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田母神俊雄元航空幕僚長支持!コミュのお勧めの映画(動画)

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「お勧めの本」のトピがあるのに映画(動画)についてはなかったので作ってみました。


早速昨日の産経から関連する情報をば一つ。


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http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100615/tnr1006150807001-n1.htm

南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開 (1/2ページ)
2010.6.15 08:05

このニュースのトピックス:国内女優

『氷雪の門』(c)「氷雪の門」上映委員会 ■「この映画は歴史の証人」

 “幻の映画”と呼ばれる「樺太1945年夏 氷雪の門」(脚本・国弘威雄(たけお)、監督・村山三男)が、36年の年月を経て、全国で順次公開される。太平洋戦争末期に、ソ連が日本領だった南樺太(サハリン)に侵攻し、自決を強いられた真岡郵便局の女性電話交換手9人の悲劇を描いた物語。昭和49年の公開直前、ソ連側の抗議によって公開中止になった。助監督を務めた映画監督の新城卓さんは「この映画は歴史の証人」と訴える。

 同作は、北海道で新聞記者をしていた金子俊男さんの『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』(講談社)が原作。南田洋子さんや丹波哲郎さんらが出演し、戦闘場面の撮影では陸上自衛隊が協力した。製作実行予算が5億円を超えた超大作映画として話題を呼んだ。

 だが、公開直前に配給元の東宝が上映中止を決定。「反ソ映画は困る」という駐日ソ連大使館の抗議や、東宝が進めていたソ連との合作映画「モスクワわが愛」への配慮があったとされる。結局、北海道と九州で2週間だけ上映された。

 1945年夏、太平洋戦争は終末を迎えようとしていた。樺太には緊張の中にも平和な時間が流れていた。ところが8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。終戦後も戦闘は拡大していった。

 そして8月20日、真岡の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始。電話交換手の女性たちは職務への使命感や故郷への思いから、職場を離れることはなかった。ソ連兵がいよいよ郵便局に近づいた。路上の親子が銃火を浴びた。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」。この通信を最後に、9人は服毒死を選ぶ。

 配給会社「太秦(うずまさ)」の小林三四郎社長は「同作は日の目をみないまま月日が流れ、多くの関係者が亡くなった。樺太の街のセットを作り上げた美術監督の木村威夫さんと上映を目指したが、木村さんも3月に亡くなった。さまざまな思いが詰まった作品」と話す。

 新城さんも「表現の自由が約束された社会であるはずなのに、この映画には自由がなかった。日本というのはどういう国なんだろう、と悔しかった。政治的意図はなく、史実を伝えたいだけ。ザ・コーヴの上映中止や普天間問題などを考えるきっかけにもなるのでは」と話している。

 7月17日からシアターN渋谷で。全国各地の劇場でも順次公開する。

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日本の戦争映画となると、現在の価値観で当時の日本を裁こうとする「自虐色」が必ず見え隠れする作品が多い中、「戦争当時の日本人の視点や心情」を描ききれた、数少ない貴重な労作ではないかと思います。

コメント(16)

「朝三露四」

「友愛」を熱っぽく語るからといって、その人が信頼に足る、愛すべき人物だとは限らない。

田母神さんとお茶会で最後まで一緒しながら「私は早々に帰りました」と平気で嘘をつく者もいる。人の本質は口先ではなく、日頃の行いに表れるものだ。

国家も同じ。良き隣人を装って本業は火事場ドロなんて国もある。正体を知るにはその国の行いを見るにしくはない。

例えばロシアだ。この国との出会いに十八世紀の若潮丸事件がある。薩摩を出たこの船が難破してやがてカムチャッカに漂着する。ロシア人は稚児にできそうな十二歳のゴンザとソウザを除いて残り十七人を皆殺しにする。ゴンザらはのちに日本戦略研究の要員にされる。

日本人がロシアの何ものかを知るのは、そのカムチャッカから逃げ出したハンガリー人ベニョフスキーがもたらした報告書でだ。それでロシアの脅威を知って林子平らが「海国兵談」を著す。

十九世紀、子平の恐れた通り、択捉で松前藩とロシア人の衝突が起きる。彼等は日本人を捕らえると武士なら腕を切り落とし、砲を扱う者なら目を抉(えぐ)った。維新直前には露艦ポサドニクが対馬に入り、藩主に芋崎の永久租借と遊女差出しを要求してきた。

