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= 癌がん闘病日記 =【保存版】コミュのととちゃんの命の記録

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2014年7月中旬、元気だった75歳の父が体調を崩した。
病院嫌いの父も流石に辛かったのか、私と共に病院へ。

肺炎です。
入院しますか?

我が家は母を在宅介護中。
私の負担がこれ以上、増えるのを心配してくれて在宅で様子を見ることに。

抗生物質を飲んでも改善せず、逆に悪化。
8月1日再度病院。
肺に水が溜まっているので入院しましょう!!と、先生

入院後の点滴治療でも改善せず、もしかしたら他の病気が原因かも。。。検査始まるが、特定出来ず
規模の大きな病院へ8月12日転院

それから一週間。
肺癌。ステージ4。リンパ腺、肝臓への転移あり。

本人も家族も心が置いてきぼりだった。

医師からは、年齢や肺の状態を考えると、やんわりと緩和ケアを勧められた。

此れから、なもない田舎町に暮らした、家族思いの父の命の記録を書き残していきたいと思う。

コメント(27)

肺に溜まるお水を抜く処置が始まる。
背中から管を入れて、4,5日かけてゆっくり抜いて行くらしい。
水が抜けきったら薬剤を入れて、わざと炎症を起こして水が溜まるスペースを癒着させるとの事。
薬が入ると何日かは熱との戦いらしく、今から心配で、気が気じゃない。。。

今日のととちゃんはまあまあなご機嫌で高校野球を見ておりました。

やはり体を動かすと呼吸が苦しいみたい。。。

取り敢えず、この治療?処置?を乗りきって欲しい。
上手く行けば一旦は自宅に帰れるぞぅ!!
今日は微熱デーだった模様。

肺の水は順調に抜けている様で、咳が収まりちょっと安心。
食欲は相変わらず無いようで、半分食べられれば良い方だと、ととちゃん。
目に見えて弱って来ている。

月曜日には肺に薬を入れる予定。

今の体力で熱との戦いを乗りきれるのか心配だなぁ。

明日は大好きなお蕎麦でも持って行こうか。
少しでも食が進むと嬉しいな。
熱が出てる。熱冷ましで下げても暫くするとまた上がる。近頃、ずっとその繰り返し。。。痩せた。
体を拭いて上げると、小さくなってしまった背中に涙。

看護師さんからお話。

先生から受けた癌の告知。
所々、とゆうか大部分、覚えていない様で、メンタル的に受け入れられないのかた、年齢的なモノなのかは不明。。。

取り敢えず、肺の水は抜けきっているようで明日はお薬入れる予定。 大丈夫かなぁ。
お願いだからご飯食べてくれ…。
肺にお薬が入った。
今迄で一番辛そう。
食欲0みたい。

熱が40℃超えて漸く熱冷ましのお薬。
汗が尋常では無いくらい出てる。
OS1飲ませて脱水症に成らないように見守る位しか出来ることが無い…。

こんなのが後、2、3日も続くなんて
ととちゃんは大丈夫なのだろうか?
乗り越えないといけない事とはいえ、見ているのも辛い。
でも、本人が一番辛い。
背中を擦って上げると、ちょっと喜ぶ。
アイスを少しだけだが食べてくれた。

負けるなととちゃん。

ととちゃんが病気としっかり戦える様に
支えになるからね!
ちょっとだけの朗報。

癒着療法が取り敢えず、上手くいっているみたい。
ほぼ、胸水が出なくなった!!

木金様子を見て水が出なかったら、酸素吸いながらの不自由な生活ですが外泊出来るみたい。
土日だけでもお家に帰れる。
少しでも前と同じ暮らしをさせてあげたいなぁ。

よし!家の掃除頑張るマン!!
ととちゃんの具合が芳しくない。
熱がひかずにどんどん弱って来ている。
この分だとよ土日の外泊も出来ないかも...。

熱と咳で寝れないし食べれない。
せめて眠らせてあげたくて、眠剤の処方をお願いするが
熱の薬と一緒だと宜しく無いようできいてもらえない。
余りの弱り様に、毎日不安ばかりです。

明日、胸水が出てなければ肺に入っている管が抜ける予定。
少しは楽になるかな?

