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DAYSJAPANを勝手に応援するぞ!コミュの広河隆一さんがNHK番組に

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7月23日にNHK番組(視点・論点 10分)に出演され、そのときにお話されていた内容の要約が、NHK解説委員室ブログに掲載されていましたので転載します。http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/10519.html#more

・・・・・・・ 以下引用 ・・・・・・・・

2008年07月23日 (水)
視点・論点 「パレスチナ60年」
DAYS JAPAN編集長 広河 隆一

40年前 大学を卒業してイスラエルを訪れました。私が生活したキブツと呼ばれる農業共同体には、世界から若者たちが来ていました。
当時私は パレスチナ問題のことは何も知りませんでした。
しかしそれからすぐに戦争が起こりました。1967年の第3次中東戦争です。
ある日、占領下のエルサレムで私に白旗を振る子どもに出会いました。彼は占領者には白旗を振らなければ殺されると言い聞かされていたのです。
またある日 キブツの畑のはずれで、瓦礫が散らばっているのを見ました。 
それからずいぶん後になって、知り合ったユダヤ人の友人が、イスラエル建国前に作られた昔の地図を持ってきてくれました。そこにはキブツの名前の代わりに、パレスチナ人の村の名前が書いてありました。
私は 自分が働いていた土地が、昔はパレスチナ人の村の土地だったことを知りました。
これが私とパレスチナ問題の出会いです。


そのあと私は、消えたパレスチナの村々の跡を撮影し続けました。
難民が発生した理由は、次のようなことだと分かってきました。
1 ユダヤ人の武装勢力による虐殺事件のニュースが広がり、ユダヤ軍が近づいただけで恐怖に駆られて、村を逃げ出した人々が多く出たこと
2 戦火が近づいたので、近隣の村や町に一時的に避難したが、その後、村に戻ろうとしたら、イスラエル軍に、阻止されたことこと
3 アラブの武装勢力が、一時村を離れるようにと、村民に勧めたこと
4 ユダヤ人の勢力に村の3方を封鎖され、残った方向から出て行くようにと強制されたこと
5 戦争が終わった後、イスラエル軍に2週間だけ村を離れるようにと言われて、そのまま村に戻ることが許可されず、イスラエルの裁判所が村人の帰村を認めた後で、村が破壊されたこと 
1947年11月29日に、国連はユダヤ人国家とアラブ国家を作ることを決定しました。これに対してユダヤ人側は賛成しましたが、昔からこの地に住み続けてきたパレスチナアラブ人は反対しました。
ユダヤ人の側にも問題がありました。国連が定めたユダヤ国家の中の人口構成を見ますと、半数近くがパレスチナ人だったのです。ユダヤ人の指導部は、このまま国を作っても、長くは持たないかもしれないと考えました。そこでパレスチナ人をできるだけ多く追放することが必要になったのです

それを実行に移す計画がD計画です。これは村々を攻撃して占領した後、すぐに村を破壊し、村民を追放することが目的になっていました
また「移送委員会」という秘密の委員会も活動しました。これは手に入れた村の跡地をどのように用いるかを決定する委員会です。難民が村には戻れないようにすることにも、この委員会が大きな役割を果たしました
こうして「難民の発生と村々の破壊は、実は計画的に行われたのだ」というたことは、ユダヤ人歴史家たちが、イスラエル軍の資料を分析することによって、発表され始めました。

しかしこうした事実は、イスラエルでは認めない人が多いのです。
地図の中には村の名前が消えてしまい、何が起こったかはイスラエルの教科書にもかかれないから、なかなか理解できません。
認める人もいますが、ほとんど「仕方がない ユダヤ人はホロコーストに会って大変な思いをしたから 国を持つ必要があった。そのため難民が生まれても仕方がない」と言うのです

しかし私の友人で、テルアビブ大学歴史学教授のシュロモー・サンドは次のように言います。
「罪を犯されたからと言って、他人に罪を犯すことは正当化されない」と。
「ホロコーストを経験したからといって、それはヨーロッパの犯罪だった。罪のないパレスチナ人を難民にすることは許されないのだ」と
それは広島の経験があるからと言って、その前の日本の戦争の罪や これからの罪を正当化できないのと同じです。

「パレスチナ問題は難しい」とよく言われます。
その原因のひとつは、毎日のニュースが、衝突の報告ばかりで、なぜこんなことが起こるのか、原因を伝えられることがあまりないからだと思います
私にとって、パレスチナ問題は単純だと思います
今から60年前の1948年に起こった「パレスチナ難民発生とイスラエル国家建国」のとき 何が起こったのかを見ればいいのです。
ここから歴史を見つめなおさなければならないし、和平も、このときにさかのぼって、話し合わなければなりません。
1948年のパレスチナ難民発生を、パレスチナ人はアラビア語で大惨事を意味するナクバという言葉で呼んでいます。
私はこのナクバで破壊された数百のパレスチナ人の村々の映像記録残す仕事をしています。劇場映画は日本を始めアメリカ、フランスなどで上映され、今長時間のDVD記録を作成しています。

歴史は勝者によって作られるため、犠牲者たちのこと 都合の悪いことは隠されます。
日本の歴史でもそういうことが多くあります。
日本のナクバ アイヌ先住民族のこと 
まず記録をきちんと残して 記憶する。 その記憶を共有して、そこから問題の解決策を考えることが大切なのではないかと思います。DAYS JAPAN


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