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競艇の昔話をしませんか?コミュの競艇百物語 第十五夜

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競艇百物語 第15夜
新鋭王座事始め〜ポスト今村豊へ駆けた覇者と若手群像〜

新鋭王座決定戦の歴代優勝者は、現在までに11人入る。
そのうち実に7人までがSG覇者となっているのだ。
新鋭王座に勝つことは、すなわち超一流の証。
13年前、第1回新鋭王座決定戦は平和島で行われた。
今村豊がズバ抜けていた。圧倒的な存在として君臨していた。
しかし、その優勝戦のスリットを01で突き抜け、優勝をさらったのは、後のダービー王、山室展弘である。


 今を表すシーンだった。
1マークで、今垣光太郎に内をえぐられたものの、それでも安岐真人は差し残って2着をキープしていた。チャレンジカップ優勝戦、このままなら賞金王決定戦出場がかなう・・・。
 2マークを回って、濱野谷憲吾が内をついてきた。これをホームで押さえ込む。必死の斜行(変な表現?)で2マーク先マイ。もう一人迫ってきた松井繁は振り切ったが、濱野谷にはツケ回られた。素晴らしいスピードだった。
 2周バックはラップ。だが、次のターンで力尽きた。キャビって座った安岐の内を、難なく濱野谷は擦り抜けていった。
 この瞬間、1999年賞金王決定戦の出場メンバーが決まった。12位には安岐とは最も対極にいる、若い山崎智也が残った。オール登録3000番台の12人になった。前年に続いて、もはや違和感はない。その前も最古参は「2992」の今村豊だった。
 安岐しかり、年齢に真っ向から抗う一部のベテラン選手の奮闘には、本当に頭が下がる。しかし、賞金王メンバー12人の構成が、今を映し出している事実は否めない。その今は、おそらくここを礎とする。

1986年
 この年に始まったビックイベントといえば、まず賞金王決定戦である。当時は「競艇グランプリ」だった。現在の名称に統一されたのは、第2回からなのだが、ともかく優勝賞金3000万円は、すでにあった「競輪グランプリ」を1000万円凌駕するもの。「プロ競技世界最高の個人賞金」の謳い文句も華々しく、インパクトは抜群だった。
 そして、もうひとつの柱が「新鋭王座決定戦」の新設と、それにつながる新鋭戦のリーグ戦化だったのである。それまでも各地で、この手の競走は人気を博していた。これらを一本化し、なおも決定戦的なイベントを用意したのだ。若手にとって、明確に競い合う場がもたらされたのだった。『登竜門』という言葉がある。まさにそれだ。現在の競艇を支える多くの人材が、新鋭リーグの洗礼を受けてきている。今はここに始まった。的外れな言い回しではない。
 前年の9月29日に「1月1日現在で、登録7年未満の選手を対象」として、実施が決まったレーグ戦は、期別では44期以降に出場権があった。年度替りを待って、最初の年は4月に開始、半年間に11戦を消化し、12月の平和島に決定戦が組まれた。記念すべき第1回のリーグ戦競走は蒲郡で行われた。そう、記念すべきシリーズである。ここにはあの選手が斡旋されていた。
 今村豊だ。彼の出現が、活躍が、リーグ戦の構想を描くに当たって、大きな要因になっていたのは間違いない。「今村に続け!」である。業界は新しい時代の到来を、彼によって見せつけられた。時代の要望に形あるものとして答えたのが、新鋭リーグと決定戦だったと思うのだ。
 今村豊の存在は絶大だった。だが、絶大ではあったが絶対ではない。最初のリーグ戦、今村は破れている。

●1986年4月8日(蒲郡)
〜86新鋭リーグ第1戦優勝戦〜
小林昌敏(30歳)22111321
今村 豊(24歳)11111121
木下繁美(28歳)6124432
山室展弘(24歳)22111321
丸尾 完(29歳)2431332
中村裕将(23歳)13322652
 
