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頭頚部がんコミュの扁桃ガン(中咽頭ガン)

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うちの家内のレポートです。

平成13年7月下旬。家内41歳
左の頚部の腫れを自覚。
風邪によるリンパ腺の腫れだろうと、近所の耳鼻咽喉科に受診。

ドクターも「はっきりしないが風邪かもしれない」ということで1週間分の薬を処方してもらう。

1週間が経過してもリンパ腺の大きさに変化無し。
ドクターは「薬を変えて様子を見よう」
「それでも直らない場合は、結核などの可能性もあるので検査しよう」とのこと。
同時に血液検査を実施。

次の週になってもリンパ腺の大きさには変化無し。
ドクターの指示によりCT撮影を実施。
やはりリンパ腺が腫れている。

翌週。
既に8月の下旬である。
他の病院での検査を勧められ、造影剤を注射しながらのMRI撮影を行う。
リンパ腺の腫れは見られるものの、ガンであるとの確証は得られず。
地域の総合病院である「横浜南部病院」での「生体検査」を勧められて予約。

9月21日
「横浜南部病院」で生体検査手術実施。
手術中にドクターから呼ばれ説明を受ける。
「見た目では分からないが、左の扁桃腺が明らかに固くなっている。恐らく腫瘍であると思うので切除する」とのこと。

目の前が真っ暗になる。
長女の大学受験。その下には高校生の長男。次男は中学生だ。

結果は扁桃ガンであった。
生体検査では鼻腔なども検体を取り、おまけに扁桃腺を切除したため、本人は激痛で意識はもうろう状態であった。
「検査」のつもりで気軽に入院し、翌日には退院できる予定でいたが・・・。

我慢強いと思っていた家内が涙を流し苦しむ様子を見ていると「これからどうなっちゃうんだろう・・・」と不安が押し寄せた。




コメント(17)

本人への告知

扁桃腺が原発であることは間違いないという。

さて、本人への告知と治療をどうするかだ・・・。

ガンなんて考えてもいなかったし「ガン=死」という思いから、本人には伝えないようにしようと考えた。
しかし、主治医は「告知は大前提で、本人の戦う意思を支えてください」と言われる。

ガンであると分かってからも、家内には「心配いらないよ」といい続けてきたが数日後から「万一、悪性のものでも大丈夫」と家内に言い始めた。
自分にも言い聞かせる重い気持ち。
気休めでしかないという空虚さも感じた。

術後一週間。
家内の痛みも治まってきた。
いよいよ告知。
私も知らなかったことにする。

二人で主治医の説明を受ける。
家内は目に涙を浮かべ聞いている。
進行度はステージ4。
一番進行した状態だ。

話は更に今後の治療について・・・。
主治医「頚部のリンパ腺に転移しているので、リンパ節の切除手術が必要」
「他には放射線治療や抗がん剤治療もあわせて行う」

私「手術してから抗がん剤ですか?順番は?」
主治医「こればかりは何がベストなのか分からない」
「ただ、頭頚部は放射線の効きは良いので、放射線は使う」
私「放射線、抗がん剤、手術の順番は?」
主治医「これはハッキリ言って医者により判断が分かれるところです」
「ご家族で相談なさってください」

え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
家族で相談!?
マジですか?と思った。
というか「どんな順番でやっても助かる見込みは無いのか?」と愕然とする。

すると主治医が・・・
「うちでも全く問題なく治療は出来ますし自信はあります」
「しかしまだ若いので、後々に後悔することの無いように、もっと高度な医療機関を紹介しましょうか?」
私「高度というと県立がんセンターとかですか?」
主治医「いや、そんなレベルじゃなくて日本一の医療機関」
「千葉の国立がんセンター東病院は最高ですよ」
私「何が違うんですか?」
主治医「スタッフの数が桁外れに多いし、分野別の専門医がいますから」
「それに院長が頭頚科の世界的権威で、頭頚科は世界一といってもいいかもしれないです」

