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ドイツ語翻訳家コミュのSieとDu&呼び名について

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はじめて書き込みをするのに、いきなりトピックを作成してしまい恐縮していますが、ふと、みなさまのご意見を伺いたいと思いまして書いています。

日本語は敬語や謙譲語や丁寧語等を使い、言葉上に相手との関係が表われる言葉だと思うのですが、ドイツ語には大まかにSieとDuの区別しかありませんよね?

私は、言語学的なことがテーマではなく映画について論文を書いているのですが、簡単にいうと日本映画のドイツ語字幕が私のテーマです。そこで、たくさんの日本映画のドイツ語字幕を観ていて、いろいろ疑問に思ったことがあり、みなさんのお気づきの点もお聞かせ願いたいのです。

映画の中の日本語で、例えば嫁が姑と話すときに、あきらかに敬語を使って話しているのに、ふたりともDuで話しているように字幕がついていることがよくあります。それから、お父さんと子どもが話していたり、会社の人同士が話しているときに、一方がSieでもう一方がDuで話しているのに、どちらもDuで統一されて字幕になっていることもあります。

ドイツでは、片方がDuで片方がSieで話すということ自体あまりないシチュエーションなので、こちらで自然に受け入れられるようにどちらかで統一しているのだろうと思うのですが、それだと映画中で会話している人たちの関係が言葉上に現れているのに、それが字幕には反映されていないようで、これはどうなんだろう、と思ったりもしています。みなさんはどうお考えでしょうか?

それとは別のことですが、日本語における呼び名ということも気になっています。妻が夫に向かって「お父さん(またはパパ)」、隣人が子どもの父親であるひとを指して「お父さん」、子どもと話す父親が自分を指して「お父さん」と言うなどなど。ドイツ語ではそのまま訳すと変な呼び名がたくさん出てきます。あと、自分のことを自分の名前で呼ぶ若い女、もいたりしますね。

日本では、社会における家族単位で考えるところの(子どもから見た?)役割の名前でお互いを呼び合うのでしょうか?
いつからそうなったのでしょうか?

長くなってすみません。なにかそのあたりのことで、ご意見がございましたら書き込みをお願いします。

コメント(19)

>片方がDuで片方がSieで話すということ自体あまりないシチュエーションなので…
私はドイツで働いていますが、これはうちの職場では普通ですね。
私やゲゼレはマイスターにSieで話しますが、向こうはもちろんdu。でも、年上の販売員のおばさん達はマイスターをduで呼び、マイスターも彼女達にはDuを使っています。
学校では生徒は先生をSieで、先生は生徒にDuで話します。

目上の人にはSieを使うのが一般的ではあるけれども、その人がDuで良いと言った場合だけDuを使うと聞いたことがあります。

意見というか、一例ですが。。。
かなり、難しいテーマですね。

映画にドイツ語の字幕をつけるなら、やっぱりSieとDuの区別をはっきりしたほうがいいように思います。そのほうが日本人として日本映画をドイツ語字幕で見てて、自然だと思うので。
ずいぶん前ですが、なにかの映画を日本語音声+ドイツ語字幕で見てて、敬語でしゃべってるのにDuに訳されてるのを見て、不自然さを感じた記憶があります。

私の学部では、大学では先生と生徒はDu、でも学部によってはSieで話す学部もありで、いろいろですよね。

呼び名は、注釈で文化を補うのが懸命なのではないかなと思います。以前、日本語音声+英語字幕でそういうのを見たことがあります。
職場や、学校では上下関係でSie とDuと使うことがあるのはハチさんのおっしゃるとおりでしょう。

嫁、姑関係は難しいですが、大体婚約したあたりから家族の一員に近くなるので「Duにしようね」と誰かが(親の方からか、息子が言い出すかでしょうね)言い出して、Duになります。大体これが基本で、日本語では微妙なニュアンスで使い分けしますが、ドイツ語で嫁、姑がSieを使ったら嫌味充分過ぎで、日本の嫁の姑にたいする敬意みたいな意味にはならないでしょう。ドイツで、大きな問題のない家庭で嫁姑間でSieを使ったらよそよそしいと怒られるかもしれません。

