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岡2林コミュのループ

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芋を食う男がいた。
ランニング姿がサモシイほどに痛ましく、坊主頭に頬擦りをする。啜り泣く低い振動に何事かと囁く。
伸ばした指先に黒の女がいた。シーツの折目に造作無く横たわる。床を滑り、瞳を覗きこむ。井戸の底のようだった。どうしたんだろう。耳元に口を近づけた。元気出しなよ、と言う。黄色い歯を見せた。離れざま籠に蹴つまづく。又芋が転げ出してきて、壁の鏡には泣く男と寝る女、僅かにたゆたう煙だけが宙に沈んでいる。
男の片手に銀の光がちらと見えた。
下手な事、考えるなよ。
あんたらは、大丈夫なんだから。
仲直り、しなよ。
二人を背に、表へ出た。
陽光散るアスファルトの上に立つ。影色増し行き交う人の表情が段々と色付いていき空の青さが目に染み始め遠く油蝉の声が鼓膜を勢い弾くように、なってきた。
蝉樹を過ぎて坂を上がると、特売日の文字がどんどんと踊っていた。買い物籠の中から財布を取り出して振ってみたが、ずんと重い割に音はせず、白レシートの束をいくら繰ってみても、髭の男の青い顔が只一つ空ろな眼差しを投げ掛けるだけだった。財布の派手な赤が恥ずかしくなり、そそくさと自動ドアを潜った。
吹き出し口の下に暫く佇みながら、広告紙の皺を伸ばす。たなびく髪は自慢の銀メッシュ入りだ。レジのおばはんがこっち向いた。惚れんなよ、なんてね。たまには夕飯の支度くらいしないと面目立たないから家を出たは良いものの、メモした食材は聞いた試無い名ばかりで、売り場の見当もつかない。「タリアテリーニ」とは麺の事らしいが、くしゃみしながら向かう乾物コーナーにはマ・マーと素麺しか無い。「アンチョビ」の文字が目に入ったところ勢い手に取って籠に投げ込み、しかし改めて値札を見て驚き捨てた。結局「空気」の詰まった籠を引き擦る様に再びクーラーに近づき、吹き出し口の黒い埃を見つめながら、くしゃ紙を破り捨てた。
間近に「新じゃが」が山積みになっていて、さっきの男の食っていた芋を思い出した。
三十個五百円?これはこれは!
結句いっぱいの泥芋を背負い、限り尽くして涼風を吸い込み硝子戸が開くと、思ったより表は涼しくなっていた。かなかな鳴く帰り道は湯気の抜けた風呂のように静に落ち着き払っていた。
さて玄関を抜けると空だった。早速芋芋を掴み出し、ごしごし洗ってアルミ中へ投で入れた。水加減も適当に塩を撒き火を付けて、余った分は買い物籠のまま放っておくと、上着を脱ぐ。幾ら夏でもジャケットだけは着るようにしている。親父の影響だということにしているのだけれども、両肩から垂れた屑シャツを隠すというほうが正解だ。
芋がぶくぶく音を立てると腹もごぶごぶ立て始めた。妙な可笑しみが込み上げてきた。
こふこふこふ
我乍ら情無い声で笑う様を壁掛け鏡に映して見る。大体ここは画家のアトリエにしては空虚で且庶民的すぎる。天井が低すぎるし、テーブルも椅子もスチールの安物。絵が一枚も無いのは何故かって?そもそも画材が買え無いのだから、描けないんだ。仕方無いだろう。でもかつては描いていたんだ。小学校では賞だって貰ったさ。今ならもっと描ける筈なんだ。…おれの「洗濯船」には未だ青の時代もやってこない。速く来て呉れないと餓死してしまう!勢い立ち上がり様火を止め取り出した一番大きい奴に、ふうふういいながらがっついた。旨い。
背後に人の気配がした。気が付かなかった。
バイトはどうしたの
おれのレーニアがいた。嗚呼ロッテ、おれが死んでも彼女はおれの歌を唄い続けて呉れるだろうか。おれのヴァイマール時代は路頭の燈し火で終わったけれども、彼女の喉だけは本物の炎だった。
どういうつもり。
黒いキャミソールの肩紐が、陽に焼けた肌と擦れ少し赤く腫れていた。
ああ、いも…食うかい。
あたしのお金、勝手に使ったでしょ。どうして。
痛そうな肩紐の縁に手を触れようとしたが、鋭い目線に遮られた。上げた腕の行く宛てがなくなってしまって、再び芋の噛り口に目を移す。
質問に答えて。
おれは戸惑った。どうして彼女はこんなにおれを責めるのだろう。おれたちは身も心も一心同体だって、あのとき、いやあのときだけじゃなくて、いつもいつも…
あんたって、要するにヒモ?
彼女は笑った。からからと、中に何も入ってない笑いだった。
おれのアート魂がうめいた。
お、この表情は…イイ。
うん、もう一回ワラッテ見せて。
おれは彼女の顔をにこやかに、しかし鋭く見上げてみせた。
あんたっていっぱしのアーティスト気取り? 歌辞めて絵に専念するなんていってたけど、タダの一度も、あんたの“アート”とやらを見せてもらったことなんて…なかったわね。
笑わない。ワラッテよ。惜しい表情だった、思い出し、スチールに指でさっきの顔をなぞってみながら、場つなぎに言葉を横吹いた。
今日の客は、そんなに嫌な客だったの?
…笑わせないでよ。
芋が一個吹き飛んだ。あれあれ、という間に返し平手が左頬をかすめた。細かな窶れ皺に覆われた手、乱暴なマニキュアの塗りあと。思わず目を上げた。
たいした歌も書けないくせに…あんたの曲歌うと、みんなひいちゃうんだよ。オ義理で歌ってあげるのも、もう限界ね。あたしの趣味も変わったの…もう猟奇だとかシュールだとかの時代じゃないのよ。
あのときだって…ヨコハマの駅前で、みんなでやってたときだって…今だから言うけどね。みんな言ってたんだよ。結局はあんたの曲のせいで、このバンド、つぶれちゃったんだって…。
おれは未だ転がる芋を見つめながら思った。ええ、おれの曲のこと、あんなに誉めてくれてたじゃないか。
みんな…
おれは芋を、只見つめるばかりだった。
そういえば…インディーズデビューとか言ってたときあったよね。即攻つぶれたけど、あんときジャケットデザインとかいって、あんたが持ってきた絵、あったよね…
ん、ああ。
ごくんと唾を飲み込むおれ。思い出した!あれは、我ながら、最高だった。うん、今でも通用しそうなやつだ。サイケのリバイバルを狙ったやつでさ
みんな何て言ってたか知ってる?
パクリだって。「二十一世紀の精神異常者」そのものじゃんって。
芋は転げ落ち、おれの視線は宙に迷う。
次に、ホルスタインの絵持ってきたときも、裏じゃみんな大爆笑だったよ、やっぱりって。「原子心母?」って名前にしようかって言って。
でも、内容がねえ…“コミックソング”じゃねえ!
コミックソング?そんなもの一回も書いた覚えは無い….
俯き加減の俺の目から、熱いものが垂れ落ちてきた、気がした。慌て目が痒いふりをし掌を当てた。ところが手に付いた芋の塩気が本当に染みて、ますますの間に眼汁が、テーブルの上にはっきりとした沁みを付け始めた。
おれは泣いていた…
はん
とひとこと残して、彼女はベッドに横になった.几帳面に張り詰められたシーツの真ん中の折り目が、丁度背骨に当たるようにして、ほっと息をついた.いつのまにか灰皿にメンソールの吸いかけがあった.
おれはといえばさっきの奔流のような言葉に暫くぼうっとなっていたけれど、涙を契機にいろいろなことを考え始めていた。言葉にはしづらい何か不思議な衝撃だった。おれはアーティストではない、そう思われてない。現時点では。それはわかっている。でもね、やっぱり、実はアーティストかもしれない。
ゴッホだってそうだったじゃないか?
耳でも切ってみようか、それで売れるんだったら
向かった洗面台で手にしたかみそりを、耳に当てた。ちょっと振り向いてみた。彼女の瞳は壁の鏡を見据えて動かなかった。
洗面台を前に、おれはそういえば血というものを殆ど見たことが無い事に気が付いた。
…恐い。恐いよ。
おれの眼からは益々塩水が流れ続けたが、もう何が何やら理由がはっきりしないもので、でもこれだけは確かだった。
耳は切れない。
なぜなら、恐いから。
でも肩まで掛かった銀メッシュ入りの髪を見て、おれは思った。
こいつをきってやろう。
こいつをきればなんとかなるんじゃないか。
足元に堆く茶色い髪屑が、見る見るうちに積み上げられていく。
誠意だ。
…誠意だ。
傷だらけの禿げ頭は、すぐに出来上がった。
おれはイガグリのまま、ベッドと鏡の間に仁王立ちになり、彼女の瞳を見据えた…
井戸の底を覗いたような気がした。
無表情さが、かえってこのおれの一大決心を否定し、
ひいてはおれそのものを否定し、
その人生に関わった彼女自身を否定している。
おれはテーブルの前に再び腰を下ろし、しばし残った芋を見つめた。こいつらだけだ.おれをわかってくれるのは。
おれはわけがわからなくなっている。でもこれだけは確かだ。
?泣いている
?腹が減っている
そして次の公式が成り立つ。
?>?
止まらない涙が塩気を増して、やや冷めてはいるが十分イケる。一層胃に染み渡り美味しさに涙が出る。
そうさ涙なんて理由はどうでもいいんだ。
まだ芋はたくさんあるぞ。
これだけはおれのもんだから、これだけは持っていこう。
おれは胃に大量の澱粉を流し込みながら、思った。

おれは出て行くのか?
…そのとき、風が吹いた。扉が開いていた。生ぬるい空気が揺らいで、入ってくる。
頭をぼりぼり掻いているうち、なんで出て行くのに髪切ったんだろうと思った。彼女全然見てなかった、意味無いじゃん。
くそ、おれはがむしゃらに芋を頬張りはじめた。腹が立ってしようがなかった。自分にか、彼女にか。どうでもいい。涙は枯れることのないアリアドネの泉のようにおれの芋を味付ける。
小刻みに揺れる頭に優しい風が触れた。幼い頃、防火週間のポスターで金賞をとったことがある。そのとき、母に撫でられたことを思い出した。母に誉められた、唯一の想い出だった。
おれは思った。
風だけがおれの友達だ。風だけがおれの転がる方向を知っている。
そうさ、風になるのさ!
風が何か囁いてきたような気がした.
何でこんなことになったのかって?
彼女を指し示した.
彼女はというと、どうしてだろう、風も無いのに耳元の髪が少し靡いていた。少し笑った。
ごろり、と音がして、まだ余っている芋が籠から床へと転げ出した。
…風が見える。
入口に立ちこちらを見る風。
何か…優しい…事を言っている。
扉をあけて、出ていった。
幻覚…
おれは、未だかみそりを持っていた。
彼女はかみそりを片手に仁王立ちになるおれをみて、
なんでだろう
笑った。
自然に。.
おれは彼女に手を差しのべ、
彼女は言った。
いつものことばだったけれど、おれには世界で最高のことばだ。
おれも同じ事を口にした。
たゆたう彼女の最後のメンソールが、部屋の深く沈んだ空気に溶け込んでいった。
鏡の中でおれたちは抱擁した。おれの右手のかみそりは、自然と床に落ちて、少し弾むと銀面より消えた。
そのあと、
ふたりで芋を平らげた。全部!彼女は満腹のまま夜の仕事に出かけていった。
ジャズは彼女の音域にあっている…とくにあのダミゴエがね。おれのレーニア、頑張ってくれ。俺の曲じゃなくていいから、メッキ・メッサでも歌ってくれ。
暫くして一人で居るのも哀しいから、おれは表へ出た。
風が待っていた。
最初強烈に感じた陽射しが、やがてうっすらと揺らいできた。おれは影が薄くなっていくのをはっきりと認識した。体の「中」を、生温い風が透過していく。行き交う人々の顔が、段々剥き身の卵に見えてきた。白黒写真の中にいるような気がしてきたおれは、慌ててウインドウを覗き込み、髪を整える。髪がある?どんどんと姿が薄くなってゆく。
おれはほんとうに風になっちゃうのか?
彼女の家に引き返す。
恐い。…恐い!
アスファルトの上を滑るように進む。ぐんぐん進んで、玄関に立つ。息切れもしない。
扉を開くと…
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1999/7(一番評判が悪かった)

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