千葉か・・・遠いなぁ。
しかし、命には代えられない。

一晩考えて翌日、国立がんセンター東病院への転院を決意。
がんばってください。
奥様は、どんな状況であれ生きるために、出来る事を精一杯やりつくして行かれることだと思います。
ですから、ご家族が頑張ってください。
奥様を勇気付け、前向きになるよう励まし、そして笑顔の回数が少しでも増えるよう、ご家族が力を合わせて、そばに居てあげてください。
お子様の入試は、奥様(お母さん)のために、必死で勉強するように励ましてください。
何も言わなくても、お子さんは必死で頑張ると思います。
私もそうでしたから。
私の母親は私が高校入試の前に、がんセンターに入院しました。手術をしないと腫瘍の悪良が分からない、ということで結果は良性でした。
そして、今年の夏、父が食道がんで他界しました。
癌と戦う本人は、口が渇く程の痛みを抱え、不安と共にベッドに横たわっているのです。その最愛の人を支える家族は、やはり精神的にも体力的にも限界を感じる時があるのです。
でも、しっかりと足を踏ん張り、頑張ってください。
そして、沢山会話をしてください。

お子さんは、何とかなります。
両親の姿を見て、しっかり過ごすと思います。
はる坊さん・masumin★さん。
ありがとうございます。

このトピは4年前からのレポートですので、子ども達は3人とも無事に大学に入学しています。
家内も元気です。

続きを書きます。↓
「1」の続き。

主治医に国立ガンセンター東病院への初診予約をして頂き「紹介状」を貰う。

10月初旬。
国立ガンセンター東病院初診。

家から電車を乗り継ぐと3時間以上かかる。
とてもじゃないが電車じゃ通えない距離。
クルマだと2時間以内だ。
都内の渋滞を抜けるにはカーナビで情報を仕入れるのが一番。
早速カーナビを取り付ける。


「初診面接」
最初に頭頚科の看護婦さんの面接があった。
私だけ呼ばれる。

看護婦「前の病院で手術をされていますが、この病気の事や状態については先生から詳しく話を伺ってらっしゃいますか?」
私「一応は伺っています」
看護婦「今後の治療につきましては様々なことが予測されますが、そのあたりについてはどのようにお考えですか?」

だよなぁ・・・ステージ?だもんね。
看護婦さんの言葉からは「ある程度覚悟してますか」という感じが読み取れる。

私「覚悟は出来ています。家内にも少しずつ話していますので大丈夫です。」
看護婦「そうですか。これから初診になりますが、お分かりにならないことや疑問がありましたら何でも遠慮なく医師にご質問ください」

そんな感じの面接だった。


いよいよ医師の初診だ。

紹介状や様々な資料を読む。
次に触診。
医師「なるほど。首のリンパ節は手術ですね」
私「その後で抗がん剤や放射線ですか?」
医師「手術だけでも大丈夫ですよ」

??????
抗がん剤や放射線はやらないの?!

医師「まぁ、一応放射線もやりましょうねど」
私「そういうものなんですか?」
医師「手術で悪い部分を取ってしまえば大丈夫ですよ。頭頚部の場合は放射線はかなり有効ですから。必ず治りますから安心してください」
笑顔で言う。

やけに自信たっぷりな表情だ。
ステージ?で本当に助かるのかな・・・・・。

医師「入院まで少し待つことになりますが心配はいりません。今日は血液検査などを行ってお帰りください」
「それから手術ですが左の首の部分を相当切除することになります」
「場合によっては首の部分から口の中まで貫通してしまうこともありますので、その場合は腹部から肉を採取して移植することになります」

ひょえ〜!
そんなことになっちゃうのか・・・・
まぁ、助かるためには仕方ない。

医師「それから放射線を使うと味覚が失われる場合があります。回復する場合もあれば失われたままということもありますので、その点は覚悟しといてください」

これも助かるためなら仕方ないな・・・。

こんな感じの初診を終えて、指定された検査を受けた。


頚部のリンパ節摘出や抗がん剤・放射線と、色々考えていたけど、医師の自信たっぷりな表情に少し光明が見えた気がした。
家内も少しほっとしたようだ。


国立ガンセンター東病院はフロアの案内板を見ると、ベッド数400程度。
そこに150人もの医師がいる。
凄い数だ!
確かに前の病院とは桁違い。
前の病院も横浜市内では有数の規模だけど、耳鼻咽喉科の医師は3名。
外来から入院患者、それに手術も3人でこなす。