日本語の多彩な表現ニュアンスをDuとSieで表現するのは難しいです。映画ならシチュエーションが分かるからそれに応じて使えばいいのだと思います。そもそも字幕では全部伝えられませんよね。
ハチさん
片方がDuで片方がSieで話すということが職場によっては普通である、ということを初めて知りました。私が行っている職場は上司がみんなにDuで、と提案をしてきたので私も同僚、上司ともにDuで話しています。それとは反対に私の知っているドイツの会社ではみんながSieで話しているところが何社もありす。
しかし、職人の世界ではやはりドイツでも上下関係がはっきりしており、それが言葉の上にも出ているのでしょうか。
yuukiさん
私の学部でも、若い教授と学生はDuで話しているのですが、私はなかなか教授だと思うとDuで話しにくくて困っています。ドイツ10年目でも、なかなかそこだけは馴染むのが難しいところです。
しかし、私がSieで話しているのに、教授は私に自分だけDuを使って話すのは話しにくい、というような雰囲気を出すので、私もDuにしなければ!と使命感を感じてしまうんですよ。

呼び名についてですが、映画の字幕で注釈をつけるのはあまりしないことですから、ドイツで自然に受け取られるように変えるしかないのかな、と思っています。本だと、注釈をつけることも可能で便利だなあ、と思います。
yuukiさんは日本語音声+英語字幕で注釈がついているのを見たことがあるそうですが、どういうふうについていたか覚えておられたら教えていただけませんか?興味があります。
ありちゅんさん
ありがとうございます!うれしいです。
そうなんです。日本の映画に質の高い字幕がついたらいいなあ!と私も心から思っています。(今、こちらで公開されている日本映画の字幕の質が悪い、というわけではないのですが)

ありちゅんさんは、ドイツ映画に日本語字幕をつける仕事をしておられるということで、実際の字幕翻訳の現場からの声が聞けてとても参考になりました。逆にドイツ映画に日本語で字幕がつけられる時のケースを言及する際に、論文に引用させていただきたいと思います。

やはり、日本で自然に受け取られる一般的にこう、という言葉使いに直しておられるんですね。それは、日独両方の言葉がわかる観客には?ってなることもあると思いますが、それは仕方ないことだと思います。ありちゅんさんの書いておられる通り「字幕はあくまでも、原語が分からないお客様への補助手段です」から。「日本人がすんなり映画に入っていけるような字幕というのは、やはり日本語として自然な翻訳」という部分に強く共感しました。

私も、日本語を聞きながらドイツ語字幕を見ているときに、日本語ではこうなのにドイツ語字幕ではこんなになってて違うじゃん!というふうに字幕を見ていません。日本語がわかるからこそ、たまにそこはそうじゃなくてこう訳してほしかった、なんて思ってしまったりもしますが、大抵は意訳した訳者はすごい!と思います。日本語に忠実なあまり、とんちんかんなドイツ語で、ドイツ人にこれはなんだろう?と一瞬でも考えさせるような字幕はよくない字幕だと思います。

ありちゅんさんのおっしゃる通りで、ドイツ語と日本語は、ドイツ語と英語ほどは似ていません(常々、私もそう感じています)ので、色々な部分で工夫をせざるをえないのは当然ですね。原語と目標原語の文法がかけ離れていればいるほど全く新しい文を構築し直す必要性が出てくるため字幕翻訳者の仕事が複雑になってくる、という文を昨夜、テキストで読んだばかりです。

ところで、日本では子供が生まれると呼称が変わる傾向にあるみたいですねー。こっちでは聞いたことないですけれど。ドイツ人の旦那さんに日本人の奥さんが「パパ」と呼んでいるのを目にした時はその違和感に驚きました。ドイツ語で話している夫婦なので尚更。
Autyさん
duとSieは丁寧というより「相手との距離」というのはたしかにそうですね。言い得てますねえ。

Autyさんの書いておられるように、字幕はスペースが区切られた中で、映画を「楽しみに来た」人に意味をぱっと伝えるのが第一義だと思うのですが、英語の映画だと、セリフが理解できる観客も多く、いろいろクレームをつけてこられるんではないですか?最近、そういうことが多いみたいですね。
nonさん
上にも書きましたが、職場や学校によると思います。日本みたいに、片方(目上の人等)は丁寧語で話していて、もう片方が敬語を使って話すということは日本では当たり前でも、こちらでは当然ではないと私は感じています。実際、ドイツ人にも、片方がSieで片方がDuで話すというのは小学校みたいで変だ、と言う人がいます。

字幕上では、実際に目標語の文化ではどうであるか、ということをふまえた上で、訳されないといけないので、そのへんが難しいんだと思います。
あきこさん

片方がSieで片方がDuを使うのは中学くらいまでで、15歳を過ぎて徒弟の間の親方とのやり取りもまあここいら辺でしょう。不自然に聞こえないのはこども扱いが終わるまでということでしょうか。

