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イーグルスファンコミュの岸が開幕投手…大震災から8年被災地球団の思い&震災から8年。仙台で被災した辛島は「死ぬまで忘れることはない」

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野球島内、快音次々 外野の定位置渡さぬ野球

島内がオープン戦で快音を響かせている。4試合で打率は脅威の7割2分7厘。

8年目のシーズンに向け「春先から打てるようにしっかり準備し、1年を通して結果を出していきたい」と

意気込む。

マスカットスタジアムであった8日の阪神戦、9日の西武戦はいずれも「1番・左翼」で出場した。

昨季は主に3番を務めたが、右足首を捻挫した田中に代わってリードオフマンに起用された。

2試合連続で一回の先頭打者として安打を放ち、1番打者の役割を全うした。

平石監督は「積極的に振っていけるし、選球眼もいい。足もあり選択肢の一つになった」と語る。

好機に強いのも魅力だ。昨季は103試合に出場し得点圏打率3割1分。

オープン戦も既に3打点を挙げており、クリーンアップも十分担える。

昨年4月中旬に右脇腹を痛めて1カ月半ほど1軍を離れたこともあり、

けがには細心の注意を払っている。

その一方で「けがを怖がる必要はない。思い切りプレーする」と力を込める。

29歳にそう思わせるのは、ドラフト1位の辰己や4年目のオコエら若手外野手の台頭だ。

結果が出てもタイミングの取り方を試行錯誤するなど、理想のスイングの追求を怠らない。

「打率3割を超えるくらい打ってレギュラーに定着したい」。

得意の打撃でライバルを引き離し、外野の定位置は渡さない。



野球岸が開幕投手…大震災から8年被災地球団の思い野球


発表のタイミングに被災地球団の切なる思いを込めた。

岸が西武時代の14年以来5年ぶり3度目、移籍後初の開幕投手を務める。

東日本大震災から8年となる11日の前日に仙台出身の右腕へ大役を託すことを表明した

平石監督は「我々は球団としても、個人としても、それぞれがそういう日(3・11)を大事にしたいという

思いもあります」と真意を明かした。

本人への通達は台湾遠征から帰国する2日の空港で行われた。

エース則本昂が11日に右肘のクリーニング手術を受けることが決まっている。

「(開幕投手は)ノリ(則本昂)だと思っていた」という岸も「東北を盛り上げられるようにベストを尽くす。

平石監督にとって初の公式戦。何とかしてウイニングボールを渡せたら」と静かに闘志を燃やした。

17年にも指名を受けたが、インフルエンザを発症して登板はかなわなかった。

「そういうことがないように。平石監督のために、開幕戦だけじゃなく、1年頑張る」と続けた。

「タカ(岸)はタカらしくやってくれれば十分。いつも冷静に投げている姿を想像されると思うんですけど、

内に秘めた闘志、気持ちはものすごく強い。いろんな意味で、あいつのことを一番信頼しています」。

平石監督のシンプルな要望から絶対の信頼がにじむ。

東北へ祈りを捧げる日を前に発信したメッセージ。

チームは心を1つに、29日のロッテ戦(ZOZOマリン)へ向かう。


野球震災から8年。仙台で被災した辛島は「死ぬまで忘れることはない」野球

ちょうど8年前。1軍は遠征先の兵庫・明石にいた。震災は、ロッテとのオープン戦中に起こり、

試合は中止となった。ただリハビリ組の選手は、仙台に残って治療を受けていた。

左腕・辛島も、仙台で被災した1人だ。

「球場でアイシングしているところでした。ちょっとビックリした。怖かったし。情報が何もなかった。

携帯はつながらない。テレビも見られなかった。そこまで被害が及んでいるのも、

僕たちは気づいていなかった」と当時を振り返る。

8年前は、未来を想像できなかった。今を生きることで必死だった。

夜に、仙台市泉区の泉犬鷲寮に戻ると、停電で真っ暗。食事もできなかったという。

「あの日は8年後を想像できなかった。野球ができるのかとか、そういうことを考えられない

状況だった」。

チームは13年、リーグ優勝と日本一に輝き、被災地に勇気と感動を届けた。

野球で東北を盛り上げたいという思いは、11年からずっと変わっていない。

「今、普通に生活できている人もいるでしょうけど、できない人たちもいる。

僕は仙台にいたので、死ぬまで(震災を)忘れることはない。そういうのをしっかり胸に刻んで、

やっていきたいと思います。自分は野球しかない。野球で結果を出すしかない」と言葉に力を込めた。



野球由規、仙台の地でなんとしても投げたい…震災から8年「3・11」へ思い語った野球


仙台を、東北を、東日本を襲った大災害から8年。入団4年目の21歳だった由規は29歳となった。

その間、数々の故障と戦い、今季からはチームも変わった。

8年という月日の長さをどう感じているのだろうか。

「今年で30歳になることを考えると『そんなにたったのか』とも思いますが、『8年も前の出来事』という

感覚はないですね。僕にとって、あの『3・11』の記憶が薄れるということはないです」

ヤクルト時代、12、15、18年と3度もオープン戦に登板するなど「3・11」は人一倍、大事にしてきた。

「僕がけがをしたのも、あの2011年だった。そういう意味で、何とか投げている姿を地元の人に

見せたいという思いでずっとやってきました。『3・11』というのは特別な日なんです」

11年9月に発症した右肩痛に始まり、度重なる故障で育成選手への降格も経験。

16年7月に1軍のマウンドに立つまで約5年を要した。長く、苦しいリハビリ生活を送る上で、

故郷への思いは心の支えになっていたという。

「震災のこともそうですし、地元で僕のことを応援してくれる人がたくさんいることは感じてました。

仙台で投げる時には、僕が地元出身だということを分かった上で(対戦相手にもかかわらず)

