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物置きコミュのEveryLittleThingの新参ファンじゃ知らない伝説達

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http://www.geocities.jp/every_little_thingeas/kiseki.html

EveryLittleThingの新参ファンじゃ知らない伝説達


1.創世紀(デビュー前) 創世記
五十嵐充:レンタルビデオショップ店長、プライム・ディレクションの電話番を
経てELT結成。
持田香織:子役モデル、黒BUTAオールスターズを経て、デモテープの声が気に
入った五十嵐に誘われELT参加。
始めは上記2名のみで1年度練習を重ねていた。
伊藤一郎:会社員?(すまん、よく知らん)を経て、「エレキの音が欲しい」と
五十嵐に誘われELT参加。


2.五十嵐紀初期(1996〜1997年) 五十嵐初期
TM NETWORK企画を終了後、trf、安室奈美恵 globeなどを次々とプロデュースす
る小室哲哉の全盛時代に、それとは一風変わったシンセサウンドとエレキサウン
ド、そして持田の切れ味の良いヴォーカルとの調和が心地いいFeel My Heartで
avexより鮮烈デビュー。そしてDear My Friendでブレイク。
持田の透き通った歌声は、まだ荒削りではあるものの、ファンの心をぐっと掴んだ。
代表曲Dear My Friendはcommonplaceツアーまで、Future WorldはMany Piecesツ
アーまで、ライブで盛り上がる定番曲として歌い継がれた神曲。
ユニット名はビートルズのアルバム「Beatles for sale」の11曲目のEvery
Little Thingの歌詞から「宇宙から見れば小さな存在である人間や動物など、あ
らゆるものたちへ」というメッセージを込めてつけられた。
持田のファッションはまさに「コギャル」であったが、その外見とは裏腹に意外
と落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


3.五十嵐紀中期(1997〜1998年) 五十嵐中期
ELT絶頂期。この時期の代表曲はFor the moment(初の首位獲得)、出逢った頃
のように、Shapes Of Love(今もライブで歌われている、盛り上がる定番曲)
NECESSARY(何やら持田には思い入れがあるらしい?)など枚挙に遑がないが、
特にバラード曲Time goes byはCD売上で初のミリオンを達成し、今でもELTを代
表する曲の一つとなっており、後述するfragileと併せ「ELTといえばバラード」
というイメージを与えた神曲であると同時に、現行ELTの足枷ともなっている功
罪のある曲の一つでもある。
everlastingはファーストアルバムにしてオリコンアルバムチャート1位を獲得。
Time to DestinationはELT史上最も売れたアルバム。売り上げ約400万枚。
この頃になると持田の歌声も綺麗に澄み渡っており、ほぼ完成に近付いた。
この頃の持田のファッションはまさに「コギャルの教祖」であった。


4.五十嵐紀後期(1999〜2000年) 五十嵐後期
五十嵐スランプ期。代表曲Over and Over、sure。代表アルバムはeternity。
ELT初のベストアルバムEvery Best Single+3もリリースされた。
持田いきなり金髪ショート披露。
この時期ごろから持田は、自身の透き通った歌声にさらに磨きをかける為NYに
ヴォイストレーニングに行ったり、作詞を始めるなど、アーティスト意識が芽生え、
同時に曲に対しても色々と意見を言うようにもなり、五十嵐を悩ませていた。
2000年2月17日OAの「うたばん検証コーナー」では、「何で私がこれ歌わなきゃ
ならないの?」と、プロデューサーである五十嵐に楯突いたというエピソードが
紹介された。
これを受けて持田本人は、「そんな事言ってないもん」と、エピソード自体を
真っ向から否定したものの、そのすぐ後に「タイトル名等では自分の意見を言う
ようになった」と、自己主張し始めている事を明言。
そんな事も有ってか脱退後のコメントで五十嵐は、「僕の作る曲と持田のイメー
ジが自分の中でリンクしなくなってきた」と、当時を振り返る。
またそんな中で作られた「Over and Over」に「当時の五十嵐さんの気持ちが
込められていたのでは?」と、持田も当時を振り返っている。
そして五十嵐は、自分の聖域に足を踏み入れんとするアーティスト根性に目覚め
始めた持田をまるで避けるかのようにELTを去って行く・・・。
この時期の持田の透き通った歌声は、ほぼ完成形と言っても過言ではないだろう。
特に五十嵐脱退直後に行われたSpirit2000ツアーが収録されたDVDでは、その卒
の無いパフォーマンスをいかんなく発揮している。


