ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

イーグルスファンコミュの<牧田明久>

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ゴルフ<牧田明久>駆け抜けた12年 野心が支え野球

◎新天地へ/自分で希望した。後悔は全くない

 左胸に「楽天」のワッペンを貼り付けただけの、真っ白な急造ユニホーム。

ズボンは選手の旧所属球団のもので、よく見れば脇に入るラインがまちまちだった。

プロ選手らしからぬ格好にスタンドから「高校球児みたい」との声が飛んだ。

2004年11月。東北楽天の秋季キャンプは藤井寺球場(大阪府藤井寺市)で行われた。

近鉄とオリックスの合併に伴い誕生した新球団の最初の一歩。

参加選手40人は、分配ドラフトで存続するオリックス側のプロテクト(優先保有)から漏れた

両球団の選手だ。

新天地・仙台で野球人生の「逆転劇」を期して、静かに闘志を燃やしていた。

 当時22歳の牧田もその一人だった。

 高卒4年目。福井・鯖江高から近鉄入りしたが、1軍未出場。外野の選手層は厚く、

1軍で活躍する将来像が見えなかった。分配ドラフト前の希望調査では、迷わず新球団移籍と答えた。

 「楽天の方がチャンスがあるはず」。不安より、プロとしての野心が勝った。

 半世紀ぶりに誕生した新球団。練習環境など、想像以上の過酷な状況も、乗り越えた。

 最も難儀したのが、仙台市内の自宅から当時の2軍本拠地だった山形県内への移動だ。

夏まで球団の直通バスがなく、仙台−山形間の高速バスなど3本を乗り継いで往復した。

試合が午後開始でも出発は午前6時。帰りは夜遅くになった。

2軍の練習場、天童市の山形県総合運動公園野球場ではロッカールームがプレハブ小屋で、

練習後の体をケアするトレーナー室もなく、野外で行った。

極め付きはシャワーで、一般利用者が使う公衆のコイン式シャワーに毎回100円玉を入れて

汗を流した。「プロの環境ではなかった。それでも、自分で希望して来た所だから後悔は全くなかった」

狙い通り、チャンスは1年目から訪れた。1軍は大型連敗を繰り返し、8月には単独最下位が確定。

若手に出場機会が与えられ、牧田は7月に1軍デビュー。

この年、13試合に出場し、プロ生活の実質的なスタートを切った。

それから11年。出場試合は691を重ね、気付けば最後の創設メンバーとして

ファンに愛される選手となっていた。

「(プロで)10年できるよう頑張る」と宣言して福井の実家を出た。

「10年と言って16年やった。大したもんだ」。引退を決めた後、金型職人の父親からねぎらいの

メールが届いた。

 「楽天に来なければ、こんなに長くできなかった」。

12年前、仙台行きを決めた牧田の選択は吉と出た。


野球<牧田明久>日本一の大舞台で苦労実る野球


◎新天地へ/自分で希望した。後悔は全くない

「寄せ集め集団」と言われた東北楽天は2013年、ついに頂点に立った。

エースの田中が24勝0敗と圧倒的な白星を積み上げ、ジョーンズ、マギーの両助っ人が主軸として

活躍。創設9年目で初のリーグ優勝、日本一を果たした。

未熟だったチームに野村監督が考える野球を浸透させ、星野監督が戦う姿勢をたたき込んだ。

その中で、創設メンバーの牧田も存在感を示した。

巨人との日本シリーズ第7戦。9番中堅で先発起用された。2−0の四回、左越えソロを放った。

先発美馬、則本、田中と続く継投劇をもり立て、チームはそのまま3−0で快勝した。

「このまま、試合が終わってほしくない」。九回、守備に就きながら牧田は強く感じた。

人生最高の瞬間を味わっていた。

「全ての監督に学びのきっかけがあった」と振り返る通り、多くの監督の下で成長した。

肩は強かったが打撃が弱く、若手時代は「専守防衛の自衛隊」と野村監督にやゆされる守備固め

要員。

肘のけがを直そうと励んだ筋力強化がきっかけで、打撃の飛距離は一気に伸びた。

ブラウン、星野両監督に長打力を見いだされ、強肩強打の外野手として開花していった。

日本シリーズでの本塁打は、最下位だった創設期を共に戦った仲間にも特別な一発だった。

「1年目からの苦労を一緒に乗り越えたマキ(牧田)が打ってくれた。あれで全て報われた気がした」。

当時1軍打撃コーチ補佐としてベンチから見守った平石2軍監督は振り返る。



野球<牧田明久>全力プレー後輩に野球

◎思い託す/大変な時期を乗り越えて今がある

 「仙台に来て良かった」

 事前に用意した原稿になかった言葉が、自然と口を突いた。

 今年11月23日、ファン感謝祭での引退セレモニー。

牧田はこみ上げる涙を抑え、ファンへ感謝を述べた。

2013年の日本一から3年、チームは3年連続のBクラスに沈んだ。

ベテランとなった牧田は若返りを図るチーム方針もあり、今季16試合の出場にとどまった。

 「引退かな」。その時が近づくのを感じていた。だから、「後悔だけはしないよう、一打席一打席、

全部最後のつもりでいった」

 ある日の2軍戦。平凡な内野ゴロを打った後、一塁まで全力疾走した。

アウトと諦めて速度を緩めがちな場面だが、「若手の見本になるようなプレーをしないと」。

口べたな分、背中で若手に示し続けた。

ファン感謝祭には初の試みで、来季の新入団選手が参加した。

最後の創設メンバーとして、後輩に託したい思いがあった。

「大変な時期を乗り越えて今があることを知っていてほしい」。

スピーチでは、「1年目は、何もないところからのスタートでした」と述べ、新人選手も聞き入った。

来年から東北楽天のジュニアコーチとして、野球指導に携わる。

この地で結婚し、明花理さん明香さんの娘2人に恵まれ、居も構えた。

今は「仙台に骨をうずめたい」と思っている。

創設メンバーでは平石、益田ら多くの元選手が今も仙台に住まう。

新球団ができて12年。東北楽天が仙台の地に、着実に根付いた証しとも言える。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

イーグルスファン 更新情報

イーグルスファンのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング