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イーグルスファンコミュのバラバラの指導方針で陥った“パニック” 楽天新人の苦悩「ついていけなくなった」

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野球楽天・則本、鈴木翔ら4投手が1軍キャンプに合流へ 
手術や故障の影響などで2軍スタートも野球

キャンプ2軍スタートだった楽天の則本昂大、鈴木翔天、宋家豪(ソン・チャーホウ)、
柴田大地の4投手が、15日から1軍の金武町キャンプに合流する。

抑え転向1年目だった昨季に32セーブで最多セーブを獲得した則本は、
昨年10月21日に都内の病院で右足首の三角骨障害に対する三角骨摘出手術を受け、
試合復帰まで3カ月の見込みとなっていた。
既に2軍の久米島キャンプではシート打撃に登板しており、
石井貴投手コーチは「投げる分には問題ないというので、順調ですね。
開幕に万全でいけるようなスケジュールを本人と話していきたい」と話した。

大卒7年目を迎える鈴木翔は、昨季は則本につなぐ勝ちパターン継投の一角として、
49試合に登板し2勝0敗、1セーブ24ホールド、防御率1・66。
昨秋のプレミア12に出場した侍ジャパンに選出されたが、
大会期間中に左肘の「左浅指屈筋および円回内筋損傷」と診断され、
チームを途中離脱していた。

野球バラバラの指導方針で陥った“パニック” 
楽天新人の苦悩「ついていけなくなった」野球

ぴかぴか(新しい)元楽天監督・平石洋介氏、2004年ドラフト7位で楽天に入団ぴかぴか(新しい)

 元楽天監督で、昨年限りで西武のヘッドコーチ兼打撃戦略コーチを退任した
平石洋介氏が、39年ぶりにユニホームを着ないシーズンを迎えた。
5歳で野球を始めてから初めてのこと。複数の球団からのオファーも断った。
「いろいろやってみて自分がどう感じるのか、成長できるのかというのを考えて、
いったん離れる決断をした」と心境を明かした。

2004年、新規参入したばかりの楽天からドラフト7位指名を受けてプロ入り。
1年目のオープン戦では同い年の西武・松坂大輔投手から二塁打を放つなど
アピールし、新人でただ1人開幕1軍入りを果たした。
2戦目には「9番・中堅」でスタメン出場。順調に滑りだしたかのように思えたが、
実際には打撃フォームで試行錯誤が続いていた。
「オープン戦最後の辺りからおかしかったんです。
シーズン入ってから悩みまくったんですよね、パニックになるぐらい」。
あれこれ口出す指導者が多く“これだ”と思って練習に行くと、
全く違うことを指摘され「ついていけなくなった」と振り返る。

アマチュア時代は「自分で考えて自分で整理してやってた」というが、
ルーキーだけに複数の人が助言しようとしてきた。
「自分の結果が出てないから、いろいろ周囲がサポートしてくれるんですけど、
複数の人間から両極端のことを言われて……」。迷いが深まり、5月に2軍落ちとなった。
「年齢的にも、もちろん1年目から勝負と思ってましたけど……。
そんな甘くなかったです」。1年目は1軍で25試合、打率.178に終わった。

2年目は「別の問題が出てきた」と振り返る。楽天監督に野村克也氏が就任したのだ。
「僕は野村さんにボロックソ言われてたんです」。
野村氏の指導方針は「三流は無視、二流は称賛、一流は非難」。
期待の裏返しである厳しい言葉も、度が過ぎていれば心がついていかない。
この方針は平石氏には合わなかった。2年目は1軍出場が2試合だけ。
3年目は1軍出場なし。4年目も6試合出場と、結果を残せないまま時間だけが
過ぎていった。


ぴかぴか(新しい)7年間で37安打、打撃の感覚つかみかけ「トライアウト受けようと」ぴかぴか(新しい)
 
野村政権ラストイヤーだった5年目はプロ1号を放つなど26試合で打率.254。
成績は上向いたが、多くのチャンスが与えられたわけではなかった。
フォームの試行錯誤は続き、微調整を繰り返す日々。
「いっぱい後悔してます。自分の野球人生なのに、整理できないまま、
納得できないままいろいろ自分を変えてしまったなあと。
そんな時、結果を出せるわけがない」。
投手との対戦の前に、自分との戦いに苦しんでしまっていたのだ。

「この世界、大事なのは自分次第なんで。(野村政権の)4年間ずっと
その繰り返しだった。もちろん自分の技術不足。
結果を出せばチャンスをもらえるし僕が悪いんですけどね」。
マーティ・ブラウン監督が指揮を執った6年目の2010年は28試合出場、
翌2011年は自己最多の36試合出場も打率はプロ入り後ワーストの.133。
7年間で通算37安打に終わり、戦力外となった。

ただ7年目は球宴後の2軍調整中、現役続行に向けた手応えがあったという。
「バッティングってこうなんだって、今までにないものがあった。
これやったら(いける)という感覚があったんで、現役続けたいなって
思いがあったので(12球団合同)トライアウト受けようと思っていた」。
ところが、戦力外を通告してきた楽天から、思わぬオファーがきた。

「来年コーチやってほしいと言われて。“まさか”って思った」。
それでもトライアウトは諦めたくなかった。
球団からは1週間、返答の猶予を与えられたが、トライアウトの申し込み締め切りは
3日後。トライアウトを受ければコーチの話は立ち消えとなるため、
実質3日での判断が必要だった。コーチ就任か、トライアウトか――。
「野球界って指導者は現役の実績がモノをいうというか、
そういうのが結構あった時期だった。
なので、俺で務まるのかなっていうのも実はちょっと思っていたんですよ」。

人生の岐路に立った時、平石氏は必ず相談する相手がいる。
PL学園時代のコーチだった清水孝悦氏だ。
1984年にはPL学園主将として1学年下のKKコンビとともに甲子園を沸かせた人物。
「何事も初めてとか1人目というのは名誉なことやぞ。お前の世代で初めてやったら、
その道を示したれ」と強くコーチ就任の背中を押されたという。
「お前がどうかによって今後のコーチのあり方も変わるかもしれん。
若いからどうこうやないやろ。トライしてみてええやないか」。
恩師の言葉に後押しされて決意を新たにしたのは31歳の秋。
楽天生え抜き初、松坂世代でも初めてのコーチが誕生した。

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