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ささめやゆき+細谷正之コミュのささめやゆきさんの家で食事会

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昨日は我が家の近所にある、恩師の墓参りに教会の仲間と行った。門馬義久先生のことはたびたび書いているが、朝日新聞の学芸部の名物記者にして鎌倉山教会の牧師だった方である。太宰治の遺作となった「グッド・バイ」を書かせたことからはじまって、戦後から昭和の終わりにかけてほとんど主要な作家と交流があった。
門馬先生は三浦綾子の『氷点』を発掘した方で、綾子さんのエッセイにもたびたび恩人として登場する。
山本周五郎とも深い付き合いがあり、周五郎が亡くなる前日まで朝日に連載していた『おごそかな渇き』の原稿を催促していた。周五郎の遺言に沿って、門馬先生は浦安から船をこいで、周五郎の遺灰を海に蒔いた。
大佛次郎とも深い親交があった。大佛次郎に『天皇の世紀』を書かせたのは門馬先生であり、その取材の全てに立ち合った。
芥川賞作家の中山義秀が心から信頼を置いていた。義秀が亡くなる前日、本人から乞われて門馬先生は洗礼を授けた。

このシーンは山田風太郎が『人間臨終図鑑』(徳間書店)の中でも描いている。


八月十八日、彼は見舞いに来た友人の門馬義久に、突然「洗礼をやってくれ」といった。門馬は朝日新聞学芸部の記者であったが、また牧師でもあった。
 門馬は自分がその任でないことをいい、また洗礼用の器もないことをいってことわったが、中山の要請もだしがたく、いままで自分が飲んでいた茶碗に水道の水を汲んで洗礼してやった。洗礼が終わると、中山は「広い世界がひらけたようだ」と、いった。
 その翌日に中山義秀は息をひきとった。

門馬先生から洗礼を授かったのは義秀とぼくの二人だけなのである。
朝日新聞学芸部部長にまでなったが、「第一線のほうがいい」といい、自ら次長に退いて定年までいた。望めば編集局長ぐらいまでにはなっていたと思う。

墓参りのあと、絵描きのささめやゆきさんの家で食事会をした。毎年、墓参りのあとは我が家かささめやさんの家かどちらかで食事会をすることになっている。
ささめやゆきさんとぼくは同じ教会で結婚式を挙げ、家も至近距離にあり、草野球チームも同じという極めて親しい間柄にある。本名をホソヤさんといい、ぼくより15歳年長だが、ホソちゃんと呼んでため口をきいている。もう32年も付き合っているので、互いのことを知り抜いている。最近、彼は詩人のまどみちおさんの絵本を描いたが、それが売れているのだそうだ。ささめやさんは50歳を過ぎてから売れはじめた遅咲きの人だが、彼のえらいところは売れても売れなくても、毎日必ず絵を描いたり、版画を彫っていたことだ。
昼からはじまり、夕方近くに散会した。写真は緑に囲まれたささめやさんの家と庭。

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