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柳田國男語録コミュの先祖の話

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予備知識が入らない内に自分の考えを纏めておこうとしたためて名刺代わりに配ろうと自費出版した『ワンネス』については前述の通りだが、その当時は自動書記のように文章がすらすら出て来たものだった、その時書いた文章にこんなのがある、「その前の年にヨーロッパを旅し、イタリアのフィレンツェからシエナを訪ねた時、町の真中の広場に座って周りを眺めていると何故か初めてでないような気がした。不思議な事に全然道にも迷わない、その時は冗談できっと自分は前世はフランスからシエナに来た吟遊詩人に違いない等と言っていたが、同時に祖父がヨーロッパに居た時も今の儘だったのだなと思った。
 帰国後、臼井吉見さんの「柳田國男回想」の中の渡辺紳一郎さんの稿を読んでいると、祖父が朝日新聞に居た時分、「ヨーロッパのどこへ留学するにしても、イタリアだけは是非見物するといい、西洋文明の深みが判るよ」「『即興詩人』を愛読してますから、あれに出てくる所は行くつもりです」「あれは文学というよりは旅行案内だ、でもフィレンツェが抜けているいるのは残念だ」と話したと書かれていた。
ルネサンス気分に浸っていた自分にとっては最高の情報だった。
その当時、祖父の教育理念と私が常日頃考えていた事の共通のキーワード的なものを見付け、血の中にある捨てがたいものを感じた時、たまたまその頃阿含宗出版社から出ている「アーガマ」で日本人の死生観の特集があり、宗教学の鎌田東二先生が、柳田國男は「先祖の話」の中で「祖父が孫に生まれて来るという事が、或いは通則であった時代もあった」と言い、自らもそれを信じていたという様な内容の稿をお書きになっているのを読んで驚き、同時に何か強い力が自分の魂に働き掛けるのを感じたものである。それ迄神の世界を信じ、霊の世界を信じていた積もりでも、先祖の霊との繋がり迄はなかなか気が回らなくて疎かにしていた感がある。」

「学問と道楽との差は、必ずしも之に由って衣食すると否とに由るもので無い。我々は仮にこの短い生涯の更に数千分の一しか是が為に割き費し得ずとも、それが偉大なる人間研究の片端であり、真理の殿堂の一礎石であることを意識することによって、明白に単なる遊戯趣味の生活と識別せられることが出来るのである。」『民間伝承論』序

家に篭ってあぁでもない、こぅでもないと、悩み狂っていた時に、これを見つけた時は、祖父も収入にならない研究の言い訳が必要だったんだな、と思ったと同時にこの一文からすごく励まされ、その小冊子に僕が大事にしている祖父と昭和27年に撮った写真の裏にこの文を印刷し迷わず綴じ込ませて貰った位である。

その当時は祖父『先祖の話』の中で、

「出来るものならば、いつまでも此国に居たい。さうして一つの文化のもう少し美しく開展し、一つの学問のもう少し世の中に寄与するやうになることを、どこかささやかな丘の上からでも、見守って居たいものだと思ふ。」

こんな事を書いていたなんて知りもしなかったのだから不思議だ。

「國男が、「一方母から受け継いだ片意地な潔癖なども、世渡りの上には少し不便であったが、これとても子孫似てくれないことを願うほど、悪いものとは思っていない。」
と言っている様に、極個人的な問題かも知れないが、当の本人にとっては大問題でもある。」

なんて自伝にも書いたが、

思えば大蔵五丁目のアパートの晴れた日には富士山の見える西向きの出窓に彫刻家西さんのお造りになった柳田國男のブロンズを飾り、國男の霊が生田の春秋苑の國男の墓地からいつでも降りられるようにしていた日々、宮古島の司にウタキで拾ってもらったたましいをそこに祀り、祖父の研究に没頭した日々、実に懐かしい、あれ程偶然の重なった時期は無かった。

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