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ロベルト・シューマンコミュのバイオリン協奏曲

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シューマンの他の多くの曲をまだ知らずにこんなことをいうのはおこがましいですが、「彼の病気」の兆候を示す曲としておそらく上位にランキングされるのではないかと思われます。

1楽章の始まりのオーケストラのしつこい刻みの感じとか、掴みドコロのないウネウネワールドが永遠に(?)続いて「あぁ、早く3楽章が来ないかな」の待ち遠しい2楽章とか。誰にでも聴きやすい「ピアノ協奏曲」と比べるとなんと対照的な存在でしょう。

普通の人の感覚だと、病気なら作曲という行為自体できなかろうに、こんな曲を創作してしまう病気とは一体なんなんでしょうね?

コメント(32)

最近の研究によると、シューマンの死因はどうやら、梅毒の可能性が高いようです。
ちょっと本を読んだりもしてみたんですけど、ヴィークに師事していたころの指の故障や、後期の精神異常など全てが梅毒で説明が可能で、症状が現れた時期と梅毒の進行状況も一致しているとか・・・
 シューマンの伝記的な諸問題、病歴などについてはそれはそれとして興味の対象となるところでしょうが、それと彼の音楽とをストレートに対応させて解釈されるのには少しばかり抵抗があります。

 シューマンとよく似た例に、哲学者のニーチェがいます。彼もまた梅毒説が有力と聞きます。
 しかし、彼の思考をそこへと還元することはできないし、病状と対応させた解釈も成立しないように思います。

 同様に、シューマンの音楽も、そうした伝記上の問題とは自律した作品として鑑賞したいように思うのです。
すみません、語弊があったようですね・・・
私はただ単にシューマンの死因について言っただけで、それと音楽を関連させたつもりはないのですが。すみません、わかりにくい文章で。

私もシューマンの後期の作品で好きな作品もたくさんありますし、病気と音楽を別のものと考えています。

誤解を招いてしまってすみませんm(_ _)m
 みなさんがそうだといっているわけではありません。

 私もシューマンの伝記的な側面には興味を持ち、わざわざ、本を買って読んだりしました。(ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』など)

 しかし、彼の音楽を聴くときは、それらの内容をほとんど忘れて、聞き入ってしまいます。

 おそらく皆さんも、実際にはそうではないかと思って書いたまでです。決して、特定の方への批判ではありませんので、ご承知おき下さい。

 *写真は何の関連もありません。
バイコン以外にもチェロコンもそんなかんじします。バイオリンソナタの一番もすごいです、でもマンフレッド全曲通すのが一番かなー。
皆さんコメントありがとうございました。

なるほど、謎めいた曲の雰囲気から勝手に安易に病気と結びつけてしまう先入観で見てしまったかもしれません。この曲が「聡明で創造的な精神によって生み出された」と考えると、シューマンって改めてすごい人ですね。

それはそうと、クララが後に、彼の作品のうち、病気の影響が見られるような曲を封印?みたいなことを試みたような、そんなエピソードを聞きかじったようなうろ覚えがありますが、そのあたりはどうだったのでしょうか?
 クララの件、詳しくは知りませんがあり得ないことではないですね。

 ニーチェの場合には、妹・エリーザベトが彼の遺稿などを勝手に編纂し、結果としてナチに利用されるようになった経緯があります。エリーザベト自身がナチの熱烈な支持者でした。

 今日では、それらの箇所が改善され、ヒトラーからの一方的な憧憬はともかく、ニーチェの思想がナチとは似て非なるものであることは一般的になっています。

 クララの場合、そうした為にする行為ではなかったように思います。
 彼女の才能と大勢の子育てには敬意を持っています。
こんにちは。
最近入会してこちらのコミュニティを見つけました、あゆこ、と申します。
よろしくお願いいたします。

