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アナキスト革命連合とアナキズムコミュのアナキスト革命連合(ARF)について

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1969年のアナキスト革命連合(ARF。アナ革連)については、その結成時からのメンバーだった千坂恭二氏が、雑誌『別冊歴史読本』(新人物往来社)の「反逆者とテロリストの群像」の特集号でも一文を書いていますが、千坂氏の今朝のARFについてのMixiのつぶやきをまとめてみました。


・昨日は、1969年のARF(アナキスト革命連合)の元同志と約40年を経て会い、当時のことやその後について歓談。元ARFの者で消息が分かっている者は数人にも満たないため、半ば記憶喪失だった歴史が思い出された気がする。
・ARFの特徴は、組織性があり、構成メンバーもアナキスト(アナーキスト)の組織としては異例の数百名に及ぶものだったため、組織的動員力もあったことだろう。だから当時としてはマルクス主義系の党派とも正面からゲバルトが出来る稀有なアナキストの組織でもあった。
・事実、第四インターやプロ軍、毛沢東派、構改派などはゲバルトで粉砕もしくは圧倒し、関西では勢力の弱かった革マル派も、東京の早稲田大あたりとは逆に、ARFが統制下に置いていた大学もあった。
・マルクス主義者にはないアナキストの苦労は、理論をすべて自前で生産しなければならないことだろう。マルクス主義者には依拠すべき「聖典」の類があるが、アナキストにはそのようなものはなく、革命の構想から情勢分析、運動論さらには組織論まで、すべて自前で独学的に作らなければならない。
・また、アナキストという規定が、多様性という名目により曖昧化されているため、党派として自己規定する場合、同じく「アナキスト」と呼ばれる他の者との関係や違いをどのように現実化するかということが、組織運動上において無視し得ない問題となる。
・マルクス主義者は、「アナキスト」といえば、同じようなものと見なしている。しかし、革共同とブントと構改派が歴然と異なるように、アナキストにおいても、それに比するかなり異なるアナキストが、同じ「アナキスト」や「アナキズム」の語を使用していた。
・同じような語彙を使用しながら内容が全く異なるというのは、組織活動においては不都合であり生産的ではない。そこでARFは、他のアナキストや自称アナキストの吸収併合策をとり、いわば「ARFでなければアナキストに非ず」という路線をとった。
・おそらく幸徳や大杉をはじめ、戦前戦後のアナキストで、このような方針と路線を持ったのはARFだけだろう。良くも悪くも日本のアナキズム運動史におけるARFの意味や存在感の一つはそこにあると言っても過言ではない。
・ところが日本アナキスト連盟を基盤とする既存のアナキストたちは、ARFを、ボルシェヴィキ化したアナキストの変種として排撃する方針をとり、全国的に、アナキズムは、ARF系と既存アナキズム系、そして中間の弱小グループ系に大別されることになった。
・組織的動員力の高かったARFに対する権力からの弾圧は予想以上であり、1968年の背叛社の件もあり、当時の赤軍派と同程度に危険視され、場合によっては赤軍派以上に何をするのか分からない過激な組織として圧倒的な監視と弾圧の下に置かれた。
・ただARFはゲバルトに強いという伝説が広まり、権力や日共その他とのゲバルトが予想された場合、ARFの部隊が出動すると「無敵の援軍」が来たとばかりに歓迎されることも少なくなかった記憶がある。そこには過去のロシアやスペインでのアナキストの伝説も加味されていたかもしれない。
・また、アナキストなどまだ居るのか、アナキストはとっくに絶滅したのではないかと思われていた現実において、大量のアナキストが組織的に登場したため驚愕され、時には歓迎され、また敵視されたのかもしれなかった。
・私は1969年10月の大阪芸大襲撃闘争で逮捕されたが、昨日会った元同志は、組織の密命を帯び、東京にいたとのこと。それでも同年の新左翼全体において「決戦」とされた11月14日の佐藤訪米闘争においては期せずして共に闘争現場の蒲田にいたのも因縁かもしれない。
・面白かったのはARFあるいはその前身の組織の資料として残っている私文書の類の中にメンバーを記したものがあり、私の所には「高校生」と注記してあった。ということは、当時、ARFの関係者では、私が一番若かったのかもしれない。
・ARFは、組織分裂と解散後も、分裂した各フラクは独自活動を続け、1970年に上京した私は、元ARFの上京組と共に、東京でのARFの後継活動を行なっていたが、関西でも1973年か74年頃までARFの残党は精力的に活動していたらしい。
・日本の仏教に喩えれば、マルクス主義者は、浄土宗や浄土真宗、日蓮宗など宗派確立をしたものとすれば、アナキストは聖僧の空也や、良忍の融通念仏、一遍の踊り念仏のような非宗派的なものともいえるが、ARFは、その中で宗派性を確立した時宗や融通念仏のようなものかもしれない。
・アナキストというと多数派のマルクス主義者の周辺にいる極少数派のイメージと当事者には勢力的劣等感がしばしばあったが、ARFにおいては、多数派のアナキストが、少数派のマルクス主義党派を統制していたケースもあり、これはある意味で面白く、愉快な体験でもあった。
・ARFは、艶消しの黒ヘルで、ヘルメットには何の文字もなく、黒タオルの覆面が通常だったが、マルクス主義者とは異なる語彙で語り、マルクスには批判的で、しかも極左的であり、そのような集団が大量に勢揃いしているという光景は、平均的なマルクス派やノンセクトからは、ある種、不気味に見られていたかもしれない。
・事実、ARFには、同じ組織の者からしても不気味な人間がいたことは確かだったw 特に大阪芸大の闘争委のARFには、俗にいう変な者が大量にいたw
・旗もマルクス主義党派は、赤旗に組織名などが記されているが、ARFは、黒旗で文字は無い。そのような黒旗が何本も林立している光景は、それだけでも威圧感があったことは事実だった。
・ARFには様々な思想的前歴が現役も者がいた。アナルコ・サンディカリストがおりバクーニン原理主義派がいたかと思えば、ニーチェ主義者から熊本神風連信奉者、さらには北一輝のシンパまでいた。
・ところがバラバラになることはなく、組織的活動は、かなり一体的に行われ、組織内での思想的前歴についての「趣味的」な対立はなく、その意味では互いの違いを承認しあう、自由で多様な組織だったかもしれないww

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