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中国の地方劇コミュのこの劇がすき!

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地方劇は確か全土に300種だか500種あった気がするのですが、自分はこれが好き!という方、簡単に紹介などして下さると嬉しいです。

コメント(21)

私が見た記憶に残る舞台の中から、地方劇のものを書くことにします。

第一弾は粤劇『捜書院』。粤劇は広東省の地方劇。『捜書院』は粤劇の代表作の一つとのこと。私は1980年頃香港で見ました。広東省粤劇院の香港公演で、紅線女というスターの二十数年ぶりの香港公演ということで、当時たいへんな評判だったことを覚えています。

昔のことで、筋はもう覚えていません。驚いたのは、紅線女の立ち姿が本当に絵のように美しかったことです。

粤劇は広東語を使い、立ち回りはあまりありません。広東語がまったくできない私は、いくつか香港の粤劇団が公演する劇場を覗きましたが、そのうち足が遠のきました。しかし、この『捜書院』だけは、今も記憶に残っています。

これから、数日から一週間に一回程度のペースで書いていきます。この程度の内容でスローテンポですが、お許しください。
今日は川劇『白蛇伝』について書きます。これは、1987年に日本で見ました。四川省川劇院の訪日公演です。招聘元は、日本文化財団(2011年活動停止)。この公演のプログラムを今まで保存していました。赤松紀彦、松浦恒雄、吉川良和、細井尚子氏らの相当に読み応えのあるエッセイと日中対訳による上演台本掲載と、豪華なプログラムです。ネット古書店を調べてみましたが、販売していないようです。

川劇は、四川省に伝わる伝統演劇。形成は清朝乾隆期といいますから、相当に古い劇種です。そのため、川劇『白蛇伝』には京劇や越劇にはない古い形が残されています。先年の修行を積み美女の姿となった白蛇は桂枝羅漢と恋仲になります。それが如来の怒りに触れ白蛇は捕らわれますが逃亡、桂枝羅漢は記憶を消されて人間界に下され許仙になります。青蛇はもとは男性でしたが、白蛇との闘いに敗れ女性に姿を変えて白蛇の腰元になります。そして二人は許仙を探しに人間界に出かけます。如来は人間界で白蛇と許仙(桂枝羅漢)が結ばれることを阻止するため、法海を派遣します。白蛇伝の悲劇は、実は前世ですでに決まっていたことの因果応報だという構造です。日本公演では上演時間の関係で相当にカットされていますが、骨格は残っています。

このあとは一般的な『白蛇伝』とだいたい同じですが、劇は白素貞が許仙を取り戻すために法海らと闘い敗れる「水漫金山」で終わってしまいます。西湖のほとりで白蛇と許仙が再開し、白蛇が許仙を責める「断橋」がありません。京劇や越劇ではこの「断橋」がクライマックスなのですが、それが削り取られています。

その代わりに、「水漫金山」は大立ち回りがあり、さらに白蛇を捕まえようとする不思議な力を持った鐃鉢が顔を次々に換える「変臉」(へんれん)があります。劇一番の見せ場です。

私もこの「変臉」を見ましたが、瞬間のうちに顔がまったく変わってしまう不思議な技で、現在も秘伝とされています。その変わる顔が、また色とりどりかつ表情豊かで、よけいに見事な印象を受けるのです。

劇全体をみると、この川劇版『白蛇伝』は人物像が荒削りで、劇の深みという点では京劇に劣っているように思いましたが、「変臉」の鮮やかさはそれを十分に補うものでした。日本での評判もよかったように記憶しています。
いろいろ多忙が続き、ちょっと間が空いてしまいました。今回は河北梆子「鍾馗」です。1989年の来日公演をみました。やは日本文化財団の招聘です。

河北梆子は、河北省一帯に伝わる地方劇です。その形成には清代乾隆年間(1736〜179)以来の歴史があるようですが、現在のかたちになったのは清代道光年間(1921〜1851)のようです。その特徴として、リズム感に富んだ節回しと農民の言葉を数多く含むわかりやすい歌詞があるとされています。立ち回りも多く含んでいます。

この時の公演は、裴艶玲という名優が参加していました。女優で、河北梆子、京劇、昆劇の三つの劇種をマスターしていると言われます。特色は、鍾馗という男性役を演じることで、激しい立ち回りもありました。

才気煥発で爽やかな若者の鍾馗は、科挙の試験に首席で合格した筈なのに不幸にも失格し、憤然と宮中の大円柱に身をたたきつけて死にます。天帝は鍾馗の死後、彼の公正剛毅な性格に感動して悪霊退治の将軍に任命、鍾馗は精霊となって地上に降り立ち、人の世に禍をなす妖怪たちを退治します。

