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油絵描いてますコミュの言の葉 ひらひら

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  絵とは何か 
  絵を描くのは なぜか
  何を 描きたいのか
  
  絵画観 表現哲学  

自分の言葉
偉人の言葉
誰かがぽそっと言った言葉


そんなこんなの絵にまつわる
【言の葉集】のコーナー


どうぞ 思いつくまま書き込んでください

※ それに対する感想意見などのレスは なし 
  で お願いいます
  



  

コメント(231)


  線を引きなさい たくさんの線を
  記憶からでも、自然に則してでもよいから
 
  すぐれた画家になるにはそれしかない


   1855年ドガ21歳への アングル75歳の言葉
色は理論だけど、線は修練なのだ。
線は手や腕の訓練だ。
こればかりは、たくさん引かないとモノにならない


菊池 理

作品の出来は二の次
描いているときに「作品の出来」を気にしていては
筆が自由にならないからだ。


菊池 理
「ああ、この絵上手くゆきそう」と思ったとたんに、台無しになる。
せこい欲が出て「いい絵」が描けない。
絵には怪我もないし、年齢制限もないけど、
そう思って油断していると永遠に「いい絵」が出来ない


菊池 理

  筆を持った以上、キャンバスの前では、私が王様だ。
  皇帝だ。大統領だ。神様だ。私の自由だ。
  私は好きなものを好きなように描く。

                   菊池 理
上手い絵を描いて、人を驚かそうとか、褒めてもらいたい、
受賞したい、買ってもらいたい などと考えて描いている絵は一目でわかる。
ダメだ。

絵を描く喜びに満ちていなければならない。
絵を描くこと、そのことに専心していなければいけない。

昔のいい絵は、古今東西すべて喜びの表現だった。

神も仏もない現代で、われわれに残されている唯一の可能性は
専心、集中、無我。そうやって絵を描くことだけだと思う。
そうやって描けば喜びの表現になる可能性はある。
また、その集中度は無段階に高めてゆくことも出来る。


         菊池 理
    花を描きながら、発色を試み、線描で戯れる。
    絵って本当に面白い。
    一人遊びの極致だ。

                   菊池 理
人間は驚くほど皆同じであり,
 嬉しければ笑い,悲しければ泣く.
 美味しいものを食べれば
 美味しいと感じる.
 国境や民族,宗教そして思想をも超えて,
 人間は皆同じなのです.
 そのことを伝えるのが美の役割です



千住 博
デッサンに於いては,
それがただ一本の線で描かれたものであっても,
その線が取り囲む各部分に 無限のニュアンスを与えることができる

            
             マチス


妄想癖は良い絵描きの条件でもある


 Osamu Saitou
仔犬だって可愛いと思うときと五月蠅いと思うときがある。
可愛いと思うときに描かなければ可愛い絵はできない。
何度も言うけどわれわれの絵は「可愛いなぁ〜」とか「綺麗だなぁ〜」という気持ちを描いているのである。
ドッピロイ(=とても広い)海に行けば「海は広くて気持ちいいなぁ〜」という気持ちを描いている。
そこが最も大切なのだ。
色とか線とか構図とか、そんなことはたいした問題じゃない。手段にすぎない。
最初の感動が表現されていればどんな方法だっていいのだ。


菊池 理
    

       色は理論なんだけど、絵は理屈ではない。
       言ってみれば筆を持っているときの勘である。
       勘は「甚だしい力」なのだ


                      菊池 理


私は小鳥がさえずるように絵を描く


モネ
アマチュアの美術展でも、幼子を写真を見ながら描いた絵はとても多い。
ほとんどの絵は陰影で追っているから、幼子の魅力が消えてしまう。
ふっくらホッペを表現しなければ、幼子の絵にはならないのに、
陰影で追うから妖怪みたくなってしまう。
描きたいぃ〜〜、という気持ちだけでは絵は出来ないものだ。
裸婦も同じ。
いくら女性の裸が魅力的でも、突き放さないと絵にならない。