5.ELTモラトリアム紀前期(2000〜2001年) モラトリアム前期
五十嵐脱退によるファン離れもあり、ELT迷走が始まった時期。
代表曲はRescue me(eternityから急遽シングルカット・・・これは五十嵐脱退
を聞いた持田と伊藤の心境そのものだったらしい?)、愛のカケラ(持田初の
ファルセット通常使用曲)、Graceful World、fragile(「あいのり」主題歌と
して大ヒット。今も定番曲。)など。
特にfragileは前述のTime goes byと併せ、「ELTといえばバラード」というイ
メージをファンに刷り込んだ神曲である。
またこの時期の代表アルバム4 FORCEは、五十嵐脱退による危機感もあり、山中
湖での強行合宿により急造された。このとき伊藤が食べたという絶品カレーは、
カレーにうるさいとんねるず石橋にとっては単なる普通の味だったという、微笑
ましい?エピソードもある。
この時期より持田は多数の作曲家の曲を歌わなければならなくなった。中には持
田の音域にあわない楽曲、下手すると歌い方が一辺倒になりがちな表現の難しい
曲を歌わされる事となり、それまで自信があったはずの歌唱力に不安を感じ始
め、色々と苦悩するようになる。また、これからは2人だけでELT活動をしなけれ
ばならないという気負いもあり、同僚の伊藤には「苦手」と言われるほど性格や
眼つきがキツくなってしまった時期でもあった。ファッションは姉御風。
これらの要因も含め、私生活の乱れや、ライブ等でのシャウトのしすぎなども
あったのか、この頃より持田の声に少しずつざらつきが混じり始め、高音も少し
厳しくなってくるなど、喉の異変が始まった。


6.ELTモラトリアム紀中期(2001〜2003年中期) モラトリアム中期
この時期の名曲も多いが、代表曲を挙げるとすればjump、キヲク、
ささやかな祈り、Grip!、ファンダメンタル・ラブなど。
代表アルバムMany Pieces。
持田初の作詞作曲であると同時にいきなり歌い方をJUDY AND MARYのYUKI風
の巻き舌に変えた問題作jumpを発表、物議を醸し出す。あまりの突然の変化にファ
ンの戸惑いや賛否両論渦巻き、五十嵐脱退後から始まっていたファンのELT離れを
加速させる結果となった。この曲の成立過程にはバラードばかり歌わされた事に対
する反感、YUKIにインスパイアされた、声質の変化に対する対応策だった、などの
諸説も有り。
当時の世間のあまりの酷評?にavexも驚き、以後持田作曲作品はシングルでは出さ
せないようELTに指示したという。
持田自身も「何かいい感じじゃない?」と思って出したはずの自信作に対する
相当な批判に「傷ついた」と振り返っている。
その後巻き舌歌唱法とそれまでの歌唱法とを曲によって使い分けるが、Many
Piecesツアーでは巻き舌を基本路線として歌ったようである。
またUNTITLED 〜4ballads〜より、それまでの単なる男女間の恋愛から人として
の優しさ・気持ちを日常の何気ない幸せ、感謝などを意識した作詞をするよう
になる。
この頃になると声質の変化が原因なのか、歌唱法に問題があるのか、はたまた喉
に異常があるのか不明であるが、声量も落ち始め、喉が疲れるとピッチの制御が
出来なくなるという事態が発生し始めた。
ツアーのDVDに収録されたオフショットでも、疲れで「ピッチが狂う」「声が出ない」
「ファンに申し訳ない」と悩む本人の姿が収録されている。
但し、五十嵐脱退後不安定だった持田自身の精神状態はだいぶ落ち着いてきたの
か、ファッションも素朴で落ち着いた、しかしカワイイ系ものとなる。