たくさん声援をもらってましたから。そんな中、16年に復帰して、やっといろんな人にパフォーマンス

を見せられるなと思ってた時に去年、またけがをしてしまって…」

右肩を痛みが襲い、11年間在籍したヤクルトを戦力外に。今季から育成選手として楽天に移籍した。

高校以来となる仙台での生活が始まると、被災地と身近に接することで新たな発見もあった。

「復興に向かって、周りのみなさんに盛り上げてもらう―というのではなく、実際に被害に遭った

仙台であったり東北が一体となって盛り上げていこうという形がすごく見えるんです。

実際、僕も楽天に入ってきたので、一緒に盛り上げたいという気持ちは強くなりましたね。

今はけがをしてしまってるので、そんなに偉そうなことは言えないですけど…」

被災地の人々は、不屈の闘志で復活を果たし、再び故障に打ち勝とうとしている地元出身のスターに、

復興に向かう自分たちを重ね合わせている。

「そこに関しては、使命感とまではいかないですけど、自分が復活することで少しでも

元気を与えられるかな、いいニュースを届けられるかな、という思いはあります」

東日本大震災では、仙台育英高時代にバッテリーを組んでいた1年先輩の斎藤泉さん(享年22)を

津波で亡くすという悲しい経験もしている。斎藤さんの父・匡(ただし)さんとは

現在も交流が続いているという。

「僕のオヤジ(均さん)と仲がよくて、実家に来ることも多いんです。最近は、楽天入りが決まった後に

電話で話しました。『仙台に来るのが決まったので、また応援してください』と言ったら、

『するする! 試合も見に行くよ』と言って、喜んで下さって。息子さんを亡くしてるから、

軽々しく『元気だった』とは言えないですけど、本当にすごく元気に話をしてくれるんです。

ずっと応援してくれてるし、僕も頑張らなきゃという思いにしてくれます」

楽天に移籍し、仙台で生活することになったことで、今までできなかったこともできそうだ。

「これからは、津波で大きな被害を受けた沿岸部に足を運んで、実際に街の様子を見てみる時間も

増えてくると思います。斎藤さんのお墓参りにも行けそうです。

斎藤さんのオヤジさんも『メシを食いに来いよ』と言って下さってるので、ぜひ行きたいですね」

愛する地元への、亡き先輩への思いを胸に、今後は1軍のマウンドに返り咲く日を目指して行く。

現在はブルペンで立ち投げを行うまでに回復。捕手を座らせるタイミングをはかっている段階だ。

「これまで地元の人たちは、僕が投げてる時は楽天を応援しながら、こそっと応援してくれてたん

ですけど、これからは心おきなく応援してもらえる。それはすごく心強いし、すごくやりがいがある。

だからこそ、この仙台の地で、ホームとして投げたいという気持ちが強いです」

被災者へのメッセージを求めると、熟考し、言葉を選びながらゆっくりと口を開いた。

「被災した方に軽々しく言うのは難しいところがあるんですけど、やっぱり自分がプレーして

盛り上げたいという気持ちが強いです。1日でも早く、何としてでも楽天生命パークのマウンドで

投げたいという気持ちが一番です。一緒に頑張りましょう!」




野球平石監督 被災地へ思い「最後まで戦い抜く」野球

https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/00001845.html

東日本大震災から8年が経過し、平石監督と銀次が被災地への思いとシーズンへの

決意をあらためて語った。

平石監督にとっては、現役最後のシーズンにもなった2011年。「監督というのは、チームのトップに

立たないといけない。8年がたち、その違いはありますけど、震災から今まで、我々の思いは

何も変わっていない」と言った。

結果はもちろん、姿勢にもこだわる。「野球をやらせてもらっていることへの感謝を、体からプレーから、

全て表現しながら、最後の最後までしっかり戦い抜く。目標は優勝、日本一。

まずはベストを尽くすために、そういう姿でやりたい」と力を込めた。

三陸海岸に面した岩手・普代村で生まれ育ち、今季から野球人生初の主将を任された銀次も

思いは同じだ。「震災が起きてから、自分はずっとそのことを思いながら野球をやってきた。(目標は)

それ(リーグ優勝、日本一)しかないと思います。どんな場面であろうが、みんなで声を出し合いながら、

しっかりと前を向く。みんなで1つになって、もう1度、笑顔を届けられるように」と誓った。


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