ずーっと大学に勤めている主人の回りは大体、学生とのやり取りもまずはSieですね。実習などでコンタクトがあると「SieにしますかDuでいいですか」とか聞きますね。

それぞれの言語の背景となっている文化を踏まえなければならないのは、字幕翻訳だけではないと思います。私は翻訳のお師匠様の「日本語ではこうは言いませんよね」を念頭において「日本語ではなんていえばいいのだろう」を探すことに追われています。

飛行機の中で英語の映画の吹き替えは日本語よりもドイツ語の方がニュアンスが良く伝わってきますのでドイツ語で見たほうが私には楽しめます。通訳をしても同じことを伝えようとすると日本語の方が長くなってしまいがちですね。字幕でも言えることでしょう。

テーマとは無関係ですが、ボーフム大学で赤い線の建物に夫婦で勤めていたことがあります。あきこさんは何色でしょう。黄色ですか。
nonさん
それぞれの言語の背景となっている文化を踏まえなければならないのは、当然、字幕翻訳だけではないでしょう、それは。

ボーフム大学の建物にはいろんな色の線が入っていましたっけ?行ってはいるのですがよく思い出せません。映画学科はGBの5階にあります。
Autyさん
あら、同姓同名ですか?

私も字幕翻訳家は大変だなあ、と最近の字幕批評の醜さを目にすると思います。字幕のことをいろいろわかった上で言っているのかどうか知りませんけれど、なんかいいかんじを受けません。

Autyさんは理解できる言語は字幕なしで見るんですね。私は話されている言葉がわかっていても字幕をどうしても見てしまいます。勉強になるし、とか思っているのかもしれません・・・なんか貧乏性っぽくていやですねえ。

不用意に添削されると困る、というくだりが興味深かったです。

原文重視過ぎても、万人にわかりやすいように、と意訳しすぎて原文のニュアンスを損ねて全くの別物を創り出し過ぎても問題になる字幕というものは奥が深いと思います。翻訳もそうでしょうけれど、話し言葉が書き言葉(書かれた言葉)になり、その元のセリフが字幕を読みながらも同時に耳に入ってくる字幕は、字数の制限があるということ以外にも様々な難しい部分があると思います。
Sie とDu はたしかに「距離」を表していますね。
日本人は、年上・目上の方とduzenするのはなかなか慣れずに難しい、と思います。Sie を使わなければいけない相手にDuを使うのと同様、Duを使わなければいけない相手(シチュエーション)にSieを使うのはとても失礼である、ということを以前聞いてから、注意しています。あなたとは距離を置きたい、という意思表示になるのですから。
ずっと前ですが、ドイツのテレビで19世紀あたりが舞台の映画を観ていたら主人が使用人にSieを使っていたので、なるほど!と思ったものです。

日本語の敬語表現にあたるものは、SieであってもDuであっても、接続法を使った言い回し、になるのではないでしょうか?
一方が直接的表現をしたり、とそれで上下関係が表現されていたりするのでしょうが、限られたスペースの字幕では難しい、でしょうね。


日本では家族の一番若い構成人の視点での表現が伝統的だと思います。「お父さん」、「お母さん」はもとより、赤ちゃんが生まれたら年上の子供は「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」になります。
日本語がよくできる外国人が電車に乗っていたら、ある駅でお年寄りの女性が乗ってきた。後ろを向いて「お姉ちゃん、早く!」と言っている。この女性のお姉さん同様のお年寄りの女性が乗ってくるのかと思っていたら、小学生位の女の子が来たのでびっくりした。その女性は今度は「お父さん、こっちですよ」と言っている。この女性の父親なら、さぞや高齢だろうと思ったら、やってきたのは40歳くらいの中年の男性で再びびっくりした。という話を読んだことがあります。

いつからなのか、、はわかりませんが、おそらくずっと以前からなのではないでしょうか?日本語の特質の一つだと理解しています。どちらかと言うと近年それがやや崩れつつある、という気がします。私の世代では配偶者を「お父さん」「お母さん」とはあまり呼んでいませんし、他人の(見知らぬ)子供に「お兄ちゃん」とか「お姉ちゃん」とか呼びかけるのはお年寄りだけ、のような気がしますし。(酔っ払いが若い女性に声をかける言い方は変わっていないようですが..笑) ちなみにドイツやスイスで年寄り夫婦が「Mutter」「Vater」と呼び合うことはあるようです。
あきこさん>
呼び名ではないんですけど、日本独特の表現に注釈がついている例をみつけました!
「お疲れ様です」
note: otsukare-sama
phrase said by japanese after work is over.
と書いてありました。
また何か見たり、聞いたりしたら報告します。
この字幕は翻訳家がつけているものではなく、日本語がよくできる人がボランティアでつけているものだと聞きました。
理香さん&yuukiさん
もうひとつのコミュでも書き込みいただいて、こちらにも!ありがとうございます。

