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その後の仁義なき橋本治コミュの【訃報】橋本治さんが亡くなられました。

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橋本治さん死去、70歳=作家「桃尻娘」「草薙の剣」
時事通信社 2019年01月29日20時13分
https://www.jiji.com/sp/article?k=2019012901164
http://mixi.at/a25oyEI

女子高生らの世界を口語調で描いた小説「桃尻娘」などで知られる作家の橋本治(はしもと・おさむ)さんが29日午後3時9分、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去した。70歳だった。葬儀の日程は未定。喪主は母美代子(みよこ)さん。

東京都出身。東京大在学中、学園紛争の渦中で行われた駒場祭で「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」のコピー入りポスターを手掛け、話題に。

 その後、発表した作家デビュー作「桃尻娘」はシリーズ化、映画・テレビドラマにもなった。やはり若い女性の口調で古典文学を翻案した「桃尻語訳 枕草子」も大きな話題を呼んだ。「双調 平家物語」で毎日出版文化賞、「草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)」で野間文芸賞を受賞した。

 評論にも力を入れ、「宗教なんかこわくない!」で新潮学芸賞、「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」で小林秀雄賞。 

コメント(10)

作家の橋本治さん死去 「とめてくれるな おっかさん」
朝日新聞デジタル 2019年01月29日 19:07
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM1Y5K4BM1YUCVL018.html
http://mixi.at/a25QVYL


「桃尻娘」で衝撃の作家デビューを果たし、「リア家の人々」「草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)」をはじめとする小説で戦後の庶民の実相をすくい取るなど、幅広く多彩な作品を発表してきた作家の橋本治(はしもと・おさむ)さんが29日、肺炎のため死去した。70歳だった。喪主は母美代子さん。

 1948年東京生まれ。東大在学中の68年、駒場祭のポスター「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている」で注目される。73年に同大卒業。イラストレーターを経て77年、「桃尻娘」が小説現代新人賞佳作に。女子高校生の一人称でつづるしゃべりの文体と衝撃的な告白という内容は、文壇も読者も驚かせた。翌年単行本化され、ベストセラーになった。

 斬新な古典の現代語訳でも注目をあびた。87〜95年の「桃尻語訳枕草子」(全3巻)は「春って曙(あけぼの)よ!」という書き出し。91〜96年、光源氏を語り手にした「窯変(ようへん)源氏物語」(全14巻)に続き、98〜2007年の「双調(そうぢょう)平家物語」(全15巻)で毎日出版文化賞。

 08年3月の「双調平家」完結を祝う会では、400字詰め原稿用紙で「源氏9700枚、平家8700枚」と明かし、「昭和が終わって源氏をやり、世紀の変わり目に平家をやり。大したことはやってないと思うし、どこまでやれば大したことなのかもわからない」と淡々と語っていた。

 エッセーや評論も膨大に残した。95〜07年の「ひらがな日本美術史」(全7巻)では仏像や絵巻を大胆に読み解いた。オウム真理教事件を機に執筆した「宗教なんかこわくない!」で96年に新潮学芸賞。02年に「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」で第1回小林秀雄賞。04年、日本人の思考をたどる文化論「上司は思いつきでものを言う」はベストセラーに。短編集「蝶(ちょう)のゆくえ」で05年、柴田錬三郎賞。09年から10年にかけて刊行した「巡礼」「橋」「リア家の人々」は戦後史を市井の人々の人生に重ねた「戦後3部作」と呼ばれた。日本人の心性を探る試みは、18年に野間文芸賞を受けた長編小説「草薙の剣」に結実する。古典芸能にも造詣(ぞうけい)が深く、歌舞伎に関する著書もある。

 団塊の世代に属しながら、孤高を守り、独特のシニカルな視点で現代を見つめる作家だった。集団的自衛権や憲法改正などの時事的なニュースを受けて、本紙にたびたび寄稿やインタビューを掲載。政府や有権者にも苦言を呈した。

 18年6月に「上顎洞癌(じょうがくどうがん)」の診断を受け、療養していた。18年12月の野間文芸賞は贈呈式を欠席し、編集者が受賞スピーチを代読。祝いの品は原稿用紙がいいと希望して「原稿用紙を前にすると幸福になる人間でした。目の前に原稿用紙が見えたら成り行きで一歩一歩、歩いていこうと思います。最後までいけるかどうかわかりませんが、あてどのない生き方が自分にはふさわしい。ちなみに次の小説のタイトルは『正義の旗』です。あ、言っちゃった」とメッセージを寄せていた。