転院を選択して良かったと実感・・・。

因みに、後で知ったことだが医師は頭頚科の医長だった。


・・・・・続く
今年もよろしくお願いします。

最近寒いですね、宮崎でもこれだけ寒いとほかの所はどうなってることでしょうか。

先月15日治療をすべて終えて退院した途端、風邪引きまして1週間ダウンしてました。いや〜油断してました。

皆様、風邪にご注意ください。
はじめまして。初コメントになります。
よろしくお願いします。

しょうちゃんさんの奥様の闘病レポート目が釘付けです!
私も中咽頭癌でただ今治療中なので
同じ病気の方の闘病記はすごく参考になります。
奥様はその後いかがでしょうか?
ご家族の方も大変でしたね。

応援していますね〜!!!
長い間放置状態でしたが続きを書きます。

平成13年10月22日
国立がんセンター東病院に入院。
数日間検査をした後に左頚部リンパ節の摘出(郭清)手術を行った。
摘出したリンパ節は15個。
そのうち8個にガン細胞が見つかった。
原発部の扁桃腺は、前の病院で摘出した範囲からは病変は見つからなかった。

ステージ?とは言え、8個ものリンパ節に転移していた事にショックを受けた。

本人は翌日から歩行も可能で、元気であったが、一ヶ月前に受けた扁桃腺部分の痛みが若干残っていて、食事するのに少し痛みが伴う状態であった。

手術から2週間程度経過してから放射線治療が始まった。
放射線は原発部と左頚部。
やはり日を追うごとに喉の痛みが激しくなり、吐き気も伴うようになっり、流動食も飲み込むのが辛いようだ。

同時に遠く離れた病院で家族と離れている事が、本人にとっても辛い毎日だったと思う。

子ども達には長女が大学受験を控えている事もあり、病気の事は教えていなかったので、私だけが週に3、4回通っていた。
やはり往復150km、片道2時間弱は毎日は続けられなかった。

12月末。
放射線治療が終わって殆ど食事も出来ない状態であったが、極力努力して食べる事を条件に退院。
まぁ、入院していても治療は無いのだから、自宅の方が気が休まるだろう・・・・・。

この時点で治療は全て終了。
担当医によれば、原発部も切除したしリンパ節も摘出し、放射線治療も行ったので心配ないという。
前の病院では抗がん剤も使うと言っていたので、その点に不安もあったが担当医を信じる事にした。


ここで国立がんセンター東病院の感想をすこし・・・。
やはりスタッフの多さと、医師や看護士の質は高いと思う。
一人の患者に(妻の場合は)担当医と副担当医の2名。
どちらに同じ質問をしても、必ず同じ答えが返ってくるのにはびっくりした。
それだけ治療方針や現状の分析がきちんとなされていて、連絡も密にされているのだと思う。
これは看護士も同じ。
わざと同じ質問をしても異口同音に答えが返ってくる。
他の看護士に処置をしてもらった事なども、ちゃんと伝わっているのにも驚いた。
また手術前の説明も非常に詳細で、手術にあたっても担当医2名の他に外科医数名と麻酔専門医で患者ごとにチームを作って何回もミーティングを行うと聞いた。

さて、退院してから自宅で療養生活を送り、次第に食事も摂れるようになったが、医師から説明を受けていた通り、味覚が失われた。
これは、放射線で左の唾液腺が損傷を受けているからだ。
ある程度は戻ると言う話だったが、完全な状態になるかは分らないとの事。

その後は少しずつ食欲も増進し体重も増えていった。
退院後半年は毎月1回の外来受診。
それ以後は2ヶ月に1回。

翌年。平成14年6月。
右側の頚部リンパ節の腫れを発見。
リンパ節を摘出して検査の結果、ガン細胞が・・・・・。

担当医によれば、昨年既に右側にも転移していたものが大きくなったものだと言う。
摘出したので治療は必要なしとの事だが、若干不安をおぼえる。

そこで話題になっていたPET検査を受けてみた。
結果は・・・・・。
テレビでも話題になっていた都内の病院であったが、説明を受けてがっかり。
「この黒いのがガンかもしれない」
「しかし何も無くても、このように黒く見える場合もある」
なんじゃこりゃ〜?!
まるっきり説明になっていない。

そこでもう一軒、横浜市内で免疫療法もしている病院を訪ね、PETの結果を見てもらった。
その医師によれば「夢のような検査と思われているが、それ程精度は高くない」と言われた。
治療経過を説明したら、がんセンター東の担当医の説明で心配ないだろうとの事。
不安であれば3ヵ月後くらいにヘリカルCT(細かく断層診断が出来るCT)を撮りましょうとの事。

