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Pの『THE つだん部屋』コミュの【710】ホテルにて

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【コピペ】



私は霊感体質だった。
子供の頃から普通の人には見えぬらしいものが見えた。例えば学校の通り道にある川でいつも何かを探していたおじさん。友達に、あの人毎日何を探しているんだろうと訪ねたところ、変な顔をされた。
学校の教室の黒板に消されずに残っているアタカという文字。それも同級生には見えなかったし、意味もわからなかった。
扉の下の隙間から隣の家に入ってゆく青い平ぺったいものや、夕暮れの空からきらきらと降りかかる真っ白な羽根。
様々な不可思議な光景を、私は誰とも共有できずに、ここにまで来た。
夫も、勿論私がそういうものが見えるということを知らない。

私はこれまで余りに長くひとりでありすぎた。眺められる不可思議なものが何であるのか、それを語り合う相手も、口にする勇気もないままにここまで来てしまった。夫は心霊番組を見るのが好きだ。安っぽい除霊を見てしきりに感心したり、夏場には怪談話をわざわざ聞きに行ったりしている。そんな夫でも、私の話を信じてくれるかどうか、わからなかった。私はひっそりと、自分の要らぬ感覚とそれがもたらす説明しがたい記憶とを、墓地にまでもってゆく心積もりで毎日を過ごしていた。
夏休み。
子供のない夫婦の気楽さで旅行に出かけた。夫のはからいで私は贅沢なことにホテル内のエステでリラックスした時間を過ごすことができた。夫は本など読んで過ごしていた。夜になって、一度愛を交わした後、夫は眠ってしまった。私も眠りたかったのだが、ケーブルテレビが入っているホテルだったので、色々なテレビ番組を楽しんで少しばかり夜更かしをしていた。
夜のホテルはどこか恐ろしい。馴れた家なら突然音がしてもそれがどこから来るものか見当をつけることができる。だがホテルは違う。窓以外の五方を人の気配に囲まれて、一体どこから音が響いてくるのか、これは果たして隣室の音なのか、扉の向こうに誰かがいるということなのか、この話し声はどこからするのか、まったく見当の付けようがない。それでなくともホテルは多くの客が行過ぎてゆく人気の吹き溜まりのような場所だ。自分のいるこのホテルの一室が、奇妙な気配を満たした緩い液体の中にたった一つ浮かぶ泡か何かのように、私は違和感を覚えていた。
そんな中、私はよりによって、ホテルを舞台にしたホラー映画を見ていた。
そういうものを見ると、急に自分の居場所から見えるあらゆる開口部が気になりだすものだ。途中まで開いた扉、わずかばかりの隙間を残して閉められた窓辺のカーテン。ああ、あのカーテンなんだか気になるわ。私は思いのほか静かに眠りにつく夫の顔を遠くから見ながら、こんな風に場にふさわしくない映画を見て怯えている自分を滑稽に思っていた。
ことり。
斜め前から音が聞こえた。そこには出した覚えのないボールペンとメモ帳が出ていた。メモ帳には何も書かれていない。だが確かに音はそこから聞こえた。私は気になってメモ帳を捲った。一枚、二枚、三枚。四枚目に、端正な筆跡の走り書きがあった。
(見える方へ
あなたに探していただきたいものがあるのです
それは私の娘です
私と娘とはこのホテルのこの部屋に泊まりました
部屋に忘れ物をして取りに帰る途中、事故に会いました
私は娘と一緒にあの世に行くつもりだったのですが
娘はどうも忘れ物を取りに一人でこの部屋に戻ったようなのです
私は娘を愛していました 娘と一緒でなくてはとてもあの世にゆくことができません
どうかどうか私の愛しい娘を探してください)
私は驚いてあたりを見回した。窓の外に一人の男が立っている。眼鏡をかけて背広着た、少し陰鬱な印象のある男だ。足元や、頭や、肩や、全ての輪郭が宵闇に滲んでいるような男だ。彼は私を拝むようにする。私は頷いた。どうしてだろう。この役に立ったためしのない、人と共有することもできない、余計物としか思われない力が、もしや人のためになるのならと思ったためだ。私は立ち上がり、娘の居場所を探し始めた。
そのとき。
もう一度ペンが動いた。
私は驚いてそちらを見た。ペンは、まるで見えない誰かが操っているように、勝手に動いている。私はその文字を見た。
(私、お父さんがきらいなの
どうか探さないで)
可愛らしい文字。それを読み取ってから男の方を見た。彼は変わらず拝むようにしている。私は頷くと、何か一筋縄では行かない気配を覚えて、静かに、部屋を探し始めた。ベッドの下、ソファの裏、引き出しの中、金庫の中。客室を探し終えて、私は今度は玄関の方を探し始めた。引き戸になっている洋服かけの中を探したとき。
私は、ショートカットの少女が、隅っこで震えているのを見つけた。
「あなたね」
私は声をかけた。途端に、どん、どん、どん、という音が窓から聞こえてくる。私はそちらを見た。男が、狂ったような顔で、窓ガラスを叩いている。血の涙を流している。口は歪んで、裂けているように見えた。そのただならぬ様子に焦りながら私は少女に尋ねた。
「あなた、どうしてお父さんが嫌いなの」
彼女はしきりに何かをいいかける。だが私にはわからない。彼女の意思が。見えるだけで、聞こえないのだ。仕方なく私は慌ててペンとメモを取りに戻り、彼女に差し出した。彼女は必死に書き付けた。
(お父さんは、私に悪戯をするの
この旅行も、そのためだったの
私死んでもいいと思って、運転中にお父さんのハンドルを邪魔したの
事故に遭って、私たち死んだのだけれど、それでもお父さん私を離そうとしなかった
それで私ここに逃げてきたの
お願い、私を渡さないで)

