ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

競艇の昔話をしませんか?コミュの競艇百物語 第25夜

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
競艇百物語 第25夜
歴史が動き、歴史が満足した。春から秋、モンキーターンの伝承。


1993年春、第28回総理大臣杯。戸田競艇場。
ひとりの新鋭選手がこのとき初めて、
モンキーターンを駆使してビックタイトルを制した。
そして同年の秋、第40回全日本選手権競走。同じく戸田競艇場。
驚く勢いで波及したモンキーターンは、
ひとりのベテラン選手に悲願のSG初優勝をもたらした。
植木通彦のSG初優勝、そして長嶺豊のSG初優勝。
伝承されたモンキーターン    新たな歴史が動き出していた。



その時、歴史は動いた。
 こんなフレーズが思い浮かんだ。大げさな表現かも知れない。しかし、競艇という器の中では、たしかに歴史は動いていた。動こうとしていた。
 筆者は目の当たりにしている。一人の若者の走りが、周りの注視を集めるのを・・・ピットに流れる静かなどよめきを感じていた。
整備室のテレビの中で躍っていたのは、植木通彦という、これがSG競走5度目の出場になる若手選手だった。
 
 文字通り躍っていた。そして踊ってもいた。そのモンキーターンは真に迫って鮮烈だった。威力のほどを多くの選手の目に焼きつけた。
 筆者はこのシリーズ、彼の活躍を前提に「自分もあのターンをやってみますか?」と何人かの選手に訊いたものだ。うなずくだけの選手もいれば「やらんとならんじゃろ」と危機感を滲ませた選手もいた。総じて肯定的だった。

 8年前の戸田である。この年の戸田は、1年に2度のSG競走を開催している。
春は総理大臣杯、秋は全日本選手権。春には前期のごとくモンキーターンが全国に発信された。秋にはそれを受けて、一人のベテラン選手が悲願を達成した。ベテラン選手はレース後に語ったものである。
「モンキーターンをやれたのが勝因、1マークその余裕があったから勝てた!」と。
競艇の歴史は動いていた。半年で確かに動いていた。

● 1993年・春 =戸田
〔第28回総理大臣杯競走〕
モンキーターン自体は、衆知の通り別に新しいものではなった。
パイオニアとされる飯田加一などは「身体の硬さをカバーする為に・・・」「趣味のウインドサーフィンにヒントを得て・・・」若い頃から使ってきたし、長身を折りたたみ捻りを入れて回る古川文雄も、流れの延長線上にある旋回をしていたといえた。
この人も長身だが、超ベテランの小澤成吉いわく、「私なんか昭和30年代からやっているよ」の言葉さえ聞いた。
一般に認知され始めたのが、そこから先立つ事、一年ほど前からなのだ。

植木本人の旋回は、前年の九州地区選優勝時には、既にモンキーターンになっていた。捲くり差しの練習中に意識せず腰を上げて回ったら、素晴らしいターンになった事が始まりだというが、それを支えていたのはデカペラだ。
 プロペラのサイズが大きくなり、常識となっていくのは、91年の秋である。翌92年の2月・3月に、これまでG1競走に優勝経験のなかった「モンキーターンの代名詞」飯田加一が、関東地区選と三国38周年に続けて勝ち、相乗効果が露となった。
植木のG1初優勝、前述の九州地区選もこの時期だ。

振り返れば、良いだの後を受ける形で「デカペラの元祖」なき沢田菊司さんが、琵琶湖40周年・丸亀40周年と4月のG1競走を連覇している。
こちらも長い選手生活を送ってきながら、タイトルに恵まれてこなかった身の上だった。
時期が時期である。歴史は時に見事な予定調和を見せる。競艇における代表的な例だろう。
 かつて飯田が、他の選手から「危なくて一緒に走れない」とクレームがつき、競艇場から帰されたという受難気を過ごしてきたと聞けば、よくぞスタイルを変えずに来たと思う。

