1995年 シングル「MOTHER」(アルバムMOTHERからのシングルカット)・「DESIRE」リリースのヒットと同時に、3月から「TOUR 1995 MOTHER OF LOVE.MOTHER OF HATE 」で全国を周る。そして12月23日、初の東京ドームライブ「LUNATIC TOKYO」を行い、チケットは瞬時にソールドアウト、6万人を動員し、バンドとして人気を不動の物にした。
1996年〜活動休止へ 7thシングル「END OF SORROW」がオリコン1位を記録し、約1ヶ月後には5thアルバム「STYLE」をリリース。アルバムでは初めてのオリコン1位を記録した。7月、横浜アリーナ2DAYSを皮切りに全国ツアーがスタート。10月からはアンコールツアーと題して約2ヶ月間のロングツアーを決行し、普段はあまり行かない地区を中心にライブを行う。そして12月に横浜スタジアムでの真冬の野外ライブを開催。ここで97年の1年間、バンド活動を休止する事を発表する。Jによれば、7月からの全国ツアーが始まる頃に、メンバーでの話し合いが持たれ、「次のビジョンへ行くためには、一人ひとりのメンバーが力を付けて、新しいルナシーを作らなければダメ」であり、1997年を「みんなの自主トレーニングの期間にあてよう」という結論に至ったという[5]。
1998年〜復活・再び東京ドームへ この年はシングルの連続リリース「STORM」「SHINE」「I for You」で始まり、いずれも大ヒットを記録。夏には横浜スタジアムでのライブ2DAYSを行った。6thアルバム「SHINE」はミリオンヒットを記録し、そのアルバムを引っさげての全国ツアー「Tour'98 SHINING BRIGHTLY」を行い、年末には3年ぶりとなる東京ドームライブ2DAYSをツアーファイナルとして「SHINING BRIGHTLY FINAL END OF PERIOD in TOKYO DOME」を成功に収める。年末には紅白歌合戦への出場を果たした。
1999年 1月から初のアジアツアーを決行し台湾・香港・上海を周り、各地でライブ活動を展開。5月29日には初のライブアルバム「NEVER SOLD OUT」をリリース。翌日の5月30日にはバンド結成10周年を記念した野外ライブ「NEVER SOLD OUT CAPACITY∞」が開催されることになっていたが、開催3日前に暴風により数十億円をかけたセットが倒壊。真矢のドラムが巻き込まれる等の被害が出て開催が危ぶまれ「嵐を呼ぶバンド」の名が一時的に復活した。しかし、廃墟をセットにしてしまおう、というメンバーのアイデアで予定通り開催。東京ビッグサイトスペシャルオープンステージに10万人を集める[6]。この時メンバーでただ1人倒壊前日にステージを見ていたINORANは当時出演したTV番組でセット倒壊の報を聞いてメンバー全員で駆け付けた際のことを「倒壊する前の様子が点線になって見えるんですよ」と言っていた。12月23日、GLAYとの対バン、「The Millennium Eve」を東京ドームで決行し5万6千人を動員する。
2000年〜終幕 2000年1月1日0時0分、カウント・アップ・ライブをZepp Tokyoでスタートさせる。この年は「gravity」「TONIGHT」「LOVE SONG」の3枚シングルをリリース。ライブ活動も精力的にこなした。夏には7thアルバム「LUNACY」をリリース。しかし、2度目の海外ツアーを香港・台湾で行う直前の11月8日、「終幕」(事実上の解散)を発表。RYUICHIは「終幕」の理由について、「このメンバーでバンドをやっていたいちばんの理由は、5人でいれば誰よりも輝けると思ったからです。でも、同じ光を見てると目も慣れて、より強い光を求められなくなった」と語った[7]。そして12月23日にはベストアルバム「PERIOD」をリリースし、20世紀最後のオリコンチャート1位を獲得。12月26日・12月27日には、東京ドームで「LUNA SEA THE FINAL ACT TOKYO DOME」を決行。このライブのセットリストは、終幕発表以前に公式WEBサイト上で行われた曲投票が反映されている。このライブをもってLUNA SEAは12年にわたる活動を終幕させた。
2007年7月末にオフィシャルサイトの特設ページに月と海のFLASHが出現し、その意味について告知無いまま1ヶ月後の皆既月食の日を目指してカウントダウンが始まった。8月28日午前3時、カウントダウンが終わると12月24日(月・祝)に東京ドームで一夜限りの復活ライブが開催される事が明らかになった。タイトルは「GOD BLESS YOU 〜One Night Dejavu〜」。2007年はメジャーデビュー15周年、各ソロ活動10周年という節目にあたり、これが一夜限りの復活の大きな要因となった。
2007年12月19日にはLUNA SEAの再結成を記念して企画メモリアル・カバー・アルバム『LUNA SEA MEMORIAL COVER ALBUM -Re:birth-』がAvexから発売された。多くの人にトリビュート・アルバムだと勘違いされているが、トリビュートではない。これにはLUNA SEAに影響を受けたムックやメリー、メンバーと交流のある西川貴教が率いるabingdon boys schoolやTRFのDJ KOOなどの主にAvexのアーティストが参加している。
10月28日に発売されたチケット5万枚は僅か5分足らずで完売した。ライブの模様とドキュメント映像を収録したDVD「LUNA SEA GOD BLESS YOU〜One Night Dejavu〜 2007.12.24 TOKYO DOME」が2008年3月26日にリリースされた。
2008年5月4日に東京・味の素スタジアムで行われたX JAPANのHIDE追悼ライブ(hide memorial summit)の二日目に出演し、「Precious」や「Up To You」を演奏した。またX JAPANメンバーと「BELIEVE」を演奏した(真矢がギターでYOSHIKIがドラム)。