理香さんも書いておられたように、私も
「Sie を使わなければいけない相手にDuを使うのと同様、Duを使わなければいけない相手(シチュエーション)にSieを使うのはとても失礼である」と聞いてからはSieで話したくてもDuを提案されたら一生懸命Duで話すのに慣れるようにしています。かなり年上の方と話すときには難しい。でも、距離をおきたい、ととられてはいけないし、って考えてがんばってみたり。

「日本語の敬語表現にあたるものは、SieであってもDuであっても、接続法を使った言い回し、になるのではないでしょうか?」
とありましたが、どういうことなのかいまいち想像ができません。すみません、文法を表わす言葉に弱いので・・・よろしかったらなにか簡単な文で例を挙げていただければ助かるのですが、お願いできますでしょうか?


それから、「日本では家族の一番若い構成人の視点での表現が伝統的」と、やはり思われますか。そのへんも論文に書こうと思っています。あと、理香さんが書いてくださったそのお話がおもしろかったです。

yuukiさん
ご報告をありがとうございます!
なるほど。そんなふうになっていることもあるのですねえ。
映画の字幕でそういうふうになっているのは今まで見たことがなかったです。
「お疲れ様です」はたくさんの映画によく出てきますが最近見たなかでいいと思った訳は「Schoenen Feierabend」でした。
営業のひとが電話でまず挨拶がわりに「お疲れさまでーす」っていうのは「Wie geht`s?」になっていたりしてそれもなかなかいいと思いましたよ。
>あきこさん

でしゃばりの発言にコメントありがとうございます。
この2日ばかりバタバタしていてレスが遅くなって申し訳ありません。

>>「日本語の敬語表現にあたるものは、SieであってもDuであっても、接続法を使った言い回し、になるのではないでしょうか?」

言葉が足りませんでした。もちろん動詞を変化させて敬語にする、という日本語の敬語表現はありませんね。
敬語というより、接続法第2を使うと(「Koennten Sie〜」「Wuerdest du〜」など)丁寧な言い回しになりますね。2人称がSieかDuかは、「相手を敬う気持ち」を表すのには関係がないのではと思えます。「Ich wuerde mich sehr freuen, wenn Sie(du)〜〜」などと1人称が主語でも同様。

Sie でも命令法を使えば、それは「命令」になり、それは「上」の者が「下」の者に用いる形になるのではないでしょうか。

と申し上げたかっただけなのですが、思わせぶりな書き方をしてしまってごめんなさい。


日本語の特質については金田一春彦、牧野成一、鈴木孝夫などの著書で読んだような気がしています。確認してからまたご連絡いたします。
理香さん
でしゃばりだなんてとんでもないです!参考になるし、とてもうれしいんですよ。ありがたいです。

あと、私も反応が素早くできないことが多く、ゆっくりですから気にしないでくださいね。

質問にお答えいただき、私にもわかりました。接続法第2っていうんでしたね、そういえば。忘れていましたが。長くなるのが難点ですけれど、たしかに丁寧になりますね、あれを使うと。

それからSieでありさえすれば丁寧だとも限りませんよね。おっしゃるとおりだと思います。

思わせぶりな書き方だなんて、そんな。とんでもないです。お答えいただいてクリアになってよかったです。

日本語の特質についての本でしたら金田一春彦の本を私も所持しております。もう一回、読んでみたらいいんじゃないか!と思い出しました。思い出させていただいてよかったです。

いろいろ本当にありがとうございました。

これから、私のこの修論について、日記に書いていこうかと考えています。考えてばかりで書かないとどんどん時間が経ってしまうし、書くことで自分自身が考えていることがはっきりしたり、弱い論点の部分が見えてくるのでいいなあ、と思いましたし、ここでそうだったように、もしかしてどなたかがコメントしてくださったりして、参考になったり新たに気づく点があるかなあ、と思いまして。よろしかったら遊びにいらしてくださいね。コメントはもちろん歓迎です。

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