そもそも飯田は、デカペラ以前、記念戦線では苦戦している時も、レコード男としては有名で、この部門では今村豊と並ぶ存在だった。「タイムが出る」のは、ターンが優れている証拠、そこに一部の選手が注目した。
プロペラが大きくなる事で、ターンが安定し、状況が取り入れやすくしていた。植木通彦が、上瀧和則が、烏野賢太が、才能に恵まれた若手が、孤高の使い手だった飯田加一に続きだした(先に古川文雄、小澤成吉の名前が出たが『モンキー』の名称と共にあったのは、この人だけである)それが92年の事だった。

 こうして見ると、今の競艇に飯田加一という選手の果たした影響は極めて大きい。タイトルの数や実績を超えた功労者のひとりだと思う。
或いは、デカペラの登場の必然的な流れとして、モンキーターンは生まれていたのかもしれないが、小ペラの時代から守り通してきた事実は重い。

 ともかくモンキーターンの威力は飯田加一に続く第二世代によってじわりじわりと広がり始めた。筆者が「これは!」と感じたのは92年のモーターボート記念の予選で、烏野賢太が1マーク→2マークと内を伝い、先行2艇を捉え突き放した場面だったが、植木もこのシリーズ354123142とまとめ、秋の全日本選手権でも後半3連勝とアピールしている。
ただし、ここで史上最年少SG制覇を成し遂げた服部幸男は、まだモンキーになっていなかった。またそれより先にG1優勝に到達した松井繁も(5月・戸田36周年)従来のターンによるものだった。
彼らは言うまでもなく、植木より若い選手だ。93年に入り総理大臣杯を終えるまでは、あくまでもモンキーターンは一部の選手に限定された『技術』だったのである。

【予選】
初日のドリームメンバーは、1号艇から鈴木幸夫・中道善博・服部幸男・野中和夫・今村豊。新世代の代表は『ダービー覇者』の看板が眩しい服部だった。
服部は6コースに出されたものの、割り差しからマーク全速で2着と好走した。勝ったのは野中、枠不利なんのそのイン速攻である。
連続優出機が41%のボートに付いて周囲からは「超抜」の声が上がっていた。

一方、植木の引いたエンジン『能登』はよくなかった。2連対率28%は今村が引いた『松前』の25%よりはマシな数字も、前検から下がり気味の動きに本人の表情も冴えなかった。
だが、植木は緒戦を快勝する。今期勝率7.81で乗り込んできた期待感が、エンジン抽選によって歪みかけたのだったが、すぐさまそれを膨らませた。
1マーク=ツケマイ、2マーク→2周1マークと巧みなターンを連発、流れるような手順で先行する福永達夫、大島一也を抜き去った。
「エンジンが出よる、出よらん、走りなれとる、慣れとらんより、今節は水面がよくて自分のターンが出来る。これだけで良いですよ」植木は2度目の戸田参戦だった。オマケに1年半前の初出場の時にはFを切っていた。
ここでもF持ちならスタートの不安は否めない。予選ではどこかでアジャストしていた。その代わりターンで魅了した。
2日目は5コース、4日目は6コース、アウトでスピードの違いを見せつけ、勝ち星を積み重ねた。ことに2日目は、まくり態勢の今村を外から潰す印象度満点の勝ち方だった。
アシそのモノの幸い「回りやすさ」だけはあり、ピストンの交換などによって、徐々に力強さも増していった。(「整備員さんのおかげ」と後に感謝の言葉を忘れていない)。
予選3位で準優に進出した。

【準優勝戦(3月22日)】
植木の出番は最初の10Rだった。
前つけの飯田加一、鈴木幸夫を内に入れ、外の桑原淳一の圧迫を受けながらも、3コースからツケマイ一気に抜け出した。2着は飯田。鈴木と差してきた桑原、西田靖が競ってもつれる2マークを切り込んだ。奇しくもこのシーン、握った植木、差した飯田と、新旧モンキーターンによる2本のシュプールが描かれた。
 次の11Rは、シリーズ最高の出足を誇る清水克一が逃げ切った。中道善博の捲くりを受け止め、福永達夫の差しを押さえ込んだ。立ち上がりのアシは素晴らしかった。ここでの2着は濱村芳宏。中道と福永の道中競りに乗じて、同世代の植木に続くSG初優出を記録した。こんなところにも歴史の動きはあった。
 初日から評判の仕上がりで、オール連対で乗ってきたカド野中をジカ外から今村がまず捲くった
野中はやむなくイン変わりのハンドル、そこからバックの伸びが凄かった。2マーク何と先取り、それを今村が差し、2周1マークで今度は野中が差し返したものの、2周2マークで今村が内を突いて決着を見た。
当初は整備に苦労した今村だったが、優勝戦に入っても「ヒケをとらないアシ」にまで直していた。

