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音楽図鑑〜After the 80'sコミュのYes

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Yes

 70年代、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、EL&Pらと共に「プログレ四天王」と呼ばれたイエスは、分裂と統合の繰り返しによって成長しつづける特異なバンドだった。
 イエスは、変調・変則リズム・パターン、様々な音楽のクロスオーヴァーといったプログレの基本(?)を作り上げたバンドと言ってもいい。

 イエスの黄金時代(70年代)にサウンドの要だったのは、スティーブ・ハウであり、リック・ウェイクマンであった。
 イエス・サウンドといえば、たいがいの場合この2人がいた頃に築き上げた大作長編志向の曲を思い浮かべる。
 しかし、二人とも、もともとのオリジナル・メンバーではないというのはちょっと驚きだ。

Jon Anderson ジョン・アンダーソン/リード・ヴォーカル
Chris Squire クリス・スクワイア/ベース・ギター、ヴォーカル
Tony Kaye トニー・ケイ/キーボード
Bill Bruford ビル・ブラッフォード/ドラムス
Peter Banks ピーター・バンクス/ギター、ヴォーカル

 このバンドは、しばらくしてピーターを残し、他のメンバーをトニー・ケイとビル・ブラッフォードに入れ替え、1968年にイエスとしてデビューする。
 当初のイエス・サウンドはジョンとリーダーのクリスの色が濃く、 フォーク・ロックやR&Bをベースとし、コーラスやハーモニーを大きくフューチャーしたものであった。
69年にはファースト・アルバム、翌70年にはセカンドもリリースし、ヒットこそしなかったものの、その独創的なサウンドが評論家たちに絶賛され話題になった。
 70年2ndアルバム・レコーディング終了直後、1人目のKeyマンとなるSteve Howeスティーヴ・ハウが加入する。そして、翌71年にリリースしたサードアルバムはこの新加入のハウによって、今までのバンドとはまったく違うサウンドへと変化を遂げていた。
 ハウの持つクラシックやジャズのセンスが融合されたサウンドと彼の恐るべきギター・テクニックはただちに全英を揺るがすほどの話題を呼び、アルバムは全英7位の大ヒットとなった。
 さらにこのハウの存在感に圧倒され、影の薄くなったトニーは脱退。代わりにハウの凄まじいプレイに対抗できるキーボード・プレイヤー、Rick Wakemanリック・ウェイクマンが加入した。
 このメンバーで同71年に発表したアルバム「こわれもの」は全英7位、全米4位を記録し、彼らは一気に世界規模で活躍するビッグ・バンドへとのし上がった。
 波に乗る彼らは、72年ロックの歴史的名盤となる「危機」をリリース。これも全英4位/全米3位の大ヒットとなり、いよいよ名実共にプログレ界のトップ・グループにまで上り詰めた。ところが、このアルバムをリリース直後ビル・ブラッフォードも脱退し、キング・クリムゾンへ加入してしまう。

 ブラッフォードの後任には、ジョン・レノン率いるプラスティック・オノ・バンドに在籍し、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース、ジョージ・ハリスン、ジョー・コッカー等と数々のセッションをこなしてきた、これまたパワフルな敏腕ドラマーAlan Whiteアラン・ホワイトが加入し、長いイエスの活動期の中でも最強のメンバー・ラインナップとなった。
 このメンバーで全米ツアーを敢行し、その模様を73年に異例の3枚組ライブ・アルバムとしてリリースした「イエス・ソングズ」も全英1位/全米12位の大ヒットを記録した。
さらに同年2枚組のスタジオ録音大作「海洋地形学の物語」を発表。アンダーソンの観念的な詩が難解すぎて、賛否両論があったものの、全英1位/全米6位と、これまた結果的には大ヒットになった。
 しかし、このイエスの黄金期もリック・ウェイクマンの脱退(ソロ活動へ)によって崩れ落ちていくことになる。

 このあとキーボードにPatric Morazパトリック・モラーツを迎えた彼らは74年アルバム「リレイヤー」をリリース。
 一部のファンの間では「危機」に並ぶ名作であるとの評価も囁かれたが、バンド自体の勢いは下降を免れず、5人のメンバー達はそれぞれソロアルバムを製作し始める。
 76年になるとモラーツ脱退表明を受け、再びウェイクマンをメンバーに呼び寄せて、アルバム「究極」を完成させた。
 77年にリリースされたこのアルバムは、久しぶりに全英1位/全米8位と大ヒット。つづく「トーマト」も78年に同じメンバーでリリースし、イエスは完全に復活したかに見えたが、このアルバムではシングルヒットを狙ったとも思えるコンパクトな曲が多く不評をかった。
 80年になると今度はスケジュールのことで意見が食い違い、アンダーソンが脱退、後を追うようにウェイクマンまで抜けてしまうというバンド最大の危機に瀕した。
誰もがこの時イエスは解散したと思った。それは、オリジナル・メンバーでありバンドの顔的存在であったアンダーソンが、イエスのリーダーであると、誰もが信じていたからだ。
 だが、実際は違っていた。クリス・スクワイアこそイエスのリーダーであり、バンドの創設者だったのだ。残りのメンバー達は、今までと同じように新たにメンバーを補充し、淡々とアルバム「ドラマ」を製作し、同80年中にリリースした。
 新メンバーは、元バグルズの2人Trevor Hornトレヴァー・ホーン(vo)とGeoff Downesジェフ・ダウンズ(kb)
「ドラマ」は全盛期のイエス・サウンド、すなわち大作志向に立ち返ったもので、全英2位/全米18位の大ヒットとなり、イエス・サウンドは実質的にハウが作り上げていたことを改めて露見する結果となったが、ツアー中“アンダーソンがいないバンドはイエスにあらず”という厳しいイギリスのファンからの酷評を受けて、ついに81年イエスは解散してしまうのであった。

 イエス解散後、ハウとダウンズは元EL&Pのカール・パーマー、元キング・クリムゾン〜ユーライア・ヒープ〜ロキシー・ミュージック〜U.K.のジョン・ウェットンとともに「エイジア」を結成。
 トレヴァー・ホーンはプロデューサーへ転身。
 クリスとアランはトレヴァー・ラビン(g,kb,vo)を加え82年になってシネマというバンドを結成したが、そこへアンダーソンとオリジナル・メンバーであり、ディテクティヴなどで活躍していたトニー・ケイまで加わることとなり、新生イエスが誕生した。
 メンバーは
Jon Anderson ジョン・アンダーソン/ヴォーカル
Chris Squire クリス・スクワイア/ベース・ギター
Alan White アラン・ホワイト/ドラムス
Tonny Key トニー・ケイ/オルガン
Trevor Rabin トレヴァー・ラヴィン/ギター
 83 年このメンバーで再結成された新生イエスは、YESとは名ばかりのまったく違うサウンド・アプローチをするバンドで、昔からのファンは戸惑うばかりであった。しかし、この年リリースされたアルバム「90125/ロンリーハート」からのシングル「ロンリー・ハート」は、彼ら初の全米1 位の大ヒットを記録。 
 ぼくがはじめてイエス・サウンドに触れたのがこの頃。(笑) 
 正統派イエスファンには何だそれと思われるでしょう。
 その後ライブ盤とスタジオ盤1枚づつをリリースし、地道なツアー活動を重ねていた彼らだが、88年の来日直後にアンダーソンがまたもや脱退を表明。
 翌89年には、なんとアンダーソンが黄金期のイエスを復活させようと目論み、スティーヴ・ハウ、リック・ウェイクマン、ビル・ブラッフォードらを再び集結させた。だが、この呼びかけにクリスだけは振り向かなかったため、クリスの代わりに元キング・クリムゾンのトニー・レヴィン(b)を迎えてイエスと名乗り活動を始めようするのであった。
 これに猛反発したクリス率いる新生イエスも“YES”の名を譲らず、裁判沙汰にもなり、結果的にクリスにYESの使用権が与えられることとなる。
 断念したアンダーソン側は、しかたなくABWH(アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ)と名乗り、同年アルバム「閃光」をリリースし、ワールド・ツアーも決行、90年には来日も果たした。しかし、どう見てもこのバンド、内容は実質イエスで、スクワイア側のイエスは“シネマ”と名前を変えざるを得なかった。
 結局この2つのバンドはシネマのレコーディングをアンダーソンが手伝うという形で90年暮れに合体。イエス・ユニオンが誕生した。
 またABWH側とシネマ側は完全に別々にレコーディングしながらも、91年にはそれらの曲を1つのアルバムにまとめ「結晶」としてイエス名義でリリースした。
 落ち着くことを知らないイエスは、95年トニー・ケイとトレヴァー・ラヴィンが脱退し、またもハウとウェイクマンが加入。
 ウェイクマンは97年脱退してしまうが、ハウは残り現在も共に活動をつづけている。

 なんだかわけがわからないくらいメンバーがくっついたり離れたりしながら継続しているバンド.....それがイエスである。

コメント(4)

Yes - Leave It

http://jp.youtube.com/watch?v=GZV8MPxxgkE&feature=related


Yes - Owner Of A Lonely Heart

http://jp.youtube.com/watch?v=ELpmmeT69cE

yes - roundabout

http://jp.youtube.com/watch?v=WIVi7KY_WJ8

ABWHとシネマの関係は事実誤認ではないでしょうか。
シネマはラヴィンとスクワイヤが構想していたバンドで、そこにジョンが参加して90125YESになったのだと思います。90125YESはかっこいいですよね。ラヴィンはリードヴォーカルもとれるから、ジョンが参加しなくてもそこそこのバンドになったのでしょうが、やはりジョンのヴォーカルにはマジックがあって、これが本来ならYESとは似ても似つかないバンドをYESにしたのですね。
ABWH期にもジョンを除く90125YESは存続してレコーディングをしていたはずで、その際にシネマの名前を復活させたという話は僕は知りませんでした。
ABWHとYESはそれぞれにスタジオ盤を製作していたはずなのに、どういうわけかYESの作品にジョンがヴォーカルで参加したことからUNIONの巨大イエスが誕生したのだと理解しています。UNIONは実は完全にふたつのバンドそれぞれの音源を寄せ集めたものですが、イエスにしか聴こえない不思議な作品でした。

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