英国が介入して事なきを得たが、占領してすぐ女を要求するなどマッカーサーと変わらない下品さだ。

それでもロシアは諦めなかった。朝鮮を手なづけて日本海に出ようとして日本に完膚ないまでに叩きのめされてしまう。ロシアは白人国家仲間に顔向けできないほどの恥辱にまみれた。

次に日本人がロシア人を見たのが昭和二十年八月九日だった。日本はすでに陸海の戦闘能力を失い、米軍機は自由に日本の空を飛んでいた。この日もB29が一機、プルトニウム型原爆を小倉に落としに行き、雲が厚いので長崎に向かっていた。

まさにその日、ロシアは日ソ中立条約を破って攻め込んできた。満州も樺太も取り、日本がミズーリ艦上で降伏調印をしている最中に択捉、国後を押さえ九月五日、北方四島の占領を終えた。

彼等は占領地で略奪と暴行を恣(ほしいまま)にし、さらに数十万の日本人を奴隷としてシベリアに送り込んだ。中世の蛮族と変わるところはない。ロシアという国の下衆さが実によく出ている。

そんな国と最初に北方四島問題を語ったのが鳩山一郎だった。フリーメーソンの会員というのが自慢の白人崇拝者だから、彼のサインした日ソ共同宣言では日本側は面積で七%ほどの歯舞・色丹だけでいいみたいに書かれている。

斉藤勉・内藤泰朗共著の『北方領土は泣いている』に詳しいが、孫の鳩山由起夫もこの歯舞・色丹でいいと信じている。「日本列島は日本人だけのものではない」と言った真意は案外この辺にあるのかもしれない。

しかしそんなことで日本人は納得しない。

それならと入れ智恵してきたのがロシアにも媚を売る朝日新聞だった。この新聞が目をつけたのが「北方四島は珍宝島方式で」という政治学者の岩下明裕だった。ウスリーの中洲を巡る中ソ国境紛争は結局、面積を半分ずつにするということで決着した。だから北方四島も日本とロシアで面積を半分にすればいい、という主帳だった。

朝日は早速、若宮啓文が審査員を務める大佛次郎賞を岩下に与え、新聞で持て囃し、河野太郎によいしょさせてきた。

最近話題の三.五島論はまさにこの岩下理論で、四島の面積を半分にすると日本側の取り分は歯舞、色丹、国後と択捉の半分になる。四つのうち三つ半と聞けば大方の日本人も納得するというのが朝日の読みだ。

しかしこれは朝三暮四的まやかしにすぎない。

北方四島は珍宝島と違って領土紛争ではない。性悪のロシアが他人様のものを盗った。それを返させる。ついでに猿でもできる反省のポーズを取らせれば上出来という話なのだ。    

       「週刊新潮」2009年6月11日号 『変見自在』高山正之著より
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日本とロシアのかかわりについてわかりやすくまとまっている文なので、0の書き込みの補足資料として貼らせていただきます。




メルマガ「台湾の声」で「トロッコ」という映画が紹介されていました。

予告編を見たかぎりでは、かなり良い感じです。

http://www.youtube.com/watch?v=fqD-pBGANN8&feature=player_embedded




全国で順次上映中。ご興味ある方は、機会あれば是非映画館でご覧ください。それが台湾への応援にもなるかと思います。

以下、メルマガ「台湾の声」より転載


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情感あふれる映画「トロッコ」を応援しよう!

                     東京 KI生

皆様へ

先日台湾研究フォーラムの定例会で川口浩史監督のお話を聴いてからシネスイッチ銀座で映画「トロッコ」を観ました。

http://www.torocco-movie.com/index.html

ドラマチックではありませんが落ち着いた情感たっぷりの美しい映画でした。

台湾の歴史に全く先入観念がなく、単に撮影現場を捜し求めて台湾を訪れただけの1970年生まれの成年監督をアッと言う間に変容させてこの様な映画を仕立て上げさせてしまうとは・・・・台湾・日本をつなぐ潜在的な文明力の凄さにあらためて感じてしまいました。

しかし、残念な事に映画館はガラガラでした。
このままでは7月2日以降の上映期間延長はおぼつかないのではないかと思われます。

川口監督は次回作品も台湾を舞台としたものを考えておられるようです。

皆さん!是非ご自身でこの映画館に足を運ぶと同時に知人友人に呼掛けて紹介し、川口監督を応援しましょう!

映画を観るだけでデモ・街宣活動に負けず劣らずの「台湾応援」の大きな力になると思います。

・・・・・・・・・・・・・・・

上映館の案内

5/22(土)〜 東京・シネスイッチ銀座 TEL:03-3561-0707
5/22(土)〜6/11(金) 神奈川・横浜ニューテアトル TEL:045-261-2995
5/22(土)〜6/18(金) 大阪・梅田ガーデンシネマ TEL:06-6440-5977
5/29(土)〜6/18(金) 千葉・千葉劇場 TEL:043-227-4591
6/19(土)〜 福岡・ソラリアシネマ TEL:092-733-7375
6/26(土)〜 北海道・ディノスシネマズ札幌劇場 TEL:011-251-6665
6/26(土)〜7/9(金) 群馬・シネマテークたかさき TEL:027-325-1744

7/17(土)〜 愛知・名古屋シネマテーク TEL:052-733-3959
7/24(土)〜8/6(金) 山形・MOVIE ONやまがた TEL:023-682-7222
7/24(土)〜8/13(金) 広島・横川シネマ TEL:082-231-1001
8/7(土)〜8/20(金) 宮城・桜井薬局セントラルホール TEL:022-263-7868
8月 京都・京都シネマ TEL:075-353-4723
8/14(土)〜8/27(金) 富山・フォルツァ総曲輪 TEL:076-493-8815
8/21(土)〜9/3(金) 沖縄・桜坂劇場 TEL:098-860-9555
8/28(土)〜9/10(金) 岡山・シネマ・クレール TEL:086-231-0019
9/4(土)〜 兵庫・元町映画館 8月オープン
9/11(土)〜9/24(金) 神奈川・川崎市アートセンター TEL:044-955 -0107
9/18(土)〜10/1(金) 三重・進富座 TEL:0596-28-2875
9/25(土)〜10/8(金) 静岡・シネマe_ra TEL:053-489-5539
10/2(土)〜10/15(金) 静岡・シネ・ギャラリー TEL:054-250-0283
「多くの人たちが、自分たちの父や祖父や叔父たちが国を守るために戦った精神について何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人たちがしたことに何の尊敬の念も払っていないことです。私は、このことをとても残念に思います」「事実(この本に記した真実を日本人が知れば)によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。」「そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。それが、私がもっとも強く持っている願いです。」 元米海兵隊員ドン・ジョーンズ「タッポーチョ 『敵ながら天晴』 大場隊の勇戦512日」より


マイミクの怒りユイさんの日記から。

まだ見ていないので、「お勧め」というより日記のタイトル通り「原作者の思いがねじ曲げられませんように。」ではありますが。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1657209981&owner_id=16182364&comment_count=2
【原作者の思いがねじ曲げられませんように。】


実在の日本軍大尉を演じた竹野内豊、御子息の激励に万感の想い
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1468339&media_id=96

『タッポーチョ』という実話が原作である著書の映画化です。
映画を見る前にプレ知識を得る事は、同じ映画を見るのでも感じ方が100倍違います。

どうぞ、参考にして下さい。

原作は、元米海兵隊員ドン・ジョーンズが発表した「タッポーチョ 『敵ながら天晴』 大場隊の勇戦512日」(81年刊行、現在は絶版)。“大場隊”の戦いぶりに感動したジョーンズが戦後来日し、取材をして書き上げたものです。

その際、戦後生まれの日本人の多くが大尉の存在を知らないという事実に驚いたそうで、同書のあとがきに「多くの人たちが、自分たちの父や祖父や叔父たちが国を守るために戦った精神について何も知りませんでした。

もっと驚いたことは、その人たちがしたことに何の尊敬の念も払っていないことです。私は、このことをとても残念に思います」と記している。

○陥落後512日戦い、降伏命令書で下山したサイパン島の47士 

「捕虜の辱」、そんな「私心」でなく、生きて生きて生きて生きて生き抜いて護国「公」(義)のため最後の最後まで戦い帰還した日本兵47士。「捕虜の辱」で自決の記載一切皆無。


 サイパンが落ちれば、米軍爆撃機の行動圏内に日本本土は全部入ってしまう。それはどうしても防がねばならなかった。「我身を以て太平洋の防波堤たらん」と奮闘したが、昭和19年7月7日最期の反撃戦にてむなしく玉砕。

