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(携帯論語)心を育てることばコミュの真の人格者とは、中庸の「尚絅」の精神は世界に通じる

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真の人格者とは、中庸の「尚絅」の精神は世界に通じる

 日々の生活、仕事をしていると、色々な人たちに出会う。それぞれが、多様な経験、生活環境、目指す目標がある。サミュエル・スマイルズ著「自助論」を翻訳した、東京大学名誉教授の竹内均氏が訳した「世界の名著『自助論』に学べ」の末尾に、次の一節があります。人格者とは、どんな人なのかを語っています。

(以下、転載)
 真の人格者は、他人の行動をコテンパンに批判して事態をさらに悪化させるより、自分が多少傷ついても辛抱する方を選ぶ。また、自分より恵まれない境遇にいる人の弱さや失敗や過ちには寛大な心で接しようとする。富や力や才能に驕らず、成功しても有頂天にならず、失敗もそれほど落胆しない。他人に自説を無理に押しつけたりせず、求められた時にだけ自分の考えを堂々と披瀝する。人の役に立とうという場合でも、恩着せがましいそぶりは微塵も見せない。
 これが真の人格者である。日常生活のどんなこまごました場面でも、自分をさておいてまで他人のために尽くそうとうとする――そこにこそ、真の人格者のあるべき姿が如実に示されている。
 (以上、竹内均訳「世界の名著『自助論』に学べ」)

 これを短く語ることは難しいのですが、中国古典の孔子の教えを、孔子に子孫がまとめた「中庸」という経典があります。中庸=真中ですが、この中庸は、周りに状況で中が微妙に動くことです。常識は、時代によって変わります。よって、時々、所所で、良識も変わります。しかし、人と人が関わることは、東西を問わずあります。人間関係の真髄を、教示しているのが「中庸」です。

 中庸の現代語訳「仮名中庸」に次に言葉があります。

「詩に曰く、錦を来て絅(けい)を尚(くわ)うと。其の文の著わるるを悪(にく)むなり。故に君子の道は、闇然(あんぜん)として日の章(あき)らかに、小人の道は的然として日に亡(ほろ)ぶ。君子の道は淡(たん)にして厭わず、簡(かん)にして文温にして理なり。遠きの近きを知り、風の自(よ)るを知り、微顕なるを知らば興(とも)に徳に入る可(べ)し」

(現代語訳)
 詩経に、錦のような美しい着物を着て、薄い麻の衣を上に重ねるのは、そのきらびやかな美しさが、外へ表れ過ぎることをにくむからである。
 そこで君子の道は、ちょっと見えるけれども、日に日にだんだんと現れてあきないが、小人の道は日に日にその箔がはげて見苦しくなる。君子の道は水のようにあっさりしながら長くしても厭わない。簡単にして却って文采があるようである。温和でありながら条理があって乱れがない。遠い彼方に見えるのは近いところに基づき、風のそよぐのはそれを起す内なるはたらきによることがわかり、かすかなようでも、それが重なって明らかに現れることを知れば、ともに相携えて徳を積んで大に至ることを知ることができる
 (以上、「仮名中庸」より)


 人を惹き付ける魅力とは何か?

 解説を私なりに考えると、志を持ち、常に自分を磨く努力をしながら、驕らず、焦らず、淡々と日々の仕事をこなし、求められた時に自分の意見を言う。そして、言動一致の生活が大事と思います。
 この教示を守るには、日々の行動を省みる時間とゆとりが必要と思います。寸暇を厭わず学び、人と語り、実行し、反省する。これは、何時の時代、何処の国でも変わらない人の営みの評価なのかもしれない。

*参考資料:竹内均訳「世界の名著『自助論』に学べ」
サミュエル・スマイルズ著「自助論」
伊與田覚訳編「仮名中庸」

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