部分に向かってしまう恐れがありますからね。
選択できる、つまり取って代るものがある状態ですから、なにも全く同じである必要はありませんから。
あと、オプションですね。
自動車の例を考えると一番分かりやすいかと思います。
ただ、現状だと「福祉車両」と呼ばれる分野のオプションは、なかなか一般ショールームのパンフには載ってないんですよね。。。

どうしてもここに書くとなるとなかなか細かい部分は伝わりにくいですね。
いつかお会いできるといいですよね。
>405さん
協議会という、企業を横断した組織があることは、(狭義の?)UD実現に向けて心強いですね。

企業内でもなるほど温度差というものが。

スポーツカーは「格好の良いもの」「良いデザイン」の例えだと思いますが、その意味では共感します。

ところで
■厳密なUD: メイスUDの定義>7原則
■ゆるやかなUD: 一般に広まっているUDの概念(あいまいさ含む)>7原則や独自の原則・ガイドライン

とした場合、
後者の「ゆるやかなUD」がUDの定義部分にぽっかりと空洞があるように感じてるのです。いい悪いの話ではないのですが。

各企業は、UDの定義をそれぞれの企業理念にフィットさせる必要もありますので、独自に定義することになるのは自然ということでもあるのでしょうか。

7大原則も川崎和男氏が日本向けに再定義したりしてるようですね。

先の話題でも、「服」「空港の通路」と、幅広い設計対象を持っているUD。分野別に原則があったりしてもいいのかも。
>なおとさん
描いてみてよかった^^;少々誤解してました。
選択可能な状態の「羽田空港の通路」ですね、了解しました。>また描いてみます。

これをそのまま「服」に置き換えると、(半分冗談ですが)
「いくつか大きさの異なる穴の開いたTシャツ」
・首の太い人は大きい穴から頭を出す
・首が細い人は小さな穴から頭を出す
・服サイズは「大は小を兼ねる」から大き目、紐で調整
という1サイズでどうにかなるものが出来そうです。


各社が独自にUDを定義すると大変、の件、
まったく異なったことを言っているわけではなさそうで、UDの大枠については、利用者側にコンセンサスが得られている状態であると思います。

理想的な「選択可能な状態」を作り出すには、企業・利用者とも、考えを「共有」し「理解」している状態が望ましいかも。ううむ課題。

確かに文字のコミュニケーションも難しいですね。簡単な絵(図表)も積極的に使おうかな。

コミュの成り行きをみていただいて0.5さんにOFF会でも
企画してもらいたいですね。
※自分は遠方なので多分行けない、、、
>tama+さん
限られた中で、自分の考えを上手く伝えるのって難しいです。
それができて初めて、「伝える」ということなんでしょうけど。
僕の理解の低さと表現力のなさではまだまだ…

>tama+さん、お〜ばさん
フリーサイズ化だけだとなかなか難しいと思います。
服を着るという一面においてはそれでもいいかもしれませんが、ファッションという側面ではフリーサイズになりえないものも多いともいます。
例えば、タイトに着たいと思えばフリーサイズでは対応し切れませんし。
確かに、供給側のコストとしてはフリーサイズの方が好ましいと思いますが、結果としてそれが商品として成り立つかどうか・・・
そう考えると多選択の状況を保障する形のほうがリアリティがあるようにも思えるんですが・・・
「着られる」というのと、「着たい」は違いますからね。
難しいです。

イッセーさんはいろいろやられてますよね。
一昨年ぐらいに、確か青山で展示会をなさっていたので見に行きました。
ああいったデザイン界からの提案がどんどん出るようになれば面白いですよね!

「その商品自体に魅力があって使えるもの」これが今UD商品といわれているものの目標だと思います。
>お〜ばさん
プリーツ・プリーズは99年当時、海外からの情報で知ったのですが、国内ID界でも話題になったようです。
面白さだけではなく、縫製のプロセス(筒状に編む様に織るんでしたっけ)から、形態を追求している。

http://www.pleatsplease.com/

芸術表現を前面に出すサイトのアクセシビリティ確保が難しいように、
趣味・嗜好の商品はUDの対象になりにくそうだなと、イッセイ・ミヤケのサイトから上記リンク探す時に思いました(見つけにくい)。

「UDな服」というとき、もっと基盤になる「生存性」に関わる、あるいは近いレベルでないと「UD」の意義というかメリットは低いかもしれません。
環境から身体を保護するようなもので、防寒具、対UV関係、防疫服、、、、、権利保障。