 しかし、サイパンに於ける戦いはそれで終ったわけではなかった。玉砕後、なお生き残った多数の将兵はタッポーチョ山(標高476m)付近を初め、山地、海岸などのほら穴や岩影に潜入し小集団となって遊撃戦を続行した。

民間人を守り最後に皆下山させ、なんと終戦後の昭和20年11月27日まで、護国の戦いを続けたのである。

 アメリカ軍は捕虜をつくりたがらない。もし捕虜にするとしたら、婦女を陵辱し、男を拷問にかけて楽しむためだ。と彼(看護婦青野千恵子の父)は聞かされていた。(P27)一家は洞窟に隠れた、しかし一家は見つかり、父母妹の家族全員を目前で瞬時に殺されてしまった。

目の前の家族の仇を討とうと機関銃の引き金を引いたが、撃ちかたが分からず仇を討てなかった看護婦の引きずる思い。復讐の念に燃えながら医療品の袋を背負い、ベルトに長いナイフをさげ、大場部隊と女一人となっても最後まで行動を共にし、助ける、看護婦青野千恵子。

蔓草で肩から吊るした九九式軽機関銃を操り、米兵100人殺すまでは自分は死なないと誓い、大場部隊を助ける、はぐれ者一匹狼、元ヤクザ刺青一等兵堀内今朝松。

なぜかこの二人のはかなく凄まじい生きざまは、読後も深く胸を打つ。『タッポーチョ』、この本の早期の復刻を願う。敵味方当事者合作のこの記録には、先に殺さなければ殺される、戦争の真実が存在している。日本人必読の書だ。
4の続き)

 昭和20年12月1日 天羽少将の降伏命令書に従い下山。最後まで戦いを貫いた将兵の数は47名、指揮官は大場栄大尉。

その日47名は髯を剃り軍服に着替えて、タッポーチョ山に設けた潜伏拠点の前で慰霊祭を行い、戦友の霊に3度の弔銃を捧げ、へんぽんとひるがえる日の丸を先頭に、銃をかついで歩調を合わせ隊列を組み、軍歌「歩兵の本領」を唱和し、米兵の真つ只中を式場まで整然と行進した。

 米軍は、彼らを勇士として丁重に扱い歓迎会まで催し、米軍の新聞にも大きく報じられた。彼らは祖国日本に忠義を尽し最期まで戦いを貫き、米兵から尊敬までされたのである。

米海兵隊の元兵士のドン・ジョーンズ氏が大場部隊47士の姿に感動して、戦後日本を訪れ(昭40)取材して書き残した本が、『タッポーチョ』ドン・ジョーンズ著中村定訳祥伝社1982(昭57)年出版副題「『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」だ。

何と大場部隊に守られた日本人の執筆者に先駆けること一年前、敵国の元兵士が、誰よりも先んじて大場隊の勇戦を世に知らしめたのだ。

序文
 
「本書を、自らの国のために全力を尽くし、報われることのなかった、現代の日本人の父親たちに、祖父たちに、伯父たちに捧げる。」

あとがき
 
私は今日の日本で、1945年(昭和20年)以降に生れた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
 
これを書く前に、・・・調べてみました。・・・多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
 
この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
 
私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています。
 
しかしこの本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカとの双方で、多くの人たちは自分が作ったわけでもない恐ろしい状況に、どのように反応したか、と言うことを書いた物語です。双方の人たちは、それぞれ信じていたことをしたのです。
 
・・・事実(この本に記した真実を日本人が知れば)によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。
 
・・・そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。それが、私がもっとも強く持っている願いです。

1982年11月 ドン・ジョーンズ 記



『タッポーチョ』刊行に寄せて  大場 栄(愛知県蒲郡)
 
この本がどのように読まれるかについては、私には懸念がある。しかし、この本がかっては敵同士だった私たちの戦後の長い交流を経て、敵の目で書かれたわれわれの戦いの記録であることは間違いない。


 訳者のあとがきに、「ジョーンズ氏には・・・フィクショナイズすることを譲らなかったところがある。当時大場さん自身は”玉砕死”のみを考えていたというのに対し、ジョーンズ氏は、それを、”生き残って最後まで戦う”とした点である」と記されている。

