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【一緒に読書しましょうよ。】コミュの始めの1冊 その2

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『パイロット フィッシュ』  大崎 善生


「ああ、君か。どうぞお入りなさい」

ドアを開けると小柄な初老の男が、なぜかニコニコと満面の笑みを浮かべながら立っていた。
       
文章の中で不適切と誤解を受けそうな言葉がありますので、○と書かせていただきました。ご了承下さいませ…

そして僕は黒いソファが無造作に向かい合っているだけの四畳半ほどの小さな応接間に通され、名刺を渡された。

文人出版専務取締役編集長・沢井速雄とその名刺には書かれてあった。

「あ、君ちょっとここで待っててな」と言うと、沢井さんは部屋を出て行った。

僕はソファに座ったまま、窓の外の景色を眺めた。そこからは墓地が見渡せた。それは考えようによってはお墓の海のようなもので、海沿いに建つ家が日当たりがいいように、

やっぱりこの部屋も日当たりがよかった。

沢井さんはコップに入った麦茶をふたつとお絞りを一本。お盆に載せて運んできた。

「君、凄い汗だねえ。今日は暑いものなあ」と言って沢井さんはお絞りを僕に向かって差し出した。僕はそれを受け取り、顔の汗を拭った。

「君、編集をやりたいんだって」とコップをテーブルの上に置きながら沢井さんは言った。

それから沢井さんはポケットからハイライトを取り出して火を点けた。指先が煙草の脂で茶色くなっていた。

「はい」

髪袋の中から慌てて履歴書を取り出しながら僕は答えた。

「しかし、女の子に電話させるなんて何だか君もだらしがないな」と笑いながら大した興味もなさそうに沢井さんは履歴書に目を通した。

「性格は軟弱かあ、あっはは、正直だね」と沢井さんが言うので僕は思わず頭を掻いた。

沢井さんは痩せていて小さかった。髪の毛はほとんど白髪になっていて、体全体からはかさかさと乾いた雰囲気が漂ってきた。几帳面に磨かれた眼鏡の奥に光る瞳の優しさに、

僕は安心すると同時に思わず見とれてしまった。

「本は読む?」と沢井さんは訊いた。

「はい」と僕は答えた。

「最近読んだ小説は?」

「『旅路に果て』です」

「『旅路の果て』?」

「はい。ジョン・バースの」

「知らないなあ悪いけど。じゃあ、もう一冊その前に読んだのは?」

「『夏への扉』」

「SF?」

「ハインラインです」

「ああ、僕もねSFは結構好きなんだよ」と沢井さんは嬉しそうに言った。

「なぜ二冊訊くかというとだね、五年前に五十嵐という奴が面接にきたときに同じ質問をしたんだ。最近読んだ本を一冊挙げてみろってね。

そうしたら、五十嵐はよくぞ聞いてくれましたといわんばかりに胸を張って、太宰治の「人間失格」ですと答えた。あれに優る文学はなく、

ことあることに何度も読み返しその度に新しい発見がありますって言うんだ。」

沢井さんは思慮深い視線を真っ直ぐに僕に向けながら話を進めた。

「それで、まあいいかと思ってね採用を決めたんだけれど、入社してしばらくしてから五十嵐が言うんだ。あのときのもう一冊訊かれていたら

私はアウトでしたって。天才バカボンとでも答えるしかありませんでしたって」と言うと沢井さんは笑を噛み殺すような表情で短くなった煙草を揉み消し、

そしてすかさず新しいハイライトに火を点けるのだった。

「まあ、それで生まれてから一冊しか本を読んだことがない編集者が誕生しちゃったというわけさ。『人間失格』に騙されるようじゃあこっちのほうが失格だわな」と言うと

沢井さんはとうとう声を上げて笑い出してしまった。

「だからそれからは、面接の時には必ず二冊は訊くようにしているんだよ」

沢井さんが楽しそうに笑うので、僕も何だかすっかり愉快な気分になってしまった。

「これ、うちのメインの雑誌」

沢井さんは立ち上がり戸棚の中から本を一冊取り出すと、そう言ってあまり磨いたことがないと思われるガラステーブルの上にポンという感じで置いた。

それはA5判の小さな中綴じ雑誌だった。

由紀子は驚くほど勘がよくて、ほとんど超能力者のような冴えを見せることもある。ほんのわずかな材料からいろいろなことを見透かしていくような不思議な能力をもっている。

だけど、はずれることもある。

テーブルの上に投げ出されたのは、堅いとは正反対のどぎつい原色に彩られたエロ雑誌だった。

煽情的といえばそうなのかもしれないけれど、何の魅力も感じさせないモデルが、深紅の口紅を塗った唇を半開きにしてなぜかバナナを半分咥えている。

黒い網タイツをはいた下半身を微妙にくねらせ、目線は恥ずかしくなるほどに挑発的だ。

