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人と自然コミュの「坂の上の雲」と日本人

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「坂の上の雲」と日本人

 いくつかの月刊雑誌に「坂の上の雲」や司馬遼太郎の特集があり、NHKでもドラマ化されるというので、読んでみたのがこのタイトルの本。

関川夏央「『坂の上の雲』と日本人」 文春文庫 \581


 文庫本になる前、2006年に単稿本で出版されていました。小説の方では十分書かれていない時代歴史背景、人物説明なども詳しく、また司馬の意図の解説など丁寧です。
 「斜陽に立つ」(古川薫著 毎日新聞社刊)が2008年2月に毎日新聞の日曜連載が完結したのだが、これは乃木希典を主人公として、「坂の上の雲」の無能な将軍乃木扱いとは異なる視点で書かれていたので、こちらも面白かった。で、関川氏の本の出版後に書かれたので、これへの言及がないのが残念。
 
 巻末の解説が内田樹氏。産経新聞連載が68年から72年だと。この頃は大学紛争が続いていた。内田氏や関川氏によると、日露戦争までの40年間の明治の時代は「健康なナショナリズムの時代」と表現され、昭和20年終戦から後の40年間とダブルと言う。

「文芸春秋」には巻頭に司馬遼太郎が「この国の形」を書き続けていた関係もあって、文春にも特集が時々出る。「中央公論」12月号にも特集が出ていて、関川氏も対談相手になっている。その他、「プレジデント」にも特集がある。

 「坂の上」に上るように、国民国家の上昇形成過程が、司馬氏の得意な分野の小説背景ということになるだろうと指摘している。「竜馬が行く」も「坂の上の雲」もそうだ。そして、同じ時代であるのに西欧文明に疲れた夏目漱石も森鴎外も登場せず、子規のみが登場するのは、「上る時代」にふさわしくない登場人物という評価を司馬氏がしているのだと評価する。

 しかし、日露戦争から後の40年間で、軍の暴走を許し、日本は太平洋戦争に向かうというミスを犯してしまった。それではこの国民国家成立時期が、次の40年の暗黒の時代を用意したのではないのか、とも思えるが、その分水嶺が日比谷焼き討ち事件(日露の終結後のポーツマス条約の内容が日本にちっとも有利でなかったことに対する民衆のデモ)なのだと言う。日露戦争は勝利などとは言えるものでなく、両者の兵糧切れで納めたということなのだが、「大勝利」と日本人は(というよりマスコミが煽った)受け取ったのだ。

 同じように、太平洋戦争の戦後40年の国民挙げての復興から高度経済成長の後、68年に起こった大学紛争。これも分水嶺だと、内田樹氏は解説されておられる。
なにか抜けているものがあるのではないのか。68年問題を擁護してみよう。
 ちょうど今、沖縄の普天間基地の問題が上がっていて、およそ独立国(の都市の真ん中)に外国の基地があって、それを動かすこともままならない、という「面倒な」事態になっていることに対して、中立的(実は保守的)な文化人の発言が何もない。日米対等ではない日米安保条約を見ないで「対等な」関係の議論はありえない。ざっくり言えば、民主党にはこの事態を打開しようという試みがあるように思われる。

 そして言うなら、68年の紛争の背景には政府政党の対米弱腰姿勢があったのではないのか、と私は思うが、どうだろうか。内田氏の論理はここが欠落してはいないだろうか。その前の40数年が68年を用意した、とまでは言えないまでも、紛争のエネルギーが蓄積していたのだろう。だが、その後すでに40年が経過したが、過去のように軍の暴走による戦争突入ー敗戦などという事態を今起こしているわけではない。
 ただ、連合赤軍事件などは起こしたものの、それは新左翼の自滅的な行為であって、日本を破壊に追い込むほどのエネルギーなどではなかった。だから分水嶺とは言えないだろう。ただ、一本調子の「上り坂」は40年程度しか持続しない、というのは歴史的な教訓として持っていていいと思う。

 「坂の上の雲」に戻ると、司馬氏が書いたのは上げ潮の時期だけの小説ばかりではなかった。「燃えよ剣」(新撰組血風録)のテレビドラマの反響はすごいものがあったし、上の68年世代にも人気があった。栗塚旭の土方歳三役はしびれるほどの「滅びの主役」であり、全共闘世代もこれを見た。原作というよりも脚本と配役がよかったのかもしれないけれど。私は毎週見ました(笑い)。そう言えば、もう一方のコミック「明日のジョー」も滅びの主人公でしたね。

 にもかかわらず、「坂の上の雲」が現在までも爆発的に読まれているのは、理由のあることだ。第二次世界大戦・太平洋戦争でのアジア各地への侵略・植民地化などが戦後は当然批判されて、「平和主義」憲法を受け入れたわけだが、同時にそれまでの近代日本の歴史に否定的な評価が大勢だった。これが今「自虐史観」と呼ばれたりしている。実は、高校日本史教科書は明治時代くらいまでしか書かれておらず、それ以後の「日本史」を若い人たちは知らないけれども、新憲法制定で過去を否定する「平和主義」=自虐史観を受け入れたと思う。それに対して、「坂の上の雲」は日露戦争までの明治を肯定的に明るく描いたので、「これで日露戦争への歴史的評価が変わるのではないか」と歴史学者が表明したことが、この本でも紹介されている。

 そこから「戦争にはなんとしても勝たなければいけない」=「軍備増強は必要である」という路線の理論武装を心情的に補強した役割を、この作品が果たしたことを間違いなく評価したのだ。そこまではまぁ分かるとして、それなら現在の日米安全保障条約下の日本をどうするのか、までを戦前肯定派は踏み込めていないのではないか。この条約が保守派のアキレス腱またはタブーではないのか、と私は思う。日米同盟、東アジアの冷戦構造、世界の警察官アメリカ、いろんな世界の要素があるのだけれども、そこからどうするのかというイニシアティブを日本が取れるかどうか、だろう。

 いろいろ回り道をしたんだけれども、この作品が今も読まれ、評価されているのは右翼的な肯定史観が台頭し、逆に「平和史観」が後退している現在をそのまま写しているように思う。これがとりあえずの結論です。

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