 今村に人気が集まるのも無理ない、ここまでの成績である。一度捌き損じた以外は、完璧に立ち回ってきた。どう勝つかだった。
 当面の相手は小林と見られていた。今村ほどではないにしても、この時点で記念ホルダー(前年の中国地区選手権)になっていて、3月の総理大臣杯では優出の記録も持っていた。最古参の44期生、年齢から言っても、キャリア組みの代表格である。
その小林が、枠有利の中村を制してインに回り込んだ。中村が2コース、スローに入って木下、今村はカドの4コースに陣取り、外に山室―丸尾とつけた。
 インから20−11−12−10−14−19のスタートタイミングで、スリットを通過した。この段階で一方の雄・小林は終った。中村が態形を利してまくり、今村は差しにまわった。一対一なら2マークで楽に捌いていただろう。しかし、山室が負けないハンドルで差し続いていた。バックは三社の並走となった。今村は51期生の2人の挟まれるカタチになった。
 51期生。俊英揃いと評判の期、この文章のキーワードかも知れない。ここでは山室が、2マークで今村のうちに突っ込んでいった。そして差し抜けたのが中村だ。期せずして見事な連携プレーとなり、大本命に一矢を報いたのである。
 中村にとってはこれが初優勝だった。ついでに書けば追配での参戦だった。そこでエース機をひいていた。ツキまくっていたのだ。
 2着あらそいは3周1マークまでもつれた。今村が差して決着、払い戻しも1530円に収まった。負けてなお強しである。山室の健闘も光った。シリーズ全走3着以上で終えたのだ。大物ぶりをたっぷりと見せていた。
(以下、4着―小林・5着―丸尾・6着―木下)
第1戦はこのようにして終った。残る10戦の優勝者を記すとこうなる。

【宮 島】山崎 毅(44期)
【琵琶湖】長谷 浩(48期)
【丸 亀】大嶋一也(49期)
【福 岡】山崎 毅(44期)
【浜名湖】尾崎鉄也(45期)
【下 関】大嶋一也(49期)
【住之江】土性弘行(44期)
【江戸川】佐々木輝雄(44期)
【多摩川】今村 豊(48期)
【大 村】長岡茂一(57期)

今村以前の選手が目に付く。今村以後、つまり3000番台では大嶋が?2と現在を忍ばせるが、なんといっても長岡がデビュー1年の新人の身で、優勝しているのが特筆に価する。(これが初優勝だった)
 今村も「2度目の」多摩川では、苦もなく優勝している。412111?の成績だったから、先の蒲郡と合わせると16戦12勝15連対だ。やっぱり傑出していた。

「彼は僕らとは次元の違うところでレースしている」
当時の今村を称して、山崎毅の残している言葉だ。
「新鋭王座ですか?自信ないですよ、今村さんがいるから」
記者の質問に西田靖は彼らしい言い回しで答えたものである。

どの選手の口からも、少なからず「今村豊」の名前が出てきた。話題の中心に居座っていた。それも無理は無い。周りを畏怖させるに十分すぎる実績を持っていたのだ。
 新鋭王座が立ち上げられた時、44期以降の選手で記念ホルダーは今村と前述の小林だけだったが、小林はひとつだけなのに対して、今村はSG笹川賞を含めて85年までに5つ、しかも86年になって3つ増やしていた。通算記念?8となった6月の津34周年などは、最終ターンで加藤峻二を大逆転しての9戦パーフェクト優勝である。才能にますます磨きがかかっていく最中だったのだ。その夏期間の勝率は8.14、新鋭レベルでは抜きん出ていた。
 だが、この「目玉商品」の新鋭王座出場が、リーグ戦の始まった当座は微妙だった。例年12月に開催されている今村の地元の下関周年と新鋭王座の日程が重なっていた為で、新設が決まった時の斡旋順位からすれば、周年記念の方が上にあったのだ、どうなるかとみんなが思っていた。簡単に道筋は作られた。
 8月7日に『選手出場斡旋規定』が改正されたのである。ここで新鋭王座決定戦が、競艇グランプリとともに晴れて特別競走となった。優勝賞金は記念並みに600万円となり、斡旋順位も周年記念より上位になった。今村の出場への障害は取り除かれた。業界の意思が働いた。新しい空気が吹いていた。
 そういう空気は、新たな流れが、レースシーンにも現実となった。それは新鋭王座を2週間後に控えた、11月終わりの事である。登録3000番台、ポスト今村豊世代から始めての記念ホルダーが生まれたのだ。

●1986年11月28日
《江戸川施設改善記念競走・優勝戦》
井上弘(47歳)131524
高辻幸信(36歳)414421
高峰孝三(40歳)131211
彦坂郁雄(45歳)621111
西田靖(25歳)315223
福永達夫(38歳)2111146

やったのは西田だ。当時の江戸川の進入は654321。若さに関係なく2コースは取る。インから19−20−15−13−19−20のスリット通過、ジカ外の彦坂がアジャストしてくれた事も助けられた。彦坂を跳ね除け1マークは差し、逃げた福永を追った。そして2マーク、福永が強引に西田を抑えて先マイしたものの、その分流れた。こらえて差した西田がホームで並び、2周1マーク内有利に回って、エポックメーキング的な勝利を飾ったのである。
〔以下、3着=彦坂、4着=高峰、5着=井上、6着=高辻〕

