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孟嘗君コミュの【風洪と公孫鞅の考え方】孟嘗君について語るその2

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孟嘗君とは死後の名前なので、田文が名前であるわけですが、その田文について語られる前に、その養父である風洪をめぐる物語だけで、かなりの量が描かれています。

ある人物について語る時は、やはりその親の生きざまというのが重要なファクターになるのでしょうな。

この風洪についておもしろい表現で描かれているのは、

肩は貴族で、背は無頼の者をあらわしている。

というところ。そもそも「無頼」という表現自体死語になっているようにも思えますが、坂口安吾の『堕落論』などの時代の言葉ですな。無法者だったり、酒と女におぼれたりするものの、何者にも頼らない強さを秘めている、そんなイメージでしょうか。こういう男はいいですね。

風洪に加えて、もうひとりの重要人物が、のちに秦の富国強兵を進める公孫鞅。風洪の義弟。彼は若いけれども、魏の役人から宰相になろうという大望を秘める人物。

このころの中国は群雄割拠であり、「各国の宰相はその国の公室出の貴族がその席についている。しかし、魏の文候は他国の賢人を集めて国力を高めた。」そうした革新の気風を魏に求めて、公孫鞅は魏へ来たわけです。

なるほどなるほど。

また、文候が在世のころに、ある臣下が地方に赴く際、こう教えた。
「郷邑の長老たちに、まっさきに座をすすめられるような人物に、こちらからでかけてゆき、賢良の士を問い、その人に師事せよ」

その後、公孫鞅は魏の恵公に取り立てられず、秦へ向かう。秦の孝公は、まだ若かったが、秦を強大にしたいと願い、ついにこう言った。
「賓客、群臣、よく奇計を出して、秦を強くする者あらば、われまさに官を尊くして、これに土をわかたんとす。」
「外国から秦へきた者でも、秦の臣でも、すばらしい計策をだして秦を強くしてくれる者があれば、その者に高い官位をあたえ、領土をさずけよう、と言った。」

公孫鞅の言葉。
「学者は所聞におぼれる」
「学者は知識に埋没して、みうごきがとれなくなり、けっきょくおのれを殺してしまう。為政者にも広範な知識は必要だが、それにしばられると、政治を古びたものにし、けっきょくは民を殺し、自らも滅んでしまう。」

「君主というものは三つの要素で成り立っていると風洪は信じている。
勇気とおもいやりと決断力である。その三つがそろっていれば、名君である。」


そして、米価調整法について、公孫鞅は孝公に進言する。

魏の平糴法、すなわち「かいよね(米の買い入れ)が高すぎれば庶民をそこない、安すぎれば農民をそこなう。庶民がそこなわれると離散してしまい、農民がそこなわれると国がまずしくなる。したがって、かいよねは高すぎても安すぎてもいけない。善政をおこなうということは、庶民をそこなわず、しかも農民が農事にはげむようにさせることにある」

しかし、「どの国も、平糴法の利点はわかっていながら、政府の思惑通りにならないのは、米価を商人がかきみだしてしまうからである。それゆえ、ひとつの法を徹底しておこなうには、べつな法を立てなければならない。立てただけではなく、厳然と守られるようにしなければならない。いままでそうした法は、貴族に適用されなかった。しかし、法に例外やぬけみちがあってはならず、貴族であろうと庶民であろうと、法のもとで平等でなければ、どれほど多くの法を立てても、飾り同然になってしまう。」


中国の古典は、なかなか奥が深いわけですが、風洪の女性観というのもまた勉強になりますな。しかし、かなり読み進めてきたのですが、まだ孟嘗君は赤ん坊だ。かなり時間がかかるなあ。




(2009年01月14日23:36の管理人のmixi日記です)

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