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映画「空気人形」是枝裕和監督コミュの[ネタバレOK]映画・空気人形感想トピ

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いよいよ2009年9月26日(土)公開

このトピックではネタバレOKの

感想を書込みをどうぞ。

コメント(87)

はじめまして。
今日見させ頂いたんですが、
皆さんの深い解釈になるほどなぁと考えています。

最後の方の純一との交じり合いについては、
人形同士の交じり合いと考えています。

純一は納得しているかどうかわからないが
息を入れることによって人形としてよみがえる、命を感じているのはわかりました。

あと、正直ラストの拒食症の人との共有が少ないような気がしました。
接点があまりにも少なすぎて、彼女との交流との部分を強くすれば
印象が変わったように感じます。

久々に繊細な映画を見ました。
個人的には満足です。
ノゾミ以外にオダギリジョーのところへ里帰り出来た人形はいるのでしょうか?

みんな顔が違っている

とはオダギリジョーが言ってましたが、ノゾミのように自分の意志で帰ってきた子はいるのかな?

大抵は飼い主に飽きられて、返品されてきたのかな、と思いまして。
二度目の書き込みになります。

映画を見る前に友人から聞いた話なのですが、とても精密に作られた、値段にすると数十万とするようなダッチワイフは、廃棄されて工場に戻って来ると本当に個体ごとに違う表情をしているそうな。それにとどまらずウソかマコトか、人形達は廃棄場で眠っているとガタゴトと動いたりもするそうな。
人形達は心らしきものをもった。持ち主にたくさん愛されたから。なのだと私は思います。

この話を聞いていたおかげで、本編の主人公のぞみが心をもったのも持ち主に愛されたが故だとすんなり私は受け入れました。のぞみが持ち主を愛していたらこのお話は成立しなかったので、それでよかったとは思うのですが、一つ疑問点が残ります。

持ち主に愛されて心を持ったのならば、なぜ心を持った時も持ち主を愛していなかったのか?

皆さんの意見を聞けたらなぁと思います。
> ワララさん

持ち主の中年男は
「心なんか要らんねん!人形に戻ってくれへんか?」
と言ってました。

ノゾミの下半身だけが必要だったわけで、ジュンイチのように
「君の代わりなんかどこにもいない」(←泣けた…)
と全てひっくるめて愛していたわけではなかったことを、ノゾミは感じていたんでしょう。

いわゆる仕事で抱かれていたオッサンに恋心を持つ訳ないと思います。

役柄とはいえ板尾さんは気持ち悪かったたらーっ(汗)
行きつけの映画館にこの映画が上映されて7回通いました。
10月は空気人形とともに生きたような感覚で。
素晴らしい体験でした。

3回目が一番泣いたかな。A^_^;)

映画は脚本、映像、音楽と全ての調和が大切です。そして編集が作品を
決定的にします。是枝監督の編集は素晴らしいですね。
ここを読んで、謎だった純一の白い薔薇の生け花の意味も、そうなのかな、と。

で、是枝監督が休養宣言していますが、この映画からすると、死に近づき
すぎているので心配です。大丈夫かな。

映画作品としては今年のベストです。だれがなんと言おうと。
>オーロラさん

男として魅力的なのがジュンイチであることは分かりきっていますが、のぞみに生命を与えたのは歪んでいたとしても持ち主の愛です。劇中のその「心なんか要らんねん、人形に戻ってくれへんか?」のくだりでのぞみは「どうせ私じゃなくてもいいんでしょ」的な発言をしていましたよね?あれはある種の嫉妬、愛の裏返しとも解釈できると思うんですよね。だから、もうちょっと板尾のおっさんをフォローしてあげてもよかったように感じているんですよ。

自分から疑問を投げかけておいてなんですが

男女がSEXして子供が生まれてもそこに必ずしも愛があったとは限らないし、赤ん坊は生まれた瞬間から両親を大切な存在と認識しているわけではない。愛され育まれる過程で絆がつくられてゆく。うまく説明できませんが、持ち主に愛されてのぞみは心をもったが、心をもってからのぞみがどう育つかはまた別のこと。こう考えると、赤ん坊がこの世に生まれ落ちたのと同様に、のぞみは心=生命を得た。心=生命という私の結論になんとか結びつくかなぁなんて考えてました。
はじめまして。
皆さんのコメントを拝見して、とても細かいところまで見られてるなあと、とても感心してしましました。

純一の死は、とてもショックでした…
本当にいろんな意味でとっても痛くて、悲しくなりました。

純一の死について、皆さんもいろいろ意見されていますが、
私も思うことがあったので、書いてみたいと思います。

まず、純一がのぞみの空気を抜いては入れるのを繰り返すシーンですが、
やはり、私も、純一は過去に恋人を亡くしていて、そのことで喪失感?を感じながら生きているのではないかと思います。
(恋人の死因に関してですが、バイク事故と特定出来ないのでは?
バイク事故で恋人を失っていたら、のぞみを後ろに乗せて走ることは出来ないような気がするのですが…。 私が何か見逃していただけならすみません。)

空気人形の空気の抜き入れを繰り返す純一の行為は、
空気が抜けた人形、つまり死んだ状態からの生命の再生、に強くひかれその喪失感を埋めていたのでは?

そして、のぞみは、純一のことも空気人形だと思っていたのだと思います。
のぞみが純一に息を吹き込まれることで得る喜びを、単純に純一にも感じさせてあげたい気持ちで、純一の体に傷をつけた。
ただ、純一の体から流れていくのは、空気ではなく、血液だった。
この時点でものぞみはとても純粋に、純一を思っていて、純一に息を吹き込むことで、純一にも自分と同じように満たされた気持ちを感じてほしいと思っていたと思います。

純一は、痛みに苦しんでいましたが、それを受け入れていたように見えました。
きっと純一は、死にたかったんじゃないかな。
のぞみに自分も同じように空気を抜いて欲しいとまでは思っていなかったと思います。のぞみに自分の空気を抜くように仕向けたわけでもないと思います。
ただ、偶然にものぞみが自分の空気を抜こうとした。
純一の心の中に、死にたいと思う気持ちがあったので、それを受け入れたのではないかと思います。

それから、純一をゴミ袋に入れて捨てるシーンですが、
とても衝撃的でした…。のぞみの純粋さがこんな残酷な展開を生むことになるとは。
ただ、のぞみ立場に立つと、仕方ないことだったと思います。
燃えるごみの日か、燃えないごみの日か、ということについて、のぞみは考えていないのではないかと私は思います。
ただ、人形師が言っていた言葉が心に残っていただけだと思います。
台詞をはっきりとは記憶していないのですが、
「人形は死ぬと燃えないごみになる、
 人間も死んでしまえば、燃えるごみになってしまうから同じようなものか」
みたいなことを言っていたと思うのですが、
この台詞から、のぞみは、死んでしまえば自分もごみになるし、人間もごみになってしまう、と解釈したのではないかと思います。
だから、
純一のことも空気人形だと思っていたから、空気を抜いた。
→けど、息を吹き込んでも生き返らなかった
→純一は死んでしまった
→死んだら、ごみになるということだけは理解していた
→人間の葬り方を知らないのぞみは、それ故に、純一もごみとして出した

っていう、のぞみほんとうに純粋で単純な感情と行動ではないかと思います。

それから、私がひとつ疑問に思うことなのですが、
純一がのぞみの空気を何度も抜いて、息を吹き入れるシーンなのですが、
純一はなぜ洋服をぬぐ必要があったんでしょうか?
空気を抜いて入れる、その行動自体が、純一にとっても性行為であったということなのでしょうか?