【優勝戦(3月23日)
スター選手2人の他は、SG初優出が4選手のメンバー構成となった。そこにはモンキーターンを象徴する選手がいた。
遅咲きのイン選手が好出足を誇っていた。新世代の逸材がもう一人名前を連ねていた。なかなか味わい深い6選手といえた。

 イン予想の清水に飯田が前付け、深く入った飯田に対し、清水はターンマークお越しの2コースに引いた。野中は6号艇ながら、いつも通りの進入駆け引きで3コース取り、それもカドにした。
濱村が頑張って野中マークを粘った為、植木―今村は5・6コースになった。思っていたよりも外に出された。
 インが立ち遅れ、スリットでは清水の楽勝体制だったが、センター勢のスタートがかからなかった事が植木に幸いした。
濱村・野中を飲み込んだ勢いで、捲った清水に襲い掛かった。清水も準優で見せた鬼アシで、しっかりと踏ん張った。BSラップ、2マーク勝負になった。
 一瞬のこう判断だった。「いつもはツケマイに行くところを」植木は清水を回して差した。
ズボッと音が聞こえてくるような差しだった。並びかけた瞬間、勝負は決した。内有利を取ればモンキーの威力は絶大だ。2周1マーク、植木の作る航跡に清水は成す術がなかった。
「出足が落ちていた」と野中。
「6コースになるとは・・・」と今村。
格上2人が実力を発揮できなかった事もあるが、ターンによる勝利は明らかだったし、シリーズ全般を見渡せば、より浮き彫りになった。
戸田にいた選手ばかりではない、どこかで誰かが植木を見ていた。この優勝は『モンキーターン普及』の最高のプロモーションになった。
かくして、歴史は動き、今日の競艇に向かう事になる・・・・


● 1993年・秋=戸田
〔第40回全日本選手権競走〕
春の総理大臣杯で、競艇のベクトルは振られたわけだが、歴史は立ち止まりもする、揺り戻しもある。
笹川賞=野中和夫 グラチャン=安岐真人 MB記念=原田順一と、その後のSG競走では、ベテラン選手の優勝が続き、結局は秋も変わらなかった。
 しかし、表面上は停滞していても、ベテランの反抗こそが、モンキーブームの浸透を示していた。笹川賞優勝戦2マークの写真には、腰を浮かした野中の姿が写っている。1マーク前傾姿勢もかなり深い。第一人者の意識、認知度が見て取れる。
 グラチャンは住之江のボートの軽さ、MB記念は福岡水面1マークのウネリが、モンキーターンの威力を削ぎ、植木自身も不調に陥っていたのだが、当時においては、このターン自体の成熟度、プロペラとのマッチングが、まだ発展途上だったといえるだろう。
全体としては、着実に広がっていった。誰もがやる、キャリアに関係なくやる、モンキーターンの向かうところが見えてきた。
秋になり、再び戸田にSG競走が帰ってきて、あいにく植木がF休みだった全日本選手権で、またしてもモンキーターンによる、感動のシュプールが描かれるのだ。今度もSG初優勝だった。今度は選手生活30年目のベテランの勝利だった。

