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人と自然コミュのグローバル経済と日本のこれから

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 グローバル経済の行方


1)雨宮処凛 菅野稔人『「生きづらさ」について』光文社新書 ¥760 2008年7月

2)佐高 信 「小泉純一郎と竹中平蔵の罪」毎日新聞社 \1500 2009年2月

3)内橋克人 「共生経済が始まる」 朝日新聞出版 \1500 2009年3月

4)中谷 巌 「資本主義はなぜ自壊したのか」集英社インターナショナル \1700 2008年12月 

*(堤 未果 「ルポ貧困大国アメリカ」岩波新書 \700 2008年1月)


この夏、こんな本を読んでいました。最後の*のものだけは昨年中に読んだものです。新自由主義によるグローバリズムの実態はどうだったのか、なぜこのような事が起きたのか、今後どうなるのか、をエコノミストの知恵を借りて、考えていました。

1)雨宮さんの本には「貧困、アイデンティティ、ナショナリズム」とサブタイトルがついています。派遣労働などの非正規雇用労働者支援の作業・キャンペーンで知られるようになりましたが、この方は右翼団体に参加したこともあると述べておられていて、その理由を明晰に話しています。人は何ものにも属さないとき、日本人であるナショナリズムに陥ると言うのです。さまざまな共同体への「帰属意識」が強ければナショナリズムに陥落しないが、派遣社員は会社への帰属意識を持てないし(長期安定雇用ではないため)、正社員の方が差別意識を持っていて、仲間扱いせず消耗品扱いしてしまう。これまでは社員は「歯車」扱いと言われたこともあったが、今は歯車でさえないのが派遣労働者だ。なんらかの団体への帰属が強いのならば、右翼などにならないだろうと言う。

 これについて、思うことが三つある。ひとつはネット右翼と呼ばれる、インターネット上ではナショナリズム的な文章が目立つことだ。そもそもネット上で熱っぽい文章を書いたりするのは、日常的に(その主張を)受け入れたり、聞きとめる人たちを得ることができない人たちだろう。すなわち帰属するところを持たないのではないのか、と思われる。あたかも信念であるかのように「日本人であることのエゴイズム」を書き込んでいるのだが、見かけても無視してよいだろうと思う。日常行動に出ることはないだろうから。何らかの団体への帰属意識が強まれば、消えていくだろうと思われる。

 二つ目は、最近の都議選での出来事。公明党は23人全員当選を果たした。支持母体の創価学会員が選挙運動しているのは公然の事実で、全国では500万票、東京都ではその1割の50万票が基礎の数字で、この1.5倍の得票がないと全員当選は困難とされていたが72万票を獲得している。全国の学会員が(自腹で)東京都へ登り、戸別訪問などの選挙運動をし、それでこれだけ基礎票に上積みしたわけだ。個人的なことを書くと、私は6人兄弟姉妹で3人が学会員(家族)だが、政治意識はそれほど強くない素朴な信者に過ぎない。しかし、このような政治活動に狩り出されて「公明党」議席確保につながってしまい、自民・公明の連立政治を実現させる原動力になってしまっている。政治的には保守の補完勢力になっている。「社公民」ってわかりますか。社会党、公明党、民社党が革新勢力として組んだ時期もあった。しかし、その時から学会員が変わったわけではない。おそらく素朴な善意な人たちばかりなのでしょうが、国政上では、大きな特定の勢力の補完をしています。これが「帰属意識」の行動結果でもある。

 三つ目。いわゆる左翼の、たとえば団塊の世代の若い人たちへの面倒見が悪いことだ(雨宮さんもそう書いておられる)。現役労働組合も非正規雇用労働者との連帯・連携はほとんどできていないような他人事だし、労働現場をリタイアした元全共闘世代はいったい今何をしているのか、あんたらは。若い人たちにアピールしているのか、支援しているのか、ひょっとして蕎麦打ちなんかに没頭してるんじゃないのか。DAYS JAPANの広河隆一氏や野坂昭如氏などはまだ健闘している方だ.裾野が弱くないのか。


2)佐高さんは、現在「週刊金曜日」の社長でもあり、反権力の立場から辛らつな発言を続けておられる。この本は全編が小泉・竹中批判というわけでなく、最近書き連ねた文章を採録したもので、全体としては権力批判になっている、という感じ。小泉・竹中路線がやったことは、非正規労働拡大、郵政民営化による地方無視。新自由主義的手法(小さな政府、市場主義)での福祉・医療の後退による現場の困惑の羅列に尽きる。こういう党派に属さない言論の場が、実は狭くなりつつある。月刊誌の相次ぐ廃刊などもあるので、世論をリードしようという意気込みの月刊誌・オピニオン誌はもっと広がってほしいと思うのだが。