長々と失礼しました。
今日(もう昨日ですね)見て来たんですが、ここに来て初めて分かったことがチラホラ…。
星野真里は過食症だったのですね…!
ただ部屋が汚い引きこもりの人だと思ってました。
自分の読解力のなさに呆れます(´Д`)

この映画は、知らない間に張られていた伏線を上手く回収していて、とても丁寧に作られた映画だな、と思いました。
岩松さんが卵かけご飯と一緒に食べるパックのお惣菜がその都度変わっていたり…。←どこ見てんだって感じですが(笑)

私がひとつ、最後までわからなかったのが、順一と海を見に行ったとき、順一が確か海のにおいが懐かしいと言うと、ノゾミも私も懐かしいと言うんですね。
ただノゾミは順一の言葉に同調しただけなのかもしれませんが、もしかして人形が塩化ビニル製とかだと、作られるときに塩のにおいとか発生するんでしょうか…?

あと全然映画とは関係ないんですが、人形の工場に行ったシーンを見て、探偵ナイトスクープという番組で、昔一目惚れしたマネキン人形を探すためにマネキンの倉庫に来て、何百体ものマネキンが並ぶ中、見事にそのマネキンを探し当てた女性がいたことを思い出して、何か泣けました…(´;ω;`)

この女性も男性のマネキンを溺愛するあまり、結婚式まであげていましたが、ノゾミも順一に愛されていたときは、一人の女性として愛されていたんではないでしょうか。
それに対して、板尾にはあくまで人形として愛されていたと…。
その愛の行為が、息を吹き込むこと(順一)と性行為(板尾)という、人形的なことと人間的なことで真逆なのが皮肉だなぁと思います。

しかし、僕たちも死んだら燃えるごみみたいなもんだからね…というような台詞が衝撃的で忘れられません。
本日行われたシネマライズの
監督とARATAさんのティーチイン付き上映に行ってきました。

他に行ってきた人もいるとおもうので
うまくかけないかもしれないのですが。少し。

最初に注意しておくと、是枝監督は
質問に答えはしますが、僕が正解をもっていて、
答え合わせの場というわけではないので、
解釈は自由とおっしゃっていましたので、
注意して読んでください。

1.純一の彼女はどんなふうになくなったのですか?
ARATAさん:奥さんを事故死で亡くしているという設定?と
監督からきいているし、僕もそう解釈した??

2.最後に過食症の彼女のセリフの「キレイ」の意味
是枝監督:ノゾミが最初に言った言葉が最後に来たら、
過食症の彼女のなにかが再生するような気がして、
同じセリフで揃えた
(というようなことをおっしゃっておりました)

3.スーハースーハーするラブシーンの意味は?
是枝監督:秋葉原でほんとうに5980円の人形を買ってきて
会議室でふくらませて、しぼませた。
しぼむ瞬間に足が折れる瞬間、なにか、(エロスのようなもの)
を感じた。それがヒント。
人形にとって、最高の幸せの瞬間、純一は、自分の空虚を
埋める行為をしていて、お互いに感じていることが違う
という点で、男女のずれみたいなものもあらわしたかった。

4.純一は燃えるゴミ、ノゾミは燃えないゴミ?
是枝監督:
人間は燃えるゴミ、ノゾミは燃えないゴミに自分を捨てた
つもりです、というようなことをおっしゃっていました
※ARATAさんにゴミ袋に閉じ込められたかんそうは?と聞いた方
がいらっしゃったのですが、
ノゾミ(ぺ・ドゥナさん)のすごく強い想いが伝わってきました
とおっしゃっていました。ちなみに真冬で寒かったそうです

5.最後のノゾミのゴミ捨て場のシーンでビンと林檎が散乱している
のは?
是枝監督:なんとなく、誕生日ケーキのイメージで散らしてもらった
※監督いわく、あのゴミ捨て場けっこういい加減にみんなゴミすてます
けどねと

6.ラムネのビンを大事にする意味は?
是枝監督:子供はラムネのビン好きでしょ、みたいな。
ノゾミは自分も半分すけてる、ラムネのビンも半分透けてる
自分とおなじようなものに愛着をかんじるかな、と。

