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イーグルスファンコミュの楽天滝中瞭太 普通の野球少年だった/プロに聞く

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野球楽天こどもの日企画 銀次ら球団公式ラジオでトーク 野球

https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/00002881.html

楽天は2日、「こどもの日企画」として5日に立花陽三球団社長、
石井一久GM  銀次内野手 鈴木大地内野手が
球団公式ラジオ「Rakuten.FM」、スマートフォンアプリ
「At Eagles」にリモート出演すると発表した。
立花球団社長、石井GMが出演する第1部(午後4時〜4時30分)のテーマトークは
「自宅での過ごし方」「新戦力について」「子どもの頃の思い出」。
銀次、鈴木大が出演する第2部(午後4時35分〜5時)は
「今年は俺のここを見てくれ」「子どもの頃の思い出」をテーマにトークする。


野球辛島「今できることを」活動休止中の過ごし方 野球

辛島航投手は「できること」に徹する。1日、球団を通じて近況を報告。
「これといって特別なことはしていない。今の環境でできることをやっています」と
活動休止中の過ごし方を明かした。
シーズン中よりもボールを触る時間が減ることを懸念するが
「仕方ないこと。見通しがついたらそこに向けて準備するだけ」。
昨季チームトップ9勝の左腕は、心身をフラットに保っている。


野球石井一久GM「練習するよりも休む勇気は大切」野球

石井一久GMが2日、オンライン会議システム「Zoom」を通じて取材に応じた。
チームは3月30日から活動を休止。
球団施設は全て閉鎖され、12球団で唯一自主練習を再開していない。
石井GMは「チームの方針に沿ってやってるが、僕も選手をやっていたので
気持ちとして、自主トレができない不安はすごくあるのかなと思う」としつつ
「国民として1つレベル高くリスクを抑えて取り組んでいるイーグルスの選手には
すごく感謝していますし、納得してくれていることに尊敬しています」と
思いを示した。
活動再開のめどについては「選手、スタッフは大事な仲間。野球をやる、
やらないの前に、リスクがかかるようなことが優先順位の中で上なのかなとは思う。
リスクがなければ開幕日が早くなって、ファンの方に見ていただける日が
早くなるかもしれない。安全性を確保して、開幕日が決まったところから逆算し
ていかないといけない」と話した。
活動休止が続く中で、他球団との差が出ることへの懸念については
「僕は球界全体を話すえらそうな立場ではない」と前置きし
「何か1つ共有できるもの、対策。練習でもそうですし、休むこともそう。
練習するよりも休む勇気は大切で、選手にとっては本当に大変な思いをしている。
練習環境だったりが共有できたらと思う」と考えを示した。





野球楽天滝中瞭太 普通の野球少年だった/プロに聞く 野球

各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。
今回は楽天ドラフト6位ルーキーの滝中瞭太投手に聞いた。
幼少期はエリートではなく、いわゆる「普通」の野球少年。
身体能力がずばぬけていなくとも、誰だってプロ野球選手になれる可能性はある。
オープン戦で4試合に登板し無失点とアピールした成り上がり右腕の少年時代に迫った。
(※この取材は3月に行いました)
夢は消防士だった。小学校の卒業文集。滝中少年は「将来の夢」の欄に
「プロ野球選手」と書いたが「中学校の卒業文集では書いてないと思います。
まさかプロ野球選手になれるとは思ってなかったので。
ぼんやりですが、地元で消防士になろうかなって思ってました」。
楽天のユニホームに袖を通した25歳は、笑顔で幼少期を振り返った。
1994年12月20日、琵琶湖の西部、滋賀県高島郡(現高島市)で、父茂樹さん、
母明美さんの間に生まれた。
幼稚園時代から4歳上の兄駿介さん、2歳上の姉美緒さんが所属する野球チーム
「新旭スポーツ少年団」でお茶当番に出向く母に連れられ、白球とたわむれていた。
「兄、姉の同級生からかわいがってもらいました。試合中に騒いで『うるさい!』と
母によく叱られてました(笑い)」。入団基準となる小学3年時にチームへ加入した。
運動神経には少し自信があった。
小学校低学年まで運動会の50メートル競走ではいつも1位。
リレーはもちろんアンカーだった。だが、野球チームに入り、
周囲との差を目の当たりにした。「エースの子がすごくて『絶対勝てない』
『こういう人がプロ野球選手になるんだな』と思いました。まさに挫折、ですね」。
1学年14人のチームで主に三塁や一塁を守った。「ぎりぎり試合に出られるレベル。
とにかく守備で下手でしたね」。小学4年からはリレーの選手にも選ばれなくなった。
「運動神経がいいと思ってたんですが…。全然でしたね(笑い)」。
小学生ながら将来の夢に向かって、壁に当たった。
ただ、根っからの負けず嫌いだったのかもしれない。寝坊や練習に行きたくないという
そぶりを見せれば母から「やめてもええで」と何度も言われた。
「『当たり強いな』と思いながら『このままやめるのは嫌だな』とは思ってました」。
授業を終えて帰宅するとすぐにランドセルを置き、JR湖西線の高架下へ走った。
日が暮れるまで友だちとともに壁にボールを当て合って遊んだ。
野球は楽しかった。小学5年の時、学年別チームで5年生の監督を務めた
岡田義弘コーチの存在が大きい。
「僕たちと同じ目線でとにかくはしゃいでくれるんです」。
試合中、打順が回り打席でベンチを見ると、岡田コーチがコマネチをしていた。
「ホームランのサインがコマネチなんです。『簡単に打てるか!』って
笑いがこらえられなかったです(笑い)」。自身は球を受けてもらったことはないが、
ブルペンからは「ナイスボール!」といつも岡田コーチの大声が響いていた記憶が残る。
「僕のことを本当に信頼してくれました。
下手くそだと分かっていても愛情を持って接してくれました」と感謝は尽きない。
同学年のエースとともに湖西中の野球部に入部。
三塁手兼投手で、紅白戦では3番手投手だった。
「最速は100キロで70キロくらいのカーブを投げてました。
ストライクが入ることくらいしか、いいところはなかったです」。
同学年の部員は10人だが、スタメン入りぎりぎりの立ち位置だった。
人生は何があるか分からない。
「普通」の野球少年は高島高、龍谷大、ホンダ鈴鹿と進み、多くの人に出会った。
鍛錬を積み、1度の指名漏れを経てプロの舞台にたどり着いた。
「僕はエリートでは全くないです。でもここまで来られたのは、
周りの方々のおかげだと思います。
今、野球をやっている子どもたちには、周りの人への感謝の気持ちを持って
頑張って、と言いたいです」。苦境にも負けず、信じた道を歩む。

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