現在67人(99年浜名湖施設改善の野沢大二まで)いる3000番台の記念ホルダーは、この西田を魁(さきがけ)としている。SG覇者も21人になった。ここに始まった働きである。競艇を取り巻く制度・環境・人…それぞれの流れが重なり合い、未来の扉を開こうとしていた。
 西田もまた51期生だった。彼の弁によると「確かに僕は、本栖時代からスタートは早かったけど、そこでは2番だった。1番は別にいたよ」それが山室である。同期の中でも最も評価の高たった男が主人公になる日は近かった。

●1986年12月12日(平和島)
〔第1回新鋭王座決定戦競走〕
今でも新鋭リーグを走る選手の多くが、「リーグ戦は苦手」とコメントする。一様にスタートから攻めていく同型揃いだからだ。山室も「新鋭戦は?」と尋ねられると「好きやない」の答えだったのだが、決定戦が開催される平和島には、相性の良さを感じていた。そもそも2年前のデビュー初優勝がこの地である。
そして、2度目の参戦、前年の9月に行われた施設改善が記念初出場だったのだが、なんとそこで物怖じせずトップスタートを連発、優勝戦まで進出していたのだ。最後はコース負けもあって、平和島の鬼・高峰孝三の5着に終わったものの、首都のファンに『山室展弘』の名前を大いにアピールしたものである。またその後に、夏の32周年記念でも334136522と健闘していた。

一方、今村の不安材料は、山室とは対照的な水面実績だった。過去7度の参戦で、最初の2回以外はSG。G1だったとはいえ、優出経験すらないというのは、他所での活躍に照らし合わせると、はっきり物足りない。ここがF休み明けでもあった。

地元の代表として西田への期待も大きいものがあった。なんといっても記念を獲ったばかり、勢いに乗っている。初日のドリームにも、胸を張って臨める立場になっていた。

【予選】
そのドリーム戦は、今村・西田の他は、小林昌敏、山崎毅、瀬尾達也、中村裕将で組まれていた。2回走りの前半を余裕の捲くり差しで勝ってきた今村が、当然のように人気を集めた。だが、ここで「受けのレース」をしてしまう。
 内に山崎を入れての2コース、スロー発進。1マーク躊躇して逃がしてしまい、その間隙をジカ外の小林にも衝かれ、道中も競り負けで3着と、連を外してしまったのである。配当は「山崎毅→小林昌敏」で5030円と荒れた。今村に人気が被っていたせいもある。
 山室は目立たないなからも動きは良かった。持ちモーターの60号機は複勝率45%の実績機。緒戦4着は6コース、2戦目は4コースで豪快に決めた。以後にも勝利には結びつかなかったが、道中に見せるパワーは、かなりの物だった。
 
 序盤飛び出したひとりには、山崎昭生がいた。捲くって、差して、初日連勝。気持ちのいい握りこみをみせていた。彼も51期生である。そしてもうひとり、最年少の長岡茂一が頑張っていた。6コース1本の不利を感じさせない、見事な立ち回りで3日目を終わって3121、得点率トップに立つ活躍だった。
 今村が本来の姿を取り戻したのは、3日目からだった。2日目も2コースかでアジャスト、尾崎鉄也の逃げを許し、3着と再び連を外したが、ここで軌道修正、スカッとツケマイを決めた。こうなれば予選最終日も楽に捌いて連勝、この日、長岡が大敗したこともあって、やはりというべき、得点トップの準優入りとなった。このまま突っ走ると誰もが思った。だが、準優は波乱に彩られた。

【準優勝戦】(12月16日)
西田が最初の7Rを制した。予選は着がまとまらず、勝負がけを差しきって乗ってきたのだが、さすがにここ一番は冷静だった。
 1枠・尾崎鉄也―前付け・掛水義盛と入ったうち2艇を、田中太が捲くって先行、西田は外マイ、片山晃が割り差しの1マークだった。落として差していた瀬尾達也が2マークで田中、片山に突っ込んだ展開を西田が捕えたのである。
 続く8Rは、前付の高瀬(現姓・久次米)弘之を山崎毅が捲くって先行もF。差し続いた山室が1着で優勝戦に名乗りを上げた。2着は小山隆。1マークの差しは行き過ぎたが、そこから猛追、2番手にいた山崎昭生に最終ターンで突進を決めた。