二十年以上前の舞台で、今はきれぎれにしか覚えていないのですが、裴艶玲演じる鍾馗に気品と愛嬌があったことが、今でも記憶に残っています。
黄梅さん、コメントありがとうございます。川劇・白蛇伝の折子戯版VCDをお持ちなのですか。ネット通販で買われたのでしょうか。
考えたらmixiは写真がアップできますね。プログラムが手元に残っているので、河北梆子・鍾馗の画像を転載します。この鍾馗は女優(裴艶玲)が演じています。
今日は呂劇「李二嫂改嫁」について書きます。1982年中国の地方都市にいた時に見ました。呂劇は、正式には「りょげき」と読むらしいです。

呂劇は山東省の地方劇。前史は長いようですが、劇としての形成は辛亥革命前後で、二十世紀になってから形成された地方劇です。山東省は北方語圏ですから、言葉は標準語に近いです。河北梆子とは別の劇種のようです。

「李二嫂改嫁」は、李二嫂という農村の若い寡婦が再婚する話。李二嫂は、李家の二番目の息子の嫁、という意味。李二嫂が若い農民の張小六を見初め、恋仲になります。婚家は李二嫂の恋愛を妨害し、張小六が前線に支援出兵している間に別の男性に嫁がせようとしますが、村の婦女会主任らの支持もあり、李二嫂は拒否。やがて前線から帰ってきた張小六と二人は結ばれます。

1951年初演で、前年制定の婚姻法の宣伝劇。婚姻法は、結婚は二人の合意による、離婚・再婚の自由などを定めた法律。日本では、結婚関係の法規は民法に含まれていますが、中国法の専門家によれば、中国ではソ連の影響を受けて婚姻関係の法規が独立して婚姻法となっているとのこと。

「李二嫂改嫁」は1956年に文化部の全国戯曲劇本賞を受賞し、1957年に映画化され、全国に知られるようになりました。VCD、DVDが今でも中国では入手可能で、ネット上の動画サイトにも転載されています。

私が観たのは、古装劇で「聊斎志異」脚色ものの「姊妹易嫁」と日替わり二本立で各都市を巡回していた公演です。私としては「姊妹易嫁」の方を観たかったのですが、日程の都合で「李二嫂改嫁」になりました。「姊妹易嫁」は、文革前夜に江青から革命模範劇の鑑賞を勧められた��小平が、それを蹴って「姊妹易嫁」を観に行った、という当時としてはいわく付きの劇でもありました。

文革期からその後の政治宣伝劇、政治宣伝小説にいささかうんざりしていた私は、あまり期待せずに劇場に向かったのですが、意外に新鮮で観てよかったと思ったことを、今でも記憶しています。政治宣伝劇にありがちな押しつけがましさがなく、ストーリーや人物の感情表現も自然でした。映画は白黒ですが、実際の舞台は衣装もけっこうカラフルでした。おしつけがましさが薄いのは、自由結婚、再婚が革命直後の中国の人々にとって切実な問題であり、劇もそれを反映していたからでしょう。郎咸芳という看板女優が主役をしていた筈です。


黄梅さん、コメントありがとうございます。同じ政策宣伝劇でも、五十年代と、作品創作が復活した文革中(七十年代)、その後は、はっきり違います。

五十年代は、作品を作っている人たちも共産党の政策を信じていることが、作品をみていてわかります。しかし、七十年代以降は、作っている人たち自身が共産党の主張や政策を心からは信じていません。だから作品が面白くないのです。

今日は越劇『梁山伯与祝英台』について書きます。といっても、残念ながら私はこの劇をまだ生で観る機会がありません。袁雪芬らの有名な映画は見ていますが、あとはワークショップなどで若い俳優による『梁祝』の抜粋をみたぐらいです。

 今日書きたいのは、文革後最初に出版された『梁山伯与祝英台』単行本です。1979年3月の奥付があります。舞台写真、舞台装置図、前記(徐進)、本文、選曲、後記(徐進)あわせて百ページに満たない薄い本で、平装版です。値段はわずか0.4元。日本円では当時240円だったようです。もっとも、中国は当時は大卒初任給45元、高卒初任給20元の時代でした。

 多色刷りの表紙は、二匹の蝶が花の上で戯れているさまで、その上の『梁山伯輿祝英台』が黒く繁体字で書かれ、表紙を引き締めています。舞台写真は白黒ですが、舞台装置図はカラーです。薄くて安い本であるにもかかわらず、チープ感がまったくせず、持っていて心が豊かになるような贅沢な造りだからです。文革あるいはそれ以前から続いた長い文芸引き締め、古装戯禁圧がついに終わりを告げ、『梁祝』の出版・上演が可能になった時の、越劇界の人々のこれからに期待する気持ちが籠もっています。21世紀の現在、こんな贅沢で丁寧に作られた本は、なかなかお目にかかれません。表紙と舞台装置図を転載しておきます。