ととちゃん、何にもしてあげられなくてごめん。
無事にととちゃん、帰宅。
良かった。

外泊ついでに在宅酸素の機械を設置。
思ったよりも簡単操作で安心です。

病室よりも心なしか寛げているみたいで嬉しい限り!!

土日から土曜日一泊だけになっちゃったけど
退院出来る日も近いかな?

ととちゃんの癌が治る訳じゃ無いのは分かっているけど
お家のお布団で安心して寝てほしい。

今夜はお寿司が食べたいとのリクエストを叶えるべく
これから予約の電話をしよう!
ととちゃんがもう1ヶ月持たないと言われた。
凄いスピードで肝臓の転移が進んでいるそうだ。

一月前はあんなに元気だったのに。
季節の野菜を家族に振る舞うのか老後の楽しみだったのに。
ほんのちょっと前に3ヶ月から半年って言ってたのに。

先生の話が頭を上滑りしていく。

私が決めたことは、自宅に帰す事。
延命の人口呼吸器は使わない事。

急がないと間に合わないから、明日からケアマネさんと
退院の準備を進めていかなきゃ。

最後の最後まで家で看取る。
最初で最後の親孝行だと信じて。

今もととちゃんが熱で苦しんでる。
側に居ることしか出来ない。

明日、父が自宅に帰ってくる。
もう病院には戻らない予定だ。

在宅で緩和ケアの出来る診療所を紹介してもらえた。

父は抗がん剤に備えて体力を戻すために家に帰ると思っている。
本当の事を言わないのが正解なのかは分からない。
きっとそんなものは無いんだろうな。

緩和ケア診療所の先生と看護師さんが父に会いに来た。
女性の先生で穏やかそうな人だった。
この先生が父の最後を面倒見てくれるのだなぁ…。

状況を診療所の方々に説明しながら涙か止まらなかった。
いい年して泣き虫なもので最近は泣いてばかりだ。

でも、父が帰れば泣くのはお休み。
明日からは父の為に自分の為に遣れる事を精一杯やる。
泣くのは全部遣りきってからだ。

昨日は体調がガクンと悪くなってしまいハラハラしっぱなしだった。
家に帰れないかも…。
嫌な覚悟が頭をちらほらしていた。

朦朧としている父のベッド側で、担当の先生が
家に帰れるとゆっくりしっかり説明してくれた。

病は気から…。

体調が戻ってきて、のんびりテレビ見れる位までになった。現金な人だ…。

明日から新しい戦い!

ととちゃん、明日迎えに行くからね。
ととちゃんが帰ってきた。
体調も安定して、びっくりするくらいのすんなり退院。
熱も出ず、そこそこ食事も取れ何より何よりです。

緩和ケア診療所の先生が看護師さんと一緒にみえた。
退院カウンセリングに来た女医さんとは別の男性の先生でした。
何だか医者っぽくない愉快な先生。
人見知りのととちゃんが笑って話をしていた。
びっくり!

今迄、病院で覚えた事は全部忘れましょう。
頑張るのを辞めましょう。

病院では最前線での戦い。
自宅でのケアはそれとは全く違います。

私にも父本人にも、笑いを交えながら
ゆっくりしっかり説明して頂けた。

抱えている辛いこと
不安なことをとても上手に聞き出して貰えて
口下手なととちゃんが物凄く喋っていて
本人にもいい先生だと思ったようだ。

ご飯も少し食べてくれて
今日はこのまま眠れるかな?と、思っていたのに
体の痛みが来たようで、座薬挿入。

痛いの痛いの飛んで行けーー!
ととちゃんの在宅ケアが始まり二日目。

一番心配していた熱は出ていない。
....が、胸水抜くのにカテーテルを入れていた所が痛み出したようだ。
じくじくと絶えず痛いみたい。
体を起こすと痛みが増すようで、昨日のお昼からまた、食事が取れていない。

出されている痛み止では押さえきれていないので
診療所の先生へ連絡。

新しい薬をもって様子を見に来てくれるとの事。
良かった。

痛いのが取れて少しでも食べさせないとまた弱っていってしまう…。

せっかく熱が出にくくなったのに何で痛いとこ出てくるんだろう。
ととちゃんを休ませてあげてよ。

病気ってヤツは理不尽の塊だ!