 で、問題の9Rである。勝たねばならない今村だった。しかし…
大井崇夫と大嶋一也の回りこみは、予選のコース取りから予想された。2人が艇を前に向けた時、今村は十分な間隔を取っていた。「カド一気」をみんなが思った瞬間、スーッと白いカポックがスロー水域に入っていったのである。このコース選択が裏目に出た。
 今村よもやの立ち遅れ、目を疑う光景が眼前に展開された。こちらがカドになった佐々木輝雄が、有無を言わさず捲くってしまった。マーク差しの小林昌敏が2着をキープ、長岡も大外からスピードを持って回ったが3着まで。今村は水煙の中に沈み、その後方の4着に敗れた。
 優勝戦を前にして、確固たる核を失った。実績では小林だったが、仕上がりの弱点は隠せなかった。西田とてもう一息、気力的には山室だったか。しかも枠番抽選で、絶好の1号艇を手にしたのだ。

【優勝戦】(12月17日)
この枠である。山室は当然インまで考えたという。スタート練習ではあっさり5コースに回った物の本番ではオレンジポール横にスローダウンした。つまり入る構えである。しかし佐々木が先に2マークブイにつけ、田中も回り込んできた。この2艇の並びは練習通り、違ったのは山室がセンターを主張したことだった。その分、小林―西田がひとつ外のコースになった。小山は最初から大外、3対3の進入形態、山室は今で言うカド受け、準優の今村はそこで失敗していたのだが・・・
起し位置など関係なかった。山室はスリットで決着を付けた。コンマ01の全速スタートに誰がついていけるだろうか。小林のツケマイにも動じず難なく先マイ、佐々木がイン差しの形で一瞬迫ったが、前を塞がれ煽られ落水。小山が差した時には、山室は独走態勢に入っていた。

 あれから数えて、新鋭王座は今年で14回を迎える。その翌年には、今村がきっちりとモノにした。錚々たる選手が覇者に名を連ねている。
 昨年、この山室はダービーを獲った。これで歴代覇者11人(長岡茂一・市川哲也は2度優勝)の内、7人がSGタイトルに到達した事になる。ここに新鋭王座の価値がある。
 いつも我々は、ニューヒーローの出現を心待ちにしている。それゆえ若者たちの戦いに胸躍るのだ。今年もその時が近づいてきた。ドラマの行く末をしっかり見定めたい。



マクール「競艇百物語」 文・鷲田義継 より



・・・・おしまい

コメント(22)

明けましておめでとうございます。

今年もコミュニティ「競艇の昔話をしませんか?」をよろしくお願いします。

1月には新鋭王座決定戦が始まりますね。
そこで、第一回目の新鋭王座決定戦のお話をどうぞ・・・
新鋭王座といえば、長岡選手は、市川選手とともに、2回とっているのです〜。今ではできないので、貴重な記録です〜。

歴代、すごい選手ばっかしなんですが、平池はなぁ。。。
もいちさん
今回の第一回の新鋭王座の話にも「長岡茂一」がちょっと出てくるのでお楽しみに!
新鋭王座の歴代優勝者みてきました。。すごい面々ですね…

今年も宜しくお願いします!楽しみにしてますよ♪
funyazouさん
第1回目からして一筋縄でいかない選手が優勝していますからね(笑)

ちなみに、この文章は6・7年前に書かれたものなので、そのへんを考えて読んでもらえたら嬉しいです。
今は一生に一回のタイトルですからね、新鋭王座は!
今年はどんな若手が名前を全国に売るんでしょうね?
せいじんさん
そうですよね、研修所の卒業レースと同じで一回しか獲れないモノですからね。選手の気持ちの入れ方も違うでしょね。

今年は、出場選手もなかなか粒ぞろいで楽しみですね。
さすが山室先生!
若い時から山室先生だったんですね(笑)
今村豊は競艇の規則まで変えてしまったんですね(笑)
一人だけ全速ターンできる今村豊のレースッぷりって見てみたいっすねぇ!!別次元の早さだったんかな。見た目でもわかるんかな。それだったら見ててスカッと!するしなんか今村が出るレースだけでも見ようってなりそうっすね!規則改正するくらいだからそうなんだろうなぁ。。。他艇がスローに見えるくらいのターン!!見たい!!!