 奥付を書いておきます。越劇 梁山伯与祝英台 袁雪芬・範瑞娟口述 徐進等改編 上海文芸出版社出版 1979年3月新第一版 1979年3月第一次印刷。発行部数は書いてありません。

 私の中国地方劇回想記は、あと数回続きます。

訂正:持っていて心が豊かになるような贅沢な造りだからです。

→持っていて心が豊かになるような贅沢な造りです。

mixiはコメントの編集はできないんですね。12は誤字があったので削除し13で再アップしたのですが、まだミスがありました。
今日は漢劇「曾根崎殉情」について書きます。漢劇は湖北省の地方劇。別名を二黄といいますから、京劇のルーツの一つです。漢劇という名前は、民国期初年についたようです。

さて「曾根崎殉情」という作品、もちろん漢劇のもともとの演目にはありません。近松門左衛門「曽根崎心中」を漢劇で上演したものです。1988年に尼崎の劇場で武漢漢劇院の訪日公演をみました。漢劇がなぜ近松を上演したかというと、もうお亡くなりになりましたが、向井芳樹さんという同志社大学の教授で近松の専門家が八十年代後半に武漢大学に在外研究で滞在していました。そこで近松の話をしたところ、武漢漢劇院が興味を示し、ひょっとしたら日本にいけるかもしれないと、若手俳優が中心になって武漢大学の日本語の先生の協力を得て「曽根崎心中」を脚色して上演したのです。中国語にはない「心中」を「殉情」としたのは、なかなかいいセンスだと思います。

日本公演の実現はそんなに簡単ではなかったと思いますが、向井先生のお骨折りでセゾン文化財団の助成なども取り付け、実現しました。上演期間は短く(確か二日)、上演場所も専門劇場ではなく尼崎の公共ホールでした。俳優の中心メンバーは二〇歳だったといいます。尼崎になったのは、その時日本演劇学会が関西で開かれていたのと、向井先生の関係でしょう。

「曾根崎殉情」は、翻案劇ではなく内容は近松のままですが、漢劇の古装戯として演じられています。徳兵衛は二十数歳の醤油屋の手代ですから、小生の筈ですが、なぜか鬚生だったことを記憶しています。お初は戯曲で娼妓を演じる際の伝統的な花旦。舞台も中国の妓院です。舞台は完全な中国古装戯なのに、徳兵衛と中国語で言うのにいささか滑稽感を覚えたのを記憶しています。

しかし、上演内容は若手俳優の熱演でなかなか見応えがありました。かなり感銘を受けた記憶があります。日本のジャーナリズムからはほとんど黙殺されましたけれども。

今回、この文を書くために中国のネットを調べましたところ、中国では「大成功」「尼崎を揺り動かした」となっているのを知りました。「成功」はいいと思いますが、「大成功」「揺り動かす(轟動)」は実際に見た当事者として誇大だと思います。海外公演の結果を、実際はたいしたことはないのに「大成功」というのは、中国のほかの劇種でもあるし、日本演劇でもあります。厳しい上演環境の中、ある程度の宣伝はやむを得ないかもしれませんが、なんだかなぁ、とも思ってしまうのです。

上の文を書いた後、「曾根崎殉情」の舞台写真が載った本を発見。鬚生だとおもったのは、長い髷をつけていてそれが記憶の中で鬚と混同したことに気がつきました。やはり徳兵衛は小生です。訂正します。
今日は淮劇「唖女告状」について書きます。淮劇(わいげき)は、江蘇省の地方劇。淮河という華北と華中を分ける川がありますが、その一帯が発祥地で、今日では江蘇省と上海で主に上演されます。他の多くの上海の地方劇と同様に、農民が歌う民歌から出発し、京劇などの影響でしだいに演劇となり、20世紀初めに上海に伝わり、日中戦争中に今日の形となりました。

「唖女告状」は、口がきけない(唖)女が告発する、という意味。書生の陳光祖は家が没落し、結婚相手の掌の家にいきますが、岳父はすでに死んでおり、再婚した妻に追い返されてしまいます。婚約者の掌上珠はこのことを知り、召使いの掌忠に命じて匿います。後に、陳光祖は科挙に合格し、掌上珠を結婚のため迎えに行きます。掌家の再婚した妻の娘の賽珠は容貌が上珠に似ているので、上珠を騙って陳光祖と結婚し、上珠を焼き殺そうとします。上珠は再婚した妻の前の夫の子呆大に助けられ、二人は恨みを訴えに都に行きます。賽珠はこのことを知ると、二人を騙して都の屋敷に引き入れ、呆大を殺し、針で上珠を指して口がきけなくしてしまいます。しかし掌忠の働きにより、真相はついに明らかになり、賽珠は処刑されます。