           菊池 理

   貧しい芸術家はいません


                バベット


  思うようにできない
  できないから 筆が重なり、暴れ、乱れる。
  それでもなお頑張る。
  この頑張りの軌跡が絵画の魅力なのだ。

 
                             菊池 理
踏み込むということはリスクを追うことだ。
絵だったら調子を壊さなければゴッホにはなれない。
自分でも胸のすくように上手くいった調子を、今度はぶっ壊すのだ。
その度胸がないと世間に通用しない。
上手い絵描きはいくらでもいる。
問題は踏み込んでいるかどうかだ。
デュフィは物凄く踏み込んでいた。斬り込んでいた。


  菊池 理
ルノワールが残した言葉が好きなので
つぶやきますね。誰かと重複してたら申し訳ないので
たぶん原文つけておけば新しい情報になりそうだから

Pour moi un tableau doit être une chose aimable, joyeuse et jolie, oui jolie !
Il y a assez de choses embetantes dans la vie pour que nous n'en fabriquions pas encore d'autres.
「私にとって、絵画とは愛らしく、楽しく、美しいものでなければならない。そうとも美しくなければ!
 人生は不愉快なことだらけじゃないか、我々がこれ以上不愉快なものを生み出す必要なんてない。」

Un sein, c'est rond, c'est chaud.
Si Dieu n'avait créé la gorge de la femme,
je ne sais si j'aurais été peintre.
「乳房。それは丸い。そしてそれは熱い。
 もし神が女性の胸の谷間を創り賜らなかったならば、
 私が画家になったかどうかわからない。」

Ce que j'aime, c'est la peau, une peau de jeune fille, rosée et laissant deviner une heureuse circulation. Ce que j'aime surtout, c'est la sérénité.
「私が愛するもの。それは肌です。若い女性の肌、水のしずくそして幸せの訪れを予感させるものです。そして特に愛するもの。それは平穏です。」

べたですけど・・・
大好きな画家で迷った時彼の言葉を思い出します
写真に撮れば形はわかるが
そうではなく 
目に見えたかたちを覚えて描くのが日本画の描き方だ

 写真は科学的に正確だろうが 
印象的絵画的本質的正確さのほうを大事にする 


                                上村 淳之
思いを言葉にするのが苦手だから、絵は自己表現。

人との比較で、絵が上手だから。

展示会をやると、買ってくれる人が多いから。

絵は、自分らしさのひとつかなあ。
このごろ、ムチャクチャな絵が多くなった
子供の泥遊びに似ている
人体も花も風景も言い訳に過ぎない キッカケに過ぎない
絵具を塗ったくる、ただそれだけのこと
抽象になってきたわけでもない

                          菊池 理
道を究めようとする人は、ひとり孤高に道を歩んでいるかのように見える。

傍からみると孤独に見えるかもしれないが、
本人は、孤独を嘆く気分など微塵も無いだろう。
比較する対象は、過去の自分。
自分の信じる道をどうやって進んでいくか、
その一点に腐心している。

孤独を口にする人は、いつも人と比較して生きている。


                          ある絵画教室の先生の言葉
うまく行ったと思った瞬間にダメになる。
そこのところの筆のコントロールは実に難しい。
そこに絵画の妙味も面白みもある。

でも、まず
「ああ描きたい」と思って描かないと 始まらない。

菊池 理
絵を描くということは、紙に向かってなんらかの図形を描く、
ということですが、こころの世界から見れば、
画家の信じる「美」を表現していることでもあります。
絵の裏側には、画家の「感動」があり「美」への思いがあります。

この「感動」がなく、「美」を失ったときに、
絵を描くことがマンネリに陥っていきます。
あるいは描いていてイヤになります。
苦痛にすらなります。


                     某絵画教室先生の談

感動しないで描いた絵を
誰が感動して観てくれようか

ミレー
神は 
言葉を多く持たない子供には、絵を描く能力を等しく与えた。
だが やがて 読み書きを覚え、自由に話せるようになるにつれて
その能力が失われてしまうのが一般的。