PS 今となっては山室先生の新鋭時代というイメージがつかない・・・(笑)
おゆうさん
瓜生が新鋭の時、戸田の一般戦を走っていた時、一人だけ違うスピードでターンしていたのを見て驚いた経験がある。
今村を始めて見たファンはそれ以上の驚きがあったんでしょうね。
僕もその時をリアルタイムで見たかったよ。
今村選手で一番好きなレースは
多摩川でダービーを獲ったときのターンです
5コースからのつけまい
スピードの違いを感じました

18年も昔の記憶です
もう一回見てみたいな
まーまれーどさん
多摩川のダービーを取ったころ、見てみたかったですね。どんなに今の選手のターンがスゴイって言っても、あの時の今村の走りの方が驚きが大きかったんではないでしょうか?

アチコさん
僕も今、新鋭戦の映像見ています。今以上にダンプのような舟に接触する事が多いような気がします。
あの頃は、みんな若かったんですね(笑)
今月号のマクールに掲載されている「競艇百物語」は第2回新鋭王座決定戦の話でしたね。

初代新鋭王座は準優で夢破れてしまいましたが、しっかり第2回で優勝する、さすがですね。
これにておしまいです。
皆さん、どうでしたか?
いやぁ〜〜〜。
新鋭王座で活躍して伸びていく若手を見ると、やっぱりわくわくしますよね〜!

アチコさんと一緒で、山室先生や大嶋一也の新鋭ってあまり想像できない・・・w
なんでか今村豊はすんなりと想像できるんですけどね。
せいじんさん
今村の新鋭の時を想像できるってなんとなく分かるなぁ・・・って言うか今村が歳とってないような活躍ぶりだからかなぁ
デビューしたてのプリンスを見ているのは俺だけ?
当時は今みたいにスポーツ新聞などは充実してなくて、ましてや競艇専門雑誌なども無い時代で、情報と言えば実際のレース場へ行った時に配られる冊子や競艇仲間からの情報のみでした。
当時はそれでも噂で「本栖から凄い新人が来るらしい」と聞いていました。なにせ歴代で1番多く転覆しているが「ターンが全然違う」との評判でした。それまでの古株の選手は「文鎮ターン」とか「お地蔵さんターン」と呼ばれた座ったままのターンで先に1マークを回った者勝ちでした。
それが今村豊のターンはそれらとは全然異質なもので、先ず待機行動時間中から違いました。
現在とは違いイン競りが激しい時代で内側では艇と艇がぶつかり事もしょっちゅう、果てはわざとエンストして時間稼ぎ(当時は2回エンストすると外へ出なければならず)してたり、悪事の限りを尽くしていましたヾ(@^(∞)^@)ノわはは
それがそんな争いには目もくれず、水面の一番端⇒つまり一番お客さんに近い所に沿って四角形に全速力で回っているのです。それを3周くらいだったと思いますが(2周かも知れません・・・)時計が回るとレスキューのいる地点から今の阿波・小川・吉岡選手よりまだ外側の端からトップスピードでスタートを合わせてきてあっと言う間に『ハコ捲り』でイン勢をねじ伏せる。艇は絶対当てない⇒これが新人当時からのプリンスの信条でした。同世代の北方正孝や同じ捲り屋の国光秀雄や津田富士男の『絞り捲り』とは全く違っていました。インに優しい捲りと言うべきでしょうか?
最初の見た印象は他の艇が一瞬止まって見えるほどのスピードの違いがあった事を憶えています。当時は佐賀の「外野和徳」選手と良く似た捲りだなぁ〜と言う印象でした。
そうしているとすぐに美人レーサー「庄島真知子」選手と結婚、びっくりした事も憶えています。丁度女子選手が登録されたばかりでこれじゃ幾ら増やしても男子選手に食われっ放しになるなぁ〜と笑っていました。でも未だにお子さんが出来ないのはメニエル氏病と共に心配で残念でなりません。
ボート党さん
DVD、まだみていないんですよね。チェックして見ます。

今村が名人戦に出て来たら、それこそ、名人戦が変わるでしょうね。
だいたい、新人の今村が出てきた時に一番驚いた人たちが今の名人戦を走っているんだから・・・笑
今村の凄さを身にしみて分かっている人たちはどう考えているんでしょうね。

いのしし侍さん
貴重な話、ありがとうございます。
今も一般戦でベテラン選手と若手のA級の選手が一緒のレースを走っていると、その違いに驚くけど、今村のデビュー時はそれ以上の驚きがあったんででようね。

インに優しい捲くり・・・笑いました。
野中や津田富士男の絞り捲くりは、インに優しくないけど、外の選手には優しい捲くりですね(笑)
あー、絞らないで、つけまいみたく捲ると、内が残りますよね。。。でも、大外から捲ったら、その外はいないけどねw
今村選手が、他の後輩達から尊敬されてるのは、その艇を当てないクリーンさもあるのかな?なんて思います。

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