いきなり「ヴァイオリン協奏曲」のトピックが出てきてびっくりしました。ただご感想には少し残念な気がしました。

たしかにおっしゃるとおりに「病気の表れの上位にランキングされる作品」であることは確かだろうとは思いますが、この第2楽章の類まれな美しさは欠点を補ってあまりあると私は感じます。国内で販売されているこの曲のCDはたぶん全部持っていますが、端整なシェリング盤がお勧めです。

ちなみに病気は躁うつ病という可能性も指摘され、直接の死因は拒食のようです。梅毒の可能性は排除できないようですが(水銀治療を受けたあとがあるらしい)、「もしそうだとしたらクララとの結婚に際してヴィークがライプチヒ中で口汚くののしっただろうがその形跡は見られない」と書いてあった伝記があり(クララの伝記だったかも)、じつに鋭い見方だと思います \(^^;

最初からいきなりディープな話で失礼いたしました。ヴァイオリン協奏曲そのほかについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。

あゆこ@schneewittchen
こんにちは、あゆこです。
昨日の続きを書きます。

発表に反対したのはクララとヨアヒムですが、たぶん、ブラームスの作品と比べれば明らかに異質である(私はそうは思わないのですがある意味で「見劣りする」ということです)ため、すでに確立していた名声を損ないかねない作品は隠匿したんだと思います。年月を経てナチ政権下で発見され、初めはメニューインが初演するはずだったのが政治的な意図からクーレンカンプが初演したという経緯があります。このクーレンカンプの演奏はCDになっています。

**
でも私は彼の音楽の魅力の1つは、「初々しさ」「どこかぎこちなさ」だと思うんですよね。もしかしたら「完璧さ」という点ではブラームスに及ばないかも知れない。でもでも、たとえば、「朝咲いたばかりのバラの花」は、たとえ多少形がくずれていたとしても、「ほかのものとは比べようがないほど美しい」んじゃないのかな。

それともう1つの魅力は「切なさ」というか「永遠のふるさとを求める心」のようなものです。たとえばop.39のリーダークライスに「月夜」というトーマス・マンが絶賛したリートがあります。あのアイヒェンドルフの詩の最後は「広々とした野を越えてふるさとへ帰っていく」というものだったと思います。

そこに、ヘッセなどにも共通するような、「地上にはないかもしれない永遠のふるさと」を求める心が凝縮されているような気がする。ヴァイオリン協奏曲の第2楽章にもまったく同じ気持ちが流れている。

病院では「ここではないどこか別の場所へ」という言葉が最後の言葉だったという話です。もちろん「病院を出たい」ということではなく、その、もしかしたらどこにもないかもしれないふるさとに帰りたいということなんだろうと思います。まったく同じ言葉がロマン派の詩人ノヴァーリスにもありますよね。

私はこの「純粋なものを求めるせつなさ」のようなものに最大の魅力を感じるんです。。

長くなってしまいました。まだ続くかも。。
(管理人様すみません(_ _))

あゆこ@schneewittchen
あゆこ様

「地上にはないかもしれない永遠のふるさと」ですか、なるほど。とっても素敵な表現ですね。 そのイメージで聴くと、2楽章、まさにその通りですね!あゆこさんのようなボキャブラリーがないので、こうしか言いようがないですが、目から鱗です。シューマン奥深し。
Bright-Doorさん、a,treeさんこんばんは。
あゆこです。
コメントありがとうございました。

自分で「あ、一人よがりで書いてるぅ」って反省してました。では安心して続きを\(^^;

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ひなぎくのお話、ありがとうございました。いいお話ですね。聖書の「野に咲く花」を思い出しました。いつもは忘れているけど、とても大切ななにか。。。
それと、シューマンの「くるみの木」(ミルテの花の第7曲)と、宮沢賢治の「めくらぶどうと虹」を思い出しました。

彼の音楽を語ろうとするとどうしても詩を語ることになると思います。私が彼の音楽に一番似ていると思うのは日本の詩人です。

**

ヴァイオリン協奏曲の第2楽章でまっさきに思い浮かべるのは島崎藤村の「千曲川旅情の歌」です。とっぴかな?

春浅い信州と春浅いドイツの風景がぴったり重なるような気がします。空気はまだ冷たいけれどもみずみずしい若芽や土の中の生き物がひっそり息づいていて、清冽な雪解け水が小川をこぽこぽ流れていて。それを懐かしく切ない気持ちで見ている、旅する詩人。あてどなく自分のふるさとを求める旅の途中で。

しかし彼の音楽そのものずばり、と思える詩人は立原道造という詩人です。彼は戦前の人で、詩人の魂というか詩人そのもの、といった雰囲気の人です。やはり軽井沢あたりの、美しく懐かしい風景を多くの音楽的な詩に残し、わずか24才の若さでこの世を去りました。
心の中の、一番純粋できれいなところを詩に表わすと、こういう詩が生まれるのかも知れない。

**

話をシューマンに戻せば、たぶん彼はそういう美しさや純粋さそのものとして生きたいと思いながら、同時に、それは無理なんだよということも頭のどこかで分かってたんじゃないか、っていう気がするんですね。
とても頭のいい人だったから。
それが彼の悲劇のような気がします。

どこかのライナーノートで、彼の日記(か手紙)に「美しい風景。自分はそれと一体化したいが、自分の意識というものがあるので一体化はできない」というような言葉があるということを読みました。
夢を見ながら醒めている苦悩というか、悲劇というか。。

「詩人の恋」そのものかも。前半で恋の幸せを歌いながら、後半で「やっぱりそれは夢」という苦い思いを吐露せずにいられない。
そういった純粋さと苦悩を同時に、死ぬまで背負い続けていた、そこに共感すると同時に、痛々しい思いがするのです。。

あゆこ
はじめまして。
シューマンのヴァイオリン協奏曲(二短調ですよね?)が
そんな意味合いがあるとも知りませんでした。
衝撃的な出会い以来、大好きなヴァイオリンコンチェルトです。

何の予備知識もなく、ツェートマイアーのヴァイオリンで初めて聴いた時、衝撃が走りました。
「これ、だれ、誰の曲???」
シューマンのVコンチェルトって、全然有名じゃないというか、他のヴァイオリニストでCD探しても、見つからない・・。
こんなに、ゾクゾクとする曲なのに。
演奏会でも、まずやってくれませんしね。

それで今持ってるのは、シェリングと、ギドン・クレーメルのCDです。
普及活動に勤しんでおります。
僕もリコさんと同じく、この曲にはまったきっかけはツェートマイヤーのCDでした。
最初はA面のブラームスが聴きたくて買いました。カップリングのシューマンには当初全く興味が湧かず、それでもある日、ちょっと聴いてみるか、と1楽章を再生したところ、
「なんだこれはーー!!!」
という衝撃を味わいました。
それから何年もたちますが、今でも聴くたびに、僕もゾクゾクしてしまいます。
それ以来この曲にはまってしまい、何種類ものCDを集めました。中でもいちばん気に入っているのは、シベリウスとカップリングになったクレーメル&ムーティの盤です。同じクレーメルでもアーノンクールのほうはだめですね、どうも間が抜けているような気がして。
それで僕もいま、周りの人間に布教活動をしています。

僕の所属している大学オケでは毎年3月に卒業演奏会があります。僕も来年3月に出る予定で、このシューマンの協奏曲の1楽章を弾く予定です。

それで1楽章の終わりかたについてなんですが、持っているCDで解釈がばらばらすぎて困ります。
いろいろ聴き比べなさっている方、またはスコアをお持ちの方、この曲はどういう終わり方をすべきとお考えになりますか?
この議論はひょっとしたら、1楽章よりも3楽章について行うべきものなのかもしれませんが。
はじめまして。

私はシューマン後期の曲ばかりが好きでして、とくにヴァイオリン協奏曲はピアノ協奏曲の100倍くらい好きです。こういう人間がいてもまあいいかなと自ら勝手に思っています……。