ところが、まれに大人になっても絵を描き続ける者もいる。

その者は
精神が大人になり切れずに、
未発達な部分が残っているのもしれない.と思う

   ある水彩画家さんのお言葉
 一体、人間の顔程、画家にとつていろいろな美術的感興を興させるものは他にない。
 人の顔は実に複雑である。そして深い多くの画因《モテイフ》を秘めかくして持つてゐる。画家は人の顔をみて今更に驚く。
 人の顔は画家の心の中から画家自身すら気づかずにゐたいろいろの美的要素を引き出し、生かしてくれる。その一つのしわにも、鼻の不思議な線にも、絶えず変る唇の不思議な線と色の惑はしにも、或は、皮膚の不思議な色つやにもいと小さき毛穴にも、又は、小さきほくろやそこから生えた細いうぶ毛にも、更に又、その眼の力、生きものゝ心の窓である眼の生きた力、まぶたの線、其他様々な、複雑さを以て、人の顔は、画家の前に画家の内なる美を誘ひ出す力を持つてゐる。

      <中略>

 人物画(及び動物画)にあつては眼を立派に描き得るといふ事は、とりもなほさず「形」以上のものを描き得るといふ事である。私の常に云ふ美術に於ける唯心的領域とはこれであつて、どんな美術にでも何等かの現はれ方でこの形以上の世界の描かれてゐないものは凡作であると云つてさしつかえない。「形」以上のものと云つたところで、それはやはり形の上に宿つて表現されるのであつて、画家はやはり形を描く事によつてその形以上のものを表現するより外にない、だからつまりすぐれた画家は形以上の形を描く人と云ふ事が出来る。
 心を以て心を描くといふ事は、肖像製作又は動物画等「生けるもの」を描く時に一層よく優れて画家の経験するところであるが、即ち眼に見える、対象の形以上の感じ、即ち「精神」を只に手工のみでなく、深い心をその手先にこめて描く事である。
 人物又は生きものの眼を描く時この事を知らなくては、それを本当に生かして描く事は出来ない。

  岸田劉生(「美術上の婦人」より)
 この世の中で人間が一番よく了解し得るものは、お互の人間同士の姿である。猿は猿を知り、犬は犬を知り、猫は猫を、牛は牛を知っているはずである。
 人間は猫の縹緻《きりょう》の種々相を見わけるだけの神経を持たないが、猫はちゃんと持っているのである。
 松の木の枝を実物よりも五本省略して描いても松は松であるけれども、人間の指が一本不足しても、人は怪しむ、人間の腹のただ一点である処の臍(へそ)を紛失させたとしたら、腹は不思議な袋と化けてしまう。
 人間は、人間の形をよく了解すると同時に、人間の五体の美しさをも最もよく了解するものである。

 目下、油絵の基礎的技法として、または最も興味ある題材として、一般に裸身を描く事が行れている事については、それが人間にとって、他の何物よりも強き美しさを感じさせ永く描きつづけて飽きる事がなく人間が人間をよく了解するが故になおさら他の万物よりもごま化しの利《き》きにくい処のものであって、その色彩の複雑にして、微妙である処、一ケ所として一様な平面を持たないあらゆる凸凹において、線において、立体において、そのかたさ、滑らかさ、その構成の美しさがある。

 人間が鹿や鳥の水浴を見て恋を感じたという事は珍らしいが、それと同時に人間の五体が如何に美しいとはいえ、牛や馬が見ても世の中で一番美しいものは人体だとはいえないであろう。牛は牛の五体を感じ、馬は馬の五体をよく了解するであろう。