3)内橋さんは、「エンデの遺言」などのCDでも知られる、言わば「エコロジカルエコノミスト」と言ってよいのではないか。ミファエル・エンデは地域通貨の提唱者とされている。この本のサブタイトルは「連帯、参加、共同」とあるが、共生経済とはどういうものだろうか。勝ち組負け組と分類されるような弱肉強食の資本主義ではなくて、共に生きることを選択する手法が結果的に長生きする、ということのようだ。生物界でもそのような例を挙げておられる。盛者必衰すなわち勝ち組はいずれ滅びるが、細々と共生関係にある両者は滅びずに持続していっていると言う。このパターンが例えば生協活動などであると。小泉構造改革とかアメリカの金融主義などへの批判も詳しいが、実践面を評価しておられる文章がある。
 私は、個人的には30年にわたって有機農業の現場にいるわけだが、消費者との提携によってどれだけ助けられたかわからないし、しかしまた消費者にも採算抜きでの農産品を提供してきたとか、あるいはホームレス支援農産品提供などを数十年続けて来られたこともあるので、共生経済という概念は納得がいくものだった。


4)さて、中谷巌氏。構造改革、新自由主義経済の旗手であった。このことに対する自己批判・懺悔の本でもある。グローバリズム(グローバル経済)と新自由主義とは一体であって、「小さな政府、国は経済に干渉せず、市場にまかせる(市場主義)。国や地域の障壁を取っ払って、金、人、物が自由に世界中に流通することを目的としている。レーガノミックス、サッチャーリズムがその先鞭である。
 国内では、郵政民営化、社会保障費年2000億円削減、労働市場の自由化(派遣労働拡大)などと進み、その結果はアメリカの金融危機と重なって地方の衰退、派遣労働者雇用止め、障害者母子家庭支援低下などが生じてしまったが、これらは新自由主義経済では必然的に起こる現象なのだったと言う。
 また、100円ショップやユニクロなどで格安品が消費者に入手できるようにはなったが、この産品は国内産ではないので、国内生産者へ還流しない。要するに人件費が一番低い世界の地方を求めてそこで生産される。国内の製造業はどうなるか。縮小するだけだ。世界で一番人件費の低い地域のレベルに落とされる。派遣労働も海外労働者のレベルに落とされている。
 農産品でも金融でも同じことが起こっている。世界経済全体を調整する機関が存在しないのだと言う。何のことはない。市場「原理主義」という「見えざる手信仰」の単純な発想ではないのか。
 今回のアメリカのGMゼネラルモーターズは一時期国有化された。資本主義経済でも「国」が関与したわけだ。これは象徴的な出来事だと思う。アメリカ国内だけなら、国の経済関与(財政発動)で収まるかもしれないが、外国への影響までは責任を果たせない。

 それはともかく、この本でも「共生」という言葉を使っているのにはいささか驚く。日本型資本主義、すなわち労使協調、ケイレツ、終身雇用などは非常に長所が多いと言う(まぁ、遅すぎるとは思うけど)し、伝統的日本型経営が生き残るのではないか、と言う。政府の中で、グローバリズムを主張して来た人としては、それでも相当大胆な提言だろうと思われる。公共事業でのダンゴウは良くないとしても共生ではあった。「損して得取れ」などとも。

 日本的な文化を否定するような世界市場主義でなく、それぞれの地域国家の文化を活かした経済で世界ブロック化が望ましいと言いたいようだ。インドや中国、中東はグローバリズムには巻き込まれないだろうと予想している。独自の強い文化があるからだ。
 私がここで過去に紹介した、いくつもの本も読んでおられる。「逝きし世の面影」などの幕末明治の外国人紀行記などで、やはり日本的な手法が間違っていなかったという、反省の本でもある。
 関連して、アメリカの歴史的に自由競争・自己責任的体質ができてきた国家建設の経過、そして下層が増大した現代の分析もあり、どうして、こんな国の二の舞をしようとしたのか。


*アメリカの貧困の本、上の中谷氏もこの本を引用されています。


 この月末に選挙がある。大体予想されているが、小泉竹中路線は完全に否定された。日本独自の経済路線を構築するべきだが、その頭脳がそろうかどうかだ。やはり寺島実郎氏、榊原英輔氏の起用を期待したい。

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