「唖女告状」は昔からある伝統演目とのことですが、現在上演されているのは1980年初演のテキスト。好評のため、1987年まで連続上演されたそうです。私は1984年に上海でこの劇をみました。細かい部分はもう覚えていませんが、劇の後半、上珠が恨みを歌いながら呆大と都に上る場面は迫力がありました。呆大は智慧遅れだが性格は善良という設定だったと記憶しています。ピンと張った緊張感が劇場に満ちていたのを記憶しています。好評のため、京劇、秦腔、越劇、黄梅戯、豫劇などにも移植されたとのことです。黄梅さんのブログを唖女告状で検索してみましたが、この劇に触れた記事は見当たりませんでした。
あっという間に今年も12月になりました。時間の流れの速さを感じます。

今回は湖北花鼓戯『原野情仇』について書きます。湖南花鼓戯は名前の通り湖北省の地方劇。花鼓戯は清代に起こった地方劇で、農民農作業で歌う民歌から発展したとのこと。湖北・湖南を中心に普及しています。越劇などと違って、今でも農村に基盤があるようです。

この湖北花鼓戯『原野情仇』、私は2006年だかに湖北省に仕事で行った時みました。潜江という都市です。湖北の中でも平原地帯の荊州花鼓戯です。この劇は、古装劇ではなく、1990年代の新作です。それも、曹禺という現代劇の作家の作品『原野』を花鼓戯に書き換えたものです。北京に二回出張上演に行き、文華賞という著名な賞も受賞しました。その後、湖北の農村地帯で百回以上上演されたとのことです。インターネットの動画サイトでも、この劇の抜粋をみることができます。

『原野』は曹禺唯一の農村劇で、前半は封建的農村家庭のドロドロした家族関係を描き、後半は、追われる主人公たちが原始林に迷い込み、そこでさまざまな幻想をみます。主人公は最後には死んでしまうことが示唆されています。『原野』は話劇ですので、筋も多少入り組んでおり、非常に緻密な心理描写がなされています。

湖北花鼓戯『原野情仇』は、曹禺『原野』の内容を相当大幅に簡略化しています。わかりやすいです。農村地区で歓迎されたというのは、ある程度は本当だろうなと思いました。しかし、やはり人物像がかなり単純です。曹禺『原野』の人物を外からなぞったような印象です。こういう舞台をみると、曹禺ファンの私は話劇の優位性を感じてしまいます。もちろん、曹禺作品の普及ということでは歓迎すべきことでしょう。

2]で話題にした粤劇女優の紅線女がこの12月8日になくなったとのことです。中国語ですが、下記のURL参照。写真がたくさんあります。
http://chrisleung1954.blogspot.jp/2013/12/blog-post_10.html
明けましておめでとうござさいます。私の書き込みが少し途絶えてしまいました。
年末に、本業の方で大きな企画がありそれに忙殺され疲労困憊したのが主な原因です。

日本の忙しさから逃れるように、企画が終わるとすぐに中国に来ました。今は北京にいます。
中国からは、フェイスブックもツイッターもアクセスできないのですが(特別な方法があるようですが、私は知りません)、このMixiはできます。

北京では地方劇を観る機会はまだないのですが、二月末に黄梅戯の「梁山伯と祝英台」が北京に来るようです。

それから、地方劇とは少し違うのですが、鄭錚という中央電視台87年版『紅楼夢』で鴛鴦を演じてこれが出世作になった女優さんが主宰する火狐狸(火の狐)戯劇工作室という劇団、というより演劇ユニットが上演した「情感操練2012」(感情レッスン2012)という劇を、昨日みました。
これは、戯曲ではなく話劇で、夫婦関係のあり方を描いた軽快な小劇場演劇で、最後に2人は離婚するのですが、深刻さはありません。なかなか見応えがあり、特にセックスシーンを軽妙なダンスで表現した部分は、それとすぐにわかるのにいやらしさがまったくなく、相当なテクニックだと思いました。

この「「情感操練2012」は二十年前に「情感操練」の原型が上演されており、私はそれを観ています。観劇後のアフタートークで二十年前の「情感操練」を観た人はいますか、いたら手を挙げて、という言葉につられて、うっかり手を挙げてちょっと自己紹介したら、日本からわざわざ観に来てくれた、ということで鄭錚さんが喜び、握手をしてちょっとしたプレゼントももらってしまいました。もう五十近い筈ですが、やはり美人ですね。

地方劇から外れてしまいましたが、『紅楼夢』関連で黄梅さんが興味をもたれるかと思い、書いたしだいです。地方劇関連では、あとネタがもう数本あるので、おいおい書いていきます。
初めて知ったのですが、越劇のコミュがMixiにあるんですね。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5116136

ただ、あちらも過疎っているようですが・・・

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