私はその子を守りたいと思った。どうすればいいの、と尋ねる。わからない、と少女は書く。わからないけれど、お父さんはここには入れないの。お願い、私をそうっとしておいて。私を見ないで。あなたが見れば、お父さんにも私の居場所がわかってしまう。
そのとき再びペンが動いた。
(そこにいたのか梓
さぁおいで
お父さんはもう何もしやしない
ただお父さんはお前と一緒にいたいだけなんだ
さぁおいで
お父さんはお前のことを、世界で一番愛しているよ)
少女と二人、恐れながら見ている紙面に、ぽつり、と血のようなものが浮き上がった。それはみるみるうちに広がり、奥行きを持つと、指の形をとった。手が、出てきたのだ。その手はまっすぐに梓という少女の方に向かった。
何か。
何でもいい、何か、彼女を救うことのできるものはないか。私には見えるだけなのか。聞くことも、触れることも、守ることもできないのか。そんなのは、いやだ。
私は自分の財布に小さなマリア像を持っていることを思い出した。私には今これしかない!
鞄から財布を引っ張り出し、マリア像を握ると、男の手に突きいれ、私は言った。
「どうか、お守りください!この邪悪な魂をどこかにやって下さい!」
精一杯の祈り。手は揺らぎ、消えた。窓の外で男が叫び、風に吹かれた煙のように失せた。少女は涙をためた目で私を見上げ、微笑んだ。そして静かにマリア像に手を伸ばした。私はマリア像を手渡した。少女はマリア像を大事そうに胸に抱き…、そして少女はいなくなった。

ホテルというのはほんとうに色々なことがあるものだわ、私は思った。

次の日、ルームサービスの朝食をとりながら、私は初めて夫に自分の余分な力のことを話した。あるはずのないものが見えるということを。見えるだけだということを。これまでは余り役に立たなかったけれども、昨日初めて一人の少女の魂を助けるのに役に立ったということを。夫は初めて聞く話に驚いていた。そうして全てを聞き終わった後に、静かに、探るように、こういうのだ。
「…それじゃあ、…そこにいる何かが、もしかしてその梓ちゃんの父親なのかな?」
私はそちらを向いた。

まるで、一塊の闇のような。

明るい朝の日差しの中、目だけが赤く光るヒトガタの黒いモノが、ガラスに取り付くようにしてこちらをのぞきこんでいた。

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