>なおとさん
上の話から続くのですが、

結果的に、ADA法、消費者利益、という話に結びついてしまいまいした。

そして「着れる/必要不可欠なもの」と「着たい/趣味嗜好」のギャップがひとつの課題として見えてきたように思えます。

※イッセーというと尾形を連想(^^;
>flui =! slpnさん

UDとは「プロダクト側でユーザを選択しないこと」

これって名言の予感が。

「ユーザー中心設計(UCD)」と対極になりそうで面白そうですが、「設計・開発側」ではなくて「プロダクト側」というところがミソでしょうか。

「ユーザーはプロダクトを選択できる」と両立できます。
と、いうことで普段から思っている疑問点について。

1.UDという言葉自体が本当にUDなのか?
(たしかに認知度は上がってきているものの、やはりUDって何?という人は少なからずいると思う)
2.企業は少しでもUDに配慮したらUDと記してよいのか?
(ある企業ではPPPで評価し、一定の基準を満たしたらUD製品と言っているようだが・・・「できるだけ多くの人」、とはあいまいすぎます。)
3.UDと記すことが、本当に消費者の購買意欲につながるのか?
(某メーカーのように、単に「みんな使いやすい」のほうがイメージ良いのでは?)

ほかにも様々な疑問がありますが、皆さんの意見を聞きたいです。
あるセミナーに参加していた身障者の方が
「ものを開ける力が弱いので、キャップの硬いペットボトルの飲料は飲めない。障害をもつ人の間では、飲みたいものではなくて『開けられる』製品を探して買っている」
という話をされていました。

ヨーイチさんの言われているように「みんなが使いやすい」ものを作っていくことで
少しでも多くの人が、「使える・使えない」ではなく
自分が食べたいものとか、欲しいものを買えるように出来ればいいな、と思っています。

ただ「みんなが使いやすい」の「みんな」と「使いやすい」の定義が難しいんですよね、きっと。
個別に対応できるのが一番なのだと思うのですが
企業活動をしているとどうしてもある程度の量を見込まなければいけませんし
利益度外視というわけにもいかないし。
それに「つかいやすい」も、誰(年齢や傷害の有無とか性別とか)がどう使いやすいと判断するのかで変わってしまいますし。
その指標がバラバラだから企業の独りよがりみたいになってしまうのでしょうか。
PPPが主流となって広く認知されたらまた違ってくるでしょうけど。

重たいものなら軽くするとか、開封しやすいとか誰にとっても不可欠な要素を探して見つけて解決できるのが一番のUDなのかな。
>あさりんさん
ありがとうございます。
やはりUDは、「思いやりのデザイン」ですよね!

ですが、今研究で壁に当たってるんです。。。
ユーザビリティに関しては、ある程度定量化はできると思うんです。
サンプルをいくつか取ってNEM等で分析したり、テストセンターで観察したり、などなど。
しかし、人の思いやりって定量化できるんでしょうか?

最近、入り口にスロープをつけることも大事だけど、困ってる人がいたら気軽に助けてくれる人がたくさんいる環境のほうが、地域社会的に見れば豊かに見えるんです。
でも、それは時間軸で見ると可変的なものであり、それを測定するというのは・・・

実は、研究の方向性が変わってきています。
最初、「UDは売れる」って方向で進めてきたのですが、調査するうちに、「UDは地域社会を活性化するための一要因」ではないかと考えています。

話は変わりますが、UDの取り組み度合いを第3者が評価する制度ってないですよね?(単なる勉強不足かもしれませんが・・・)
この企業はどれだけUDの取り組みをしているっていう客観的に分かりやすい指標とかあれば面白いと思いませんか??
例えばSRIのように、UDに対する企業の取り組み度合いに
よって投資銘柄を選ぶみたいな・・・
コレ、修士論文のテーマみたいなもんなんですけど、コメントお願いします!!
>ヨーイチさん

確かに、UDはハードとソフトの両面のアプローチがあると考えます。ハードのバリアを完全になくすのは不可能です。そんな社会を目指して、より良きものをと改善していくのがUDの理念だからです。

例えば商品開発のUDで最も重要なことは、エンドユーザーの要望をしっかり把握し、求められている商品を作ることこそがUDのものづくりだと思うのです。そうなると、UDの評価システムに必要なのは、最終製品がUDであるか、ないかということよりも、開発過程でUDのプロセスをクリアしているかということだと考えます。UDは時代の要請とともに、常に進化していかなければUDではありえません。もっと言えば、進化を止めてしまった時点でUDではなくなってしまうのです。

UDは現代の日本にとても求められている理念だと思ったりします。それは、宗教教育がされていないーあるいは、公的には出来ない事になっているー日本人に他の人を思いやるとか困っているときにはお互い様だから助け合おうといった視点を具体例を示して、訴える、心に響かせることができるからです。

私は、小・中・高校でUDについて講演しましたが、子供達から「困っている人を見たら、声をかけたいし、自分が困ったら、周りの人に聞いて助けてもらいたいです」という感想を多く聞きました。誰もが、助けたり、助けられたり、企業や役所はそんな市民をサポートするようなモノ作り、施設作りをしてほしいと思っています。

ログインすると、残り3件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

◆ ユニバーサルデザイン ◆ 更新情報

◆ ユニバーサルデザイン ◆のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング