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訪問看護師さん集まれ!コミュのちょっといい話

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皆さんに元気の出るかもしれないちょっといいお話のおすそ分けわーい(嬉しい顔)


先週近隣の訪問看護ステーションの管理者が集まって
この地域の基幹病院となる市立病院の地域医療連携室の
働きがけで、初めて府外や市外の訪問看護ステーションの
管理者がどんだけ〜ってぐらい集まっての連絡会がありました。


正直この月末のクソ忙しい時にそれも夕方席を外さないと
いけないのはホントに申し訳ないんだけどダルイ


それでも初めてお会いできるステーションの管理者さんも
いらっしゃるので管理者として一番ぺーぺーの私は
有無を言う間も与えられず席に着きました。


この懇親会は今後もテーマを持ちながら病院と在宅をつなぐ
会として2ヵ月後に再び参集が決まってお開きになったのですが…


その会場の外で1人優しそうな初めてお見掛けする女性が
こちらに向かって会釈をされています。



       「ヤバイ。はて?誰だったっけな?」

どこかの管理者会でお会いした記憶もなく、私が滝汗になっている
ところへ静かに歩み寄られて





     「多田 毅さんのお孫さんではありませんか?」



ハイ?何で爺ちゃんの名前がこんなとこで出てくるんだ???
ますます混乱する私の動揺に気づいたか、その女性が取り出したのは
一枚の写真。桜の下で、車椅子の爺ちゃんとその女性が写ってる。




「私川西市で訪問看護ステーションの管理者をしております
 ○○と申します。当時は現場に出ておりまして、多田さんの
 担当をしていた訪問看護師です。」




言葉を失った。ずっと会いたいと思っていた人とこんなところで
会えるなんて。




私の爺ちゃんは私が結婚をして愛息子がお腹にいることがわかった年
弟の就職が決まって独り立ちした年、二人の孫の幸せを見届けるかの
様に静かに息を引き取りました。享年94.大往生でした。




私の母は結婚してお嫁に来てからこの舅と同居をし、80を過ぎた頃から
認知症が進んできて、介護が必要となった時も「私の大事な初めての
父親だから」と懸命に介護生活を続けていました。徘徊で警察沙汰に
なったこともありました。それでも母はいつも大切に大切に介護を
続けていました。



私は爺ちゃん子でした。弟に至っては爺ちゃんなしでは全うに育たなかった
ぐらい私たちは爺ちゃんに育てられました。いつも家には爺ちゃんが
いて寂しい思いをしたことはありませんでした。他にも孫は6人いますが
誰よりも愛してもらい育ってきました。



爺ちゃんは病院が嫌いでした。国家試験に合格した時、「わしもお世話
になります」と喜んでくれたのは爺ちゃんでした。



それでも寄る年波には勝てず、爺ちゃんは年々家に引きこもるようになり
下肢筋力が低下して、出掛けることは難しくなっていました。
「訪問看護師さんに来てもらって、体調だけでも看て貰った方がいい」
そう提案したのは私です。母の介護にも限界がありました。


認知症は進行していましたが、自分のことは自分でする爺ちゃんは
自分でお風呂にも入り、トイレも失敗することもなく、今考えれば
本当に愛おしい爺ちゃんになっていました。


訪問看護師さんにも手を合わせて「有り難いです。またね」とにっこり
笑う爺ちゃんは人気者だったと言います。




当時私は主人と結婚をして仕事も続けていましたから、なかなか実家に
帰れない日が続いていました。一番に彼の記憶から消えたのは私でした


実家に何かの用事で帰った日、いつものように「爺ちゃんただいま」と
声をかけた私に不思議そうな爺ちゃん。




    「はりゃ?今日は血圧計る日でしたか?」


私はその一言で全てを悟りました。慌てて車に積んであった聴診器と
血圧計を取りに帰って



    「そうですよ。お変わりないですか?」


この日私は爺ちゃんの記憶から消え、訪問看護師として接するように
なりました。隠れるようにして泣きながら血圧を測ったのを覚えています。



    「多田さん。血圧いいですね。心配ないですよ」

    「はぁ有り難いね〜ありがとう。またね」

そう言ってそっと手を合わせる爺ちゃんは笑顔でした。






爺ちゃんが急変したと夜勤中に実家から電話がかかってきたのは
夜勤の明け方でした。父から「仕事をきちんと片付けてから来なさい」
と言われた私は夜勤の申し送りをして休みを取ってくれた主人の迎えの
車に飛び乗り、白衣のまま自宅に帰りました。


爺ちゃんはもう着替えを済ませていつもの部屋で本当に眠っているかの
ように静かに私を待っていてくれました。



その日の朝、4時ごろ母が物音がするので起きてみると、爺ちゃんが
着替えをしていたと言います。「爺ちゃんどうしたの?」と聞くと



「なんか具合が悪いから、ひろさん(私の母)看護師さんを呼んで」



と言ったといいます。土気色の顔色にただ事ではないことを察知した
母は救急搬送を要請します。近づいてくる救急車のサイレンに爺ちゃんが



   「こんな朝早うには看護師さんは来てくれへんのかなぁ」



と少し寂しそうにつぶやいたと聞きました。それが最期の言葉となりました。



救急車内でVF・VTバージョンにて一旦心拍が戻ったもののER到着と同時にCPA。同乗していた父だけがその最期を看取りました。
30年「私の初めての父親だから」と傍を離れることのなかった母も
間に合いませんでした。



その前日も好きな焼酎をコップに一杯だけ飲んで、お風呂にも入って
次の日の訪問看護師さんの来訪を楽しみにしていた爺ちゃんは
私たちに人の引き際をきちんと遺して旅立ちました。




私は看護師として爺ちゃんに何もしてあげていなかったことを責め
半狂乱になり、弟は現実を受け入れられず倒れました。
大好きな爺ちゃんは夏の抜けるような青空の下煙になって逝きました


あれからもう7年です。当時お腹にいた愛息子はこの春小学生です
生きていたら100歳越えています。





きちんと着替えをして待っていた訪問看護師さんはどんな人だった?



訪問看護師になって今、迷うことがあると必ず心の中で爺ちゃんに
聞いてみます。




最期に会いたかった訪問看護師さんはこんな時どうするのかな?






そんな時の思いがけない出会いでした。写真は爺ちゃんが亡くなる年の
春、桜を見に散歩に連れ出してくれた時のもので、爺ちゃんがお気に入りの
ハンチングを被って微笑んでいるなんとも幸せそうないい写真でした。




「ご葬儀の時にお渡ししたかったんですが、悲しまれているご様子に
お声のかけようもなく、今になってしまって申し訳ありません。」

訪問看護師さんがそっと手渡してくださいました。




   「亡くなった日、訪問看護師さんを待っていたようなんですが
    どなたかご存知ありませんか?」


ずっと会ってみたいと思っていました。




   「実はあの日訪問日ではありませんでした。多田さんが
    待っていらっしゃったのは、お孫さんで看護師さんの
    あなただったのではないかとステーションで話をしました」



   「認知症が進行して確かに私たちスタッフの名前も混同される
    ことが多くなっていましたけれど、多田さんは「孫も
    看護師でね、血圧測ってくれます」といつもお話されてました
    とても嬉しそうに。いつ訪問してもきちんと着替えをして
    待っていてくださって、最後には必ずまたねってにっこり。
    私たちの看護よりお孫さんの血圧測定が一番嬉しく思って
    らしたんじゃないかしら。私は在宅では家族の力に勝るものは
    ないと思っています」







このお話を訪問看護に携わる大切なみなさんに捧げます

コメント(2)

泣かせます・・・

私は、看護学生の時ばあちゃんの介護をして家で看取りました。

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