大場の本音は、”生き残って最後まで戦っての死”で、”玉砕死”は建前。本音が”玉砕死”なら、当の昔に死んで、記録されることなどなかった。


以上
---------------
竹野内扮する大場大尉、唐沢寿明扮する元ヤクザ刺青一等兵堀内今朝松。

どんな映画に仕上がっているのか、大場大尉が「この本がどのように読まれるかについては、私には懸念がある。」と言われたと同じに感じます。


私、竹野内豊が大好きでして・・・。

>実在の人物・大場大尉を演じた竹野内は「当たり前のようにあるこの国の平和は、戦争を生きた人々の苦しい経験があったからこそ。誇り高い魂を日本人として忘れてはならないと改めて痛感しました。死ぬためではなく生きるために戦った大場大尉と仲間の姿を見届けていただけたら」とあいさつ。>

この言葉で益々好きになりました。

安直な平和利用と、原作者のドン・ジョーンズが嘆いたように、相も変わらず、歴史の歪曲の為と祖先をさげすみ恥じる行為に悪用されない事を祈るばかりです。
>yamaさん
「氷雪の門」こんなに詳しく紹介してあるのに、別トピに重複させてしまい、失礼しました。
この理不尽きわまりない、旧ソ連の蛮行を、是非この映画を見てしってほしいものです。

今日は、もう一つ紹介映画です。
「プライド〜運命の瞬間(とき)」です。
レンタルDVDでようやく登場しました。
ビデオのレンタルは以前からあったのですが、DVDは、この8月6日にようやく出たようです。(このブルーレイの時代に(笑))
津川雅彦演ずる東条英機がすばらしいです。
死ぬことのみを考えていた東条が一転して、日本のプライドをかけて、東京裁判に臨む姿を描いています。
キーナン検事との息詰まるディベートは、手に汗握ります。

見られていない方は、是非見てもらいたいです。
ここコミュに参加している人たちには、いないと思いますが、東条英機=悪玉と思いこまされている人たちに是非見てもらいたい作品です。
なんでソ連が抗議する権利あるのか理解不能ですな。大東亜戦争終結直前のソ連の参戦と満州での行状、シベリア抑留を徹底糾弾する映画こそ必要。

話変わって、自虐史観映画の話、全く同感。ただ昭和30年くらいの映画にはつまらん自虐史観を交えない素直な戦争映画も結構あった記憶。
>瑠璃子 さんへ
自分も気になって朝鮮進駐軍を調べてみましたが、どうも正式にそう表明したという事実は見つけられませんせした。ただ、国会の委員会で、色々自分らを呼称する中で、軍を呼称する鮮人がいる、という記述だけはソースを載せてくれた方がいました。


どうも、巷に流行っている、所謂「朝鮮進駐軍」なるものの存在は怪しい、というのが調べてみた自分の結論です。それに連なる事件も話半分がよろしいと思います。

自分の住まいは朝鮮人の多い地域ですが、うちの祖父の最高の罵倒言葉は、「お前は朝鮮人か!」でした。それから察するに、ろくなことをやっていなかったと思われます。


それに、朝鮮残留孤児が居ないのはなぜ?や二日市保養所のこともあります。
原爆投下というホロコーストに対して、日本に有りもしない南京大虐殺や731部隊の人体実験といった嘘の罪を擦り付けようとしています。朝鮮人に対して同じ過ちを日本人がすることはないと思います。


スレ違いなので一つご紹介
「ムルテガ17805」です。インドネシア独立を支援した日本兵を描いています。前半、突っ込みどころ満載ですが、全体としては間違っていないと思います。よろしければどうぞ。
http://youtu.be/3Q_4DuH1K08
6でいとまさんがあげてくださっている「プライド」がユーチューブにありましたので貼らせていただきます。

これは感動する必見ものです。まだのかたは是非ご覧ください。


http://www.youtube.com/watch?v=UN1qV7qP9MM&feature=player_embedded#!
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」1/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=uyblu_0wjFc&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」2/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=D7oe1d9wIoA&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」3/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=sDDXro76Pzg&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」4/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=OhCPNg_HH4U&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」5/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=-U6j5ULdokQ&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」6/12】


http://www.youtube.com/watch?v=P23VmW-VzIU&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」7/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=ceOGFu-lpik&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」8/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=eycmUaJs-s0&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」9/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=5CU123Pzvgo&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」10/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=l0ysrVQsuNk&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」11/12 】


http://www.youtube.com/watch?v=Y_Sk2tpNIIs&feature=relmfu
【津川雅彦「プライド 運命の瞬間」12/12 】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3798792&page=5&id=49356303
 ↑
の85番、74番、
     ↓↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54986899&comm_id=3798792