 とにかく人間にとって他の何物よりも強き美しさを示すものは人間の裸身であろう。従って永く描きつづけて興味の続くものも裸身である。
 それから、人間がよく了解するが故になおさら他の万物よりもごま化しの利きにくい処のものであり、その色彩の複雑にして微妙である処、一ケ所として一様な平面や線を持たない処、あらゆるデリーケートな凸凹において、線において、その立体において、そのかたさ、滑かさ、その軟かさ、その構成の整頓せる事において、さようなあらゆる点において、一般裸身を描く事がわれわれ画家にとっては最もよき終生のモチーフであり、画家の喜びであり、またその困難さにおいては初学者にとって最も興味ある手本としてこれらが多く描かれ用いられる訳であろうと考えられる。

 全く、われわれが例えば一個の桃を終生描きつづける事は困難だが、画家は終生裸女を描いている事は珍らしい出来事では決してないものである。


 小出楢重(「油絵新技法」より」
 真に生きる域にいたるには、容易ならざる訓練が必要である。
 たいてい素人が芸を習いはじめておもしろくてたまらない、自慢したくてしようがないという三年ぐらいがある。これが入門時代である。
 たいていの旦那芸はこれである。アマチュア芸術である。尺八の首ふり三年というようなのんきな気持の楽しみぐらいでは十年やっても同じである。

 この基本訓練がすんで、むしろこれはむずかしいものだということがわかる時があって、表《おもて》芸に入るのである。しかし、これもたいてい、マニエール、一つの自分癖のようなものを再現することに終るのである。
 ちょっと評判のよかった自分を、またしても自分がまね、自分がそんなにほめられるものをもたなければ、自分の師匠の型をまねる。その型が立派だと、一生涯ぐらいは芸術家で通用するのである。ただしほかにもっとよいのがなければであるが、何しろ、このマニエールが、時には個性があるといってほめられることもあるのである。

 しかしそれではまだ、ほんとうの自分にめぐりあっているのではなくして、人がほめたことのある自分のポーズを、自分で繰り返しまねているのである。
 そんなものから離れて、自分が自分を責めて、真剣な命をかけた鍛練をした時、このマニエールが消えて、一つのスタイル、一つの風格に達するのである。
 万人が見て、仰いでいよいよ高く感ずる、何ともいえない芸道を感ずる、芸の鬼といった凄みを感ぜしむることになるのである。この世界がほんとうは、自分がほんとうの自分にめぐりあうかどうかを、定めることのできる世界なのである。

 ほんとうの幸福、芸術だけにあるところの「しびれるような喜び」は、ここから生まれるのである。芸術のいわゆる、醍醐味という世界である。

 中井正一(「美学入門」より)



自分はやっと入門期が終わったような気がします。マニエール・・が見つかってないから人のいろんな表現に影響されつつ何かを試してるのだと思う。
     筆を 持つということは
   自分が 自分をさがすための
     行で あり  祈りである

                         相田 みつを
解釈を拒絶して 動じないものだけが 美しい


                小林 秀雄
ある画家から聞いた話だが
フランスに行って 絵描きが何を学んでくるかというと、
毎朝必ずキャンバスの前にきちんと坐って
仕事を始める習慣だそうである。

三島由紀夫『小説読本』より
プロと呼ばれる人たちは、

〈辛抱強い〉  か

〈熱意がいつも勝っている〉  か、

〈努力を苦にしない〉   

という稀な性格を持っている人たちとも言える。

あるいは
これらの困難を乗り越えて、

《努力をやめなかった》人たちだ。

          ある絵画教室主宰
面で捉える・・
線でかかない
主は一つ、後はわき役
分らないものは分らないまま
見えていても説明しない
温度を感じながら描く
アクセサリーをいろいろ入れて仕上げる

絵をよくするためなら何でもあり


       ある講師のアドバイス
虚と実の間にある被膜には 
血も通っていなければならぬと私は思う。
その血こそが 
芸術における「芸」であるような気がするのである。

    宮本 輝
「この単純な構図の作品も、
実景について多くのスケッチを必要とした。
それらを いったん棄て去って、
心に浮かぶ情景を 描いた。」

                   東山魁夷

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