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沖縄の教育を語ろう!!コミュの教育とは何ぞや!?

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そもそも「教育」とはどういうモノなのか?

根本的に我々にとってどうあるべきなのか気になったのでトピ作りました☆

例えば、ひとえに「教育のレベルを上げる」と言ってもそれは単なる述語に過ぎず、その主語を問いただす事が大事と思います。

「どういう数値を上げる事が教育のレベルを上げたと言えるか?」

「そもそも何故教育のレベルを上げるのか?」

「何のため、誰のために?」

「それによるメリット・デメリットは?」

そんなこんなで色々語れればいいと思います◎

コメント(11)

ヂャガーさん、興味深いトピック立てありがとうございます!

改めて考え直す機会となり大変勉強になりましたぴかぴか(新しい)

ウィキペディア(Wikipedia)の方にわかりやすくまとめられています☆


検索ワード『教育』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2


上のヂャガーさんの問いを考えるよい資料になると思います(^^)V
> あ〜ら〜さん

わざわざありがとうございます(笑)

wiki見ましたぴかぴか(新しい)

しかし、「洗脳・訓練・条件づけなどとは異った、自発的で、個人がよりよく生きること全体に関わるものとされる。」

という項目は現実の教育とはかけ離れてるように感じましたたらーっ(汗)

本当に「よりよく生きること」のために教育というモノがあるのか甚だ疑問です☆
このトピがたってから、かなり時間が経ちましたが、
最近改めて教育について考える機会があり、
やはりこの主題は大切なものだなぁと思い、今さらですが書き込みします。


ヂャガーさんのコメントに関連して…。
(wikipediaで定義されている教育の定義の信用性についてはここでは考えずに)

教育は
「洗脳・訓練・条件づけなどとは異った、自発的で個人がよりよく生きること全体に関わるもの」
とされていますが、実際に洗脳・訓練・条件づけと「教育」って何が異なっているのでしょうか。「自発的で個人がよりよく生きること全体に関わるもの」は本当に洗脳や訓練などには当てはまらないのでしょうか。

何となくでイメージ的に、教育はプラスイメージで、洗脳などといった言葉はマイナスイメージをもっていますが、やっていることとして何が違うのか疑問です。


最近、大学の授業の中でも取り上げられたテーマでもありますが、
洗脳と教育の違いから教育とは何か?
を考えていってみてはどうでしょうか。


皆さんは、洗脳と教育は何が違うと思いますか?
洗脳と教育の違い…
難しいですね。

私の解釈としては、
「洗脳」は一方的に教え込み、信じ込ませること。つまり教える側が主体。
「教育」は教える事に加えて、陰の支えとなり育てていくこと。つまり教わる側が主体。

なんですが、なんだかまとまらなくてすみませんm(__)m

難しいです。
>しのまいさん

コメントありがとうございます!
難しいですよね。。。
私の中で意外と明確な違いはないかと思っているのですが…。

しのまいさんがいう洗脳は
「一方的に教え込み、信じ込ませること」ですが、教育もそういった場面はあるのではないでしょうか。授業ではある知識を子どもたちに教え込み、道徳の授業なんかだと、あるひとつの価値観をよいものと子どもたちに教える・信じ込ませるという場面があるような気がします。
どちらも同じだと思います。ただ立場によって言葉の使い方が変わるだけではないでしょうか。


教える内容について

本人がよいと思えば「教育」

本人が悪いと思いば「洗脳」

周りがよいと思えば「教育」

周りが悪いと思いば「洗脳」

あるのはその人や集団の「解釈」だと思います。常に。


>藻さん
「私の中で意外と明確な違いはないかと思っているのですが…」とおっしゃっていますが、その理由についてお聞かせください。是非勉強させて頂きたいです。
> あ〜ら〜さん

レスがかなり遅れてすいません。
私が教育と洗脳の明確な違いはないのでは…というのは、それぞれの行う「内容や方法」について明確な違いがないということを言っています。
そう思ったのは、私の中にもあ〜ら〜さんの言うように教育と洗脳の違いは「立場によって言葉の使い方が違う」という考えがあるからです。
この考えでいくと、
教育と思ってやっていることが、人によっては洗脳になるし、洗脳と思ってやっていることが、教育にもなるということになります。
実施者や第三者の解釈によって教育か洗脳かが決まるとするのであれば、それぞれで行われる「内容や方法」に違いがないのではないかと思ったからです。
答えになってるでしょうか…文章が下手なので意味分からんとこがあったら言って下さい(^_^;)
ひとつ
あ〜ら〜さんに質問があります。
本人がよいと思えば〜…ということでしたが、その論でいくと、私やあ〜ら〜さん、その他様々なところで行われている「教育」は「洗脳」にもなる、つまり教育と洗脳はほとんど同じものである言っていることになりませんか?
そのあたりどう思いますか?
>藻さん
「教育」と「洗脳」には言葉のニュアンスの違いはもちろんあります。

「教育」は+イメージ、「洗脳」は−イメージで使われます。状況によって使い分けますね?

教育と洗脳が同じになるとはいっていません。「教育」か「洗脳」かは受けての解釈に「も」よるということです。

例えば、藻さんが何かを教えた際、人によっては教育にも洗脳にも感じるということです。
> あ〜ら〜さん

お返事ありがとうございます(^∀^)ノ

教育と洗脳は受けて側の解釈によっても異なるとのこと。
納得です(*^o^*)


ちょっとここで、今後話がややこしくなりそうなので論点を絞りたいと思います。

教育をする側の私たちが受けて側の解釈の仕方を議論しても、なかなか核心にせまれないので、論点を教育と洗脳、それぞれの内容に対する違いについて話せたらなぁと思います。

あ〜ら〜さんを含め皆さんは、どんなことをするのが教育で、どんなことをするのが洗脳だとお考えになりますか?

どうもトピ主です(笑)

何やら知らないうちに盛り上がってて感動です!

どんな事をするのが教育であり洗脳であるのかですか・・・

私自身、かなり一般人と考え方にズレがあるので、一般人が考える「教育」は大体が私にとって「洗脳」にあたるのですがね・・・

少しひねくれているかもしれませんが、「教育」という媒体を教わっているという時点でそれはもう陳腐、二番煎じなものだと考えているので、良くも悪くも「縛られてしまう」ものには変わりないですよね。

例えば音楽。我々が会話を音楽と認識できないのも教育があるからであって、教育さえなければ会話を音楽と捉える可能性の目を潰した事になりますしね。

話はそれましたが、私的に教育というものは常に「温故知新」を提唱しなければならないと感じます。どんな学問でもいいんですが、「ここはこうなってこうなるよ」というものではなく、「ここはこうなってこうなると言われてるが、君はどうするべきだと思う?」という感じですね。「「言われてるが」」というのが私にとって最大のポイントです。常に「疑う事のできる権利」を持つ事。

あとは洗脳と呼ばれるものに疑問符はつきませんからね。現に「会話は音楽とされてないけど、君はどう思う?」っていう人間は自分以外に出会った事がありませんから。(私が音楽に洗脳性を見いだした上での考えです)

つまり「疑問符がつかない、または根拠もなしにつかなくてもいいと思われているものは洗脳」という事でどうでしょうか?

・・・つうかなんだこの文章(笑)

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