今日、医療用麻薬の使用が始まった。
ととちゃんがカテーテルの痛みだと訴えていたのは、どうやら癌からくる痛みだったようだ。

モルヒネ系のお薬で飲んだらぼーーっとなっている。

ご飯は相変わらず食べられない様だけど
お薬の副作用で眠れるみたい。
余りうつらうつらするのも心配だけど、痛いのが取れてくれるなら仕方ない。

昨日は痛くて寝付けなかったみたいだからちょうど良いのかな?

ちょっと肝臓辺りが痛いと言っていたのが気になる。
肝臓転移が進んでしまっているんだろうな…。
訪問看護の人に聞いてみよう。

明日は少しでも楽になりますように…。
ご飯食べられますように…。

在宅10日目

また、出来ないことが増えた。
ゆっくりでも、自力で行けていたトイレ、昨日から行けなくなった。
ケアマネさんに急いでポータブルトイレを用意して貰う。
間に合わなかったのが、相当ショックだったみたい。
あれほど嫌がっていたポータブルの導入をすんなり受け入れてくれた。

ととちゃんには余命の事を伝えていないから
どんどん弱っていくことが歯がゆくて仕方がないのだろう。
昨夜も「何で具合が良くならないんだ」と、イライラが募っているようだ。

少しの事でも機嫌が悪くなって険しい顔が増えてきた。

残りの時間の事を伝えないと決めたけど、何で治らないんだろ?何で治らないんだろ?って分からないまま逝かせて仕舞うのがホントにととちゃんの為になるのか、また迷いが出てきてしまった。

あんな顔をさせる為に家に帰したんじゃ無いのに…。

癌ってヤツはととちゃんを最後まで苦しめるつもりらしい。
空さん

いつも拝見させていただいています。
残りの時間のこと、僕が母を看病していた時はずっと「最後まで諦めたくない」という気持ちがありました。どんな状態であれ、奇跡的に持ち返して良くなる可能性はゼロではありません。最後まで、僕はその可能性にどうしたら近づけるのかということを考えていました。
また、母自身も最後の最後まで生きる意欲を失っていませんでしたから、周りの人間が先に白旗をあげてしまうことはできないとも思いました。

結果的に、僕も、母自身も、まだ亡くなるとは思っていない状態であれよあれよと死を迎える事になってしまいました。

母が亡くなってしまった今、「母がもうすぐ亡くなってしまう」という事を母と一緒に受け入れたかったと強く思います。そうでなければ、できない話があったと思います。

自分が生まれた瞬間から今この時まで30数年分のことについて、感謝とかそういうことを伝えたかったと思います。
一旦闘う姿勢を崩さないと、過去を振り返るような話なんてできないですから。
その方が、母もじっくりと安らかな気持ちで自分の死を受け入れられたかもしれません。

ととちゃんもまだ生きる意欲があり、実際に可能性があります。僕がまた母の看病をやり直せるとしても、どう振る舞うかはとても難しいですが、今自分が思うことを書かせていただきました。

今、空さん自身もかなりきついと思いますが、できるだけ後悔の残らないよう頑張ってください。
>>[19]
こんばんは。こんな、愚痴ともつかない日記を見ていただけているだけでも有難いのにコメントまで…。感謝です。