最初はクーレンカンプ&イッセルシュテットの古いレコードで衝撃を受け、それからヴァーツラフ・スニーティル&フラヴァーチェク(プラハ響)のレコードや皆さんと同じツェートマイアー&エッシェンバッハのCD,またリバール=デゼルツェンス(ローザンヌ響)の古い演奏や、ラウテンバッハーのTurnabout盤などを愛聴しています。

そういえばあの野村あらえびすさんが「名曲決定盤」の中で、ブラームスやメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲にも負けないどころかそれを超える名曲、という大胆な発言をしておられたと思いますが、私はこの意見にひそかに、超ひそかに同意するものです。

音楽は「完全」である必要は全くないと思います。自分の魂に訴えるものがあれば。そういう意味では、私はシューマンの弱さはナイーヴさと受け取ってむしろ好きな一因となっています。
はじめまして。

ヴァイオリン協奏曲は、名曲とされるチェロ協奏曲と比べても魅力の点で負けてないと思います。ただ、シューマンの曲は演奏者を選ぶと思うので、どんな音盤と出会うかもポイントでしょうね。

私のCDのお気に入りは、フランク・ペーター・ツィマーマンとハンス・フォンク/ケルン放送響(EMI)のものです。第1楽章の深遠さに吸い込まれそうな気分になりました。ツェートマイアー盤の評価が高いようなので、いずれ聴いてみたいです。
初めまして。

今日午後、NHK-FMで大阪センチュリー交響楽団の神戸公演(シューマン交響曲チクルス:10月29日録音)で演奏されたバイオリン協奏曲が流れてました。

この曲は15年ほど前に同じくNHK-FMで聞いた演奏以来でしたが、重厚なオケとバイオリンソロの絡みが見事で、この曲の魅力を再発見出来ました。
クラシック雑誌『音楽の友』内の池辺晋一郎さんの連載"新・シューマン考"で
シューマンのバイオリン協奏曲がとりあげられています!
何故こうもシューマンは誤解され、その真価を知る真の芸術センスある者が僅かなのだろう?


敢えてハッキリ言います。

ヴァイオリン協奏曲は名曲です!


丁度メンデルスゾーンのとブラームスのヴァイオリン協奏曲の橋渡しと言うか、これらと比べても遜色無いくらい!


但し演奏者を選ぶ曲である事(これはブラームスのヴァイオリン協奏曲も同じく)、ヴァイオリニストからは無駄で弾きにくい技巧だらけで敬遠されがちな事(これなんかヴァイオリニストで無きゃ分からない事。私はピアノ専門でヴァイオリンは数年やっただけだから、やはり本職に訊いて初めて納得手(パー))、最後にシューマンのピアノ協奏曲にも言えますが第3楽章が良く書けていても何かインパクトにいささか乏しい事、等が短所かと。



因みにシューマンの病気は脳梅毒だったと、20世紀末だかのドイツの医学者、解剖学者らの所見が発表されてますが、この作品の第1及び第2楽章が嫌いな人は、シューマンの思索的、幻想的な面を全く理解して居ない人かと。


そりゃ凡人にはピアノ協奏曲の方が聞き心地良いでしょう?



しかし私はピアニストで有りながら(そしてシューマンのピアノ曲の大半が大好きで有りながら)、彼のピアノ協奏曲だけはイマイチ好きに成れません!