     ◇

 〈解剖学者の養老孟司さんの話〉 そんなに悪いとは知らなかったので、訃報(ふほう)を聞いて驚いている。ともに選考委員を務める小林秀雄賞の選考のときなど意見を交わすことが多かったが、橋本さんは表現しにくい微妙なことも「ああそれそれ」という風に一言で言い当ててくれる。考え抜いた意見の持ち主だったし、本当の意味での常識家とも言える。同じ歴史を書くのにしても、現代の感覚でとらえているのにピントを外さず、そういう意味で天才的だった。ぼくよりも10歳ほど年下とまだ若い。現代社会への批判についても聞いてみて、参考にしたかった。

 〈思想家の内田樹さんの話〉 若い頃から橋本さんの著作が大好きで、ほぼ網羅的に読んできた。業績は多岐にわたり位置づけしにくい面はあるが、文体も選択するテーマも「こんなことまでやっていいのか」という作品を平然と仕上げ、しかも成功した。そんなスケールの大きな仕事ぶりを自分も見て、物書きとして前線がひろがったように思う。仰ぎ見る人だけど、十数年前にお会いしてから兄のように慕ってもいた。ぜひもう一度、お会いしたかった。
昨夜は弔い酒をして酔っ払いました。うんと長生きしてほしかった!
長生きされる方だという勝手なイメージがありました。
橋本さんのご生前とご逝去の後では世界が全く違ってしまった感じがしています。
直接の関係はない著名な方がなくなってこんな気持ちになったのは初めてだと思います。
でも橋本さんの昔からの読者は、同じような強いとまどいの中にいる人も多いのでは、とやはり勝手に思っています。
発言に対する他に比べようがない大きな大きなそして不思議な信頼。橋本さんといえど決して全てが完璧と思っていたわけではないですがそれでも。
ご冥福をお祈りいたします。


そんなに御悪いとは思ってもみませんでした。

近作はあまり読んでいなかったので余計に惜しいです。

R.I.P.



ところで喪主はお母様ということですが、誰かパートナーはいらっしゃらなかったのでしょうかね?

まぁいたとしてもパートナーでは喪主にはなれないと思いますが。
私にとって橋本治は近所のへんなお兄さんのような人でした。

最初の出会いは中学1年生、近所の図書館で手にした編み物の本でした。自分で編んだものすごく凝った編み込みのセーターを着てカラフルなその人は、それまで知っていた男にも女にもいない様子でとっても楽しそうでした。

そのすぐあとこちらの思春期まっただなかに「桃尻娘」があり、映画三昧だったころには大好きな女優論「虹のヲルゴオル」があり、女であることを考え始めたころに「絶滅女類図鑑」「貞女への道」があり、「窯変源氏物語」で日本語の美しさに舌を巻きながら幾夜も明かし、「ひらがな日本美術史」も目からウロコをぽろぽろ落としながらたいへん面白く読みました。その合間の評論もずっと目につけば読んでいました。

縦横無尽、自由自在に伸びる巨大な地下迷路のような痕跡はすべて彼がひとり手で掘ったもの。
博識で語りはおもしろいし、つい、英雄化したくなったり、わたしもわたしもーといいたくなるといつも、
「わたしはそう思うんだよね。きみがどう考えるかはしらないけれども」とつきはなされました。

その態度には、このおなじ世界にあって他者である者への愛と仁義があったと思います。

「自前の考えを持ちなよ。」

これからも彼が残してくれた膨大な著作をずっと読むと思います。
でも、大好きだった近所のへんなお兄さんがもうこのおなじ世界にいないことが、とても寂しいです。
ありがたいメンターの一人を失いました。古典文学、近代文学、経済、思想、政治、文化のあらゆる面で、視点と考え方を言葉を通じて指南してくれたように思います。これから何かあるたびに、橋本治ならどう考えるのだろうと自問するようになるのでしょう。合掌。
橋本治さんが逝去されて1年が経ちました。
2020年4月に、橋本治さんが2000年代に残した貴重なインタビューである
本書が「そして、みんなバカになった」が刊行されました。
読書日記を書きましたので、紹介しますね。

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975723204&owner_id=5540901

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