その写真の上に「月刊エレクト」という極太の銀色の文字が躍っていた。

「エレクト?」と僕は口の中で呟いた。

「『月刊エレクト』」と沢井さんは言った。そして「何だい、その顔は」と続けた。

「エレクト」を怪訝に見つめる僕に沢井さんはあきれ果てたような口調で言った。

「君、まさか知らなかったの?」

うなだれながら、僕は肯いた。

「あっはっは、驚いたなあ」と沢井さんは明るい声で笑いながら言った。そして、続けた。

「本を一冊しか読んだことがない編集者も凄いけど、どんな本を作っている出版社かも知らないで面接にくる君も君で凄いなあ」

まったく沢井さんの言う通りで僕は体を小さくするしかなかった。できればこのままこの場所から、風のように消えてしまいたかった。

でも、それはある意味では仕方のないことだった。喫茶店を出た後、由紀子と僕は新宿の紀伊國屋に行って文人出版の本を探しまくったのだが、

とうとう一冊も見つけることができなかったのだ。

「きっと社名からいって、哲学系とか心理学系とかそんな感じよ」と由紀子が明るい調子で言ったので、

僕の中にもそれにそれに近いイメージができ上がってしまっていたのだ。

沢井さんを見た瞬間に、僕は勝手に抱いていたイメージに近いものを彼に感じていた。

押しは弱いが、地味な本をこつこつと作る生真面目な初老の編集者という雰囲気が沢井さんにはあったからだ。

「いいかい、君は編集者になりたいのだろう」と沢井さんは黙りこくる僕に向かって言った。

コクリと僕は肯いた。

「だったらね、エロ本をバカにしちゃあいけないよ」と沢井さんは煙草の煙を口と鼻から同時に吐き出しながら言った。

「本作りとは何か。それはね、まず何といっても第一には読者を惹きつけて何らかの興味を持たせて釘付けにし、そして本を買ってもらうことだ。

その本作りの基本中の基本というか原理原則がエロ雑誌に集約されている。しかも、シンプルにわかりやすくだ。そうだろう?」

「はあ」

「○起させて売る。この単純な図式が簡単なようで難しくて、だからこそ面白いしまた勉強になるんだ」

「はあ」

「だから、ある意味では」と言った沢井さんはちょっと胸を張ったように見えた。

「エロ雑誌の編集者こそが編集者の中の編集者ってわけだ」

もちろん、僕に返す言葉はあろうはずもなかった。目のやり場に困った僕は、窓をぼんやりと眺めた。

窓外に広がるお墓の海は、しんと静まり返っていた。

「ま、山崎君も今は驚いているだろうから、家に帰ってよく考えて、来たくなったらまたいつでも来なさい」と言う沢井さんの瞳からは優しさが溢れ出ているように、

僕には思えてならなかった。

その日の夕方、由紀子と僕は新宿の喫茶店で落ち合った。

「どうだった?面接は」

由紀子はアイスティーの入ったグラスをストローでゆっくりとかき混ぜながら僕に訊いた。

僕は今日一日の出来事をできるだけことこまかに由紀子に話して聞かせた。由紀子は溜息をつき、薄い唇を尖らせ、時には声を出して笑い転げながら僕の話に聞き入った。

かと思えば「『月刊エレクト』かあ」塞ぎこんだように頬づえをつき、そしてまた

「○起させて売るかあ」と言って妙に感心したようなそぶりを見せたりするのだった。
      
       つづく…

※文章の中で一部、不適切と誤解を受けそうな言葉がありますので、○とかかせていただきました。
ご了承下さいませ…
     

コメント(9)

初めまして!!
確かに読書しないと、と思いながらしないですよね。
これから、よろしくお願いします。
おサルさん
はじめまして<(*_ _*)>ペコリ。
いらっしゃいませ〜♪
こちらこそヨロシクお願いしますね♪
なつかしい・・(^_^;
夏への扉・・・ハイラインは、よく読んだなぁ・・。
鬼浜爆走茶凛呼隊さん
<流石に〇は使いますね^^;
お久しぶりですd(^_^o)
でしょ…やっぱり(笑)○でしょ(汗)
<しかし一回一回大変じゃないっすか!?
嫌いではないので楽しいですよ♪
でも、ごめんなさい<(*_ _*)>最近はバタバタしてて、まだできてません…
暫しお時間下さいませ。。。
Hide™さん
あら(^^)そうなんですか?
Hide™さんには懐かしい想い出があるんですね♪どんな思い出なのかな???
ここを ○と来たらこの作品が 死んじゃうよ(笑)
表現の自由と 人間の根本の業の世界を さりげなく
出して語っている部分で
一連の作品の 流れだしね(笑)
かずまさんーー;ミクシィ様から、お叱り受けませんか???
えw そのくらいは 問題無いだろw
芸術とは言わないが 文学だろww

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