それから3ヵ月後。
横浜の病院でヘリカルCTを実施。
画像診断では、ガンは見当たらないとの事。


その後はがんセンター東病院に3ヶ月に1回の外来受診を続けている。

今年の7月で扁桃腺の原発ガン発見から6年経過。

今は半年に一度の外来受診で経過観察中である。

頭頚部ガンの場合「多重ガン」の不安も捨てきれないが、家内は今では元気に仕事もしている。

当初は「余命何ヶ月か・・・」と思ったが、ステージ?で生還できた事に、ある意味では驚きを感じる。
今では、決して死の病ではないのだと実感。

アドバイスとしては、医師との信頼関係。
分らない事は何でも遠慮せずに聞く。
不安があれば、何件でも病院のドアを叩く。
家族の支え。

そんなところでしょうか・・・。

皆さんも希望を持って頑張って頂きたいと思います!
おめでとうございます!
すごいです!感動してます私ぴかぴか(新しい)

奥様も手術→放射線治療と大変だったと思いますが
乗り越えられて来たのですね。
そして現在仕事に戻られているのも凄い励みになります。
ご家族の支えも大きな力ですよね。

奥様の癌克服は勇気と希望でありますねぴかぴか(新しい)

ご報告ありがとうございますm(__)m

今、私も食事が摂れずどんどん体重が落ちてしまっている事や
抗癌剤を2年間服用しなければならず副作用と
うまく付き合っていく不安もありますがあせあせ(飛び散る汗)
しょうちゃんさんの奥様の後に続けるようにグッド(上向き矢印)
頑張って行きたいと思います指でOK
しょうちゃんさん

いい話をしていただき、ありがとうございました!
私の父も現在東病院にお世話になっています。
とりあえず今は通院という形で食道の拡張術に通っていますが
いつ舌根部の腫瘍が再発するかわかりません。

しかし、東病院の先生はいつも親切で入院しているときは
本当にお忙しい先生方なのに毎日様子をみては声をかけてくださって
いたようで、父は本当に喜んでいました。

そして、私は大阪在住なために不安に思ったりわからないことなどが
出てきた際は全て先生にメールで伺っています。
それに対しても、誠実にわかりやすく説明してくださいます。

今、一人の先生は京大病院に移られたので、
そちらにも通いだしましたが
拡張術は京大で初めてだったようで看護婦さんも段取りが悪く、
凄くしんどい想いをしたようで、東病院でどれだけ
看護婦さんたちも親切に苦しむ事を最大限避けて対処してくださっていたか
ということに気づいたようです。

うちの父は6年前に放射線をあててしまってるため、
もうあてる事は出来ません。
なのでやっぱりその分、癌を叩き切れないということがありますが
しょうちゃんさんの奥様のように元気を取り戻すことができるように
家族みんなで力を合わせて行こうと思います!
ゆきねぇさん。
食事が摂れないのは辛いですね。
うちの家内も放射線の影響で食事が摂れず、結果的には15?くらい痩せました。
やっぱり体脂肪率って低いよりあったほうが良いですね。
食べられるようになったら、どんどん脂肪を蓄えましょう(笑

RINさん。
患者さんや病状にもよるのでしょうが東病院も本当に良かったと思います。
ガンとの戦いは長期戦です。
ご家族の皆さんも健康に気をつけて頑張ってください!
放置状態の管理人です。

今月で家内の最初の手術から7年になります。

ステージ?でしたが、今では家内も元気で仕事をしています。

今では半年に1度の定期健診です。
担当の先生の話しによれば、転移性のガンは絶対にありえないとのこと。
全く不安が無いわけではありませんが、これまで頑張ってきたんですから、万一の場合でも家内には何回でも頑張ってもらうしかありませんうまい!

諦めちゃダメexclamation ×2
しっかりと読まさせていただきました。

光が見えた感じです!
ありがとうございましたm(_ _)m
放置していた管理人です。

お陰様で家内は発病から13年が経過した現在も元気に過ごしています。

今でも半年に1回の通院ですが、10年以内に発症の可能性がある多重ガンもなく、子ども達もそれぞれ社会人になり、孫の顔も見ることができました。

私は当事者ではありませんが、闘病中の皆さんやご家族の皆さん、希望をもって前向きに進んでいただけたらと思います。

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