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人と自然コミュの「千と千尋の神隠し」感想文

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(藤川修さんからのメール)

 「千と千尋の神隠し」感想文

 ぼくは残念ながら記憶力はそんなに良い方ではないので、印象の薄い映画のあらすじは数年も経つとすっかり忘れてしまう(笑)しかし、この映画「千と千尋の神隠し」は違った。劇場公開と同時に東京渋谷で観たあの日、感慨深く映像とストーリーを受け止め、その後、何年経ってもおおむね覚えていたのだからよほど印象深い映画だったのだろう。

 昨日、あらためて観て、やはり期待を裏切らなかった。この映画は次のようなメッセージを伝えたいのだと思った。ちょっと子供っぽい表現と思われるかもしれないが、ぼくはこんなふうに受け取った。

1.若者たちよ、あいさつはちゃんとしようネ。
2.お世話になったら、お礼はちゃんと言おうね。
3.若者たちよ、働かないのなら、生きられないのだよ。
4.お父さん、食べ過ぎないでネ。太っちゃうから。
5.愛は時空を超える。

 1と2はほとんどいっしょ。だいたいこんな文章を読んでもあいさつをしない若者はあいさつをしないままだろうが、映像の力はもしかしたらそんな若者たちをも変えてしまうのではないか、と思わせるくらい強くあって、かつすがすがしい。

 3についてはあまり心配ないかもしれない。千も、急におっかない「ゆばあば様(魔女)」のもとで、八百万(やおよろず)の神々が団体旅行で訪れ癒される銭湯で働かざるを得ない状況に置かれたときに不慣れながらしっかり働き始めたのだから。

 4は比較的強いメッセージとして受け取った。映画の冒頭で、お父さんとお母さんが屋台で食べ始める。千だけは食べないで、ちょいと橋まで遊びに出かける。(そこで白(はく)に出会う)白から「戻れ!ここは人間がくるところではない!」と言われて屋台まで戻ると、なんとお父さんとお母さんは・・というシーン。

 誰もが「あっ」と息を呑んだことだろう。宮崎駿は著書でこんなことを言っている。「みんな食べ過ぎだと思います」と。そうなのだ。日本語には美しい表現がたくさんあって、そのひとつが「足るを知る」だろう。今日の夕飯、もう「腹八分目」ちょうどいい、ご馳走様、ありがとう、こういった感謝の氣持ちを持つことがからだにも心にも精神にもいいのだろう。



 くさーい神様が銭湯にやってきたとき、誰もがあまりのくささに対応できない。ゆばあば様は新米の千に応対させる。千は精一杯やれることをする。ヘドロの中に自転車のハンドルらしきものを発見。ロープをくくりつけてみんなでひっぱる。するとヘドロの中からたーくさんの過去に捨てられた産業廃棄物やゴミがワサワサ芋づる式に出てきた。

 ぼくが今回このシーンで理解したのは、たくさんのゴミを川に捨てたのは人間だということ。しかも川がヘドロになってしまったということは合成洗剤や工業製品をつくる過程で工場から排出される化学物質が原因だろうということ。また人間の糞尿を浄化するために化学物質を混ぜて川に流しているのも事実。つまりあのくさーい臭いは人類の近代文明の負の遺産に過ぎないと理解した。

 しかし実はこの神様は名のある川の神様だったので、大量の薬湯(くすりゆ)できれいさっぱりなったあと、砂金を残して去って行ってくださった。

 その後、顔ナシが銭湯に入ってくる。(千が彼女の優しさから扉を開けておいたから)こいつはかなりの化け物で(笑)砂金で釣ってかえるや番頭など三人を飲み込みながら、さらにご馳走を喰い散らかしながら銭湯内を闊歩する。

 ところが千は顔ナシから砂金をあげる、と言われても「いらない。わたし、いま行かなくちゃいけないの」とこともなげに断る。千は砂金やおカネといったものに興味がない。それよりももっと大事なもの、両親を取り戻す(そうそう、両親にあげようと思っていた「にがだんご」を顔ナシにあげる優しさに感動した)そして白様(はくさま)を助けることにまい進する。自分を二度も救ってくれたヒトだから。



 物語の後半、すっかり優しくなった窯じいはリンに言う。「わからんか、愛だよ、愛!」とても良いシーンだ。にがだんごを傷ついた白龍に無理やり食べさせる千の姿。いとおしい。

 二両編成の鉄道が海の上を走る、幻想的なシーン。白が盗んだ魔法の判子(印鑑)をゆばあば様のお姉さまに、白にかけられた魔法を解いてもらうために千は六つ先の駅まで海の上を鉄道で移動する。

(観客の)おおかたの予想と違い、千はゆばあば様のお姉さまに暖かく迎えられる。ねずみ(坊に魔法がかかっている)は糸紡ぎの手伝いをクルクル走って楽しんでいる。みんなで紡いだ糸でつくった髪結いを千は少しだけ大人っぽいしぐさで結ぶ。玄関を開けると回復した白龍が迎えにきていた。

 二人の飛行シーンで、今回聴き取ったエピソード。白はもともと川の神様で、千が小さいとき、川でおぼれかけたときに浅瀬に運んでくれたのだった。それを千は記憶をたどって思い出し、白は千を助けたことは忘れていたものの「千尋(ちひろ)」の名前だけは最初に出会ったときからなぜか知っていたのはそういうわけだった。

 最後から二番目のシーン。ゆばあば様のところにいる「坊」は「坊」ではなく、砂金は砂金ではなかった。魔女でも魔法は見抜けない。いや、これは映画からのメッセージで、砂金(おカネ)なんてものはもともと幻(もしくは幻想)なんだ、ということ。

 つまり砂金にはもともと魔法なんてかかっていなかったとも言える。ぼくらのおカネもそうだ。紙幣は紙だし、預金は銀行の中のハードディスク・データである(笑)。

 宮崎駿さんは著書の中でいう。

 損得はあとまわしで力をつくして仕事をするのは当然で、金のために仕事するなって。いや、金のために働かなきゃいけないんだけど、そういう考え方は自分を貶める(おとしめる)ことになりますから。



 最後に、もうひとつ彼の名言を抜粋します。

 半分素人の方がいいんですよ。それは自分が選択して、自分がプロだからやるんじゃなくて、自分がこれをやりたいと思うからこれをやっているんだという、やっぱり精神の方が大事なんですよ。

 このことばにどんなに勇氣づけられたか知らない。


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