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映画人・西周成コミュの知られざるソ連製「ジャンル映画」の世界

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 『シベリア横断特急』なるソ連映画をご存知だろうか。故水野晴郎とは何の関係もない、1977年に「カザフフィルム」スタジオで制作された“ジャンル映画”の一つである。スター俳優は出ていないし、大作というほどでもないが、シナリオはそれなりによく練られているし、アクションシーンの編集もなかなか小気味良い。シナリオには、何と二キータ・ミハルコフ&アレクサンドル・アダバシャンという“ミハルコフ組”と、アンドレイ・コンチャロフフスキーがクレジットされている。実はこの映画、『アタマンの最後』(70)という映画の続編なのだが、そちらは何とアンドレイ・タルコフスキーが脚本に協力していた。
 
 1960年代末から80年代初頭まで、ソ連で大衆向け娯楽映画(“ジャンル映画”)が映画産業全体を経済的に支えていた事実は、あまり知られていない。 私を除く日本の研究者は、ソ連映画と言えば“政治性”や“芸術性”だけに注目し、そのような事実には無関心だったようである。実はロシアの映画人や研究者でさえも、ソ連が崩壊していよいよ国家による映画支援が削減されるまで、この事実にはあまり触れたがらなかった。

 だが、事実は事実である。共産圏の中で、ソ連とポーランドだけは映画産業がそのように採算の取れる構造を作り上げていたのである。1970年代半ばから後半にかけてのソ連製“ジャンル映画”のヒット作と、同時代のハリウッド製ヒット作を比較してみると、面白いことに前者の方がテンポがよく、“活劇”や“メロドラマ”等といったいかにも“ジャンル映画”的な分類に当てはまる佳作が多いのだ。
 当時のアメリカ映画は、ジョージ・ロイ・ヒルの“レトロ映画”を除けば、なぜかジャンル映画でさえ“リアリズム”への固執が見られたり、妙にアートハウス的であったりする。上映時間90分前後の良質の「プログラム・ピクチャー」というのもない。『ジョーズ』は海洋冒険活劇にしては冗長すぎるし、ドラマツルギー的には中途半端である。フランケンハイマーやペキンパー、コッポラ、スコセッシ、ウッデイ・アレンの映画は程度の差はあれアートハウス的であり、娯楽作品としてはあまりに技巧的である。辛うじて、80年代に入って『ある日どこかで』のようなメロドラマを挙げることができるだけだ。

 大衆娯楽映画というのは、作家の個性を犠牲にしてでも、できるだけ安く作り、しかも映像の質をそれなりに維持し、重厚さよりもテンポを重視し、ドラマツルギー的な完結性と平易さを追求すべきものである。以上全ての点で、70年代のソ連製「ジャンル映画」は、ほぼ完璧にその課題を果たしていた。
 もちろん、それらの中には映画的に凡庸なものも多い。だが、故武満徹が正当にも高く評価していた『愛の奴隷』や、テレビ放映用に作られたとはいえ映画的クオリティを持つ『シャーロック・ホームズとワトソン博士』のような作品は、同時代の他の国にはほとんど見られないほどバランスのよく取れた良質の“ジャンル映画”なのである。レオニード・ガイダイやエリダル・リャザーノフの諸作品は、やや質にばらつきはあるものの、やはりジャンル映画としての完成度をもっていた。
 それらのジャンル映画は、ソ連の国営映画産業の安定した財源となっていた。だから当局、タルコフスキーやイオセリアーニが多少贅沢に“作家映画”を撮ってもその点では特に文句をつけなかったのである。
 同時代のソ連の「映画作家」は、経済的な面では彼ら「ジャンル映画」の作者達に、芸術上の自由の面では国家映画委員会議長フィリップ・エルマシに多くを負っていたのである(エルマシはタルコフスキーやアサーノワ、アブドラシートフ、ソロヴィヨフといった映画作家達に好意的だった)。


 現在の日本は、何も戦略を練らずに映画を芸術として維持できるほと観客も文化政策も進歩的ではない。観客の嗜好は、むしろ90年代よりも遥かに退行しているとさえ言える。更に悪いことに、「メディア芸術」などというわけの分からない造語を濫用する政治屋に媚を売り、若者を惑わせる日和見主義的な似非研究者も多い。そんな状況下で、先細りが目に見えている「作家主義」に固執するのは、ほとんど自殺行為に等しい。

 だから、我々はソ連時代の「ジャンル映画」の意義を、もう少し真剣に捉えなおすべきなのである。作品の完成度は勿論重要であるし、芸術のことを忘れては映画をやる意味がないのも事実である。だが、今ではどこの国でも映画が全面的に国家によって保護されるということはありえない。ビジネスとしての映画を考えなければならないのだが、それはアメリカ流マーケティングの理論などではなく、“ジャンル映画”によって儲けた資金を少しシリアスな映画制作や配給にも回すという、映画人の経験と知恵によるべきなのである。
 この点では、プロデューサーの姿勢ではロジャー・コーマンに、成功したジャンル映画の例としては70年代のソ連製娯楽映画に、それぞれ学ぶべきところが多いことを認めねばなるまい。

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