7.ノゾミが腕時計をしているのは?
時計が動いていないのですがなにか意味は?
是枝監督:腕時計したいね、と小道具の人と話して、
動いていないほうがいいか、という会話はあった


なんだか、ほかにもあったようですが、
思いつくままにアップします。

でも、あくまで、正解ではないので、と監督が念を
おしていたので、あくまで、本日のティーチインの
お話のかいつまんだところです。
連続投稿すみません。

57のためぐさん>
純一が買ってきたバラのワイヤーをとおしていたのは、
本日のティーチインでARATAさんから説明がありました。
純一は、ドライフラワーをつくるのをライフワークにしていて、
ドライフラワーは純一そのものだと思ってると
おっしゃってましたよ。
最高にきれいな瞬間で時間を止めたい?というようなことだと
思うのですが。

皆さんにお伺いしたいのは、一生懸命手袋編んでましたよね。
たぶん、手が冷たいといわれているからだとおもうのですが、
二代目のノゾミが、最後の綿毛のシーンであの手袋している
ようにもみえたのですが、
バイクのシーンで完成した手編みの手袋しているのですが、
二代目のノゾミがしている手袋と、ノゾミが編んだ手袋は
別のものですよね?


感想トピなのに、感想を語ってなかったので感想を。

2回みましたが、あっという間の2時間でした。
きれいなものを素直にきれいと感じる心は
忘れないでこれからも生きていきたい、と思いました。

自分もどこかで誰かの風だったり、アブであったり
していればいいなあ、と。

世の中捨てたもんじゃない、きれいなものも少しは
ある、と思って、日々過ごしたいと思ったですね。
私もティーチインに参加出来ました。

ARATAさんも是枝監督も
さまざまな質問に対して誠実に答えていただいたと感じました。
しかし同時に答えづらそうな(本当は答えたくないような?)印象も受けました。特に監督は。

ティーチイン終盤で
『僕がある正解を持っていてその答え合わせになってしまったらつまらない。物語はお渡ししました。だから見た人のなかで物語が育っていけばいい』
というようなこともいわれました。

と前置きしつつ

はちさんのドライフラワーのくだりを捕捉させていただくと
ARATAさんはたしか
『生きているように見えて死んでいる』といわれました。
その意味で純一の心(最愛の人の死によって死に惹かれている?)を象徴しているのだと思います。
非生命体であったはずなのに生命体であるような空気人形とのコントラストを鮮やかにしていると感じました。
すみません。

はちさんが最初に監督の言葉を書かれていましたね。
同じことでした。

こんにちは。

原作はずっと前に読んでおり大好きな漫画だったので、映画化されると言う話を聞いて嬉しい反面心配な部分がありました。酷い映画化が多いですから。

説明過多な映画が多い昨今、この映画は意識的に説明を削っていたような気がしてさすがは是枝監督だと思いました。ノゾミが純一に空気を入れて貰ってから空気入れを捨てる理由は原作ではナレーションの形で入ってましたが、映画では全然説明ありませんでしたし。きっと各自で色々想像してくださいと言う事なんでしょうね。

と言っておいてなんだかんだ書いてしまうのも何なんですが…。

確か二人で映画を見終わったシーンの後だったと思うのですが、ノゾミがヘルメットを見ていて何かを見つけるシーンがあったと思います。その後、そのヘルメットを被った純一の昔の彼女の写真が出てきたので、純一はバイク事故で彼女を死なせてしまったのだと思いました(でもそれだったらもうバイクに二人乗りする気はなくなるような気もしますが…まぁそれを言ったら話が成り立たないので些細な事ですが)。

最後で純一がノゾミの空気を出し入れするのは私は人間と人形の精神的なSEXのような気がしました。だから二人は裸だったのだしノゾミの表情はすごく官能的な表情でしたし。でも皆さんが言っていた純一の意志はなるほどなぁと納得しました。
初めまして。上映期間中は忙しく観に行けなかったので、この間追加上映で観てきました。