140番に東條閣下の関連情報があります。
↓     ↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=49356303&comm_id=3798792

【守るものがあったから戦った大東亜戦争】


昨年12月9日に放送されたチャンネル桜のネットラジオ「さくらじ」。
大東亜戦争開戦日の翌日なので、その話題が中心でした。

新生【さくらじ】#11 富岡幸一郎・佐波優子と語る大東亜戦争

http://www.youtube.com/watch?v=PvzKBT2RB8c

ニコ動版



この中で、佐波優子さんの語るエピソードが大変印象に残りました(丁度、1時間あたり〜)。
学生時代、戦前の日本がいかに残酷で酷い事をしてきたかと言う事を教えられてきた。
ところが、遺骨収集のボランティアに参加して、直接旧軍人の方に話しを聴くと、「ただ日本を守りたかったんだ」と言う人が多く、今までの日本が悪かったという話とは違うと判ってきた。
それが大東亜戦争に関して勉強する切っ掛けになったそうです。

佐波さんが一番心に響いた事としてビルマでインパール作戦の援軍で参加し戦った方の話を紹介。

その方は我が儘で、今時の若者と変わらない自分勝手な人間だった、とご自分で言っていたそうです。
戦争に行くのも死ぬのも嫌だったし、ちょっと切って怪我するのも絶対嫌だというヤワな若者だったと。

しかし、実際に戦地で銃弾が自分の体をかすめた時、突然その弾が日本にいる家族に当たるように感じたという。
自分が目の前の敵を食い止めなければ、どんどん北上し押し寄せて、日本本土がやられてしまう。
今、自分の周りに飛び交う敵の弾が家族につながっていると。

だから、この弾を自分の体で受け止め、自分が死ぬ事によって後ろにいる日本人に当たらないなら死んでも構わないと。

大切な人を守るための死というものが、悦びであり、こんなにも幸せなものなのかと、戦場で初めて実感したと。

戦後の今の感覚で死が恐い、怪我するのが嫌、と言う感覚だけで当時の軍人の事は分からない。
自分が死んでも怪我してもいいから、大切な人、日本人を守るれるという気持ちで兵隊さん達が戦ったという事を伝えていきたい、という話でした。

大東亜戦争は、どうしても守りたいものがあったから戦った、ということが分からなければ司馬遼太郎のように東京裁判史観に囚われ、中国を侵略したとか言い出して、結局何も理解できないでしょう。

しかし、この将兵に対して冷酷な扱いをしてるのが戦後日本です。
佐波さんもそれを変えたいと、元軍人さんの話を直接聴く会を各地で開いて頑張っています。


佐波優子さんのブログ

世界の子供たちの笑顔
http://ameblo.jp/kodomo-egao/


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1806264553&owner_id=10283843&comment_count=6夜太郎さんの日記から。
>yamaさん
また、すばらしい動画情報をありがとうございます。

守るものがあるから戦う。
実際に戦争というものに直面しなくても、十分に理解できると思うんですけどね。
司馬遼太郎(幕末物は素晴らしく良く読んでるんですが・・)あのような歴史的に影響力のある作家が東京裁判史観だったことは、大きいですね。
残念です。
>いとまさん

コメントありがとうございます。


>守るものがあるから戦う。
実際に戦争というものに直面しなくても、十分に理解できると思うんですけどね。

本当ですね。「大切な人」や「責任を持って取り組む事業」・・・護りたいものや命がけなものは身近な所に誰もが持っているのではないかと思いますね。
当時の日本人たちの置かれた状況を知り、素直に見つめることができれば気持ちを推し量ることができると思います。


>司馬遼太郎(幕末物は素晴らしく良く読んでるんですが・・)あのような歴史的に影響力のある作家が東京裁判史観だったことは、大きいですね。
残念です。

戦後は歴史史料が戦勝国側に著しく有利なものばかり氾濫し、教科書・新聞・メディア・本・・と日本人を取り巻く活字文化が偏向しておりましたから、お勉強ができるほど、活字に触れる機会が多い人ほど、東京裁判史観に自然に染まってしまったのでしょうね。

こうして東京裁判史観が小説、映画、ドラマ・・と拡大・再生産されていき、広く社会に浸透してしまったのでしょうね。

が、しかし、ネット社会が拡大しつつある今日、この流れを逆転させてまいりましょう!^^

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