【予選】
出発は1Rだった。長嶺豊のSG優勝はここから始まった。
エンジン59号機(今回のエンジンから、戸田も地名から番号になっていた。場外発売の規模の拡大化に従い、エンジン名称の全国統一が図られた)は前節の優勝機で、ギヤケース名人の小澤成吉が、節一のアシに仕上げたものだったし、長嶺自身にも、5月の笹川賞で準優勝の実績があった。
後半のレースほど選手構成が厚くなる番組の構成からすれば、何故1R(しかも1回走り)だったのか。
 だが、前節は『ダービー』を直後に控えた低勝率機シリーズだった。長嶺本人もF休み明けで、休みに入る前のMB記念では、644566655と不調を極めていた。今期勝率6.20も出場者で後ろから2番目だった。ネームバリューのある選手を1Rに持ってきて、核に据えたという見方は出来た。
 実際、長嶺は『◎』印をずらりと背負い、ファンにも1番人気に押された。なのに長嶺は期待を裏切る。女子選手の鵜飼菜穂子にインを粘られ、2コースで揉まれて5着と大敗した。
それを受けた。2日目も2R一回走り、ここでもスタートかからず5着だった。2走で準優ピンチに陥った。伸びはあっても出足のない仕上がりに苦慮していた。
 3日目もまず1R。エンジンメンバーは軽かったが、逃げた松田雅文に続く2着までだった。後半の6Rでイン速攻を決めてシリーズ初勝利、ようやく一息ついた。
で、4日目は3R1回走り、イン鵜飼を2コースから置き去りにして、準優ノルマの得点率を超えたのだ。
 「出走表の右側(7R〜12Rの後半レース)に載ることなく、準優まで来た。ついとるよなぁ」
日ごとに出足も良くなってきていた。

【準優勝戦(10月11日)】
準優10Rは野中が捲った。この人にしては当たり前の出来事も、実は6号艇の勝利、ギリギリの準優出だった。556着の土壇場から121着と盛り返して乗ってきたもの。
その3走のスタートタイミングを記せば09・02・00で準優も02だった。「なんちゅう男や。スリット持って走ってるのと違うか」
それを見た長嶺は唸ったのだが、自分自身も続く11Rのタイミングはコンマ00だった。最もここは4挺Fの事故レース、地元・池上祐次と内を固めた2人が『00』で残った。
ただし、長嶺はFに関係なく先マイしていた。前2走のタイミングが04・06できて3連勝目が00、野中に負けていない。ここ一番スタートに泣くことの多かったこの人が、瀬戸際で笑う立場になった。風向きが変わっていた。
「ダービーに向けて」温めてきたモンキーターンも決まってきた。
 準優ラストもモンキー逃げだった。大嶋一也、総理大臣杯時の筆者の問いかけに対し「明日からでも」とモンキーターンへの積極的な姿勢を示した選手だった。実績機にも恵まれて遅すぎるSG初優出を決めた。
2着のベテランの岩口昭三も、モンキーターンに取り組んでいた。というよりも誰もが大なり小なり、このようなターンを自分のものにしようとしていた。

【優勝戦(10月12日)】
長嶺にとっては優勝戦前にエンジンの外回りを見たのが正解だった。気になっていた回りアシがアップした。2号艇で上手くインが取れた。1号艇の野中の行き足が甘く、イン戦に不安を残していた心の間隙をついた。何よりトップスタートが決まった。06のタイミング、またしてもゼロ台だった。
 1マーク。3コースから大嶋がモンキーターンで襲い掛かってきた。これをこちらもモンキーで受け止めた。野中は前記両者の間でもがき、外の選手の出番はなかった。
2マーク。長嶺が回る。大嶋がツケ回る。モンキーターンがキレイに同心円を描いた。これでは内の利は崩れない。長嶺は遂にSGタイトルに到達した。
悲願の優勝は達成された。

記者会見の間ずっと、長嶺選手は静かな笑みを浮かべていた。涙はなかった。むしろ感激をこらえられなかったのは、喜多條さんや小寺さん、親交の深い人たちだったのを目撃している。
祝福の嵐に包まれた、素晴らしい優勝劇だった。そこにはベテランを支えたニューウェーブの技・モンキーターンが介在していたことを忘れてはならない。
 翌年の総理大臣杯でも、モンキーターンを手中に入れた大森健二選手にSG初タイトルがもたらされた。デカペラ以前から遡って、オーナーペラの時代はこの旋回に見向きもしなかった世代が認め、実績を上げたことによって、モンキーターンは広く定着したのだと思う。
まぁともかく、その年の戸田では、春の総理大臣杯で歴史は動き、秋の全日本選手権では・・・。
「歴史は満足した」
こう書いて、この文章を終えたい。


・・・・・おしまい


マクール「競艇百物語」 文・鷲田義継 より


コメント(16)