ロマン派ならベートーヴェンの4番、5番、ショパン2番、チャイコフスキー1番、グリーク1番、ラフマニノフ1〜3番が皆大好きで、全部弾いた経験あるにも拘わらず、シューマンのピアノ協奏曲には関心が持てない。


他方ヴァイオリン協奏曲は、常に好きな作品です。



大体、シューマンと言えばすぐに病気と結びつけたがる人ほど、自らが平凡な小心者だと公言しているに他なりません。


その証拠に、大作曲家、大演奏家でシューマンの悪口を言う者を殆ど知りません。



互いに反発、敵対までしていたリスト、ブラームス、チャイコフスキー、グリーク、ドビュッシーらが悉くシューマンを敬愛していた事を見れば、それは明らかです。

賛成ですね。

シューマンのバイオリン協奏曲のCDなら、十数枚持ってます。個人的にはクレーメル/アーノンクールのが一番好きです。
シューマンのヴァイオリン協奏曲、Youtubeに発見しました。シェリングの演奏です。


私もシェリング盤を苦労して探した末に見つけ出し、今でもこの曲の最高の名演の一つに数えて居ますウッシッシ



第2楽章が特に素晴らしく、以前から私はこの楽章を「シューマンの幻想の天国」と名付け、時には悲しく儚い気持ちで聞いています。


第2楽章のテーマこそが、シューマンが幻覚で天使から教えられたメロディーであり、彼はこのテーマで第2楽章を書いた後、いくらもしないうちにライン川に入水自殺未遂。


そしてそれからは、エンデニヒの精神病院に入院するまでの数ヶ月の間に、この同じテーマを使ってピアノ変奏曲を作曲しています。


彼自身の命名では有りませんが、後にドイツ語で副題が付けられ、邦訳すれば「幽霊(または魂)の変奏曲」とでも成るでしょう!?


以下の私のブログエントリーにこの曲についての詳しい考察を書いています。
興味をお持ちの方はお読みください。

https://kasega.way-nifty.com/chitose/2018/06/post-8c79.html
>>[28]
ブログを拝見しました。シューマンについてこれだけ書かれたものはなかなかなく、とても参考になります。2点ほど、気づいたことを。

ヴァイオリン協奏曲をクララが葬ろうとしたかもしれないという説は、ありそうな話です。ただ、これが本当だとすると、別の疑問も浮かんできます。同じ旋律を使った遺作である「主題と変奏」を、クララはなぜ残したのでしょうか。前田昭雄は「シューマニアーナ」で、実はこの主題はヴァイオリン協奏曲が初出ではなく、「子供のための歌のアルバム」(作品79)の第20曲「春の訪れ」ですでに使われていると指摘しています。「春の訪れ」はファラースレーベンの詩に付けた曲で、該当する箇所の歌詞は「この暗い日々のあとで、野原はなんと明るいことか」というものだそうです。もしシューマンがヴァイオリン協奏曲で意図的にこれを引用したのだとすると、未来への希望をこの旋律に託した可能性があります。しかし、「主題と変奏」では、天使が歌って聞かせたこの旋律がやがて悪魔のものに変わったとされ、最後の変奏の混濁した響きはあたかもラインの川底でブクブクいっているかのように聴こえます。葬るならむしろこちらだったのでは? もちろん、ブラームスの存在を考えれば、彼が曲を救った可能性もあるわけですが。いずれにせよ、ヨアヒムはすべての関係者が死ぬまでこの曲を封印することにし、後世に判断を任せたということでしょう。

あと、アラン・ウォーカーの「シューマン」によると、シューマンの自殺未遂の際、クララは身重で消耗が激しいため、医師がシューマンに会うことを許さず、自殺未遂について聞かされませんでした。彼女がこれを知ったのは、シューマンの死後2年経ってからでした。つまり、クララと子どもたちはエンデニヒの療養所を見舞いたくても行けない状態でした。療養所のリヒャルツ博士は、シューマンを診断して梅毒の症状であることを認めたようですが、クララに配慮してこのカルテを隠して世に出ないようにしたと考えられています。このためにシューマンの死因は不明となり、さまざまな憶測が飛び交う結果となりました。もしかすると、クララは博士から直接このことを聞いたかもしれません。とすると、彼女のシューマンの曲に対する態度は、複雑なものだったと思われます。
[29] みっちさん

いえいえ。読んでいただけたこと自体に感謝いたします。

そして、その後に述べてくださったことは私もしらないことで、たいへんにべんきょうになりました。

ありがとうございます。

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