父は苦労苦労の人生でした。

それは主に家族に纏わる苦労です。

私も父に苦労を掛けた一人です。

家族の為に働きづめの毎日。

退職したら、母の介護でした。

振り替えると、父の人生
自分のために使えたことなんて殆ど無いじゃないか…。

こんな事になるまでそんな事にも気付いて上げなかった
後悔し続けている毎日です。

父は気丈な人なので痛い辛いを余り表に出しません。
なので、今、我儘になり私に八つ当たりしているのは相当精神的に厳しい状態なのだと思います。

先生のお話を大部分忘れてしまった父です。
癌って事を受け入れるだけで精一杯なんだと思いました

忘れなければ心が持たなかったのだと思います。

もう少し時間あれば
少しずつ、受け入れていく手伝いが出来たのですが
父の所にやって来た癌は残酷にも物凄いスピードで父の命の時間を奪っていっています。

余命の事を伝えるのか否か
迷いました。今も毎日迷ってます。

きっと答えはでないのです。

私は弱いです。
狡いです。

父に本当の事を話て生きる希望を見失った姿を見るリスクに賭ける勇気がないのです。

父の辛さ痛さ悲しさ
其を分かち合う事でしか父の病気と向き合えないのです。

もしかしたら、父はもう気付いているのかも知れませんし、未だに未来に希望を抱いて居るのかも知れません。

長々、泣き言を書いてしまい申し訳なく思います。

明日からも、私はきっと迷います。
ここにも、沢山の愚痴や泣き言を並べてしまうと思います。

ただ、父には…ととちゃんには貴方の娘に生まれ育てられ慈しまれ、こんな幸せな事は無かったと
また、貴方の娘で生まれて生きたいと、ありったけの感謝の思いで寄り添うつもりです。

ランチさんをはじめ、有難いメッセージ
本当に励まされます。

もうしばらく、私達親子の時間を見守って頂けたら幸いです。





ととちゃんが虹の橋を渡って逝って仕舞いました。
家に帰ってきっちり1週間の事でした。

今、ととちゃんは小さな白い箱のなかで眠っています。
黒ぶちの写真のなかで笑っています。



9月10日
体を起こすだけで、目眩、苦しさが出てくる。
特に苦しさが今までの比じゃない。
5分も起こしていると呼吸困難になる位だ。
もう、肺がギリギリらしい。
モルヒネでうとうと夢うつつの時だけ顔が穏やか。
言葉も不明瞭になってきた。

9月11日
食事はもう、ほとんど取れていない。
水とサイダーのみ。
ポータブルトイレも厳しい。
ととちゃんがして欲しいことを私が理解仕切れていなくてイライラさせてしまう。
御免ね。泣きながら背中をさすり、上手く介護してあげられない事を謝った。

9月12日
モルヒネが切れたのか苦しそう。
トイレを手伝おうとするが何時もと様子が違った。
上手く説明出来ないが、何かが違った。
診療所に電話。
看護師さんが来てくれる事になった。
来るまで出来る事はモルヒネを与えること。
与えると、少しの時間で苦しさは軽減されたが
訳の分からない不安が止まらない。

看護師さんが到着。
「もう、亡くなる時間が迫って来ていると思う。会わせたい人を呼んだほうが良いのではないか?」
何を言っているんだろう?
まだ、たった1週間だよね?

ととちゃんが手足をバタバタさせ始めた。
苦しそう。
モルヒネ効いていないのかな?

姉達を呼んだ。
孫も。

看護師さんの一人から別室に呼ばれ、亡くなるまでの課程の話をされていた時、もう一人の看護師さんから呼ばれる。
呼吸の仕方が変わった。
もう、そろそろだと思います。

ととちゃんの側にいって身体を擦り手を握った。
暖かい。
きゅっと握り返してくれた。
手足ばたばたも無くなってきて
いわゆる、胎児の形になって、呼吸が浅く早くなっていた。
ああ…。もうすぐだなあ。
其から、ととちゃんに伝えたことは良く覚えてない。
ただ、御免ね。よりも有り難う。を伝えた。

姉と孫と母と。
まあ、家族に囲まれてととちゃんは旅立った。

青空の広がる9月12日午後0時10分の事だった。
とてもとても安らかで寝顔そのままのお顔だった。


ととちゃんな希望で家族葬にした。
家族で囲んでこじんまり。

ととちゃんのお骨は、盛りだくさんに残ってて
入りきらないから二度もごりごり崩されつつ、骨壺一杯になって私達の元に帰ってきた。

今、私の中にある気持ち。

悲しみ
申し訳なさ
後悔
感謝
寂しさ

とにかく色々な思いがぐちゃぐちゃで
気持ちの整理はしばらくかかりそうです。

まあ、現実的な手続きなど
忙しさに追われてちゃんと悲しめて無いのも一因かな?

