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ささめやゆき+細谷正之コミュのささめやゆきさんと一緒に獅子舞をやったときの話

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いまから25、6年前の正月の話だが、絵描きのささめやゆきさん夫婦とぼくと三人で獅子舞をやったことがある。ぼくとささめやさんは家も近所、教会と野球部が同じという、30年来の大親友。本名をホソヤさんといい、ぼくより15歳も年長なのだが、これまで「ホソヤさん」と呼んだことはなく、いつも「ホソちゃん」「ホソやん」と呼び習わしてため口をきいている。この30年間、互いに何度か鎌倉市内で引っ越しをしているのだが、いつも付け狙ったように、10分も離れていないところに住んでいるのである。
一時期、ぼくはほぼ毎晩のように書き上げた原稿を持ってホソヤ邸を訪れていた。ホソヤさんはなまなかな編集者より鑑識眼があっていつも的確に批評してくれた。ぼくはそれを翌日のうちに書き直し、明晩また持参するという繰り返しだった。深夜まで酒を酌み交わしながら、語り合っていた。しかも昼は昼で会っていたのだから、一体、どれほどの時間を彼と過ごしたのやら。彼のえらかったのは、何の注文もないのに、毎日ひたすら絵を描いたり、版画を彫っていたことである。互いに雌伏のときで秘するものはあったが、時間も有り余るほどあったのだろう。

ホソヤさんと酒を飲みながら、「正月に何かおもしろいことをやろう」という話になった。彼が浅草で獅子舞の衣装を調達してきて、ビデオを見ながら一夜漬けで練習した。元旦から2日にかけて、鎌倉と逗子と葉山を回った。いきなり玄関のドアを開けて、獅子舞を披露するものだから、みんな度肝を抜かれたようである。しかし、この趣向はたいへん喜ばれた。当然ご祝儀をもらった。何の約束もなく、友達や知り合いの家に行き、獅子舞を舞ったのちに、ぼくやホソヤさんの顔が出てくるものだから、向こうはやんやの喝采だった。ぼくらは調子に乗って、逗子の披露山に行けばもっと稼げるのではないかと話し合った。披露山というのは日本のビバリーヒルズといわれる超高級住宅街である。一流企業の社長や芸能人が住む豪壮な邸宅が並んでいる。それまではいきなり玄関のドアを開けたのだが、こうした大邸宅はみんなインターホンがあり、門から玄関までやたらと距離がある。ぼくらはインターホン越しに「獅子舞です」というと、「うちは取ってませんよ」といわれた。「いや、新聞屋じゃなくて、獅子舞です」と何とも珍妙な問答を繰り広げたものである。

結局、披露山はたいした稼ぎにはならなかった。葉山を練り歩いていたら、たまたま入ったお宅がタレントのマリー・クリスティーヌの家で非常に彼女も興奮して迎えてくれたこともあった。彼女は葉山の日影茶屋の社長と結婚して、葉山在住なのだった。
結局、2日間で8万円ほどの稼ぎになった。意外と稼げるんだなと実感。みんなにも喜ばれるし、食うに困ったら、獅子舞をやろうとホソヤさんと話したものである。
その後、彼は非常な売れっ子となり、大きな賞も取った。ぼくもどうやらこうやら世に出て、その後、獅子舞をやることはなかったが、また、いつの日かやるのも悪くないと思っている。

ぼくとホソヤさんは一緒に鎌倉で草野球チームもやっていた。メンバーはすばる賞作家(芥川賞候補に何度かなったが、受賞までは至らなかった)、日本で五本の指に入るコピーライター(カネボウの「赤道小町、ドキッ」やサントリーの「開けてみれば愛」、「やわ肌の……」とか、誰でも知っているコピーを書いた人)、国立天文台の暦博士(日本の暦は彼が策定していた)、イギリス人のジャーナリスト、蒔絵師、大学教授、仏文学者、編集者、カメラマン、フランス語の通訳者など鎌倉にはおもしろい連中がたくさんいた。もっとも鎌倉にはサラリーマンも多いのだが、昔もいまもぼくはそうした方々とはほとんど知り合う機会がなく、いつも一風変わった連中とばかり付き合っている。類は友を呼ぶのだろう、自分と同じ匂いのする連中が群れ集まるのかも知れない。メンバーの中にはフランス人の奥さんを持つ人が3人もいて、冗談でメンバー資格には「妻がフランス人であること」などと書いていた。
詩人のねじめ正一さんや平出隆さんたちも熱烈な野球狂で、よく互いに遠征試合を繰り広げていたものである。ぼくは一時期打率4割を超え、首位打者になったこともあった。「オレはイチローを超えた」とウソぶいていた。

野球好きが高じて、ホソヤさんと「グラスボール通信」という雑誌まで発行していた。交遊のあった詩人の北村太郎さんや作家の小池真理子、藤田宜永、文春の出版局長だった豊田健次さんという、いまから思えば豪華メンバーがノーギャラにもかかわらず、快く原稿を書いてくれていた。小池さんも藤田さんもまだ直木賞を取る前だったので、そんな遊びにも付き合ってくれたのだろう。当時の鎌倉市長だった中西さんは愛読者で、ぼくが市長室に行ったとき、「ファイルしているんですよ」と大事そうに見せてくれたので驚いたことがあった。この雑誌は19号まで続き、ぼくが1セットだけバックナンバーを持っている。初期の頃はホソヤさんの手書きで旧かな旧漢字だった。いまでは案外貴重なものかも知れない。

いまはぼくもホソヤさんも草野球熱は冷めてしまって、この数年は開店休業状態。しかし、まだチームは解散したわけでなく、忘年会や暑気払いなど飲み会にかこつけては集まっているし、いつかまた試合もやりたい。
正月早々、長々とつれづれなるなるままに駄文を書き連ねてしまい、失礼しました。
本年もお見捨てなきよう、よろしくお願いします。

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