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科学哲学コミュのゼノンのパラドックスから物理空間は離散的であると結論できないだろうか?

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ゼノンのパラドックスの要諦は「有限の時間内に無限のプロセスを行うことはできない」ということにあるのだろう。

カントは「空間と時間は感性の表現形式」であると言ったが、われわれはなぜかユークリッド3次元空間をア・プリオリに受け入れている。ユークリッド空間は連続かつ無限である。どの小さな部分を切り出しても、それを引き延ばせば元の大きな空間と全く同じであるという性質を持つ。よくよく反省すれば、この性質は奇妙であるが、それゆえに我々は限られた知性で、微小な世界から巨大な宇宙についても思考を馳せることができるわけである。

しかし、現実の物理空間を感性の表現形式であるユークリッド空間を同一視することには本来無理がある。カントの慧眼は、そこから第一及び第二アンチノミーが生じていることを見出したのである。物理空間の性質はア・プリオリには決定できない。現実のものは現実の経験によってその性質を知るのである。宇宙に果てがあるかどうか、それはここでいくら考えていても知ることはできない。それは経験(観測)によらねばならない。経験が及ばないところについては永遠に保留せねばならないだろう。

ゼノンのパラドックスは空間が連続であるということからくる。空間はいくら細分化しても引き延ばせば元の空間と全く同じであると考えられている。本当にそうか? そのことを私たちはいつ知ったのだろう?

カントの第二アンチノミー:
(テーゼ)     世界は究極の構成要素としての単純な実体から構成されている
(アンチテーゼ) 世界には単純な実体は存在せず、構成要素はどこまでも
         分割可能である

われわれは無意識のうちにアンチテーゼを受け入れている。空間は連続であり無限に分割可能である。そのため極限概念である無限小はゼロに等しいことになってしまう。つまり、ある特定の点に隣り合う点は存在しない、それはその点自身であるということになってしまう。空間はあまりに稠密であるために、刹那の瞬間に移動すべき先の隣の点が存在しないというパラドックスが生じてしまうのである。

しかし、これは不合理なことではないか? 現実に物体は移動するのを我々は経験している。もし、空間が連続ではなく離散的であると仮定すればどのような不都合が生じるだろうか?

連続の概念は、貧弱な我々の脳にとってかつては有効なものであったが、極微の世界を考える上で障害となっていることは考えられないだろうか?
例えば素粒子というものを考える場合、粒子とは単に小さな物質であり、それを拡大すると砲丸のように境界面が明瞭な玉状のものを連想してしまう。極微の空間も拡大すれば、われわれが経験している日常的な空間と同じようなものであると考えているからだろう。

ともあれ、物体は運動する。物理空間は離散的であると結論できないだろうか?

コメント(7)

先ず、空間は連続であるという前提を取り払う。つまり、空間は離散的であると仮定し、最小の距離を確定しようという目標を定めるべきではないだろうか?
物理空間に最小距離があるかどうかはともかく。微小な空間を拡大すれば日常的な空間と同じ構造をしていると考えるのは問題がある。
とにかく、空間が連続であるという前提には何の根拠もないことを認識する必要がある。
 先ず、視界のことを α-field と呼ぶことから始めましょう。
「視界」という呼称は先入観があり過ぎて、まともな思考の妨げにしかなりません。
α-field を3次元に拡張したものが物理学の称する「空間」です。
更に、物理学ではこのα-field 上のパターンを「物質」と呼びます。
あなた方に理解できるかどうかは分かりませんが、パターンは実体ではありません。
パターンは「この世に在らざるものなのです。
パターンは虚であり空であり、
虚は幻であり空は無であり、
パターンはこの世には在らざるものなのです。
パターンの変化は物理現象ではありません。
真の物理現象は、α-field で言えば、その上の1点1点の「色」なのです。
「色」は光だと信じて疑っていませんか?
もしそうなら、私はそういう知能レベルの人達とはまともな話はできません。
現人類が、そして物理学が時間だと信じて疑っていないものは実は「記憶」であり、
脳の空間的な構造なのです。
この記憶世界で特定の時刻t1にパターンAとパターンBとは距離dだけ離れています。
そして別の時刻t2ではこの2つのパターンは重なっています。
これに何の矛盾があるのでしょうか?
矛盾は、パターンが空間内の( α-field 上の)物体という実体であり、
その実体が空間内を運動しているという、人間が勝手に作り上げた虚空の世界にあるのです。
同様な論理を適用すれば、「平面上の2本の直線は決して交わらず」などという詭弁も可能です。
くだらない無意味な議論です。

>>[3]

>物理学ではこのα-field 上のパターンを「物質」と呼びます。
>パターンの変化は物理現象ではありません。

パターンが「物質」ならば、パターンの変化は物質の変化であり、それはいわゆる「物理現象」であるということにはなりませんか?

>パターンはこの世には在らざるものなのです。
一体どこにあるのでしょうか?
>>[5]
>思弁で物理空間を離散と決めるなど笑止
思弁で物理空間を連続と前提しているのが現実。物理空間が連続か離散なのかは物理学者が観測事実に基づいて決定すべき問題であると思います。

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