7.ELTモラトリアム紀後期(2003年中期〜2006年) モラトリアム後期
代表曲:またあした、ソラアイ、恋文、五月雨、good night。代表アルバム:commonplace。
Many Piecesツアーの真最中、重病に掛かったファンを見舞った。
そして生まれた曲「五月雨」。これを切掛けとしてモラトリアム紀後期が始まる。
この時期にはその他にも身近な人間?の死なども経験、「good night」
後のアルバムCrispy Parkに収録された「雨の鳴る夜、しずくを君に」の歌詞には
その影響があるのでは、との説もある。
これらの経験は持田の作詞、歌い方などに多大な影響を与えた。
歌詞では「僕」「きみ」などの人称が増える。「私」よりも「僕」という言い方の
ほうが、自己主張が少なく感じ、一歩引いて「きみ」を立てる事ができるからと
いう本人談。
持田の巻き舌な歌い方は段々と加速し、「またあした」から完全に巻き舌かつ
ロリ声も混ぜて歌うスタイルになった。
舌足らずでロリ声な表現要素はその後も加速していき、HIKARIバラードが続き飽き
飽きしてるという声の中リリースしたazure moonでは赤ちゃん言葉まで導入して、
完全に好き嫌いがハッキリと別れる歌唱法となる モラトリアム紀中期から続く喉の疲れによるピッチ制御不能は2004〜2005年
が最悪期、かつての声量も無く、ちょっと歌っただけですぐ喉が疲れ高音域の音程
がかなり不安定になってしまうという事態に、ファンの間でも心配の声があがる。
中低音域での表現力も含めた歌唱力は確かに向上がみられるものの、ヴォーカル
の華とも言える高音域でコレなので、アンチからは「持田の歌い方はキモイ」
「音痴」とまで言われるようになる。
commonplaceツアーでは体調管理不備などにより急性気管支炎?に罹り、
ツアー中に声が完全に出なくなり、ファンの前で泣き出すといった事態にまで陥った。
この頃の持田のヘアースタイルは、かの有名な「キノコ」。何かあるとファッ
ションリーダーといわれる事に飽き飽きしていたのか、はたまた失恋の為か、五
十嵐紀後期より伸ばし続けた長髪をバッサリと切ってしまった。始めこそエクス
テなどで目立たなくしていたが、commonplaceツアーより惜しげもなくキノコを
曝け出す。が、さすがに不評が堪えたのか、今年に入って「昭和パーマ」をかけ
るなど、脱キノコを始めた。


8.ELT近世  近世
結成10周年にあたり、それまでの「暗い」「キモイ」イメージを一掃しようと?
髪をさらに短くして心機一転を図るも、衣装は中高年風、又は少年風、普段着も一
昔前の理系女子大生「私勉強にしか興味ないわよ」風で、女性には受け入れられる
ものの、男性からは「おばちゃんみたい」「老けた」などと揶揄される事も多くな
ってしまった。
ハイファイメッセージやスイミーなどのシングル曲、風待ち心もよう、スカーレッ
トなどアップテンポ曲の収録されたニューアルバム「Crispy Park」を発表し、
今年10月よりツアーを開始。
アルバムは辛うじて売上げ20万枚を突破したものの、他のシングルCD売上は低迷、
ツアーでも、長年活動している事、さらにはアホアホコール後も、持田本人曰く
「昔は出てたキーも出しづらくなって」いる事、「殺人的なスケジュールを組まれること」
に対する防衛策としてなのか、五十嵐作品は2曲のみ、そのうち盛り上がる曲は
Shapes Of Loveのみ。アホの途中でも伊藤のギターソロの間に一休みを入れるなど、
かつての全盛期のライブの盛り上がりには到底及ばないセットリストには、
五十嵐紀懐古主義者やELT古参ファンの「暴挙」「ガッカリ」との声も挙がっている。 しかし、ELTを支えるファンは絶えずに
ELTの二人も、これからも活動に力を入れたい
と公言し、活動意欲を見せる

eltは、永遠に不滅
と信じたい

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