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龍馬の極秘行動マーク 中津川宿の商人、高い情報収集力


 幕末期の政局転回を決定づけた「薩長盟約」(1866年)の立役者、坂本龍馬の動静を、旧中山道中津川宿(岐阜県中津川市)の商人らが的確に把握していたことが、宮地正人東大名誉教授(日本近代史)が分析した史料から分かった。当時、龍馬の行動はごく一部の関係者しか知らない極秘情報で、国家を憂慮し、自ら行動した商人らの高い情報収集能力を示している。
 この商人は、尊王運動に大きな影響を与えた国学者、平田篤胤(あつたね)没後の門人で、中津川宿の本陣を務めた市岡殷政(しげまさ)や、問屋の間(はざま)秀矩(ひでのり)ら。
 市岡家に残る聞き書き書の「風説留(ふうせつどめ)」によると、市岡は間らとともに1865(慶応元)年10月末から約1カ月、京都に滞在し、関白二条斉敬(なりゆき)などに「攘夷(じょうい)断行」を求める建白書を提出するなど国事に奔走する。その在京中に「薩長合体(薩長盟約)」に向けた動きを察知するとともに、薩長を仲介する龍馬に関する情報も入手している。
 風説留には「土脱坂本某、中(国)四(国)より、10月18日長州出立登京、西郷吉之助江也、今大嶋三右衛門、囃…」などと記されている。龍馬が西郷隆盛の内命で長州藩から兵糧米を入手するため、下関で長州藩の木戸孝允と会談し、再上京して西郷に状況報告するなど、龍馬の行動をほぼ正確に伝えている。
 また、これとは別に、滋賀大に残る近江八幡(滋賀県近江八幡市)の国学者、西川吉輔が間の子息から伝え聞いた風説留にも、「薩長盟約」締結直後に起きた寺田屋事件に触れ、竜馬を「薩長合体の基本を開く人」と指摘、「だからこそ幕府から狙われた」と襲撃された背景もきちんと見抜いている。
 市岡家では7年前、「薩長盟約」が軍事的な攻守同盟だったことを裏付ける書簡も見つかっている。
宮地氏は「薩長盟約前後の龍馬の極秘行動とその真価を的確につかんでおり、中津川の平田国学者たちの情報収集能力は驚くほどレベルが高い」と評価している。
3/23 中日新聞

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