ととちゃんへの気持ちを抱えて
ままちゃんの介護も考えて…。

まだまだ休んでいる暇はありません。

また、ととちゃんの思い出話でも、書き込んでみる時もあると思います。
ちらりと覗いて頂けたら幸いです。

とりあえず、ととちゃんと私の話は一区切り。

75年の長いのか短いのかの人生を名もない田舎町に生きて、家族に尽くし続けたととちゃん。
お疲れ様でした。
のんびり
まったり
自分の為に時間を使って
楽しい天国ライフをエンジョイしてね。

そして、願わくば、また、私のととちゃんになってね

まだね!ととちゃん。
>>[22]

ととちゃん
短い時間ではありましたが、しんどかったですね。苦しかったですよね。

本当にお疲れ様でした。
きっと今は痛みのない世界で空さん達家族を見守ってくれていますよね。
どうか どうか そこからでいいので、空さん達をお守りください。


空さん
空さんも本当にお疲れ様でした。
四十九日まではまだまだ忙しいですよね。その上 お母さまの介護もまだ続きますよね。

お父さまが旅立ち 一週間ですが、ゆっくり寝れていますか?ごはん食べれていますか?
空さんのお身体、お変わりありませんか?
そして 悲しみを悲しめていますか?
まだまだゆっくり悲しむ時間はないかもしれませんが、我慢せずにしっかり悲しみを悲しんでください。
そして、空さんは充分 お父さまの旅立ちのお手伝いが出来たのではないかと、わたしは思います。
空さん、自分自身を責めたらお父さまが悲しみますよ。
お父さまは空さんを悲しませるために、空さんのお父さまになったわけではありません。

これから先もきっと大変なこともありますが、
お父さまから受け取った命のバトンを大事に、そして未来へ繋いでいってください。
焦らず ゆっくり ゆっくりと。。


ご冥福をお祈り申し上げます。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

今は「食べて寝る」を、しっかりと繰り返していてください。
あなた様を含め、お見送りする側は思っているよりも疲れきっています。
ご供養のためにも、とにかく食べて寝てくださいね。

旅立たれたかたの気持ちを考えてみると、見送ったほうと同じ気持ちなんだろうなあって思います。大事な人を見送ったあと、後悔しないひとはいないでしょうが、それは旅立ったほうもきっと同じで・・・。

悲しみ
申し訳なさ
後悔
感謝
寂しさ
と、書かれていますが、同じようにととちゃんも思っています。
私は、父との別れに「ありがとう。大すき」としかいえませんでしたし、山のように色んな後悔だけ残りました。
時間が過ぎ、逝ってしまった父の気持ちを考えてみたけれど、父も同じだと思いました。
時間だけが、癒してくれます。
お疲れ様でした。
お父様のご冥福を心からお祈り致します。
闘病、お疲れ様でした。

そして空さんも。お疲れ様でした。

私も7月末に母を看取りました。
母の希望通り、自宅での看取りでした。看護師さんに話をされたのも、あぁ同じだなぁ・・と・・。

空さんの書かれた事・・・
悲しみ
申し訳なさ
後悔
感謝
寂しさ
・・すごくよく分かる気がします。私も同じです。

家族が亡くなると、悲しむ間もなくあれこれの手続き、やらなきゃいけない事がふりかかってきますね。
そんな中でも、寂しさや悲しさが発作のように襲ってくると思います。
辛いけれど・・・どうぞご自愛くださいね。
久しぶりにコミュに来ています

父の最後を綴った文を読み返してみました.....。
自分で書いておいてなんですが、やっぱり思い出してちょっと辛い.....。

もうすぐ、ととちゃんの一周忌を迎えます。
その前に新盆。準備がなんだか忙しい。

ととちゃんが逝ってしまってからも日常はやって来て
悲しいんだけどやることがたくさんあって.....
ちゃんと泣けたのは半年以上たってからでした。

コメントをいただいていた皆さんに
きちんと御礼もしないままいになっていて
申し訳ないです。
一年越しで恐縮ですが御礼申し上げます。
心暖かいコメントに不安な気持ちや喪失感でいっぱいな心が癒されました。
ありがとうございました。


今、母を看取る準備をしています。
年は越せないみたいで去年今年と続けて親を送り出す事になりそうです。

父を送ってから
母は毎日毎日、泣いていました。
父の居ない寂しさに耐えられなくなってしまったのかな?っと思ったりもしています。

母の乳癌は、肺に転移し新たな舌癌も見付かりました。
緩和治療で殆どうつらうつらです。
今はただ、出来るだけ穏やかに父の処に送り出してあげたいと祈るばかりです。

ととちゃん
どうぞ、ままちゃんをゆっくり穏やかに向かえに来てあげてね。

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