映画を観ながら色々考える事もあったのですが、みなさんの見解スゴイですね。自分では気付かなかった事がたくさん在りました。
リンゴと瓶の関係は何となく解ったのですが、禁断の果実とまでは考えませんでしたし。。

ラストのシーンは、急に展開が変わってしまって、何となく無理矢理な感じもしてしまったのですが、皆さんのコメントを読んでいたら少し考えも変わってきました。

もう一度観たらもっと色々わかるような気がします。ゼヒまた観たいです。原作も読んでいないので読みたいですね。
初めまして。
今さらですがDVDで初見しましたCD
後半30分くらいからの怒涛の展開は私には複雑過ぎてよく分かりませんでしたが、他にもレビューされている方がいますが、純一には自殺願望があったっぽいですね。
「空気を抜きたいんだ」という純一の台詞はノゾミじゃなくて「(僕の)空気を抜きたいんだ」とも取れるような気もしますダッシュ(走り出す様)

なんにせよ、色々と考えさせられた素晴らしい作品でしたぴかぴか(新しい)
はじめまして。僕も今更ですが見ました。
僕の今日の日記に感想文を書いていますので、よかったらご覧ください☆*:・°
DVDを借りて映画を見た後、終わり方が受け入れられなくて、落ち込んでいたのですが、今までの皆さんのコメントを読んで、少し救われました。

私の場合、何が何でもハッピーエンドが良かったので、いろいろ考えていました。
そこで、1つ思いついたのが、映画を途中で終わりにするということです。
終了20分前くらいののぞみが人形職人に会いに行くシーンです。
このシーンの最後に、人形職人がのぞみに質問し、のぞみが頷き、別れるという場面がありますが、ここで終わりにすれば、ある程度ハッピーエンドです(笑)


少し尻切れトンボになりますし、いろいろ解決されていないままになりますが、あのショッキングなシーンが無くなります。


でも、いつか私も、あの終わり方を受け入れられるようになりたいです。

さっき見終わりました。素直に良い終わり方だと感じました。

公式サイトの監督インタビューにて初見で気づかなかった隣人たちの意味を知り、
ネットにて原作のあとがきにあるという問答「人生に意味はあるか」を読んで、
いま何度も反芻しています。
もやもやしてるけどたぶん好きな映画です。あとペ・ドゥナかわいい。
わたしは、あのラストシーンを「悲しい」とは感じません。
命が始まればいつかは終わるもの。
もちろん、悲しいと感じる方がいるのもわかります。
ことばで言うならばどちらかというと、原作にあるとおり、「せつない」終わり方。

幸せな終わり方だと思います。
詩のとおり、自然に生きているだけで自分の命という存在が他者に影響を与える。
それが「綺麗」と言われるような、生き様(死に様)であったら尚のこと。

空気人形が人間だとして。
死んだら、肉体には虫が湧くけれど、その生き様が「綺麗」と言わせられるだけのものであったら。
そんなことを空想して、わたしは憧れちゃったりします。

「綺麗」であることは、「残酷」であること。
後ろで使われているworld's end girlfriendの音楽が、殊にそれを強調しています。

人は一人じゃ生きられなくて、人は結局ひとりであること。

純粋な感覚と思考を巡らせられる、わたしのなかで最高の作品です。
なんともいえず切ないです。
人形が心をもって雨の雫に指で触れながら「キレイだ…キレイだ…」って呟くところから心を掴まれてしまいました。
皆、この世に生まれて色んなもの自分の目でみて、愛を求めている、人を愛する、哀しみを抱えて寄り添っているぴかぴか(新しい)
シンプルに伝わってきました。 さざ波みたいにジワーと心に入ってきた映画でしたぴかぴか(新しい)
補足ですm(_ _)m人間は誰にも埋められない心の領域を1人1人が皆持っていて、不完全で、でも時々摩擦しあって素晴らしいことが起こるハートぴかぴか(新しい)そんな事も感じましたねぴかぴか(新しい)ハート

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