お!植木の話ですね!
時代が動く瞬間って、目の当たりにしてみたいなぁ。
せいじんさん
時代が動く瞬間を目の当たりにしたいモノですね。
この総理大臣杯の優勝戦は、僕が過去のレースの中で生で見てみたいレースの一つです!
このレース長い競艇暦の中でもオイラが1番好きなレースですw
1周2Mで植木が同県の清水克一を差したターンはド迫力でした
正に時代を変えたターンだと思っています

準優も行ってたんですが、これもド迫力の強ツケマイ
飯田加一とモンキーのワンツーでとても印象深かったです
ちるとれーどさん
この優勝戦を見に行っていたんですか?うらやましい限りです!!!!
今まで見たことのない様なターンをするレースを目の当たりにしたら、やっぱり興奮しますよね。
昔、一般戦だったのですがデビューしたての瓜生正義のレースを戸田で見たとき、他の選手とのターンスピードの違いにビックリした記憶がありますが、その時の驚き以上の驚きだったんでしょうね。

それと同じ理由で今村豊がデビューしたときのレースを、その時リアルタイムで見てみたかったですね。
全速でターンすることのなかった時代に、全速でターンする驚きを見たかったですね。
池田浩二や瓜生のウイリーモンキーって、結構時代の変わり目かと思ったけど、そんなに時代は変わらなかったww
σ(・_・)が時代が変わるかも!と思ったのはまちゃるが優勝した戸田総理杯の準優勝戦で田村が植木をマクリ潰したレースかな?
結局田村は2着だった気がするけど、植木の下降線はここからって気がします。
もいちさん
僕もウイリーモンキーの話を聞いたとき「レーススタイルが変るのかな?」って思ったけど、それほど威力のあるターンになるわけでないようですね。
でも、今でもやっている人がいるのを見ると、何か違うんでしょうね。

ぶんぶんさん
僕が「時代が変るかな?」って思ったのは、この競艇百物語にも後で出てきますが、今垣が勝ったチャレカで安岐真人が濱野谷憲吾に競り負けて、2着になれなくて、賞金王に出場できなかった時かな・・・
あのレースで世代交代が完了した、ってそのレースを見ていた全ての人がそう思ったのではないでしょうか?

1485さん
僕はたしか準優に行っていなかったんじゃないかな?
優勝戦に行った記憶はあるから・・・
西村が勝ったSGは、なんだか三角が勝ったSGとダブっているなぁ〜って思ってみていた記憶があるよ。
西村も12月の最後の斡旋で優勝して、総理大臣杯にギリギリで乗れて、優勝してしまったから、
そのまちゃるの勝った12/31の戸田、参戦していた気がする。
イン逃げ決めて優勝インタビューでTVゲストだった滝澤が
「総理杯出場おめでとう。俺はでられないけどがんばってな」
と淋しいコメントを出していた気がするよw

少なくとも滝澤とまちゃるの立場が入れ替わった瞬間だなw
ぶんぶんさん
滝沢のそれは、そうとう淋しいコメントですね。

滝沢と西村の立場が入れ替わった瞬間・・・・
その通りかも知れませんが、滝沢はわが道を行くって感じだから、あまり関係ないことなのかも知れない・・・汗
今回はちょっと長めの文章でしたね。
まだまだ、続きますよ!!!
やっとこさ終わりました。
読んでくれた方、ぜひ感想をお聞かせ下さい!!
ザビエルさん
ウイリーモンキーも山崎智也の片足上げターンもカッコつけなのかもしれないですよね・・・汗
はじめ、ウイリーモンキーってボートが水面に接している面が少ないので抵抗が少ないからスゴイターンが出来るのかと思っていました・・・
池田浩二が何年か前にイン逃げでブイブイ言わせていた頃、でしたよねウイリーモンキーって噂になったのは!だからそれなりに効果があるのかと思っていたんですけどね・・・
久間のウイリーモンキーってイメージがないですね・・・汗
久間のレースをあまり見ていないって事なんでしょうが、ベテラン選手はいろいろな事をやりますよね。
平和島で上島がチルト3で優勝したらしいし・・・

ログインすると、残り3件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

競艇の昔話をしませんか? 更新情報

競艇の昔話をしませんか?のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング